無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年08月16日(火) 対策なんて何もない/『素晴らしき特撮人生』(佐原健二)

 しげのクスリがまた切れたので(飲みすぎだっちゅーの)、病院に回って処方してもらう。
 医者からも「飲みすぎですよ」と注意されているのだが、「だって落ち着かんっちゃもん」とすぐに飲み過ぎてしまう。マリリン・モンローみたいになりゃしないかと(スタイルのことではない)心配しているのだが、もう完全にヤク中状態で、クスリが手放せなくなってしまっているのである。飲んでないときは今まで以上に情緒不安定で、部屋の中を意味なくウロウロ歩き回っているのだから全く始末に悪い。
 結局、心を落ち着けられるのは自分自身で、自分以外の何かに頼っちゃダメってことか。


 合同庁舎の郵便局で、新しく通帳を作る。
 局員さんに「お名前の漢字が違うようですが」と言われて、また説明に手間がかかる。前にも日記に書いたが、戸籍係が漢字を書き間違えたおかげて、私の名字は先祖代々の本当の漢字と、戸籍の漢字と、更に父の名字の漢字の三者が全部違ってしまっているのだ。どれに統一にするにしても手間がやたらかかるので、結局放り出したままである。しようがなく、もう一度書き直すが、その訂正印の印鑑の漢字がまた字体が違うことにまでは局員さんは気がつかなかったようだ(笑)。


 父のマンションに通帳を届けに行って、やや遅めの朝食を福岡空港国際線のレストランで。
 うちと父のとことを往復するときには必ずその横を通るのだが、国際線の中にまでは入ったことがない。見物がてら中を見回るが、周囲を飛び交う言葉は韓国語ばかりだ。ハワイ航路もなくなっちゃうし、韓国線と言い換えたほうがいい感じね。
 送迎ロビーで飛行機の離着陸をちょっと見物して、買い物を少し。売ってる品はハンカチやらTシャツやら湯飲みやらマグカップやら扇子やら、全部、浮世絵柄である。まさにエキゾチック・ジャパンってな感じだが、Tシャツの柄で「新撰組の格好をしたポパイ」があったのには笑った。アチラの人には「シンセングミ」は理解可能なのだろうか。更に発見したのは「花魁ベティ・ブープ」(「ベティ・ザ・ゲイシャ」と言った方がいいのか?)。これが実に可愛い。『ロジャー・ラビット』じゃ、「モノクロじゃ仕事ないのよね」とボヤいてたベティさんだけれど、ちゃんと色を塗られて仕事も見つけているのである。よかったよかった。
 一階のロビーで小さな海洋写真展などが開かれている。その横にリンドバーグ夫妻が福岡空港まで乗ってきたという飛行機の模型が展示してあって、その時の写真も公開されている。昭和四年のことだそうで、さすがに父もこのころには生まれていない。これはまだあの「リンドバーグ事件」が起きる前だろうか。先日、あの悲しい事件を元にしたクリスティーの小説を映画化した『オリエント急行殺人事件』のBS放送を見たばかりだったので、夫妻の笑顔が何となく寂しげに見えた。


 父を博多駅で下ろして、いったん帰宅して一休みする。
 何気なくテレビを見ていると、また地震のテロップが流れる。
 今度は前々から危険区域とされていた「宮城県沖」である。マグニチュードは7.2、震度は6弱を記録した地域もあるとか。負傷者もかなり出た由である。
 印象としては福岡の西方沖地震と同程度のような気がする。新築されたばかりのプールの天井が落下して二十人以上が怪我したとかで、地震に対する防備が福岡よりも進んでいたはずの宮城でこのテイタラクかと思うと、本気で国の地震対策なんて口だけじゃないかという気がしてくる。
 『地震列島』って映画のタイトルがフィクションじゃなくて切実感を伴って聞こえる状況になってしまっている。しかしもっと悲しいのは、地震対策がマトモに行われない行政の現状である。『地震無防備列島』と言い直した方がいいんじゃないのか。我々の税金は、ホント、どこにどう使われてるんだろうかね。


 天神の福家書店で京都帰りのよしひと嬢と待ち合わせ。
 ゲームの攻略本を探しているということで、ジュンク堂、紀伊国屋と何軒か本屋を回るが、売り切れでないとのこと。
 喫茶店でひと休憩でも、とスターバックスなどを回って見るがどこも満席。結局、天神コアの七階レストラン街まで登って、そこの喫茶店でお土産交換などする。
 よしひと嬢はそれまで「アニメイト」や「まんだらけ」などを回っていたそうだが、かなり「いたたまれなかった」そうな。もうどんな客が群れ集っているのか目に見えるようであるが、私などが足を踏み入れた日には違和感ありまくりであろう。それでも平気で入り込むことあるけどね(笑)。


