無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年04月22日(木) 映画トラブルあれこれ。

 今日は仕事が糞忙しくて、帰宅が午後9時。
 仕事の中身はもう書きたくないので、ほかのことをいろいろ書く。


 今年は久方ぶりにダン・エイクロイドの出演する映画、ジョン・グリシャム原作の『スキッピング・クリスマス』が、日本にも輸入されることが決定しているが、この映画、クランクインしたばかりだというのに、ちと困ったトラブルに巻き込まれてしまっている。
 でもなんかそれが実につまんない理由で、同時期に公開される予定のベン・アフレック主演の『サバイビング・クリスマス』とタイトルが似ているので、レイティング審査をするMPAAからタイトルを変更するように指導されたというのだ。
 何か私にはこれがどうしてタイトル変更の理由になるのか全然理解できないのだが、タイトルが似てたらダメっていうんだったら、日本の一連の『愛と○○のなんたら』ってやつ、全部取りしまわれちゃわないか。第一、原作のタイトルは既に発表済みなんで、これを変えろってのはもっとややこしい問題を生みはしないか。何となくグリシャムを標的としたいやがらせのようにも思えて、ウラをいろいろと想像するとちょっと怖くなる。
 なんだか、昔、マルクス兄弟の『オペラは踊る』(原タイトル・『カサブランカの夜』)が制作されていたときに、『カサブランカ』の制作会社であるワーナーがクレームをつけて、それに対してグルーチョ・マルクスが「賢明なる観客は、きっと、ハンフリー・ボガートとうちのハーポ・マルクスを見分けられることでしょう」と手紙を送って事無きを得たというエピソードを思い出したけれども、そんなふうに円満に治まらんものか。MPAAも、こういう下らんクレームをつけるヒマがあったら他にやることないのかと言いたくなる。
 まあ、最終的に映画が完成してくれれば問題はないんだけれどね。



 本家中田秀夫監督が監督することになったハリウッド版『ザ・リング2』に、前作でサマラ役を演じていたデイビー・チェイス(表記が変わったな。前は「ダヴェイ」だったのに)が出演しなくなったとか。アーレン・クルーガーの執筆した初稿に存在した生前のサマラが登場するフラッシュバックのシーンが、決定稿からカットされたためとか。
 まあ、貞子っつーか、サマラは姿を見せない方が怖さは出せるから、この決定は悪くはないかもしれないけれど、前作の彼女の魅力は捨て難いものがあったから、ちょっともったいないなとは思う。でも本家『リング』シリーズも『2』以降はどんどん失速していったし、さて、ハリウッドリメイクがそれを越えられるかどうか。基本的にアレは一作こっきりにしといた方が面白いネタだと思うんだけどなあ。


