無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年05月17日(火) 今日もまた石野眞子/『おねがい☆ティーチャー』1〜8話

 石野真子の余韻に浸りつつ一日を過ごす(笑)。
 いや、別に意図してそうしてるわけじゃなくて、頭の中で自然と「石野真子メドレー」が流れて来ちゃうのよ。『デカレンジャー』のスワン役くらいでしか石野真子を知らない若い世代には、何でそんなに石野真子が、と思われるかもしれないけれども、70年代半ばの山口百恵・桜田淳子・森昌子の「花の○○(←「中二」から「高三」まで学年が入る)トリオ」の時代から、80年代には入り、松田聖子・中森明菜を中心に、アイドル全盛時代を迎えるちょうど間隙にあたる時期に、石野真子は殆ど唯一と言ってもいいくらい、青少年の人気を集めていたのだ。
 ここが大事なとこなのだが、まだ当時「オタク」という言葉はなかったが、オタク的傾向の強いやつほど、石野真子にハマッていたのである。ライバル視されていた大場久美子は歌がダメでどっちかと言うとドラマ『コメットさん』人気の方が高かったが、それも子供が中心でだったし、榊原郁恵はヒット曲では石野真子に拮抗していたが、より大衆的で、バラドル的な売られ方をされていた。その点、石野真子は、単に可愛かっただけではなく、高橋三千綱原作の『九月の空』という正統派アイドルとしての主演映画もあったし(滅多にテレビでも再放送されないんだよなあ。日本映画専門チャンネルにリクエストしたろか)、何より繰り出す曲の数々が今聞いても何じゃこりゃあ? と言いたくなるくらいマトモではなかった。
 「のんのんののー、のんのんののー、のんのんののー、のんのんののー、今日はー、わたーしのー、失ー恋記念日ーですー♪」って、『失恋記念日』の歌い出しなんか、今でも何を言っているのか全然意味が分からない。最初聞いたときには何をウワゴト言い出したのだ石野真子は、と目の前がクラクラしたものだった。昨日歌ってくれた『ハートで勝負』も、サビの部分は「フラッシュ! まぶしいあなたならー、私をーどうぞー、ご自由にー」である。お前の彼氏はハゲか。でもって自由にしてって言ってても石野真子はきっと自分が自由勝手気ままにふるまうに決まっているのだ。ともかく石野真子くらい現実味というものから遠いキャラはかつてなかったし、カラオケで男が石野真子の歌を歌うと、これはもう気が狂ってるようにしか聞こえないのである。
 デビュー曲『狼なんかこわくない』のタイトルはもちろんディズニーのパクリであるが、この時点で石野真子の「ファンタジー」なキャラクターであることに注目していたプロダクションは慧眼だったと言えるだろう。そう、なぜ石野真子がオタク的青少年に人気があったか、彼女は当時の「リアル二次元キャラ」であったのだ。
 「石野真子はいい!」という台詞は、70年代末期、絶大な人気を誇っていたギャグマンガ、江口寿史の『すすめ!! パイレーツ』で使われてたギャグである。そして、彼のマンガには、石野真子を模したキャラクターが「あはははははは!」と、あの脳天から突き抜けるようなけたたましい笑い声とともにしばしば登場した。江口寿史はリアル二次元キャラを自作のマンガの中に「逆輸入」してキャラとして立たせることが絶妙にうまく、それだけ石野真子がもともとマンガチックだったと言えるのである(薬師丸ひろ子をとんでもない悪辣なキャラに仕立てたときにはのけぞっちまった)。
 考えてみれば昔から私は普通にかわいかったり美人なだけのアイドルには興味を惹かれなくて、何か一つでも現実との「違和感」のあるキャラクターに魅力を感じていたようだ。もちろんリアルな演技をする女優さんの価値を認めないわけではないのだが、オタクというものは大なり小なり現実との「違和感」の中で自分自身の居場所を見つけられずに右往左往しているものである。どこか現実になじめない、SFチックと言ってもいいようなキャラクターに共感を覚えるのは、悪く言えば現実逃避ということになるんだろうけれども、まあ、コンサート追っかけて学校や仕事サボるほどのことまではしなかったし、日常に支障は来たしてないと思うから(多分)、いいんじゃないですか(自分で自分を勝手に許すな)。
 今の私の悩みは、ベストアルバムのCDは買うとして、今度博多にも来る石野眞子コンサートに行くかどうかである。40過ぎて今更アイドルかよって言うやつもいるだろうが、私ゃ石野真子より一つ年下なんだからね。