 佐原健二『素晴らしき特撮人生』(小学館)。
 表紙は『ウルトラQ』の主演お三方、佐原健二・桜井浩子・西條康彦のスチール写真。このカバーを外すと、今度は“現在の”お三方が全く同じポーズで……。考えてみれば、『ウルトラQ』に携わったスタッフ・キャストの方々の多くが鬼籍に入られた中で、主演の三人がまだ活躍して(西條さんは一応、役者を引退なされているけど)いらっしゃるというのは本当に嬉しい。佐原さんは母と同い年だ。
 実を言うと、『ウルトラQ』で佐原さんが演じた「万城目淳」というキャラクターはそれほど好きではなかった。子供の目にはあまりにもヒーロー然としていて「ええかっこしい」に見えたし、星川航空のパイロットとという設定はまだしも、「SF作家」というのがどうにも似合わないような気がしていたのだ。本書を読んで、「実は平田昭彦がこの役をやりたがっていた」というのを知って、「ああ、平田さんが演じていてくれたら!」と思ってしまったのは、もちろん私が平田昭彦絶対主義者であるからである。冷静に考えて見れば、クールさが魅力の平田さんが万城目を演じるよりも、佐原さんの方がよりベターなキャストであるということは理解できるのだが。
 「万城目」が嫌いだからと言って、佐原健二さんが嫌いなわけではない。何と言っても『モスラ対ゴジラ』の虎畑次郎はゴジラ映画史上でも、最も印象的な悪役の一人だろう。この役を演じるために「本物の不動産屋に役作りのためという目的を隠して会った」というのだから、その役者魂には感動する。虎畑のあの人を小馬鹿にしたようなせせら笑い、あれは「ナマ不動産屋」の表情だったのだなあ。全ての不動産屋さんが虎畑みたいなカネの亡者だというわけでもなかろうが、いかにも「らしい」のは佐原さんの演技力である。
 しかし、佐原さんが虎畑を演じてくれていなかったら、私は多分、長いこと佐原さんの演技力に気がつかないままだったろう。佐原さんは、主役から脇に回るときに内心忸怩たるものがあり、恩師である本多猪四郎監督に相談したというが、「ちっぽけなプライドは捨てろ」の言葉に勇気付けられたと言う。実際、主役にこだわって、佐原さんが役者を辞めてしまっていたら、たとえ『ウルトラQ』があったとしても、長く特撮ファンの間で佐原さんが愛され続けることはなかったのではなかろうか。佐原さんが万城目淳から虎畑次郎までを演じられた「役者」であったからこそ、「ゴジラ映画出演最多俳優」にもなれたと思うのである。
 本書には当然のごとく、数多くの特撮映画・ドラマに関わった人々が登場してくる。そのエピソードをとても全部は紹介できないが、「ウルトラマンの生みの親」金城哲夫についての次のエピソードだけは紹介しておきたい。
 ゴジラ映画がヒットを飛ばしていても、東宝では「ゲテモノ映画なんて」と陰口を叩いているやつの方が実際には幅を利かせていたそうである。もちろん佐原さんはそんな腐れた人間ではない。『ウルトラQ』のロケ中に、金城さんは佐原さんにこう言ったという。
 「佐原さんはやっぱり研究熱心ですね。(中略)私は、特撮が本当に心底好きでしかも手を抜かない俳優さんは、私なりに見抜けるつもりでいますよ」
 昔も今も、特撮に偏見を持っている人間はいくらでもいる。最新作の『ゴジラ FINAL WARS』でも、「ちょっとこいつは」という役者がアレとかコレとかいなかっただろうか? ある意味、映画そのものが「特撮」であることを理解できない人間は、役者も、監督も、いや、ファンである資格すらないと思うが、どうだろうか。
 東宝で、「怪獣映画に出ようとしなかった主演級の役者」は、たいていが映画界から姿を消して行ったと思う。役者とは何か、答えはももう出ているのだ。

2004年08月16日(月) 老けてるけどトシヨリってほどじゃないぞ。
2003年08月16日(土) 危険な予感/『空想科学大戦1』(柳田理科雄・筆吉純一郎)
2002年08月16日(金) ドリンクバーの果てに/『フラッシュ!奇面組』1巻(新沢基栄)/『永遠のグレイス』(川崎郷太・伊藤伸平)ほか
2001年08月16日(木) 代打日記
2000年08月16日(水) 橘外男&中川信夫ワンダーランド/映画『女吸血鬼』ほか


2005年08月15日(月) いつでも危険と隣り合わせ/『沈夫人の料理人』3巻(深巳琳子)