 友人から、あるサイトの日記に『カスカベボーイズ』について、お笑いな批評が載ってるぞ、と教えてもらったので覗いてみたのだが、なるほど、なんだかトンチンカンなことばかり書かれてある。
 どうやら映画をあまり見たことはない人のようで、若い人が背伸びをしてモノを言おうとすると、乏しい知識を総動員して語るものだから、往々にして引用や例えが的外れなものになってしまうアレをやらかしてしまっているのである。
 あの映画の中の世界を「時間が動かず太陽が中天に止まったままという明らかにペルシダ−を思わせる不条理世界」なんて書いているのだが、この人、本当にバローズの『ペルシダー』シリーズを読んでいるのだろうか。別にアレは地底世界ってだけで、時間がとまってるわけでも何でもない。「不条理世界」なんて表現は当たらないんだけれど、どうやら「不条理」という言葉の意味自体もよく分からずに使っているようである(それとも私の記憶違いであの世界は時間が止まってた世界だったのか? もう読んだの何十年も前なんで細かい設定忘れてるんだけど)。つ〜かね、映画の中の世界なんだから、引用するならほかにいくらでも適切な例もあろうに、『ペルシダー』ってこたなかろうよ。バスター・キートンの『探偵学入門』も見てないのだなあ、この人。半可通だとしても、かなり軽率な御仁のようである。
 「悪役中の悪役たるジャスティス、彼は恐ろしくパラダイスキングを思わせる」なんてのも『クレしん』映画くらいしか見てないんだなあというのが丸分かりで、どうもジョン・ウェインすら知らないらしい。昔の映画をまるで見てないのは若い人の共通項みたいなものだから、もう今更責めたって仕方ないとわかっちゃいるのだが、『クレしん』映画を批評する例えとして『クレしん』映画を引用したって何の意味もないってことに気が付いていない。一応その人本人としてはこのあたりで『カスカベボーイズ』を誉めているつもりなのだろうが、阿呆が誉めると映画自体が阿呆に見えてしまうので、逆効果にしかなっていないのである。どうにも困ったちゃんである。
 極め付けのトンチンカンな文句は次の一節である。
 「ただ、どうしても私としてはこの映画を良作であると結論づけながらも、前作『ヤキニク』にシンパシーを感じざるを得ない。『ヤキニク』のごとく、シチュエーションコメディよりもギャグ映画を目指した作品は“映画”として“奇形”にならざるを得ず、その“奇形”こそが私のような人間をひきつけるのだ。同時に、それが『ヤキニク』があれほど世間の理解を得られない理由の最たるものであるのだけれども」
 ああ、この人は喜劇映画を殆どマトモに見たことがないのに喜劇映画を語っているのだなあ、と脱力してしまった。「シチュエーションコメディ」に対置する概念は「スラップスティック・コメディ」であって、「ギャグ映画」などというものではない。説明するのも馬鹿馬鹿しいが、「ギャグ」は喜劇を成立させる要素であって、それはシチュエーション・コメディにもスラップスティック・コメディにも存在する。このあたりの用語の間違いも文意をかなり意味不明にしてしまっているのだが、更にアタタなのは、コメディが「映画として奇形にならざるを得ない」というくだりだ。この人はキーストン・コップスからバスター・キートン、ハロルド・ロイド、チャーリー・チャップリン以降のもろもろのコメディアンたちの映画を全て「奇形」と切って捨てる気なのだろうか。見てないからこそこんなことが言えるのだろうが、見ていてこんな発言をしているのであれば、これは相当な阿呆である。全くいったいいくつなんだ。中学生くらいか? この人。
 前作『ヤキニクロード』が世間の理解を得られない、というのも、いったいどこの「世間」の話なのだろうか。昔から『クレしん』映画は認めている人は認めていたし、観客動員も決して落ちこんではいない。無知にもちょいと程があるというか、どうも自分の妄想だけでモノを語るタイプのトンデモさんのようである。
 映画の歴史も知らず、映画自体もまるで見てないのは、その人がそういう巡り合わせだったのだろうから仕方がないとしても、そんなんでヘタに「映画論」を偉そうに語っているのがお笑いなのである。……にしても、ここまでの馬鹿はちょっと珍しいぞ。どこの馬鹿サイトか紹介してもいいのだが、往々にしてこういう手合いは粘着さんだから、逆恨みでヒレツなことをされてもめんどくさいのでどこかは書かない。
 ネットが一般化して以降、こういうぱーぷーな猿言が横行するようになってしまったが、つくづく思うのは「日本にはもう批評は存在しえない」という小林信彦の箴言である。昔は高校や大学などでもクラブやゼミやサークルとかが少しは機能していて、阿呆な意見が飛び出してもセンパイたちからたしなめられていたものだったが、年齢不詳経歴不詳なネットからはそういう機能が全くなくなってしまった。
 それはまあ、憂えるべき事態ではあるのだけれども、ネット上の発言は今や全て拡散して、一つ一つの意見は重みを失ってしまっている。こういう馬鹿な意見ばかりではなし、『カスカベボーイズ』に関しては快楽亭ブラックさんや唐沢俊一さんのようにプロの方がちゃんとした批評をしてくださっているので、我々はこういう泡沫猿言を目にしたら嗤ってやってればよいのであろう。
 ……でもだからってわざわざ教えてくれなくてもいいんだけどな。


 ここんとこ散々イラクの三馬鹿について書いてきたのだけれども、ネットの某掲示板に(^o^)彼らの住所が掲載されて、3人の自宅に大量の中傷の手紙が送られてきたとか(現在は札幌法務局の指導により削除ずみ)。多分その殆どは無記名で送られてきたものだろう。
 あそこまでの馬鹿は近年つとに珍しかったから、弱いものイジメが大好きな日本人がいっせいに叩きたくなった気持ちもわからなくはないが、無記名の中傷の手紙は彼らを「被害者」に仕立て上げることになるから全くの逆効果である。批判をするならちゃんと記名入りで反論受ける覚悟でやんなきゃ。こういう「批判の尻馬に乗った中傷」をしたがる手合いは、結局は「自己責任」を果たしてはないわけで、あの三馬鹿以下の糞である。全く、人のことが言えた義理かね。
 もちろん、中傷されてるからと言って、彼ら三馬鹿を擁護する気などサラサラないのだが、あれだけ堂々と批判できる相手に対して、何を陰湿な方法を取っているのか、馬鹿じゃねえか、ということなんである。まあこの日記読んでる人で、彼らんちに中傷メールや手紙送った人はいないと思うけれど、もしいたらアンタ糞だから蝿にたかられて死になさい。
 

 仕事帰りに寄った紀伊國屋で買った、DVD『クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望』と『爆発!温泉わくわく大決戦』を見ながら寝る。この映画シリーズもコンテンツに書きたいこといっぱいあるんだけど、書き出したらキリがなさそうだから、手をつけるのが怖いのであった。

2003年04月22日(火) メモ日記/待ちぼうけの夜。
2002年04月22日(月) 全国の○○はみなアホか?/『てけてけマイハート』2巻(竹本泉)ほか
2001年04月22日(日) おしゃべりラブ/DVD『キングコング対ゴジラ』ほか


2004年04月21日(水) 『イノセンス』、カンヌ映画祭ノミネート!