 今日は七時半から町内会に出席の予定だったのだが、仕事が押してて残業しないといけないことが事前に分かっていたので、しげに出席を頼んでおいた。頼んではいたけれども、こういう会合はコミュニケーション不全のしげが一番嫌うところである。もしかしたらサボってないかと仕事の合間にメールを入れたが返事がない。
 不安に思いながらも八時近くになってようやく仕事がひと段落着いて、電話を入れると、やっぱりしげは愚図って「行きたくない」と家に引きこもっていた。「ばかやろう、早く行け」と脅して、電車に飛び乗った。
 会場の公民館に着いたときにはもう九時になっていたが、まだ会議は終わっていなかった。慌てて駆け込んで、それでしげが来てなかったら間が抜けてるよなあとは思ったけれども、しげ、何とか自分を鼓舞して出席していたのでホッとする。全く、ちゃんと動けるのなら最初からぐずぐず言わずに動いてほしいものである。いちいちこっちに気を使わせないでほしいもんだ。
 あとで会合の様子を聞いたら、しげ、憤慨して「どうして十分で終わる会議を一時間半もかけてやるんだよう!」と叫ぶ。テキパキとコトを片付けなきゃなんない会社の会議とかに比べたら、そりゃ、爺ちゃん婆ちゃんばっかりの町内会なんて、そんなもんだろう。
 「でもあの会長、見て思い出したよ。店に来て、こっちが案内するまで絶対に動こうとしなかったいやな客だ!」
 まあ、同じ町内なんだから、どこかですれ違ってたっておかしかないんだが、いやなすれ違い方をしているものである。また場合によってはしげに会合に出てもらわなきゃなんないこともあるかもしれないのに、これでまた愚図られそうで、今から気が重いのである。


 食料が尽きてたので、マルショクで買い物。「安くて腹の太るもの」を頼んだら、しげ、ラーメンをたっぷり買いこんできた。だもんで、遅くなった夕食はラーメン。
 夜も遅くはなっていたが、ともかく一日になにか一つは本を読むなり映画を見るなりしないではいられないので、CSチャンネルNECOで録画しておいたアニメシリーズ『おねがい*ティーチャー』を一話から八話まで見る。三年前にWOWOWで放映されてたやつだけど、そのときには飛び飛びにしか見てなかったので、今度は一挙にまとめて。
 これもまあ、タイトルから推して知る通り、思いっきり「萌えアニメ」で、ヒロイン・風見みずほが、宇宙人と地球人のハーフの、メガネの、巨乳グラマーの、そんでもって学校の先生で、主人公の男子高校生草薙桂とひょんなことから夫婦になってしまうという、設定だけ聞きゃ「ふざけるな」と言いたくなりはするのだが、これが黒田洋介脚本なおかげで、意外にもかなり「見られる」ものになっているのである。
 確かにみずほ先生のキャラクターはかなり「天然」で、対する桂くんはストイック、二人の仲が進展しそうでしないのはシチュエーション・コメディの定番でありすぎるし(邪魔もしょっちゅう入る)、みずほ先生の声がまた井上喜久子と来ればこりゃどうしても『ああっ女神さまっ』のパクリ企画のように見られても仕方がないっちゃ仕方がないのだが、少なくともあかほりさとる脚本作品のように、腐れオタクに迎合するだけのアニメにはなっていない。
 先生と生徒のカンケイ、ということになると当然、学校から問題視されることになるが、詰問する校長の前で堂々と「僕たちは夫婦です」と言い切る桂くんの勇気、これが物語を転がすために必要な台詞に過ぎないとしても、そこにやっぱり少しは世間の偏見とかレッテルとか、そういうものをぶっ飛ばしてやりたいという脚本家の気概を感じるのである。腐っても黒田洋介、と言ったところだろうか。
 定番のシチュエーション・コメディなのに、いや、定番だからこそ、そこに「萌えアニメのもう一つ先にあるもの」が作れないか、とスタッフが頑張ってるんじゃないか、と、『おねがい』シリーズにはちょっと注目しているのである。作画も、キャラクターの細かい仕草になかなか凝っているのである。

 ところがこれ見てるとしげが段々イライラして来るんだねえ。やっぱりワンパターンってのが気に入らないのと、みずほ先生がやたらと「最優先事項よ」って繰り返すものだから、いい加減「うるさい」のだそうな。確かに毎週一話見るならともかく、八話連続で「最優先事項よ」「最優先事項よ」「最優先事項よ」「最優先事項よ」「最優先事項よ」「最優先事項よ」「最優先事項よ」「最優先事項よ」って聞かされたらうるさいわな。
 なんかまたヘンなアニメにはまってるな、と思われる向きもあろうが、まあ概ね冷静に見てるので、「みずほセンセイ萌え〜♪」とかは間違っても言い出しません(笑)。

2004年05月17日(月) トンガリさん、切れる!
2003年05月17日(土) すっ飛ばし日記/時計だけ見る女
2002年05月17日(金) 追悼、柳家小さん/映画『モンスターズ・インク』/『カスミ伝△』2巻(唐沢なをき)ほか
2001年05月17日(木) 少しまじめな話/『コミックバンチ』創刊号ほか