 昨晩、家に帰る途中で福岡空港のそばを通っていたとき、カメラマンがやたら集まって、滑走路に向かってシャッターを切っていた。何やってんだろうと思っていたのだが、朝のニュースを見ると、一昨日、JALウェイズ機が離陸直後にエンジン部分で爆発を起こし、600個あまりの金属片を散らばらせていたのである。
 幸いにもすぐに着陸したので乗客に死傷者は出ずにすんだけれども、落下物に当たってやけどなどの軽傷を負った人はいたそうである。
 しかし、テレビの映像を見ると、エンジンはかなり火を噴いていて、全くこれでよく墜落しなかったものだと呆れるほどだ。怪我人ゼロっての、奇跡に近いんじゃないか。
 ところが国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会は、これを「航空事故とは見なさない」とし、調査官も派遣しないと決めたとか。さすがにこれには無能で知られる本県の麻生渡県知事も、現状を視察した後で「市街地の真ん中にある空港。重大な事故ではないとの考えは非常におかしい」と批判のコメントを出した。出したところで状況を改善できる力はないのだろうがね。
 実際、福岡空港くらい「市街地に近い」空港というのも全国でも珍しいらしい。しかし何も市街地の真ん中にわざわざ作ったわけではなくて、市街地が後からこの空港を取り囲んでしまったわけだが。もともとは終戦間際に軍用に作られ始めたのだが結局は間に合わず、米軍に摂取されて基地として整備され、そのあと返還されて空港として使用されるに至った、というのが時代を知る父の説明である。民間のことを考えていないのは初手からだったわけだね。
 今となっては、福岡空港は博多の町の再開発にとって(しなくていいとは思うが)目の上のタンコブになってしまっている。町が東に伸びるのをここで堰き止めてしまっているので、だからこそ今の福岡空港は潰して更地にしてしまって、交通と街の開発の邪魔にならない新宮沖とか雁ノ巣とかに新空港を作ってウォーターフロントに、なんて計画も何度となく俎上に上るわけだが、バブルがはじけちゃった後じゃあ、画餅どころか税金の無駄遣いで福岡経済の命取りにもなりかねないのである。こういう計画をポンと立てて進めちゃおうとするから麻生知事は評判悪いんだけどね。
 今回の事故で、福岡のテレビ各局は一様に何年か前のガルーダ機の墜落事故を思い出して「福岡空港の危険性」を訴えているのだが、実際、これまで民家への墜落事故などがなかったのが不思議なくらいである。
 そのことを考えれば、確かに「事故の原因究明」なんて悠長なことを言ってるんじゃなくて、今の空港を取っ払っちまった方が「危険のモト」自体が断てるわけだが、でもじゃあどこに新しく作ったらいいかって言うと、もう海を潰すか山を潰すしかないというところにまで来ているのである。そりゃ簡単に実現はできんわな。
 結局、こんな事故がどれだけ続出しようと、こんな空港のそばに住んでること自体、運命と思って我慢していくしかないってことなんだね。NHK料金が安くなるのだけはメリットだけど。


 夕方から父のマンションで送り火。
 五時の約束だったが、もちろん父は三時に電話を入れてきた。
 つか、マナーモードにしていたので気が付かなかったのだが、私の携帯を見てみると、既に二時に電話を入れてきていたのである。せっかちにもほどがあるってば。
 ちょうど外出中で寿司屋にいるというので、そこで合流する。昔なじみの寿司屋で、もちろん回転などではない。当然、ネタは時価だが、美味さは格段だ。トロの脂身が舌の熱でとろけて、口いっぱいに甘く広がるのがもう至福の味わいである。適当に握ってもらったけれども、あとで勘定を聞いて目の玉が飛び出た。
 「普通の寿司屋」ってのはやっぱり高級料理でさ、百円寿司って、ネタがよくないから当然なんだけれども、破格の安値なんだよねえ。

 マンションに着いて、一息つく。
 テレビを見ると、終戦記念日で(でも段々と「終戦の日」って呼び方をするようになったな)、また靖国参拝のニュースなど。
 私がしげを指して、「こいつ、よく僕に『進駐軍に会ったことある?』って聞くんよ。いったい何歳だと思ってるんかねえ」と言うと、父は「それはおれのことやな」と言って笑った。
 「お父さんは『ギブ・ミー・チョコレート』って言ったことあるん?」
 「おうあるぜ」
 「進駐軍を追いかけよったと?」
 「道に落ちとるのを拾いに行きよった」
 「チョコレートを?」 
 「チョコレートもあったばってん、缶詰を拾いに行きよったな。あれは米軍がわざと撒きに来よったっちゃろうな」
 「ジープで?」
 「そう。ともかく何にもないけん、何でん美味しかった。チョコレートも、多分、今のに比べたらたいして美味しゅうはなかったと思うばってんがな。
 お前の婆ちゃんと、大きい婆ちゃんと、畑やら家の前の道で野菜ば育てて、それで料理ば作ってくれよったとやが、これがまたよう盗まれるとたい。ころあいやなあと思っとったら、次の朝、見たらくさ……」
 「盗まれとる」
 「そうたい」
 父は笑った。
 「ばってん、おれはお母さんみたいに苦労はしとらんけんな。お母さんの苦労はどんだけか分からん。引き上げでどんだけ苦労したか……」
 「引き上げの途中で殺された人もおったやろうしね」
多分、それ以外にもいやなことはあったと思う。普通に考えれば、台湾にいた母の家族が、何事もなく帰って来れたはずはないのだ。父も母からそういう話は聞いているのだろう。それきり、口をつぐんだ。  

 道が混まないうちに、早めに送り火を焚くことにする。
 焚き付けの新聞はこちらで用意してきたので、今度はオガラもすぐに燃えた。
 父がまた「お母さん、長生きするって言いよったとに」とブツブツ文句を垂れるので、「お母さん、ずっと自分の方がお父さんより年上だってことで引け目感じてたから、お父さんが追い越すの待っとったっちゃろ」と言って揶揄する。
 「おれは全然そんなこと気にしよらんかったとになあ」と笑う父。「十年やなあ」としみじみと呟いた。
 祖母の死からはもう25年である。祖母が死んだとき、母が「婆ちゃんはまだどこかにいる気がするとよ」と呟いていたことを思い出した。人間は、死を実感することが一番難しいのかもしれない。葬式も盆も、儀式はみなファンタジーである。