 イラク関係のこと日記に書き出してから、アクセス数がどんどん増え出して、一時期は一日百件近くも覗きに来られてしまった。たかが無名人のサイトにはちょっと過ぎた数字である。お客さんが増えるとまた心配性の某友人が「荒らしが来るんじゃないか」とか神経過敏になっちゃうので、まあその不安を取り除いてあげないといけないんだが(^o^)、ヒトコトで言っちゃえば「取り越し苦労だよ」ということである。
 いろんなサイトをネットサーフィンしてて思うのは、基本的に「荒らし」なんてのは無名人のところには来ないということである。荒らしさんには荒らしさんのプライドらしきものがあるようで、噛みつく相手ははっきり選んでいる。「あんな有名人を怒らせてやったぞ」とか、「イタいねーちゃんをからかってやった」とかいうのは快感に繋がるが、どこの馬の骨とも分からぬ中年男の藤原某などと諍いをしたところで、誰かが注目してくれるわけでもない。かえって、そんなネットの隅の隅のかすっペたで下らん喧嘩をしているのを誰かに見られたら、馬鹿と阿呆が何かやってるとせせら笑われるだけである。それでは荒らしさんの自己顕示欲はいっかな満たされない。必然、無名人が「荒らしさん」に狙われる危険なんてのは殆ど考慮する必要もないのである(無作為に送られてくる迷惑メールの類は除く)。
 つか、そんなん心配していたら、それこそ「何様のつもり」ですがね。どうも私の友人には私のことを過大評価してくれる人が多いのだが、自分がそんなたいそうな人間じゃないことは私自身が一番よく知っている。「もっと有名になってほしい」旨のことを何人かから言ってもらったことはあるが、中身のない人間がそこかしこに偉そうにしゃしゃり出たって、お寒いばかりである。人間、「身のほどを知る」ってことは大事だよなあとは、今度のイラク人質事件でも痛感したことだ。友人、知人に気にかけてもらえていること自体はありがたいことなのだが、疑心暗鬼に過剰反応して、自分がさも大物であるかのように錯覚してしまうようでは情けないだけである。結局、一番の「荒らし」対策は、「ネットで書きものをすることをやめる」ことだってことになってしまう。
 でまあ、そうなったらなったで私にネットに対する執着はないことは何度か日記にも書いてきたとおり。荒らしさんが喧嘩売るには一番張り合いがない相手ではないかと思うんだが、それでもまだ友人諸兄は心配してくれるのであろうか。それに、人質解放で世の中もすっかりおとなしくなり(まだやっきになって騒いでるのはあくまで自衛隊撤退を唱えているサヨクくらいのものである)、昨日今日はもう、アクセス数が一気に40くらいまで減ってきているのである。新しく定連さんが居付いた様子もない。通りすがりさんがいきなり荒らしさんに変貌することなど、そうそうあるこっちゃないということである。
 ま、これからもこんな感じで好き勝手書きはするけど、細々とやってくつもりなんで、私にあまり過剰な期待はかけないでほしいのである。


 会議に出ないトンガリさんに対して、ついに上司が直談判をすると宣言。
 宣言するのはいいけど、実行できるんかいな。相手はマトモな神経の持ち主ではないということは充分わかってるだろうに。もっとも上司がそういう態度を示すようになったのは、多分私が殆どトンガリさんとの渉外を担当するようになったものだから、上司として手をこまねいたまま、何もしないでいるわけにはいかないと判断したものだろう。
 実際、トンガリさんとのやりとりを一手に引き受けるようになって以来、私がかなり疲労していることは周囲も気付いていることである。ここ数日、チックがまた激しくなっていて、ちょっとごまかしきれなくなっているのだ(仕事が終わった途端に痙攣が収まっちゃうから、原因はもうソレ以外にないんである)。
 上司が本来の仕事をしてくれるのなら私は大いに助かるのだが、かえって傷を広げるようなことになりゃしないかと、それが心配なのである。願わくば、ホンモノの「傷」をつけあうような事態にはならないことを、ひたすら、切に。


 夜、しげと待ち合わせて、キャナルシティで映画『ピーター・パン』。
 ディズニーよりはマシだったけれど、原作を読んでる身にはちょっとツライものがある映画であった。しげがラストで私が泣いたかどうか、確かめようとして顔を覗きこんだけれど、私ゃつまらん映画では泣きません。
 帰りにロイヤルホストで遅目の食事。だもんで注文したのはお粥。しげはステーキ膳を頼んだが、一緒に付いていたカキフライを要らないというので、それをおかずに食べる。これでもせいぜい500kcalくらいであろう。昼はカレーだったけれどご飯は残したし、一日で1000kcalくらいしか取ってはいない。
 とりあえず、ずっと体重80キロを越える事態だけは避けられているし、体脂肪率も17%と、完全に正常値なのだけれども、東京行きまでにせめてあと1、2キロは減らしときたいのである。ずっと外にいるとどうしたって食っちゃうからねえ。 