2005年05月16日(月) 世界で一番の石野真子!/舞台『Shuffle(シャッフル)』

 昨日の日記の訂正。つか追加説明。『仮面ライダー響鬼』のヒビキたち鬼の本名、もう番組中に出てたんですね。複数の方から指摘を頂いたのですが、結構番組丹念に見てたつもりだけど、ちーとも気が付きませんでした。
 響鬼→日高仁志
 威吹鬼→和泉伊織
 裁鬼→佐伯 栄
 弾鬼→段田大輔
 これに轟鬼の戸田山登己蔵が加わるわけか。全員イニシャルが一致してるってのはちょっと出来過ぎ。鬼になるにはそういう「コトダマ」が必要ってな条件でもあるのかね? けどそうなると斬鬼が初め「今日からお前が斬鬼だ」って戸田山に言ったのは冗談だったのか、とか、天美あきらは将来イニシャルAの男と結婚しないと鬼になれないのかとか、疑問がいろいろ湧いてくるんだけど。いやまあちょっとした脚本家の遊びなんだろうけどね。だからこれで安達明日夢が即、鬼になる資格あり、と断定するのはまだ早かろうと思うのである。
 こんなふうに日記を書いてすぐに反応があるというのは嬉しいことなのだけれど、こうなると更新遅らせられないなあと、ちょっと責任を感じてしまう。「無責任賛歌」なのに(笑)。

 「腐女子批判」については劇団メンバーから文句が出るんじゃないかと内心ビクビクものだったのだけれど、まあこれまでにも何度も似たようなこと書いてるんで見逃してもらえたようである(笑)。だいたい、いくら批判されようが、「好きなもんは好き」でビクともしないんだから、ちょっとくらい罵倒したって構わねえだろ。今やマイノリティなのはオールドタイプの我々なのだ。
 お気に入りの日記さんで、「『SEED』が受けてるのは女子だけじゃないのでは」というご指摘もあったが、もちろん「男のファンがいない」なんて一言も書いちゃいない。『アニメージュ』の読者の大半が小・中学生の女子に移っちゃってるのは編集部も認めている事実であって、そのためにグランプリの票に偏りが生じていることを指摘しているだけなのに、なんか勘違いしているのである、
 総じて私の日記を読んで批判する人って、例外なく文章を読もうとしてないので、説明も反論もしようがなくて困るのだな。


 また監禁事件ですと。
 もう詳述する気も起こらないが、今度は奈良での事件。またもや出会い系サイトで知り合った女子高生(17歳)を誘い出して、手錠を掛けるなどして22日間自宅で監禁した露天商手伝いの川本隆之容疑者(29歳)(新聞によっては「鄭隆之」とある。こっちが本名なんだろう)が逮捕された。逃げ出して交番に駆け込んだ女子高生を追いかけて、自分も交番に駆け込んで逮捕されたっていうんだから、まったくもって真性の阿呆。
 もう犯人の幼児性とか短絡思考とか既知外ぶりとか親の監督不行き届きとか、それはもういくらでも言えるんだけれども、女の子の方にもねえ、いい加減で「出会い系サイトにやって来る男に対して夢を求めるの、やめようよ」って言いたいよ。そもそも「出会い系」に来てる時点で、身の回りの女性にまるで相手にされてないか、逆に食いまくってるかのどっちかだってこと、前提として知っとかなきゃ。
 男はさあ、「出会い系」に来る女なんて、世間知らずの馬鹿女か、インランな痴女のどっちかだから、どんなに蹂躙したってかまわないと思ってるんだよ。罪悪感ないやつのところにノコノコ出かけて行くな。「脅されたから仕方なく」なんて言い訳にもならんわ。引っ掛ける方も引っ掛かる方も阿呆で、どっちもどっちと判断されたら、世間の風潮は「勝手に監禁でも何でもされとけ」ってな具合に「馬鹿な女の方が悪い」って方向に傾きかねないぞ。


 夜、福岡市民会館で、パルコ・プロデュースの舞台『Shuffle』。
 筋の説明とか芝居の批評とか、そういうの全部抜きにして、まず、これだけは言わせてくれ。
 石野真子はいい!!!!!!!
 ……ハイ、すっきりしました。