 所定の場所に線香を立てに行く。
 毎年同じ川岸だというのに、しげはいつも道を覚えていなくて、自身なさげに車を走らせている。父も父で、もう十年このあたりに住んでいるのに「ここやったかな?」とやはりよくわからない様子。せっかちなところと言い、道をおおまんたくり(=適当)にしか覚えていないところと言い、血が繋がってないのに、こういうところは父としげは実の親子の私よりも似ている。
 それでもさほど迷いもせずに現場に着くことが出来た。まだ五時前だというのに、マコモに包まれた供物も山と積まれているし、何蝋燭も何十本も立っているが、風で全て火が消えている。毎年思うんだけれど、風除けくらい付けられないものなのかな。

 父からまた食事に誘われたが、さっき寿司を食ったばかりで、また食事ができるはずがない。通帳を早く作れとせっつかれたので、明日また会う約束をして辞去。
 今年の盆も終わった。
 

 毎日新聞が戦争の評価などについて、電話で全国世論調査を実施したところ、日中戦争・太平洋戦争などについて以下のような結果が出た。
「間違った戦争だった」43%
「やむを得ない戦争だった」29%
「分からない」26%。
 アンケートというものがその質問の仕方によっていくらでも大衆操作ができることはもはや説明するまでもないことだが、この手の質問にうかうかと乗せられちゃってる人も結構いっぱいいると思う。何がインチキって、このアンケート、項目が少なすぎるのよ。肝心な質問項目が決定的に欠けている。
 何が言いたいかっていうと、これにもう一つ、こういう質問を付け加えたら、「目からウロコ」だと思うんだけどね。
 「やむを得ないが間違った戦争だった」。
あるいは、「間違っているがやむを得ない戦争だった」。
 どっちを先にするかでニュアンスが変わるから、両方入れてもいい。そしたらこの二つの質問だけで六割以上は行くと思うが、どうかね。
 つまり「大東亜共栄圏」という日本のスローガンは、「自衛戦争」でもあったが「侵略戦争」でもあったということである。中国も朝鮮も欧米列強の前ではまるでアテにならなかったのは事実だし、同時に資源のない日本が大陸の権益を独占しようとしたのも事実である。だとしたら両方の面があったって判断したらどうしてダメなのかね。
 太平洋戦争についてだって、「アメリカに経済封鎖を受けたから、南進するしかなかった」。即ち、「やむを得なかった」面と、南方は日本の領土じゃないんだから「侵略」の面の両方があったことは事実で、どっちも否定できないでしょうが。
 なんかね、二十年くらい前にね、「日本は侵略もしたけど、中国・朝鮮に対していいこともした」と誰ぞが意見を言ったらね、「侵略を正当化している」とアチラさんに曲解されて非難されてたんだけどね、そのときは決して「あれは侵略戦争ではなかった」とは誰も言ってなかったのよ。「侵略」の面だけをより強調したりするなって言ってただけで。
 それが段々と論点が二極化されてね、もう「果たしてあの戦争は自衛だったのか侵略だったのか」ってどちらか一方しか認めないような二項対立の図式に意図的にずらされていったのね。だから上記のアンケートも、多分、毎日新聞自体、おかしいってことに気付いてないんだよ。
 今や、「侵略」の面を強調するあまり日本の立場を全否定するサヨク連中と、逆に「自衛」やら「共栄圏」の面を主張することで「侵略」が全くなかったように装うウヨクの連中とに日本人は二極化しつつある。アンケート電話を受けた連中も、「質問がおかしい」とか「両方の面があるだろう」って見抜けなくなってるんだよね。
 どっちの意見であろうと「洗脳」されてる点では同じ。まだ「分からない」って答えた人間の方がマトモだ。つまりマトモでない人間が七割以上いるってのが日本の現状なわけだ。たいへんな事態じゃないか。
 私が何が言いたいかよく分からない人がいるなら、もっとストレートに言うけど、つまり、先の質問を受けて、質問のおかしさに気付かずに、「分からない」以外の答えを選んだ人は、もうそれだけで「洗脳されている」人か、「洗脳されやすい」人のどちらかなんだってことなんだよ? あなたはそうなってないか、自問自答してみたらどうかな?
 日本にはね、「本気で戦争したがってる」人間は実際にいくらでもいて、別に街宣車でがなり立てるような行為に走らなくても、何食わぬ顔をして社会の中に溶け込んでるんだからね。自分の頭で考える力をなくしてる人たちは、気が付かないうちにいいように動かされちゃうかもしれない。もう動かされてないかな?
 国家のことや政治のことを日頃から得々として語る人は、右だろうと左だろうと、それだけで既にイカレちゃってると判断されても仕方がない。身近にそんなやつがいたら、上記の質問をしてみよう。それでその質問のおかしさに気付かなかったり、ムキになって自分の主張を押し付けようとしたりしてきたら、その人はもう考える力を根元からなくしてしまっていて、その思想はとっても危ない誰かさんに植え付けられたものだってことなんだよ。
 危ない危ない。近づかない方が無難無難。