 5月12日から開幕する第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に、押井守監督『イノセンス』と、是枝裕和監督『誰も知らない』の2作品が正式にノミネートされた。
 ご承知の方も多いと思うが、カンヌを始め、国際映画祭のコンペというのは、推薦したから即ノミネートされるというものではなく、やはり事前に選考された上で出品が決まるのである。つまりは『イノセンス』は立派に世界に通用する「映画」として認められたわけで、こんな重畳なことはない……と言いたいとこなんだけど、審査委員長がクエンティン・タランティーノだから、ちょっとヒイキが入ってたんじゃないの? という気がしないでもないな(^o^)。
 押井監督のコメントは実に淡々としていて、まるで宮崎駿のようである。
>「アニメーションのノミネートは、史上5本目だとか。日本のアニメが映画として認知されたことの証明だとするなら、喜ぶべきことだと思います。タキシードを着るのはイヤですが、これも監督の仕事です。行ってきます」
 もっとも宮崎さんはベルリンのときはケツ割ってたけど。

2003年04月21日(月) メモ日記/南洋の夜。
2002年04月21日(日) えっちな話をしても中身は書きません/アニメ『サイボーグ009』27話
2001年04月21日(土) 帰り道涙道/映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』ほか


2004年04月20日(火) 今日はぶっくたびれてるので短い。

 職場のホスト・コンピュータが突然アクセスを受け付けなくなってしまった。
 昨日、そのパソコンを最後に扱っていたのが私だったものだから、何かやらかしたのではないかと疑いをかけられるが、別に誤作動させた覚えなんかないぞ。あちこちいじくって、反日が経ってようやく何とか回復したのだけれど、その間、例のトンガリさんが「おたくが何かやらかしたんですか?」「おたくが最後に触ったんでしょう」「その時どんな様子だったんですか」「何かヘンな画面を開いたりしてませんか」としつこいこと。わしゃ何もしとらんちゅ〜に。
 半日コンピュータが使えなかったので、仕事が押す押す。今日も残業でしかもメシ食う時間もなし。疲れたので今日はサッサと寝ます。

 手塚治虫文化賞も発表になったけど、岡崎京子の『ヘルタースケルター』は確か買ってたんだが、読む間もなく本の山の中に埋もれた。新生賞のもりもと崇氏は未読。短編賞の秋月りす氏は、好きなマンガ家さんではあるけれど、もっと早くに受賞しててもよかった気がする。『OL進化論』が20巻を越してる今、「なんで今頃?」感が強いのである。でもそれを言い出せば特別賞のみなもと太郎氏も、手塚さんの生前から評価しとれよまったく、と言いたくなるほどに「今更」な受賞であったが。

2003年04月20日(日) メモ日記/壊れていく夜。
2002年04月20日(土) スゲーナ・スゴイデス!/『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』ほか
2001年04月20日(金) ただいま治療中/『クラッシャージョウ』(細野不二彦)ほか


2004年04月19日(月) 謎の柴田と、『漫画アクション』の復刊

 先日、しげが開設した掲示板と言うか日記と言うか、「だにえる宙」に、お客さんがちらほら来始めている。それはまあめでたいことなのだけれども、しげがなんだかよくわからないみょうちくりんな変換プログラムを仕込んでいるものだから、書きこみされた文章が「宙語」っつーのか? まるで全然少しもいっちょん意味のワカランものになってしまっていて、解読するのがめちゃ厄介である。
 「おっ、お客さんが来てくれてるね。よかったよかった。」と書き込んだら、これが、
 「おっ柴田プッシーキラーは、お客シャアってさ っ! そこはダメッ! が来てくれてるね・でぶ☆今日はこれくらいでカンベンしといたるわ!よかったよかった今日はこれくらいでカンベンしといたるわ!」
 ……なんて変換されてるのである。誰なんだよ「柴田プッシーキラー」って(-_-;)。そんないかがわしい知り合いなんぞおらんわ。それに、いきなりヒトに向かって「でぶ」なんてシツレイなことは言わんぞ、私は。まあ、しげがデブなのはその通りだから、これは自業自得というものだが。
 「みんなにここのこと教えてあげたら?」と書き込んだのが「ピロリン星のこと教えてあげたら?」と変換されていたので、「何だよこれは」としげに聞いたのだが、「オレ、ピロリン星とかわけのわからんところのことなんか知らんよ!」と「宙」に向かって悪態をついていた。んなこと言うても、そう変換するように仕組んだの、お前だろ〜が。
 自分が書き込んだ文章だけは元の文がわかるわけだが、他人のものは全くわからない。もう激烈だったのは某君の書き込みである。
「アーアー、ハッテーシーナイぃ〜!アーアー、ハッテーシーナイぃ〜!柴田プッシーキラーは、俺も早く「カスカベボーイズ」観に行きたいむ〜う〜だけど柴田プッシーキラーは、家族連れプッシーキラーは柴田プッシーキラーは、動きが取れにくくてなぁ・・「コナン」もセットにシャアってされちゃってるし柴田プッシーキラーは、トホホるーるーるーるー、ナッマッスッテッ!!アーアー、ハッテーシーナイぃ〜!ぁ柴田プッシーキラーは、早く柴田プッシーキラーは、行こうヨオるーるーるーるー、ナッマッスッテッ!!って柴田プッシーキラーは、お前が子供じゃむ〜う〜るーるーるーるー、ナッマッスッテッ!!」
 どうやら『カスカベボーイズ』を見に行きたいと言ってるらしいが、その熱情のあまり、このヒト、アタマがイカレてしまったらしい(--;)。お気の毒なことである。だから「柴田」って誰。
 仕込んだ本人は面白がってるのかもしれないが、「やりすぎ」はかえって興を殺ぐというものである。……もちっと別のささやかなのに変えようよ(-_-;)。