 後藤ひろひと作・演出による、本人曰く、「『Midsummer Carol ガマ王子vsザリガニ魔人』に続く『ブレイン・トラブル・シリーズ』第二弾」なんだそうな。でも前作とはうって変わって、お涙頂戴なんかクソクラエのナンセンス・コメディに仕上がっている。
 主人公の刑事・乾利貴(伊原剛志)は、墜落事故で認知障碍を起こして目の前の相手が別人に見えてしまうようになる(相貌失認と言うそうな)。例えばAさんがBさんに、BさんがCさんに、CさんがDさんに、DさんがEさんに見えてしまうのである。せっかく怪盗団の正体を目撃したのに、果たして乾は事件を解決できるのか? 迫り来る怪盗団の魔の手にも彼は気が付くことができない……というスジ。
 この、「別の人間に見える」っての、似たようなネタを前にどこかで見たか聞いたかしたような気がするんだけど、思い出せないんだなあ。「視覚と聴覚が入れ替えられる」ってのは『虎よ!虎よ!』のネタだったけど、それじゃなくてもっとストレートに似てる作品があった気がしてならないんだけど。多分、吾妻ひでおのマンガかなんかだ。
 面白いのはもちろん乾の目の前の人物が全く「噛みあわない」言動をするシーンなのだが、そこにたどり着くまでの展開が少々もたつく。怪盗団チップス三人組(風花舞・山内圭哉・松谷賢示)の登場シーンなど、恐らくはわざとアドリブで場つなぎをさせてるようなのだが、これがあまり面白くない。繰り返しのギャグがしつこすぎて、笑えないのだ(でもほかの地方の公演では面白かったのかもしれないが)。
 けれど、警察医の賽野目(鹿内孝)から、相貌失認であることを知らされてから、物語はどんどん転がり始める。上司の剣女史(平田敦子)が同僚の梶野(三上市朗)に見えてしまい、鼻をつまんでどやされるくらいは序の口で、チビ・メガネ・ブス・博多の田舎者(笑)と三拍子揃った警備員の三つ葉幸子(奥菜恵)が、20年来の大ファンである石野真子に見えてしまうに至っては、実態と外見のギャップに引き裂かれて乾は身もだえする。
 それにしても、アイドルは星の数ほどあれど、石野真子に白羽の矢を立てた後藤ひろひとさんのセンスの良さよ! うん、これは「今のアイドル」には絶対こなせない役だ。それどころか、かつての同年代のアイドルたち、大場久美子や榊原郁恵にもムリな役だ。彼女たちでは庶民的に過ぎる。どこか現実との距離を感じさせるあのキャンディー・ボイス、彼氏を狼だの首領(ドン)だのジュリー(沢田研二)だのに見立てる“いったい君はナニモノだ”という石野真子だからこそ、「幻想ヒロイン」が演じられるのである。今のアイドルでギリギリ石野真子に近いスタンスで売られているのは小倉優子かとも思うが、石野真子はあんなただの馬鹿ではない。石野真子の前に石野真子はなく、石野真子の後に石野真子はないのである。後藤さん、あんたはエライ!(←小松政夫風)
 石野真子の話ばかりしてもなんなので、ほかの役者さんについて。タイトルロールの乾“シャッフル”刑事を演じる伊原剛志、石野真子の皮をかぶった(アイドル衣装がまだ似合う脅威!)奥菜“ドブス”恵を前にして「近づきたいけど近づきたくなくてでも近づきたいような」ってクネクネする演技、がやたら可笑しい。長身の伊原さんが演じているだけに、『オズの魔法使』のカカシを彷彿とさせるのである。しかも、乾の脳内シャッフル、“一度だけではない”のだ。奥菜恵は博多弁を喋っているのだが(長浜ラーメンの兄ちゃんに特訓受けたそうである)、これが石野真子の口に“移って”流暢に流れて来ると、もうかわいらしいったらないのよ! 奥菜恵ももちろんかわいいんだけど、石野真子はもっと……いかん、また石野真子に話が戻ってしまった(笑)。
 今回、「美女ヒロイン」が、奥菜恵、風花舞、澤田郁子、そして石野真子と四人もいるのだが、この四人に揃いも揃って「チンピラ情報屋」を演じさせるセンスというのがすばらしく楽しい悪ふざけである。さらには、申し訳ないが美女の系列からは外れてしまう(失礼)平田敦子は、もう絶品としかいいようのない「山内圭哉のマネ」を披露してくれる。……って、平田敦子と山内圭哉を知らないとこれがどれだけものすごいか、コトバじゃ全然わかんないねえ(超オデブな女性がつるっぱげの関西ヤクザを演じていると思ってください)。
 女優陣はそれぞれ実に個性的なのだが、やはり三つ葉幸子を演じている奥菜恵が「新境地」と言ってもいい、いかにも後藤ひろひと脚本らしい「変身ヒロイン」を演じている。
 奥菜恵はこれまで『弟切草』と言い『呪音』と言い、誰が演じても構わないような役どころばかりで損をしていたと思うが、伊原剛志との見た目40センチは慎重差があるんじゃないかというコントラスト、そのチビっぷり(多分150センチそこそこだ)が際立って、まるで「地下鉄のザジ」のように溌剌でかわいらしく見える。しかもそのかわいらしさは「ブスメイク」ゆえなのだ。もちろん物語の途中でブスメイクを落として素顔の「美女」になるシーンはあるのだが、後藤ひろひとの慧眼は、この子は「ブスにした方がかわいい」という点に気づいたことである。整った美人って、かえってキャラとしては立てにくいんだよね。美女になるのは一瞬で、ホントにほぼ全編、ブスメイクのままってのが素晴らしい。
 そして、やっぱり最後に言わせてほしい「幻想ヒロイン石野真子」を演じた石野真子。もう最強である。ラストはついに「生石野真子」として『ハートで勝負』を熱唱。青春の若き日、朝目覚めれば真子のことを思い、昼飯を食いながら真子のことを慕い、夜の夢に真子を見ることを願い毎日を過ごしていたころの憧れが再び胸に込み上げてくる。……そうだよ、隣の女房そっちのけで手拍子打ってたの、俺だよ。もちろん石野真子のたどってきた人生のアレやコレやを思いながら泣いてたともさ、悪いか(向かいの県立美術館ではちょうど長渕剛展やってやがった。けっ)。
 けれど、芝居がはねて出口に向かう客は一様に「石野真子がよかった」「すごいね石野真子」「やったね石野真子」と「真子が」「真子が」と、みんなミコになったかのように(←古くて分かりにくいギャグ)石野真子をたたえていたのである。そうだよ、『BIG BIZ』がシナトラを称えるための舞台だったとすれば、これは石野真子至上主義を高らかに宣言した舞台なのだ。ちょっとくらいダレ場があったって、真子がその全てをカバーして余りある感激と興奮と陶酔とを味合わせてくれたのだ。これほどの至福、これほどの福音、またとあろうか。
 DVD絶対に出せよ、パルコ。