 マンガ、深巳琳子『沈夫人の料理人』3巻(小学館)。
 精進料理の「精進」は、中国語だと(北京語かな?)「jingjin(チンチン)」というのだそうな(笑)。誰かもう『トリビアの泉』には送ったかな?
 美食家の沈鳳仙夫人のために料理の腕を振るう李三の奮闘を描くシリーズ第三弾。苛められれば苛められるほどその技量が発揮されるという李三のキャラクターは、あまりにも卑屈すぎて好感は持てないのだが、Sっ気(サドの方ね)のある人は、沈夫人になったつもりで、李三の右往左往を楽しめるだろう。
 正直、料理マンガというのは本当に料理が食えるわけじゃなし、料理を取り巻くシチュエーションやドラマがいかに工夫されているかによって良し悪しが決まるものだ。今回は李三を陥れようとする新しい召使・高子安や、ついにその究極の麺打ちの技を披露する李三の兄・李大など、李三が始終オドオドビクビクしているのを叱咤するようにアクの強い魅力的なキャラクターがどんどこ登場してくる。
 何よりやはり、ヒロインである沈夫人のサドな魅力が、本作を他の凡百の料理マンガと一線を画す要因となっている。もちろん、サドなだけが彼女の取り柄なのではない。彼女はただの意地悪女ではなくて、豊かな知性と、李三の料理人としての類稀なる腕を見抜いている洞察力、あまりに惨めっぽい李三についほだされてしまう可愛らしさ、そういったものを併せ持っていて、だからこそどんなに高慢ちきな態度を取っていても許せてしまうのである。
 最初は前近代の中国を舞台にした料理マンガとは、気を衒ってるばかりでそんなに続かないんじゃないかと思っていたのだけれど、1巻より2巻、2巻より3巻と、俄然面白くなっている。1巻のころにはまだ自信なさそうな線も次第に伸びやかに、整ってくるようになり、登場人物たちの表情も実に生き生きと、微妙な感情まで表現できるようになっている。


 マンガ、細野不二彦『ダブル・フェイス』7巻(小学館)。
 『ギャラリーフェイク』に比べるとエピソードごとに何となくムラがあって、これまではやや停滞気味だった感じの本作。『フェイク』がめでたく完結したので、作者はこちらの連載の方に力を入れるようになったんじゃないかと想像していたのだが、これがそれほど面白くなってはいないのだね。
 まあ確かに「春居筆美」の正体に小泉じゅんが少しずつ迫っていく過程は面白くはある。けれど、Dr.WHOO以外のキャラクターをあまり非現実的なものにしてしまうと、肝心のDr.WHOOが霞んで見えてしまうのである。あの「シロウサギ」ってのは何なんだろね。
 シロウサギの陰謀(ってのが、Dr.WHOOとの過去が具体的に描かれないから、どういう陰謀かもよく分かってないのだが)を食い止めるために、Dr.WHOOがシロウサギの愛娘を誘拐するってのは、細野さん、アタマでもイカレたのかと疑いたくなるくらいにデタラメな展開である。
 それじゃあ、Dr.WHOのほうが明らかに「ワルモノ」じゃないのよ。読んだあと、何とも重苦しい気分なって、とてもカタルシスなどは得られなかった。
 連載が長くなると、「これはいったいどうしちゃったんだ」って言いたいくらいに話が矛盾だらけになり、迷走する癖をこの作者は持っているのだが、今回もそんな感じになりそうな気配である。
 あまり長く続けずにあと1、2巻くらいで完結させるのがよかないかなあ。

2004年08月15日(日) この日を記念日にしたのは「盆」だから?
2003年08月15日(金) 記念日って何の/DVD『レッド・ドラゴン』
2002年08月15日(木) 母の呼ぶ声/『フルーツバスケット』5〜9巻(高屋奈月)/『神罰』(田中圭一)
2001年08月15日(水) 代打日記
2000年08月15日(火) 盆休みも終わり……なのに毎日暑いな/映画『シャンハイ・ヌーン』ほか


2005年08月14日(日) 日田屋形船と鵜飼い見物/『仮面ライダー響鬼』二十七之巻 「伝える絆」

 今日は西鉄旅行のバスハイクで、親子三人、大分日田温泉への一日旅行。

 朝になって、ふと、自宅のクーラーを消し忘れてるんじゃないかということに気が付いた。
 しげに、「クーラー、消してないかな?」と聞いたら、軽く「かもね」と答えた。
かもね、じゃねーだろ、と慌てて飛び起きる。 
 うちのクーラーも、かなりガタが来ていて、すぐに埃が詰まって水が逆流してしまう。先日は水浸しになったキーボードがイカレてしまって、買い直さなきゃならない事態になってしまったのだ。もしかしたら、もうクーラーの真下は水浸しになってるかも、と不安になって、自宅にとって返す。
 部屋に入ってみると、クーラーも電気もテレビも全部点けっぱなしである。後から出たのはしげだったので、全部しげの消し忘れなのだが、しげは「どんなに慌てて出たかが分かるね」と言ってノンシャランとしている。私が同じ失敗をすればジト目で睨めつけるくせに、他人に厳しく自分に優しいジャイアン気質は、しげのホネの髄にまで染み付いているのである。

