無責任賛歌
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2005年01月08日(土) |
夢見る頃は過ぎてるか?/映画『悦楽共犯者』ほか |
早朝(つか午前3時)、加藤君が公演の時に預けっぱなしにしといた荷物を取りに来る。仕事が終わるのがこの時間なので仕方ないのだが、考えてみたらうちの劇団、昼夜逆転の生活送ってる人間がやたら多いんだな。 こないだの公演のアンケートを見せると、なんだか複雑な表情。 「『もっと本格的にダンスをやればよかったのに』って、教えてくれた人は本格的だったけど、本格的にできなかったんだよう」と泣きを言う。 本人はpppの日記の方でも「自分は努力をしない」とかやたら卑下しているのだが、別に練習をサボっていたわけではない。いや、確かに要領が悪くてすぐに練習に入れないし出された指示はすぐに忘れるし、サボってるように見えはするのだが、練習中の加藤君はプレッシャーでイッパイイッパイだったのだ。そのあたりはここ数ヶ月の日記の迷走ぶりを見れば充分察せられよう。演技を誉められてるアンケートだってあったのだから、あまり自分のことを悪く捉えすぎないでほしいものである。 しげなんてアンケートを読んで、「普通に誉められててつまんない」とまで言ってるのである。それはそれでゴーマンな態度であまりよかぁないんだが。 しげ、加藤君に先日「チャイハネ」で買った福袋の「余り」をお裾分け。つか本当に要らないものばかりを押しつけてるんだよな。例の「グル人形」もあったが、加藤君、「これは売れ残りますよねえ」とか言って、でもちゃんと受け取るのである。「これ、ボインさんなら欲しがりますよ」とか言ってたが、いくら珍しいもの好きの細川さんだとて、さすがに松本智津夫を部屋に飾るような悪趣味はないと思うがなあ。 ……「悪趣味」でふと思い出したが、芝居で使った私の女装姿をプリントしたTシャツ、あれ、今、誰が持ってるんだ。あんなゲテモノ、さっさと破棄してくれた方が言いと思うが。……まさか加藤君まだ着てたりしてないだろうな(画像データだけはあるので、見たい人はネットに晒さないという条件さえ守ってくれればお送りしますよ。って、見せたいんかい)。 しげ、こないだ録画したばかりの『機動戦士ガンダムOO80 ポケットの中の戦争』を加藤君に見せたがるが、時間がないということでほどなく辞去。仕事が終わってくたびれてるところに、さらに2時間半のフィルムマラソンは辛かろう。またの機会もないじゃなし、今すぐに無理強いすることはないのである。しげはどうやら感動屋の加藤君ならきっとボロボロ泣くだろう、それを見たいと思っているようであるが、どっちかって言うとあれは見終わったあと「しんみり」するほうじゃなかろうか。
まだ未明ではあったが、もうコバラがすいていたので、近所まで外出。コンビニで軽食を買って、「ビッグ・コミック・オリジナル」を立ち読みする。 浦沢直樹の『PLUTO プルートウ』、アトムに続いてウラン、中村捜査課長、田鷲警視、名前だけだけれどもお茶の水博士も登場。 それぞれ浦沢直樹キャラとしてリライトされていながら、元のキャラの「匂い」をちゃんとさせているのには舌を巻く。そうかあ、ウランは「お下げ」だったか。単純なトンガリアタマだとアトムとの差異化が図りにくいよなあと思っていたので、このアイデアは実に秀逸。人とロボットを瞬時に見分けられるって設定、原作にはあったかな? こういうこまっしゃくれた女の子がスッと「一番怖がっているのはお兄ちゃん」なんて言うんだから、これはなかなかに怖い。田鷲警視の鼻も実に「適度」だし、この分だとお茶の水博士のデザインを期待できそうである。 オリジナルの田鷲“警部”が「警視」になっているのは、実際の警察機構のシステムに合わせた結果だろう。中村課長も肩書きが警部なので、なんで警部が二人揃って事件に当たってるんだと、そこは原作のいい加減なところだったから。細かいところまでよく目を配ってるんである。 そしてついに登場のアブーラ博士ならぬアブラー博士。我々はどうしても「アブーラ」と発音してしまいたくなるが、これは本当は浦沢さんが書いてる通り、「アブラー」と発音する方が原音に近いらしい。