2004年05月16日(日) 「替え歌」の方しか知らないってこと、あるよな。
2003年05月16日(金) すっ飛ばし日記/魔界な男たち
2002年05月16日(木) で・じゃ・ぶぅ/DVD『アードマン・コレクション』
2001年05月16日(水) 鳥頭の女/『文鳥様と私』2巻(今市子)


2005年05月15日(日) 腐女子さんは今日の内容読んだら気を悪くするよ/映画『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』

 劇団メンバーの日記が充実してきているので、巡回が楽しい。今、しげと私の一番の注目を浴びているのはグータロウくんとこの娘さんで、しげも日記に書いているが、将来が実に楽しみな小学二年生なのだ。いや、性格がではなくて体型が(笑)。
 思春期になればそれなりにスタイルとか気にしだすとは思われるが、現在は肉食大爆走。第二のしげになりかねない印象で、それを気にしてハラハラしているグータロウくんの親ばかぶりがいじらしいのである。多少太ってももとが可愛いからそんなに心配しなくても「売れ口」はきっとあると思うんだけどなあ。いや、売れたら売れたで彼は絶対泣くだろうけど。
 グータロウくんは私の日記を読んで、「優しいやつ」とか書いてくれているが、私の優しさはたいてい偽善なのであまり信用しないように(笑)。知り合いでもなんでもないマンガ家さんの将来を心配するなんてのは余計なお世話以外の何物でもないので、思いあがったゴーマニストじゃなきゃ、あんな「ジャンプふざけんな」みたいな口は利けないのである。別に小林よしのり二世を気取りたいわけじゃなくて、本質的に博多人はゴーマニストなの。逆にゴーマニストでない博多人はニセモノだとも言えるな(笑)。

 しばらく更新が途絶えていた桜雅嬢やよしひと嬢も久々に日記をアップしている。人間、気が抜けることだってあるし、自分のペースで更新すりゃいいと思うので、たとえ何ヶ月も何年も間が空いたって構わないと私は思っている。書いてなくても、みんなのことは忘れてないよ。慢性健忘症のしげはどうだか知らんが(冗談ではなく、出張で2、3日家を空けると、しげは私のことも私と確認するのに間が空くのだ。みんなとしばらくぶりに会うときもそういう「作業」をしていると思ってください)。お気に入りに入れているみなさんの日記も同様です。もう何年も更新されてない方の日記も、決して忘れてはいません。
 確かにずっと更新してないと、どうしているのかなあと気がかりにはなるけれど、「どうしたの?」とメールを送ったりするのも場合によっては相手へのプレッシャーになりかねない。間が空くのが普通の方の日記だと、そのたびに「どうしたの?」「どうしたの?」と問い合わせていては、鬱陶しいどころか、こちらがネット中毒にかかっていてストーカーしていると思われても仕方がないだろう。つか、そういうのは間違いなくストーカーである。……ホモオタさんから毎晩深夜の2時に電話がかかってきていた頃を思い出すなあ(泣)。メールの返事が遅れると「催促メール」をどんどん送りつけてくるお人とも知り合ったことがあるし、自分がそういう立場にはなりたくないやね。
 連絡を取るにしてもきっかけとタイミングが必要になるのは私自身経験済みで、これが難しいところなのだが、連絡もらって嬉しいときと、放っといてほしい時の差が激しいのだ。
 まあ私も少しはオトナになりましたから、イヤな気分のときに連絡もらっても空元気で応対できるようになりましたけど、若い頃はストレートに感情ぶちまけて友達なくしたこともありましたよ。私の場合は持病のこともあるし、日記が停滞してるときは確実に疲れてるときか入院してるときなので、できるだけ更新は滞らないようにしときたいと思ってるんだけど。
 
 ほかにもあちこち覗きたいサイトもあるのだが、一日の仕事を終えて、帰宅して映画を見たり本を読んだり、それからネットを覗いて日記を書いて、と、こうも毎日過密スケジュールでは、ネット上のウェブサイトをそうそう回れるわけでもない。本当に毎日「巡回」しているのはニュース関連と仲間内の日記、お気に入りに入れている日記くらいのものである。Yahooの掲示板はたまに覗くが、2ちゃんねるは殆ど覗かなくなった。作家さん、マンガ家さんのサイトはたまに覗く程度のものである。普通の暮らしをしていればこの程度のものなので、とてもネット中毒になんぞなりようがない。
 こないだうちの日記を覗きに来た人のサイト、アクセス解析で分かったんだけれど、これがまあ、百を越えようかってほどのサイトをお気に入りに入れてるんだわ。全部巡回してるとはとても思えないんだけど、それがタイトル見るだけでそれと分かるエロサイトが多いことったら(笑)。かなりな変態さんらしいが、どういう流れで私んとこに来たんだか。もう私は変態さんと係わり合いになんぞなりたかないので、覗きにも来ないでほしいんだけどね。