 朝食を三人でまた「ジョイフル」で取る。
 日曜、朝の恒例、『仮面ライダー響鬼』を居間で見るが、父はさすがにこれには付き合わない。別の部屋で朝のニュース番組を一人で見ていたが、同居することになればこういうちょっとしたことですれ違いが生まれてしまうことだろう。年を取れば取るほど、頑固さだけは弥増していくだろうに、我慢できるのかなあ。

 『響鬼』は二十七之巻 「伝える絆」。
 前回より新登場の努(渋谷謙人)が、「親の反対で鬼になることをあきらめた」元鬼候補であったことが判明。名字はなんて言うんだろうか、ツトム君。ツクモとかツジサワとかツワブキとかかなとか、どうも本筋以外のことを気にしてしまうのはもうかなり病膏肓である。今のところ全話録画してるんだが、特典映像次第で改めてDVDを買うべきかどうか思案中だ。
 「鬼にならなくても明日夢は弟子」。このヒビキの台詞は効いたなあ。申し訳ない、私はまだまだ『響鬼』を甘く見ていた。全体的にトボケてるし、ベタなギャグも多いし、面白いけれど逆に言えば「軽くてお気楽」なお話で、石森章太郎のマンガが本質的に持っている暗さ、そういうものとはもう決別した『仮面ライダー』をスタッフは作るつもりなんだろうと勝手に思っていたのだが、違った。
 ストーリーは遅々として進まないが(笑)、それはじっくりと「受け継がれる魂」を描こうとする物語だったからなのだね。『五重塔』だよ、職人映画だよ、これ。そういうのを深刻に説教臭く語らせるんじゃなくて、何気ない会話の中で、さらりと言わせるところが上手いわ。
 ラストの花火のシーンもいいねえ。お子さんと一緒に見ているお父さんお母さんは、お子さんから「『たまや』って何?」と聞かれたら、ちゃんと答えてあげよう(笑)。でも、勢治郎が2週連続で出演してないのがちょっと気にかかるな。下條さん、夏休み?
 あと、先週から始まった劇場版の予告パロディ編が本編以上に(と言っちゃ悪いけど)面白い。ザンキは映画では「トウキ」って役で登場するのだね。それをアスムが「ザンキさんでしょザンキさんでしょ」と突っ込むので、ザンキがついボケてしまう。あの渋くて渋くて渋いザンキにボケキャラを演じさせるってんだから、これはもう大笑い。完全にスタッフのアイデア勝ちだね。アスム君が全然イヤミじゃないのもいいんだよなあ。
 それから、これはお知らせですが、8月24日(水)の『愛のエプロン』に細川茂樹さんが出演するそうです。さすがのヒビキもインリンの超激マズ腐れ料理に果たして耐えられるかどうかミモノなので、ファンはぜひとも見ましょうね(後からこの日記読む人には意味のない告知でした)。


 『響鬼』を見終わって、いざ出かけようとしたら、父は自分の部屋で居眠りしていた。私たちがうっかり寝過ごさないようにと、前日から泊めていたくせに、自分が寝過ごしてちゃ世話はない。疲れてる上に酒が効いていたのかもしれないが、放置はできないので無理やり揺り起こす。
 「石原慎太郎がテレビに出とったけん、見ようとしたら、寝てしもうた」
 「で、石原慎太郎は何喋りよったん?」
 「寝とったけん分からん」
 即寝かい。「いつでもどこでも三秒で眠れる」のは我が家の血筋のようだ。

 バスを乗り継いで、天神の日銀前に9時半に到着。
 参加者は総勢29名とか。殆どが爺ちゃん婆ちゃんであるが、親子連れも何組か。中年の女性同士もいるが、若い男女のカップルというのは見当たらない。
 安い旅行をするにはバスハイクは結構穴だと思うんだけれど、やっぱりジジババ向きってイメージが邪魔してるのかもね。
 帰省ラッシュで、時間通りに到着できないかも、という添乗員さんのアナウンスであったが、途中の高速道路は案外スムーズに行けた。
 むしろ、最初の訪問地である「龍門の滝」に着いてからの方が、観光客が大挙して押し寄せていてバスを停める場所が全くなく、立ち往生してしまった。
 仕方なく運転手さんが橋の真ん中でバスをいったん停めて、乗客を降ろし始めたのだが、後ろに付いていた車がこれに腹を立てた。「ワレ、何しとんじゃ! ちゃんと誘導せんかい!」とサングラスをかけたあんちゃんが車を降りてきて、運転手さんに向かって怒鳴ってきた。
 私たちは、バスから降りてきてちょうどその場面に出くわしたのだが、父がいきなり「ちゃんと誘導しよるよ!」と口を差し挟んだので、一瞬、血の気が引いた。火に油を注ぐつもりかこのオヤジ、と思ったら、そう言い放った途端、そそくさとその場を離れてあっちに行ってしまったのである。って、おい。
 後に残されたバスの運転手さんとサングラスのあんちゃんは、顔と顔を五センチくらい近づけて睨みあっている。乱暴でも働くようなら止めなきゃと、私も含めて何人か乗客が様子を見ていたので、ややあってあんちゃんは舌打ちして自分の車に戻って行ったが、全く冷や汗がドッと流れたことであった。
 なんつーかね、オヤジもね、ボケかけてるとは言ってもね、こーゆートラブルの種撒いて自分ひとりだけとっとと逃げるようなマネはね、さすがにやめてほしいんだけどね。マンガだよこれじゃ。