 例の職場のトンガリさんが、ついに仕事を拒否し始めたので、その人の分の仕事まで引き受けることになり、やっさこいて(=苦労して)働く。その方は一応、技能職なんで、本当は資格のない私がやるべき仕事でも何でもない(つか、やっちゃマズイんだがね)のであるが、ほかに人材がいねえ(T∇T)。層が薄いぞ、ウチの職場。
 全くなんでオレだけこんな目に、とブルース・ウィリスみたいなことを愚痴りたくもなるが、何分、二人分の仕事をせにゃならんので、愚痴ってるヒマがあったら手を動かすしかないのである。結局一休みする時間も取れず、8時まで残業。……疲れたけど実はまだ仕事の5分の1も終わってない。だから専門じゃない仕事を肩代わりしてるんだから、どうしたって手間はかかるのだ。……で、この仕事片付けなきゃならないのが明日までってことになってるんだけど、終わるんかいホントに。終わらせるしかないんだけど。
 トンガリさんは「だって私にばかり仕事を押しつけてみなさん『忙しい忙しい』って仰るけれども、私からはみなさんが遊んでいるようにしか見えなくて、もうみなさんに仕事をしていただくためには私が何もしないでいるしかないって悟ったんです」というご意見である。
 ……だったらよう、今アンタが勤務時間が終わると同時にスタコラサッサと帰ったあとも居残って仕事引き継いでる私はいったい何なんだよ。ヒマでやってるとでも言うつもりかい。~凸(~~ ;)
 でもトンガリさんがもし病院(どこの、とはあえて言わない)に担ぎこまれるようなことにでもなれば、結局は私が跡を引き継ぐしかないのである。もともとその立場にある人間じゃなくたって関係ないのだ。
 自分でもすげえお人好しだとは思うが、誰ぞのようにあえて危険地域に足を踏み入れるナルシシズムに酔っているわけではない。なんでかわからないけれど、親代々、うちの一族はこういう星回りになってるのよ。もう笑うしかないやな。
 ……ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。
 さあ、トンガリさんと私と、どっちが病院に入るのが早いか。


 今日は終日雨。運動ができないので、なんか食ったら血糖値が馬鹿上がりなのは目に見えてるので絶食。……のつもりだったけれど、しげが「うどん食わせろうどん食わせろコロッケうどん食わせろ」とうるさかったので、結局「レッドキャベツ」まで買い物に行って、コロッケとメンチカツを買って来る。冷食で安いとは言え、揚げ物ばかり食いたがるから太るのだ。けど、コロッケって、私が子供の自分には「おかずの王様」だったんだけど、今どきゃ10個250円で売ってるんだものなあ。「わあ、今日はコロッケ!?」なんて歓声を上げて喜ぶ子供なんて、もういないんだろうな。
 もちろん昔のコロッケは、出来合いのものじゃなくて親がタネからちゃんとコネて作っていたのである。原則として、私はおかずの七割を手作りできない親(男女ともに)なんてのは子供を持つ資格がないと思ってるんだが、こういう感覚って、現代ではもう死滅してんだろうな。でも親の作る料理で一番美味いのが「カップラーメン」って答える子供が本当にいるんだぞ。たとえ時代遅れだとか頭が固いとか言われたとしても、私ゃイマドキのヤンママの方が狂ってんだって断言するからな。
 ……うちも私が主夫できないかぎり、子供はムリだなあ(T.T)。