このへんもチェックが細かいのである(若い人にはわかんないだろうけれど、これ、「ABRACADABRA(我が願いを叶えよ)」ってヒブリ語の呪文から取ってるんである)。黒幕のチョチ・チョチ・アババ(これも若い人は知らないようだけれども、赤ちゃんをあやす言葉)三世はどう変更されるのだろうか(^o^)。原作通り、彼がプルートゥを作ったということなのか、そこはまだ判然としないけれども、どうやら彼の設定はロボットではなくてサイボーグということらしい。ということは、1巻でビルからビルへと飛び移っていた「人間」の正体は……? 結末が原作と同様のものになるのなら、この「半人間」という設定はかなり「効いて」来ると思われる。ラストに出てきたエヴァもどきはさてついに登場したプルートウなのかどうか? 月イチ連載というのはホントに待ち遠しいなあ。
ひと寝入りした後、DVD『悦楽共犯者』を見る。 スチール・アニメーション作家、ヤン・シュワンクマイエルの実写&アニメの秀作。……とはいうものの、なんたってシュールレアリスムの巨匠であるから、意味は何だかよく分からないのであった(^o^)。でも分からないけれど面白い。「人間は自らの快楽のためなら何でもする。それこそどんな異常な行為でも」ってのがコンセプトなんだろうと推測はできるのだが、パンを丸めて団子にして鼻に太いストロー突っ込んでそれで吸い上げるって、これ、快楽を追及してるのか(^_^;)。 でも、そういうナンセンスがシュワンクマイエルの真骨頂なので、これを面白がれないと彼のどの作品も楽しめないのである。その意味でシュワンクマイエルも「観客を選ぶ作家」だと言えるだろう。けれど、こんなナンセンスまでも自在に描けることがアニメーションが本質的に持っている表現力なのだ。アニメの底の深さを知るには格好の作家さんなんだけれど、最近は新作の話を聞かない。日本に輸入されてないだけだとは思うけれども、こういう人の存在を知らずして「日本のアニメは世界一」とか嘯いてたら、それはあまりに無知で無恥だということになろうかと思う。
後は長くなりそうなので簡単に。 日本映画専門チャンネルで『燃える秋』。 真野響子が一番美しかった頃の、社会派の巨匠小林正樹監督によるペルシャロケもけばけばしい一大恋愛ロマンだけれども、あまりに浮世離れしすぎていて、全体的に何だかヘンな映画なのであった。 WOWOWで舞台『夜叉が池』。 泉鏡花原作、長塚圭史脚本、三池崇史演出と、なんだかすごい布陣だが、これも個性と個性がぶつかり合って、かなりヘンな舞台になっていた。田畑智子の妖しい美しさと丹波哲郎の怪しい女装のコントラストがスバラシイ。きたろうさんが出てくると舞台が突然コントになってしまうのも面白い。
夕方、まだ寝こいてたしげを起こして食事に誘う。 寝起きなせいか、しげ、気分が悪くて食欲がない。「今日は出かけないつもりだったのに」とブチブチ文句を言う。 「でも外出しないと食料がないよ」 「オレは弁当買ってるもん」 「オレのはいいのかよ!?」 こないだから体調崩してたのがまだ続いてたのかもしれないが、それにしてもやっぱり自分のことしか考えないヤツである。「しーじゃっく」までムリヤリ車を運転させて、回転寿司。私は十数皿、しげは五皿ほど。いつもはしげも十数皿をペロリと平らげるので、やはり体調が悪いのである。 これは長いこと外出してもいられないなあと思って、すぐに帰宅した。 ところがしげ、家に帰りついた途端に今度はいきなり「ダイヤモンドシティに行く」と言い出した。ついさっきまで「外出したくない」とか言ってたのに、どうしたのかと思って聞いてみると、「明日履いてく靴を買いたい」と言うのである。本当は昨日、買い物に出かける予定だったのだが、やはり出かける寸前になって「眠い」と言って取り止めていたのである。ホントに思いつきで行動するやつである。おかげで昨日は『カンフーハッスル』を見損ねてしまったのだ。まあ過ぎたことに文句を付けても仕方がないので、付き合ってダイヤモンドシティに出かけることにする。時間はもう7時。 しげが靴を買ってる間に、私は本屋回り。 小1時間ほどで合流できるかと思っていたら、1時間経っても2時間経ってもしげからの連絡がない。こちらから電話をしても無反応。ようやく会えた時は9時を回っていた。 「靴一つ選ぶのに何してたんだよ?」 「『チャイハネ』でアクセサリーも買ってたんだよ。オレが買い物したらこれくらい時間がかかるって言ってたろ?」 言ってたことは言ってたが、こうなるとやっぱりしげの買い物には付き合いきれないのである。
