この連休に相次いだ、国内の山岳遭難のニュース。
おそらく、ひっきりなしに救助ヘリが飛んだのだろう。 山岳警備隊や地元の警察、救急関係の方は大変だったろうなと思う。
白馬岳の遭難事故はガイド登山であったようなので、 死亡した方とのあいだにそうした契約関係があれば、 これは訴訟になる可能性も高い。
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人が、なんでそうまでして高所へ向かうのか、ちょっと理解できない。 笑われそうだが、本当にそう思っている。
山岳遭難は自分が死んだり怪我をするだけでは済まないのだ。
家族や友人は悲しみでその後の人生をしばらくふいにし、 関係者が貴重な休日をふいにし−場合によっては危険な救出作業に従事し−、 いくらかの税金をふいにする。
つまり、総合して言えば、社会にものすごく迷惑をかける。
かけがえのない人生の最期だというのに、ロマンのかけらもない。 家族に別れも感謝も告げられず、人に迷惑をかけまくって死んでいくんである。
好きなことをして死ねれば満足だろうと言う人があるかもしれないが、 私は、その無駄にした命を難病の子どもにあげることができたなら、と思う。
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危険度の高い山に登るというのは、文字どおり傍若無人な行為である。 何の比喩でもなく、「自分が頂点に立つこと」だけを−それも四六時中−考える行為である。
クライマーというのは、自分の傍若無人な満足がなければ生きていかれぬという、 そうした性質を受け入れざるを得ない、ちょっと不器用で可哀相な人達なのだ。
そして、高所へ向うというのは、そういう人達が、 普通の真っ当な暮らしや幸せを犠牲にしてでもやむなくしてしまう行為と思っている。
だから、家族もあり仕事もあり家も手に入れたような、 社会的に十分順応しているような人たちが、 なんでまたそんなことをわざわざやるのだろうと、 私は不思議でならないのである。
2004年10月10日(日) 他人の無念
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