 スペインのサパテロ新首相が、昨18日、イラク駐留のスペイン軍部隊、約1300人を即時撤退させるよう、ボノ国防相に命じたことを明らかにした。理由は「イラク駐留の条件を満たすような国連安全保障理事会決議が採択される見通しがつかない」からとのこと。
 小泉首相は「それぞれ国には事情がある」として自衛隊を撤退しない旨、改めて強調していたが、これがほんの十日ほど前であったなら、「いい機会だから、日本も自衛隊の駐留を少し考えなおしてみたらどうか」くらいのことは考えていたかもしれない。自分でもまさかここまで「小泉さん正しいよな」と思うようになろうとは、まあビックリ(~_~;)。
 三馬鹿の影響の大きさをひしひしと感じるところであるが、こりゃもう自衛隊の撤退はしばらくはありえんなあと大多数の日本人が感じているだろうこのときに、日本弁護士連合会は、こともあろうに自衛隊の即時撤退を求める会長声明を発表した。
 「自衛隊は『非戦闘地域における人道支援』というイラク特措法の要件に従って派遣されたはず。民間の日本人が拘束されるという許し難い事態も発生し、もはや法律の要件を満たしておらず、即時撤退と今後の派遣中止を求める」なんだとよ。
 だからその民間人とやらは自分から「戦闘地域」に捕まりに行ったんじゃないかよ。それと「非戦闘地域」で救援活動に従事している自衛隊と、いったい何の関係がある? こういうねじれた論理(にもなってないへリクツ)でもって大衆を折伏できると思ってるなんて、いくらなんでも世間サマをあまりに嘗めてやしないか。
 でもって、NGOは向こうに行きっぱなしってわけかい。またぞろ人質になる馬鹿を出すか、テロリストと意気投合して支援者になるかのどっちかな状況を作り出そうってか。「人権派」とやらの弁護士どもの正体は、こんな後先考えない、イデオロギーに凝り固まった阿呆の集団なんである。何か事件に巻きこまれたとしても、こういう弁護士だととてもこちらの「人権」とやらを守ってもらえそうにないよねえ。自分のことはやっぱり自分で守るしかないんだよねえ。全く、「自己責任」ということをいやというほど教えてくれる事件であったことである。
 で、肝心の三馬鹿はどうしているかって言うと、7日くらいは人前に顔は出さないんだってさ。まあ、その間にできるだけいろいろと、楽しい言い訳を考えててくださいな。


 昨年秋に休刊していた『漫画アクション』が、月2回刊で復刊。発売は明日20日から(福岡は多分明々後日くらいか)。
 廃刊直前はエロの軟派路線で失敗した轍を踏むまいとてか、連載のラインナップ、見た目は「硬派」っぽいものが並んでいる。メインがなんたって北朝鮮拉致被害者家族会事務局長の蓮池透原作『奪還』のコミカライズ作品である。これ、誰か面白がって読む人いるんかね(~_~;)。やっぱり冒険してるんじゃないか、双葉社。
 マンガの持つメッセージ性というものを私は基本的に信じていない。マンガの作業というものは、複雑多岐に渡る人間の思考をいったん単純な「記号」に変換して提供し、それを受け手が再び自らの「想像力」でもって複雑化するという過程を取る。いや、マンガに限らず、「表現」というものは全て「記号」でしかないから、その記号に反応する素因ないしシステムが受け手である読者の側になければ、想像力は機能せず、どんなメッセージも届きはしないのである。ま、『オトナ帝国』が万博体験者と未体験者とではその反応にかなりな「温度差」が生じていたことを想起していただければ、このことはピンと来ますかいな。
 で、同じ「表現」でも、「活字」に比べて「マンガ」の特徴はそれが「カリカチュア」である点にある。どんなにリアルでシリアスな劇画仕立てにしたってね、マンガって、基本的に「ギャグ」なんだよ。マンガの本道はギャグマンガであって、決してストーリーマンガではないのだ。しりあがり寿が白土三平の、田中圭一が手塚治虫の、トニーたけざきが安彦良和の、“元の絵柄のままで”ギャグが取れるという点にお気付き頂きたい。
 『奪還』のマンガ版がどういう展開を見せるかは分らないけれど、現実の人間が戯画化されてしまうことは如何ともし難かろう。少なくとも原作者が語っているような、「日ごろニュースを見ず漫画を読む人たちにも拉致について関心を寄せてもらい、沈静化する世論を少しでも食い止めることができれば」という目的はなかなか果たせないんじゃないかって思うんだけどねえ。
 でも復刊号には『ルパン三世』の特別DVDが付録に付くらしいから、とりあえず私は買うけど。

2003年04月19日(土) メモ日記/腐れた夜。
2001年04月19日(木) 今日は眠いので短いよん/『クレヨンしんちゃん』29巻(臼井儀人)


2004年04月18日(日) 『カスカベボーイズ』余燼とPTSDな人々

 今朝は普通に目覚めて、『デカレンジャー』以降の番組をひと通り見る。
 『レジェンズ』は3話目で早くもキャラクターの先行きが心配になってきた。シュウがマトモに覚醒するのにはかなり時間がかかりそうだし、ハルカ先生はた結局ただのレジェンズオタクだったし、マックが意外に深みのあるキャラになりそうだけれど、体形的に大活躍は期待できない。デブはヒーローにはなれないのだよ(T.T)。今週も「カニ〜!」とか小出しのギャグはまあ好きなんだけど、なんか今イチ骨がしっかりしてないのである。でも今んとこ新番の中で毎週見る気にさせられてるのはこれだけなんだな。

 今日は練習には参加せず、一日ウダウダ。『カスカベボーイズ』の余韻も覚めやらず、『荒野の七人』の吹替え版とか見返したりする。やっぱりジャスティスの小林清志の声はジェームズ・コバーンの方にアテてほしかったな、とか思ったりする。ちょうど『電撃フリント』をWOWOWでもやってたので、今日はコバーン一色の一日であった。