 『仮面ライダー響鬼』十六之巻 「轟く鬼」。
 引くなあ(笑)。
 いや、「明日夢はいつヒビキの弟子になるのか」って話題なんだけどもね。今回、ヒビキに「少年を弟子にする気はないんだ。少年も鬼になる気はないだろう?」って言わせちゃったから。
 確かに、「傭兵になってイラクに行きなさい」以上にキツイ仕事だからね(なんせ相手は化け物である)。そりゃ簡単に「弟子になる?」「はい、なります」って展開にはならないことは分かるけれども、そうやって距離置いちゃうと、「じゃあ、どうしたら明日夢が鬼になるのか?」そのきっかけを作るのが難しくなるよねえ。
 昔からこれのクリアーの仕方は、
「1、危険が迫って仕方なくそうなる」か、
「2、偶然そうなる」 
くらいしかないんだけど、できれば新しいパターンを開発してほしいもんだね。
 今回は(つか前回から)、「轟鬼」誕生編なんで、明日夢君話は次回以降に持ち越しのようだけれど、ふと思ったのは響鬼とか威吹鬼とか斬鬼とか、コードネームなんだから本当は本名があるってことなんだよね。 最終回までに発表はされるのかな?


 シネ・リーブル博多駅で、モーニングショー一回のみの映画『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』。
 日本のジャッキー・チェンのファン・サイトなどでは未だに彼の本名を「陳港生」としているが、実はそうではない、というあたりからこの「物語」は始まる。
 うっかり「物語」、と書いてしまったが、このジャッキーの父、陳志平(チェン・ジーピン)、実は元国民党の工作員、房道龍(ファン・ダオロン)の激動の人生を追ったドキュメンタリーは、そのまま戦前、戦後の中国史を「物語っている」。
 1915年、中国山東省で生まれた房道龍は、南京で育ち、やがて安徽省に移り、そこで結婚して、男の子二人を設けた。しかし糟糠の妻は長男が七歳のときにガンで死んだ。戦争の影がちらつき始めたころ、生活のために国民党の工作員として働くようになった道龍だったが、日中戦争終結後、国共内乱が起こると、一転して共産党から命を狙われる立場となる。身の危険を感じた彼は、亡妻との間に設けた息子二人を捨て、香港に逃れた。残された二人の子供がいかにして生き延びていったか、それは殆ど描かれない。
 香港で道龍は一人の女性と出会う。夫を日本軍の空襲でなくし、二人の娘を育てるためにアヘンの密売で生活を立てていた陳月榮(チェン・ユエロン)は、港の検査官として働いていた道龍に逮捕される。しかし彼女の事情を知り、こっそりと逃がし、友人として助力するようになる。彼らは上海に移り住み、月榮は女だてらに顔役となったが、再び共産党の手が道龍に伸びようとしていることに気づき、娘たちを置いて、二人だけで香港に舞い戻る。そのとき道龍は名前を「陳志平」と変えた。娘たちがどのような苦難の人生を歩くことになったか、それも映画は描かない。
 その後、二人の間に誕生したのがジャッキーである。だから彼は自分の姓は「陳」だと信じていたし、自分に異父・異母の兄姉が4人もいることなど、父親が告白する気になった1999年まで知らなかったのだ。当然父親はその時までジャッキーの兄姉を完全に放置してきていたのである。なんともウソ臭いが、どうやら本当の話らしい。
 映画の中では、このジャッキーの父親という人が、実に屈託なく自分の過去を語っている。そのおおらかさというか、あっけらかんとした態度は、かえって彼の語る「歴史の真実」が『ビッグ・フィッシュ』のほら話に聞こえるほどだ。
 共産党に狙撃され、足や頭にはまだそのときの傷が残っているが、それを平気で見せる。隣にいたジャッキーが、「僕も同じところに傷があるよ」と映画の撮影でできた頭の傷を示して、「親子の絆(?)」をアピールするのだが、これは笑っていいのか感心すればいいのか。
 犯罪に荷担していた月榮をどうして救う気になったのか、ジャッキーは父親に問い掛けるのだが、「中国人は人情に厚いから」といけしゃあしゃあと答える。もちろん人情以上の感情があったに違いないのだが。
 ジャッキーが入学した中国戯劇学院のカンフーの師匠を「共産党のスパイ」と呼び、ジャッキーに向かっても「お前がアメリカ進出を図ったのも共産党のスパイ活動のためだろう。私には分かっているのだ」と言ってのける。ジャッキーが頷きも笑いもせず、無表情で聞いているものだから、おいおい、ホントにそうなのかよ? と見ているこっちがビクビクしてしまう。
 40年以上もして、どうして真実を語る気になったかは、妻の月榮が病気になり、死期が迫ったからであったが、タイトルにある通り、「失われた龍の系譜」を回復するためでもあったのであろう。道龍はほぼ50年ぶりに息子二人、娘二人を探し当て、再会、名前も「陳志平」から「房道龍」に戻す。兄たちは、姉たちは、自分たちを捨てた父親をどう思っていたのだろうか? 映画はそれも深くは語らない。多分、「語れない」のだ。映画は、その兄や姉たちの家族に囲まれて、「おじいちゃん」となった道龍を、いかにも幸せな大家族のスナップショットの中心に映し出して終わる。
 そしてジャッキー・チェンは、「陳港生」ではなく、「房仕龍」(ファン・シーロン)となり、芸名の「成龍」だけでなく、本名でも「龍」の字を継いだ。出来すぎた結末で、ドキュメンタリーでありながら何か「足りないもの」を感じないではいられないのだが、その最大のものはこの父親の話をジャッキーが「どう受け止めたか」である。歴史の年表だけを見せられて中身の説明がまるでないようなものなのだが、兄姉たちの過去も含めて、それらが本当に語られることはないのだろう。
 月榮は2002年に他界した。現在に至るまで、ジャッキーは兄たちに面会してはいない。父は「会う必要はない」と語り、兄は「会わなくても弟は弟だ」と答える。そしてジャッキーは沈黙を守る。
 多分、それでも彼らは「家族」なのだ。どうしてそう思うかについては、私もジャッキーに倣って沈黙を守りたいと思う。