なんだかんだと貶しながらも結局殆どの劇場版を見てしまっている『ONE PIECE』だけれども、3月5日公開の新作『ONE PIECE(ワンピース) オマツリ男爵と秘密の島』の主題歌を氣志團が歌うことになったとか。 でもその主題歌のタイトルが『夢見る頃を過ぎても』だと聞いて「おいおい」と思った人も多いと思う。いや、“こういう例”はもう日本の音楽シーンでは腐るほど前例があることなので、今更指摘したところで何がどう変わるわけでもないのだが、“既成曲のタイトルを堂々とパクって平然としてる神経”に少しは腹を立ててもいいんじゃないか。 説明するのも野暮だけれども、『夢見る頃を過ぎても』というのは、オスカー・ハマースタイン二世作詞、シグムント・ロンバーグ作曲のジャズの名曲で、原タイトルは“When I Grow Too Old To Dream”。いろんな人がカバーしているが、確かうちにもナット・キング・コールのがあったように思う。映画『わが心に君深く』でも歌われているそうだが、こちらは未見。
We have been gay, going our way Life has been beautiful, we have been young After you've gone, life will go on Like an old song we have sung
When I grow too old to dream I'll have you to remember When I grow too old to dream Your love will live in my heart
So, kiss me my sweet And so let us part And when I grow too old to dream That kiss will live in my heart
And when I grow too old to dream Your love will live in my heart
だいたいの歌詞の内容は、「僕たちはずっと一緒だった。けれど君が行ってしまった後も人生は続いて行く。僕が夢を見るには年を取り過ぎてしまっても、きっと君のことは忘れない。どんなに年を取ろうと、君の愛は僕の心に生き続ける。だから、キスをして。そのキスが僕の心に生き続けていくだろうから」という感じ。 氣志團がオリジナル曲にオマージュを捧げているとは思いにくいし(つか、原曲があることを知ってるかどうかすら疑問)、どんな曲かまだ未聴だけれども、多分オリジナルとは似ても似つかないものになってるのではなかろうか。オリジナルは歌詞からも分かる通り、トシヨリの歌だし。 つまり今回の曲は、「どこかで聞いたことある言葉でイイ感じだから使っちゃえ」ってな感じで、単にタイトルをパクっただけなんじゃないか、という気がしてならないのである。表現ジャンルの違うところでタイトルを流用するのはまだしもオマージュとして認められなくもないのだが(我々の世代はどうしても吉田秋生のマンガを思い出してしまう)、同じ音楽ジャンルでタイトルを使われてしまうのは、時と場合によっては混乱を生じる場合もあるので、迷惑ですらある。 「『夢見る頃を過ぎても』、いい曲だよねえ」「ああ、氣志團の?」なんて言われちゃうとガックリくるのである。 この手の経験は腐るほどしていて、私が経験した最初の例は「『時の過ぎ行くままに』、名曲だよねえ」「私もジュリー大好き!」というものであった(直前まで『カサブランカ』の話をしていたのだから、沢田研次のそれじゃないと気づいてほしいものだ)。