 食事は冷蔵庫の中をあさって、スパゲティを作って食う。おかずがないのでカロリー的にはちょっと偏りがあるが、そのうち給料が出たらたっぷり野菜を取ろう。


 あぐにさんから『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』の初日舞台挨拶レポートが届いていたので、早速ホームポージの表紙にアップする。個人ホームページではあるけれど、自分だけの原稿で構成しようとは思っていないので、こうして寄稿して頂けるのは本当に嬉しい。ああ、私もナマ矢島さんやナマならはしさんやナマこおろぎさん(八橋かい)のご尊顔を拝して見たかったぞ!(T∇T)。パンフレット、昔はみなさん顔写真を載せていたのだけれど、今年のには一切顔出しがなし。レポートにもあったけれど、13年も経つとみなさん充分いいおトシになられているので、ちょっとご遠慮なされたのかも。でも身も心も美しい方はおトシを召されてもやっぱり美しいものだけれどもね。
 ……いや、藤原啓治さんを羨ましがるのはよしひと嬢に任せます。

 しげに言わせりゃ私の文章は「いつも高飛車」に見えるそうなので、優しげな文章があると清涼剤のように安らげることである。でも私の文章って、ヒクツだって意見もあったのだが、要するに何を書こうが「読みたいやつはそのように読む」ものなのである。でもどうせ批評するのなら波多野完治の『文章心理学入門』くらいは読んだあとにしてもらいたいんだけどね。もちろんこの本だってかなり古くはなってるんだけれど、自分の意見ってのは過去の研究の上に積み上げていかないと、ただの傲慢な意見の押し付けにしかならないのである。


 山本弘さんの「SF秘密基地」、『カスカベボーイズ』の感想でも誰かか書いてないかなと思って覗いてみたのだが、『名探偵コナン』に『アップルシード』はあっても『しんちゃん』は無かった。
 この2本もそのうち見るつもりではあるのだけれど、優先順位がやはりあそこの人たちと私とでは違うのだなあと寂しく思う。多分、オタクとは言っても、『オトナ帝国』以降、多少の注目は集めてはいても、『クレヨンしんちゃん』まで見に行こうとするオタクはまだまだ少ないのだ。脚本、作画、音楽、演技、演出、あらゆる面から総合的にアニメを見ようとするほどの濃いオタクな人なんて、プロ以外には会ったことがないし、たいていのオタクは「キャラクター萌え〜」的な感覚から一歩も外に出ていない(本人はそうでないつもりでいるのがお笑い種なのだが)。と言うか、「萌え」という感覚があまりに手頃だったために、そこで「手を打つ快感」を覚えてしまった。手塚治虫じゃないけど、「マンガばかり読んでちゃだめです! 映画をもっと見なさい!」と今更な愚痴の一つも叩きたくなるのであるが、スタージョンの法則がここでも作用しているとすれば、広く開放されているサイトには基本的にクズしか集まってこないのである(悪口ではなくて事実である)。
 でもクズがいなけりゃその中から玉も生まれては来ないわけで、「こういう痛いオタクにゃなりたくないな」と感じたROMさんたちがそれを他山の石としてひっそりと実力を磨き、ある日突然プロの世界で頭角を表す、ということもあると思う。言い替えればオタク系サイトでの痛い発言の数々はそのための布石であるのだ。その意味で、「○○萌え〜」な個人サイトにも、当然のごとく存在意義がある。馬鹿だの猿だの屑だのと罵倒はしているが、その存在を否定しているわけではない。だいたい私自身の文章も何度もはっきりと「馬鹿発言」であると断言している。別にご意見番を気取っているわけではなく、若い人にはただの踏み石程度に思って頂ければよいのだ。でなきゃ誰かさんみたいにお偉いさんに取り入って媚び打ってますがな(^o^)。(←かなり多数の人を想定しているので、自分のことだと思い込まないように)
 『クレヨンしんちゃん』の魅力に気付いている人たちは、多分いっぱいいるのである。けれどそういう人たちは痛いオタクの集まりの中に混じりたいとは思っていないのだ。『オトナ帝国』から、『カスカベボーイズ』から、「自分が生きるべき現実がどこにあるのか」を感じ取ることができた人たちは、思いっきり狭苦しい世界で充足しているオタクたちよりもずっとずっと先の未来を見つめているのである。