 帰宅したら、しげはまた爆睡。だから昼間練るなって。夜、練られなくなるだろ?


 『アニメージュ』6月号、恒例のアニメージュグランプリ、数えてもう27回であるが、まあ想像通りグランプリを取ったのは『機動戦士ガンタムSEED DESTINY』(2501票)で、2位の『鋼の錬金術師』(1478票)を大きく引き離していく。更に3位以下は得票が一気に3桁台に落ち込むので、アニメージュ読者にとっての昨年のアニメと言えば、“この2本しかなかった”ということになる。『アニメージュ』も腐女子に乗っ取られて久しいから、この結果も仕方がないのだが、70年代からアニメブームの牽引的役割を果たしてきた老舗がこのようなテイタラクに成り果てていることに忸怩たる思いを抱いているアニメファンも多々いらっしゃるに違いない。何たってねえ、このグランプリ、『マインドゲーム』が一票も入っていないのだ!(たいていの批評家がベストワンに推していると言うのに!)
 この十年くらい、あまりにもベストテンに「偏り」があるために、グランプリとは別に批評家のベスト作品を紹介したり座談会を開いたりして、読者のアニメに対する啓発(つか啓蒙に近いな)を行ってきているが、効果は殆ど上がっていない。ともかく今のアニメファン(と言うよりはキャラ萌えの腐女子)くらいアニメを見ていない連中はいないのだ。以前は私も「頼むからもう少しほかのアニメも見てよ」と言ってたが、もう最近は「頼むから『アニメファン』を名乗らないでくれ」と言うしかないな、という気持ちになりつつある。
 今回の藤津亮太、斎藤良一、小黒祐一郎三氏による座談会は例年以上に辛辣な批判が飛び出しており、かつてこれほど読者を罵倒した記事があっただろうかと思えるほどだ。ちょっと抜粋すればこんなとこだ。
 「得票を募集したときの人気作品に票が集まる(半年や一年前の作品だと忘れられている、という意味)」
 「『アニメージュ』にたくさん記事が載ってる作品が、順当に上位に来ているということでしょ。それが良いことか、悪いことなのかはわからないけど」
 「そういう意味では、グランプリ結果を見て『アニメージュ』も、もっといろいろな作品を取り上げてよ、とは思いました」
 「最近は『萌え』か『BL』ばかりになっちゃって、中・高校生の男の子が本気で見られるアニメがなくなってる」
 「基本的にアニメ雑誌の読者は、キャラ中心に見てるから。(『イノセンス』について)主人公がバトーとトグサのおっさん二人で、あとは犬と人形じゃあ、『アニメージュ』読者は投票しようがない(笑)」
 要するに、アニメファンを称する連中が、幼稚で視野の狭いバカガキの娘っ子ばかりになっちゃった、ということである。かつての「コミケからヤオイを駆逐するぞ!」の吾妻ひでおの檄も、今はむなしい。
 こういうことを書くと、またメールやら掲示板で「今のアニメファンの土台を作ったのは、あんたたち昔のオタクでしょうが。責任逃れするな!」と腐女子のミカタの方が現れたりするので、素直に反省しましょう。ハイ、確かにその通りです。昔も今の腐女子と同じく、キャラと声優にしか興味のない腐れオタク女子はいましたが、そいつらを我々は「まあ、人の趣味はいろいろだし」と戦後民主主義的に暖かく見守っておりました。それがよくなかったのですね。我々は彼女たちにこう言ってやるべきだったのです。「キモいからやめれ」。
 アニメーションにはさまざまな可能性がある。ところが腐女子はその可能性に目を向けない。見えないと言った方が正しいかもしれない。“そういう人間しかアニメを見ない”ような事態になれば、アニメーションという表現芸術自体が崩壊してしまうだろうことは火を見るよりも明らかだろう。
 雑誌は売れなきゃしょうがない。だから今が旬のキャラをフィーチャーした特集を組まざるを得ないのは商売としてはわかる。しかし、今、アニメ雑誌が相手しているのは、一人のキャラへの興味が尽きたらほかのキャラに乗り換えるような、ジゴロか風俗通いの変態レベルのメンタリティしか持ってないキモオタ女どもである。こんな連中を視野に入れた雑誌作りが、果たして長続きするものかどうか。長い目で見るならば、もっとファンを「育てる」誌面作りをすべきではないか。そのためには、今までのように単に「ほかにもいろんなアニメがありますよ」程度の紹介だけでは生ぬるかろう。ここは徹底的に「下らんアニメの吊るし上げ」特集を毎号組んでいくしかないのではないか。
 『SEED DESTINY』にしろ『鋼錬』にしろ、ネット上ではケチョンケチョンに貶している意見もまま見受けられる。それらは単純な感情の垂れ流しに過ぎないものも多いから、ここは雑誌媒体としての威厳を持って、もっと多角的かつ建設的な分析を試みた批評を多数載せるのである。なんならテーマを決めて読者に論争をしかけたっていい。ネットみたいに誰でもが書きこめて収拾がつかなくなることはないのだから、「私の○○を貶さないで!」みたいなヒステリー投稿は無視して、きちんと根拠を示して反論してくる意見だけを取り上げればよい。読者が活性化しないと、雑誌は存続できないのだ。
 ……でも、ホントにそんな特集やったら、批判されたアニメのプロダクションは怒って番宣資料くれなくなるかもしれないよなあ。アニメ業界って、アニメファン以上に性格歪んでそうな人間も多いらしいから(と、誰のことかは言わないでぼかしておこう)。
 日本はもうアニメ大国ではなくなっていくのかな、と思う。どうせ腐女子は自分たちがアニメの未来をつぶしているという自覚なんかないのだろう。そしてこれからも数々の迫害にもめげず、ゴキブリのように増殖し、アニメーションを食いつぶしていくのである。業界に入ってくる新人も萌えオタクばかりになる。そんな奴らが新しく作り出すアニメがどんな代物になるか。十年先、二十年先のアニメ界がどんな姿になっているか、想像するだに恐ろしいのである。