既に見る前からミソが付いてしまった印象の今回の劇場版だけれども、考えて見れば、『ワンピース』に「氣志團」というのは実に似合っている。海賊マンガのフリしてるけれども、あれ、本質はただの「ヤンキーマンガ」だからな(^o^)。 ヤンキーマンガを見分けるのは簡単で、例えば、一見温厚で陽気に見えるキャラクターが、友人が危険にあった途端に、「ああ?」とか言ってギロッと目を剥いて怒りを露わにしたら、それは性根がヤンキーなマンガなのである(非ヤンキーマンガは、そんな場合でも「ああ?」とは言わない)。キャラクターの友情の厚さを表現しているように見せかけてはいるけれども、実態は単にキレてるだけなので、人物に感情移入が出来ない。逆を言えば、ルフィの「ああ?」に全く不快感を抱かない人は、ヤン血がかなり濃いと思われるので、私には近づかないで頂きたい。でもしげもしょっちゅう「ああ?」って言ってるなあ(^_^;)。
「不良マンガ」自体は『男一匹ガキ大将』の時代からその系譜は途絶えることなく連綿と続いている。さらにそのルーツを辿れば、国定忠治とかの任侠もの、ヤクザものまで遡ることもできる。主人公はあくまで世間の道から外れたアウトローであって、そのマイノリティとしての孤独が読者の共感を呼び、全体としてはピカレスクロマンとしての面白さがあるというのが本質なのである。 つまり、ヤクザもヤンキーも、決して「オモテ」の存在になっちゃいけないものなのだ。座頭市が「ヤクザがお天道さまの下を堂々と歩くようになっちゃおしめえだ」と言ってる通り、アウトローが堂々とヒーローを演じて世間の喝采を受けていては、物語自体が破綻してしまう。 昔の不良マンガでは、主人公はたいてい孤独だったし(つか、不良マンガに限らず、「孤独」であることはヒーローの条件ですらある)、このセオリーを逸脱するものは少なかったのだが、それが変質していったのがきうちかずひろの『ビー・バップ・ハイスクール』や吉田聡の『湘南爆走族』あたりからだった。あれらのマンガあたりから主人公たちは能天気で、かつひたすら馬鹿になっていき、何の心理的挫折も経験することなく、周囲にそのままの存在で受容されるようになっていった。空虚な内容で、主人公の苦労も経験も成長もないマンガであるにもかかわらず、それが受けたというのは、読者が、苦労も経験も成長もしない自分自身を主人公たちに重ね合わせて自己肯定ができたからである。「オレってバカだけどそれでいいんだ!」って感じか。バカだって努力しなくていいってわけじゃないんだけれども、そこに気がつかないのがバカのバカたる所以である。あるいは「オレ、こいつらほどのバカじゃなくてよかった」という優越感を感じているのかもしれない。 『ワンピース』のクルーの中で、その登場の時点から「孤独」を身にまとっていたのはウソップ、チョッパーくらいのもので(だからこの二人は好きなんだが)、あとはギリギリ、ナミとニコ・ロビンがそれに続くくらいのものである。ゾロなんて「孤高の剣士」なんて紹介されることも多いが、どこをどう見たらアイツが孤高なのか(だからこそ前作『呪われた聖剣』ではゾロをルフィたちとムリヤリ引き離して「孤独」を演出するしかなかった)。ほかのキャラクターが敵に破れることはあり得ても、ルフィとゾロにだけは、それはない(負けても必ず雪辱を果たす)。しかし、そのような「恵まれたヒーロー」であるのは「真っ直ぐなヒーロー」にこそふさわしいのであって、「ヤンキー」がそれやっちゃ、「暴力振るって何が悪い」と開き直って、そんな自分たちの傲慢な態度を読者にも強要しているのに等しい。 『ワンピース』がどんどんつまらなくなっているのは、麦わら海賊団にオタズネモノとしての悲壮感が全くないからである。舞台での国定忠治も底抜けに明るかったが、最後に激烈な死が待っていたことを忘れてはならない(私ゃ『ワンピース』をきちんと終わらせるためにはルフィを死なせる以外に方法がないと思うんだけど、そこまで考えてるかねえ、尾田さん。『七人の侍』のファンだと表明しているのなら、そこまで計算して物語を書いていく必要があると思うんだけれども)。