 ここのところ、いつの間にかイラク人質事件の追っかけになってしまっているけれども、事件自体は解決したのであるから、興味は自然と三面記事的なものに以降しつつある。
 三馬鹿の一人、今井紀明さん(「馬鹿」と言っときながら「さん」付けもヘンだが、呼び捨てにするとかえって記号化されて客観的に歴史的有名人扱いすることにもなりかねないので、それを避けているのである。だからまあ、個人を特定する時以外は固有名詞はあまり出さない)のサイトみたいなの(メルマガみたいだが)を覗いてみたのだが、高校3年生にして既に相当サヨク的政治活動やってたんだねえ。もちろん親の薫陶を受けてのことだろうけれど。
 「劣化ウラン弾の禁止キャンペーンに絡ませてのイラク派遣反対の活動を札幌の市民活動家や市議会議員、道議会議員、マスコミ各社に呼びかけを始めました」って文章がまず笑える。つまりは「劣化ウラン弾の禁止」よりも「イラク派兵反対」の方が「主」になっちゃってんのね。「本末転倒」とはまさにこういうことを言います。
 「この活動は札幌で活動することに意義があります。たとえば、広島や東京で派遣反対の劣化ウラン弾のことを取り上げればマスコミの人や一般市民は『またか』ということを感じるでしょう。しかし、札幌での劣化ウラン弾を取り上げての活動はあまりありませんし、さらにいえば放射能汚染から派遣論議を出すとなれば、注目を浴びる可能性は高まると考えたのです」
 どこでやろうと『またか』としか思わんてば(^o^)。第一「またか」と思われるということはその意見そのものに現実性や説得力が欠けているということなんだから、自分たちの意見のどこに問題があるかを考えるのが先決でしょう。「自分たちのやっていることは正しい」「それが理解できない大衆は馬鹿だ」「馬鹿にはちゃんと啓蒙してやらなきゃならない」、そう考えて高慢になっているから、こういうことを堂々とオモテで語れてしまうのですね。「これは戦略です」とも語っているが、戦略のつもりならオモテで語っちゃダメですがね(^_^;)。
 彼の目を「イッちゃってる」と評した人は多いけれど、まあ本当にイッちゃってる人だつたわけだわ。

 で、その三馬鹿はようやく今日になって帰国。ところが予定されていた記者会見には、ドバイの医師から「3人はPTSD(心的外傷後ストレス障害)で、記者らと面会せず、安静と休養が必要」と診断されたということで、欠席し、家族がメッセージを代返するに留まった。
 解放直後は「イラクに留まって活動を続けたい」とか「自衛隊撤退」を主張していたということだから、もし本当にPTSDだったとしても、その原因は武装テロリストに拘束されたことではなく、家族から「お前ら日本じゃ糞バカ扱いされとるで」と知らせられたショックなのだろうな(^o^)。自分たちの価値観が殆ど認められていない、これまでの人生そのものを否定されているという事実を突きつけられたら、そりゃ病気にもなりましょうが、だからまあ、一つの価値観に凝り固まっちゃうのは危険なのである。
 三馬鹿がドバイから関西国際空港へ向かう機内で書いたというメッセージは以下の通り。

 高遠菜穂子さん「この度、日本の皆さま、そして世界中の皆さまに大変なご心配、ご迷惑をおかけしましたこと、伏しておわび申し上げます。誠に申し訳なく思っております。また、私たちの解放のため多大なるお力を尽くして頂きましたことに全身全霊で感謝申し上げます。本当にありがとうございました。解放されたことは徐々に受け止められるようになりましたが、まだ現実を掌握しきれていません。心身共に回復するまで今しばらくお時間を頂くことをお許し下さい。必ずお話しします」
 今井紀明さん「皆様、ご心配おかけして本当に申し訳ありませんでした。また、救出に向けて多くの方が協力していただいたことに感謝しています。体調に関しては食事があまりとれず、いいとはいえません。今になって非常に疲労感が出ています。本当にご心配おかけしました」
 郡山総一郎さん「このたびは国民の皆さまに多大なるご迷惑、ご心配をおかけしたことを深く反省し、おわびの言葉もございません。本当に申し訳ありませんでした。こうして無事帰国することができたことを感謝しております。ありがとうございました」

 「余計なことは言うな、ともかくアタマを下げまくれ」と家族から指示されたのがモロ見えの文章であるが、「必ずお話しします」との言葉がどこまで実行できるものだか。「狂言」説を受け容れずとも、無事解放された事実は、武装テロリストたちが彼らを自分たちの「同調者」として認定した、ということなのである。さて、特に危害も加えられず(例のナイフを突きつけられた写真を信じていた人もいるようだが、狂言でなくともあんなんヤラセに決まってるじゃん)、どうやら「客人」として厚遇されていたらしいその過程を正直に語れますかね。更なる反感を買うのは目に見えているけど。
 今、発言できないのは、3人がうまく口裏を合わせて、できるだけ世論の怒りを買わない「ウソ報告」を捏造するための時間稼ぎって気がしてる人も多いだろうね。でも何言っても今更ムダじゃないかな。会見で今井さんの母親は「未来のある子ですから」とま〜だどまぐれたこと言ってるけど、どこの企業が彼を雇うかね。組合活動ガンガンやって会社の業績下げまくるのが目に見えているではないの。彼らにはもう「ほとぼりが冷めるまで隠棲する」以外の道は取れないと思うぞ。多分一生だけど。

2003年04月18日(金) メモ日記/危険な女の夜。
2001年04月18日(水) 中華思想の尻の穴/『名探偵コナン』32巻(青山剛昌)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)