 昼食は「龍門茶家」といういかにも鄙びたよろずや風の店の座敷で、鮎の煮付けに名物だという鴨そば。「鴨」と言いながら入っている肉はあまり鴨っぽくなく鰯っぽかったが、汁は肉の味がしたからやっぱり鴨だったのかも。ニンジンが程よく柔らかく味が滲みていて美味い。こういう田舎そばはも一つ、こんにゃくが入っていたら極上なんだが、そこが物足りなかった。
 「龍門の滝」は、日田から耶馬渓に至るまでの間に無数にある滝の一つで、ただ眺めるだけではなく、流れ落ちる途中が緩やかな棚になっていて、ウォータースライダーのように上から滑り降りることができるのが特徴である。言ってみるともう、ざっと見ても二、三百人くらいの観光客、キャンプを張った連中が滝の周囲に群がっていて、人を掻き分けていかないと川にも近づけないくらいの混雑ぶりだった。何とか水辺まで近づいて見たが、滝の近くの川の水は、普段は恐らく底まで透き通っているのだろうが、今はもう泳いでいる人たちのせいで泥まみれになっている。それでも子供たちはみんな気にせずに上からボードに乗って滑り降りてくるのだから、たとえ狭苦しくても楽しいことは楽しいのだろう。
 この近辺は、こないだ『妖怪大戦争』にも登場した「川姫」の伝説が残っているあたりのはずなのだが、これでは獲物にも事欠かないが、引きずり込む場所もありはしないという感じである。
 父が突然、「ああ!」と叫んだので、何事かと思ったら、「ここ、前にバスハイクできたことある!」。以前、秋口にやはりこのバスハイクに申し込んで、一人で来ていたというのだ。
 「あのときは紅葉の時期も過ぎとって、全然人がおらんかったとに、夏場はやっぱり人が来るとばいな」
 と、感心しているのだが、一度来ているのならそう何度も繰り返し来ることはなかったのである。やはりボケが来ているのだが、まだ「一度来たことがある」のを思い出せただけまだマシと言うべきか。
 しげは少し下流の、人がやや少ないところで靴下を脱いで水の中に入り、一人きゃあきゃあと楽しんでいる。犬を連れて川の中に入ってくる人もいて、かなり大きな犬だったのでしげは怖がって逃げた。すると今度はそっちにも犬連れの人がいて、しげはまた逃げる。周囲の人はしげの存在など気にも止めていないが、遠巻きに見ている私には犬に追われて右往左往している様子が可笑しくて、まあしげが楽しめたんだったら来てよかったかなと気を取り直す。
 けど、やたらバーベキューの匂いは臭いわ、あちこちに無造作にゴミは捨てられてるわ、決して気分はよくなかった。バスハイクも少しは状況を考えてコースを決めてほしいものである。

 次に回ったのはまた滝のあるところで「岳切(たっきり)渓谷」。
 今度はバスも入り口の駐車場に停めることができたが、添乗員さんは「時間が50分しかありません。滝までは遠いので見に行っても途中で引き返してもらわなければならないと思います」と言う。だったらそんなところをコースに選ぶなよ(涙)。
 ここも父は「前に来た。先に行っても滝しかなかぜ」と言うので、下流でまたしげがぱちゃぱちゃやって終わり。父は「あのときは紅葉の時期も過ぎとって(以下略)」。まあしげが楽しめたんなら(以下略)。私は蜘蛛の巣だらけのトイレでウ○コした。幸い腹の調子は戻っていて、下痢ではなかった。

 続いて、サッポロビール工場を見学。
 ガイドさんの案内で、ビールの製造過程を説明してもらうが、壁に描かれたイラストが明らかに浦沢直樹の模写だった。酵母の研究をしてる人がマスター・キートンなのである。どこかの業者に依頼して描かせたんだろうけれど、こういうのは問題にはならないのかね。
 ビールの試飲の時間になって、休憩所で一息つき、ようやくここで気分が落ち着いた。時間までビールを何倍飲んでもいいということなので、父はテーブルとカウンターを何度も往復する。私もせっかくだからコップに半分ほど味見をしてみたが、やはり少しも美味くない。私の舌はビールには向いていないのである。あとはお茶とジュースで渇きを満たした。
 土産コーナーで、しげにリボンシトロンのTシャツを買ってやる。恵比寿ビールのTシャツも売っていたが、これはしげの気に入らなかった。結局、今回の土産はこれだけである。