今度の映画版の監督は細田守さんに代わるそうだから、そのあたり少しはマトモな映画になるかなあとちょっと期待はしたいのだが、すっかり手垢のついた物語に新しい血を注ぎこむことができるかどうか、不安も残る。どっちにしろ、ゲンブツを見てみなきゃ判断は下せないから、見に行こうと思ってはいるけれども。 も一つ気になるのは、公式ホームページ覗いてみたら、トップページに細田さんの名前が全く紹介されてなかったことである。監督交代は結構な事件だと思うのだけれど、そのことが全く紹介されていのはどういうわけかな。監督の名前を気にするのなんてオタクだけで、氣志團の方がネームバリューが上ってか。でも『ワンピース』の場合、氣志團の起用だってどれだけ集客力に寄与するか疑問なんだけど。それとも小学生に氣志團ファンって多いのか?(それを言えば前回の中村獅童と久本雅美の起用もなんだかよくわからなかったなア)
2003年01月08日(水) 肉食ったのよ〜肉食ったのよ〜肉食ったのよ〜(エコー)/『なんてっ探偵アイドル』11巻(北崎拓)ほか 2002年01月08日(火) ココロはいつもすれ違い/『女王の百年密室』(森博嗣・スズキユカ) 2001年01月08日(月) 成人の日スペ……じゃないよ
2005年01月07日(金) |
キネ旬ベストテン発表/『3年B組金八先生 新春スペシャル』ほか |
早朝、しげの帰宅を待ってガストに食事に出かける。 まだ午前の4時だが、私も仕事が早出なので、それまでの時間つぶしのつもりでプラスeの端末で遊んでいたら、なんと『スキージャンプ・ペア』の新作が公開されていた(『スキージャンプ・ペア』を知らない人はここのサイトを参照のこと。とっても楽しいCGアニメです。→http://www.page.sannet.ne.jp/masm/index.html)。 「HALCALI編」と題された3ジャンプで、ハルカとユカリの女子高生ペアが、二人揃ってスキージャンプ、空中でスキューバダイビングして泳いだり尻相撲したり。しかも正選手をふっ飛ばしての乱入だから日本の女子高生恐るべし。 オフィシャルDVDは1、2巻とも買ってるんだけど、この「HALCALI編」もDVDが出てるみたいだ。今度給料が出たら絶対買おう(^o^)。
昨日よりは体調はよくなってきているのだが、まだ本調子ではない。仕事の合間にも、トイレにしょっちゅう行きたくなって困った。大事を取って、今日も半ドンで帰宅することにする。 コンビニで買った弁当を食べて、あとはゆっくり休む。本を読みかけたが、疲れていたらしく、すぐに寝入ってしまって夜まで目覚めず。寝ている間、DVDの予約を仕掛けていたのだが、どうもディスクの調子がおかしくて、うまく録画が出来ない。通常の録画はできるのに、予約録画を仕掛けると、なぜかいきなりアタマでストップしてしまっていた。おかげで田中絹代監督の『お吟さま』を録り損ねる。無念。
『3年B組金八先生 新春スペシャル』。 今日だけ2時間枠なのは、上戸彩をゲストに迎えたためなのだろうが、テレビシリーズの流れの中にいきなり別のエピソードをぶちこんでいる形になっているので、話の流れがぶつ切りな印象。 上戸彩は性同一性障碍の少女(心は男)を演じているのだが、『インストール』の時よりもずっといい表情をしている。山口百恵にちょっと面差しが似ていて、影を感じさせるところがあるので、こういうフクザツな役の方が似合っているのだろう。「男」としての演技もなかなかのものだったし、何より男性ホルモンを打とうとする直前の不安感を、実にそれらしく演じていたのがよかった。武田鉄矢の“いかにも”な説教はどうしてもドラマに始末を付けるためのご都合主義にしか見えなかったけれども。 『金八先生』シリーズを今一つ好きになれないのは、第1シリーズの「15歳の母」のころからずっと、リアルで深刻な問題を扱っているように見せかけていながら、結局は「優しい気持ちが人の心を救う」的な理想主義で物語を締めくくる場合がやたら多かったからだ。今回も「虐待」という重い問題を扱いながら、やはり母と子の間には「絆」があるような“救いのある”形で終わらせている。 けれど、現実はもっと厳しい場合だってあるのではなかろうか。親子間にほんのわずかな愛情すらない場合だってあると思う。 脚本家が本気で「現代の中学生の現実」に則ったドラマを作りたいのなら、例えば「佐世保小六殺人」のような事件だって取り上げなけりゃウソだと思うが。