 『エウレカ7』、福岡じゃやってないと思ってたら、しっかり今朝放映してたのな。だから番組表だけじゃ小さくてわかんないんだって。アニメ雑誌って、放映前は○○系としか記載しなくて、放映が始まってから地方のキー局載せるから、情報発信の昨日、イマイチ果たしてないと思うんだけど。
 

 夜、久しぶりにアニメ『ワンピース』を見る。もう35巻のあたりまで来てるんだね。原作にかなり追いついてきてるけど、大丈夫かね。ひとシリーズ終わらないことには場つなぎの屑エピソードだって挟みこめないと思うけど。
 こないだ日記に『ワンピース』の悪口を書いたら、長いこと私の日記をお気に入りに入れてくれていた方からあっさり削除されてしまいました。まあ仕方ないんだけど、やっぱ「自分の好きな作品を貶されたら怒るのが当然」って考えてる程度のメンタリティしか持ち合わせてない腐女子さん(男にもいるけど)は基本的にコミュニケーション不全だと思うんだけどねえ。自分が思いあがってることに気が付いてないのな。

 続いて、やっと終わってくれた『名探偵ポワロとマープル』最終回。『雲の中の死』はマンガ版の感想にも書いたけど、原作自体が中以下のレベルの出来なんで、ポワロがトリックを語って犯人を指摘しても、「そんなん、その場で犯人バレるわ」としか思えない。作画も平板で、最後まで向上しなかったなあ。ラストに取ってつけたようにメイベルの「私も少しは成長できたかも」なんてナレーションが入るのも、スタッフが投げやりでこのアニメを作ってたようにしか思えず、腹が立つ。
 仮にもタイトルに『ポワロとマープル』と銘打ってるんなら、ラストでこの二人を出会わせるくらいの演出をしろよな! それとも、原作にそういうシーンがないからできないとでも? これだけ原作をデタラメに映像化しといて、それ言うんなら、このアニメのスタッフは全員打ち首もんだ。

 続けて『義経』も見たけど、清盛が死んだら、やっぱりドラマ全体の「重み」が消えちゃった感じだね。代わりに頼朝が前面に出てこないといけないところだけど、中井貴一、頑張ってるんだけどまだ重みを出すまでには至ってない。声がまだ頭の方から出てる感じなんだなあ。いや、デビュー当時の大根役者ぶりに比べたら格段に上手くなっては入るんだけどね。

2004年05月15日(土) 遅れ馳せながら今年の「アニメグランプリ」。
2003年05月15日(木) すっ飛ばし日記/ベストテンな本
2002年05月15日(水) 目出物雄三ってキャラが某マンガにいたね/『まんが アベノ橋魔法☆商店街』(鶴田謙二)/『ガウガウわー太』3巻(梅川和実)ほか
2001年05月15日(火) 本を売るならBOOKOFF/『BLOOD THE LAST VAMPIRE 2000』(玉置勉強)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)