 最終目的地の日田温泉に着いたのは五時半ごろ。滞在は入浴、夕食、鵜飼い見物を含めて約三時間。
 三隈川(筑後川)沿いのホテルで、名前もそのまんま「みくまホテル」である。控え室は三階のホールで、そこで日程の説明を聞く。
 夕食は屋形船の上で鵜飼いを見物しながらということだが、そのとき灯篭を流すこともできるので、希望者は先に申し出るようにとのこと。
 父が「お母さんの分、流そうか」と言うので、「いいけど、二つ買うの?」と答えた。
 「なんで二つも要るとや」
 「……ばあちゃんは?」
 「そうか、ばあちゃんもおったな」
 そりゃいるがな。もう完全に祖母の存在が念頭になかったのである。実は昨日、迎え火をしたときも父は祖母のことを忘れていた。本当にどんどん危なっかしくなっているんだが大丈夫かなあ。大丈夫じゃないよなあ。
 荷物をいったん一階のカウンターに預けて、十階の露天風呂へ向かうが、父は着替えも全部預けてしまったので、風呂から上がって「しもうたなあ、着替え持って来とっても何もならんが」とぼやくぼやく。もう私は慣れたよ。
 総ひのきの露天風呂は六人入れば押し競饅頭になってしまうくらい狭かったが、十一階建てのホテルは周囲でも一番高く、南に耶馬渓を望む眺めはなかなかである。このくらい高いと、夏場でも風は涼しい。男湯はベランダだが、しげは一つ上の屋上でのんびり風呂に入っているはずで、もっと周囲が見渡せていることだろう。

 いったん三階の控え室に降りてしげと合流。
 しげも「リボンちゃんのTシャツ、着替えにすればよかった。服が臭い臭い」と父と似たようなことを言う。
 「からだは洗わなかったのかよ?」
 「うん。浸かっただけ」
 何のために温泉に来たんだか分かりゃしない。
 父は控え室の窓からビデオカメラで三隈川の景色をずっと撮っていて、乗客みんなが出て行くのにも全く気が付かない。「そろそろ時間だよ」とせっついて、一階のロビーに集合する。
 ホテルは直接、川岸に面しているので、屋形船には玄関からではなくてロビーの窓から降りて乗りこむ形。見ると、あっちのホテル、こっちのホテルにもずらりと屋形船が並んでいる。鵜飼い見物はこのあたり一帯のホテルが共同で企画しているもののようだ。
 舟に乗りこんで初めて「鵜飼いの舟が来るのは八時前」と聞かされる。って、まだ六時半じゃないの。いくらなんでも待ちが長すぎるんじゃないのか。
 けれどそれは杞憂であった。前に並べられた御膳の夕食が、ちょっと半端じゃないくらいに大量にあったのだ。食前酒に鮎の姿焼き、刺身にから揚げにステーキに煮付けに団子、海老に海老に海老に海老、鍋にまたしてもそば、グレープフルーツ、最初はやはり刺身のシャキシャキした食感に舌鼓を打っていたのだが、食っても食っても食いきれない。次第に食が進まなくなって、ちょうど食べ終わったころに周囲は真っ暗になり、鵜飼いの舟が次々とやってきた。
 屋形船は、川の中ほどで合体して繋がって停まっている。そこへ、下流の方から先頭に篝火を炊いた舟が一艘、また一艘と、川面を滑るようにかなり速いスピードで近づいてくる。火は見えるが、鵜が乗っているかどうかは分からない。けれど、何週か屋形船の周囲を回った後で、一艘の舟がちょうど私としげが座っている場所の真後ろにぴったりと縁をくっつけてきた。
 「があがあ」と声が聞こえる。ここまで間近なら、私にも篝火の下に群れをなして羽を広げている鵜たちの姿がよく見える。一羽一羽が意外に大きく、ちょっと羽ばたけばこちらにまで飛んで来そうだ。しげは怖がって背中を向けたままだが、それではかえって怖くなるばかりだろう、「前を向けよ」と向かせる。でも前を向いても怖がっている様子がありありだ。
 鵜飼い舟は五分ほどで縁から離れて行った。鵜飼いの実演はなく、鵜を見せに回ってきただけのようだ。多少、看板に偽りありだが、季節の関係でいつもいつも鵜飼いを見せられるものではないらしい。まあ、鵜の実物は見られたので、一応満足ではある。

 その後、母と祖母の灯篭を流す。
 母の灯篭がしばらく流れずに屋形船にくっついていたのを、船頭さんが熊手で川の流れのあるところまで押しやった。
 その様子をビデオカメラで撮りながら、父は「お母さん、なかなか帰らんなあ」と呟いた。
 「これでお盆も終わりたい」と言うので、「明日はどうするの?」と聞いたら、「明日って何や?」とキョトンとした様子。
 「灯篭流したら、明日はもう送り火はせんの?」
 「あ! 送り火があったったい!」
 もう何でもかんでも忘れるのである。そりゃ母も流れて行きにくかろう。

 帰りのバスでは。父も私もぐっすり眠ってしまったが、しげは眠られなかったそうだ。さてまた何を興奮していたものか。

2004年08月14日(土) 月に一度はお芝居に。
2003年08月14日(木) やっぱり長く書けません。/映画『SF巨大生物の島』/DVD『天才マックスの世界』
2002年08月14日(水) 魔性の女/DVD『プカドン交響楽』/『藤子不二雄論』(米沢嘉博)ほか
2001年08月14日(火) 代打日記
2000年08月14日(月) せっかくいい気分だったのに……/映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)