あとはミステリチャンネルで『心理探偵フィッツ』第1話『過去のない殺人者』前編。これは後編まで見ないとコメントのしようがないね。
キネマ旬報が、昨6日、2004年の邦画、洋画のベストテンを発表した。 例によって、見損なってた映画の方が多いので、私個人のベストテンともかなり内容が違う。後ろにマルを付けているのが私が見ている映画だ。
【邦画】 1.「誰も知らない」(是枝裕和監督) ○ 2.「血と骨」(崔洋一監督) 3.「下妻物語」(中島哲也監督) 4.「父と暮せば」(黒木和雄監督) 5.「隠し剣 鬼の爪」(山田洋次監督) ○ 6.「理由」(大林宣彦監督) ○ 7.「スウィングガールズ」(矢口史靖監督) ○ 8.「ニワトリはハダシだ」(森崎東監督) 9.「チルソクの夏」(佐々部清監督) 10.「透光の樹」(根岸吉太郎監督) 【洋画】 1.「ミスティック・リバー」("Mystic River",クリント・イーストウッド監督) ○ 2.「殺人の追憶」("Memories of murder",ポン・ジュノ監督) 3.「父、帰る」("The Return",アンドレイ・ズビャギンツェフ監督) ○ 4.「オアシス」("Oasis",イ・チャンドン監督) 5.「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」("The Lord of the Rings: The Return of the King",ピーター・ジャクソン監督) ○ 6.「オールド・ボーイ」("Oldboy",パク・チャンウク監督) 7.「モーターサイクル・ダイアリーズ」("The Motorcycle Diaries",ヴァルテル・サレス監督) 8.「シービスケット」("Seabiscuit",ゲイリー・ロス監督) 9.「春夏秋冬そして春」("Spring, Summer, Fall, Winter... and Spring",キム・キドク監督) 10.「ビッグ・フィッシュ」("Big Fish",ティム・バートン監督) ○ 【個人賞】 ■監督賞 崔洋一 (「血と骨」) ■脚本賞 崔洋一、鄭義信 (「血と骨」) ■主演女優賞 宮沢りえ(「父と暮せば」) ■主演男優賞 ビートたけし(「血と骨」) ■助演女優賞 YOU(「誰も知らない」) ■助演男優賞 オダギリジョー(「血と骨」) ■新人女優賞 土屋アンナ(「下妻物語」) ■新人男優賞 柳楽優弥(「誰も知らない」) ■ 外国映画監督賞 クリント・イーストウッド(「ミスティック・リバー」)
日本映画は『誰も知らない』『父と暮せば』『下妻物語』『血と骨』の4本の争いといった印象で、そのうち『誰も知らない』1本しか見ていない現状では、このベストテンにどれだけ妥当性があるのか批判のしようもないのだが、予告編を見て好きになれそうにないと判断した『血と骨』を除けば、あとの2本を見損なってしまったのは痛恨の極みである。2本ともしげを何度となく誘ったのだけれども、全然興味を示してくれなかった。しげの映画に対するアンテナの感度がいかに悪いか、そのおかげでこれまでにもたくさんの名作を見逃すことも多くて、毎年悩まされているのである。だいたい仮にも「演劇人」を名乗っていながら井上ひさしの『父と暮せば』を見逃すというのは大馬鹿である。舞台版だってあいつは見ようとしなかったのだからなあ。 先日の日記にも書いたことだが、悲しいことに一般人がどんなに頑張って映画を見に行っても、年間80本から100本程度が限界である。これでは到底ベストテンなんて選べるものではない。けれど、『キネ旬』の評論家たちにしたところで、せいぜい200本から300本程度しか映画を見てはいないと白状しているのだから、実はこのベストテンにだってたいした意味はないのだ。文化庁メディア部門のアニメーション賞を受賞した『マインドゲーム』がベストテンにも入ってないことを考えても、相変わらず『キネ旬』の選考委員の大半がアニメーションに対して偏見を持っていることが明白である。プロを僭称するエセ評論家の投票の集計に、あまり過大な価値を求めちゃいけないだろう。 『誰も知らない』がカンヌで主演男優賞を取っていなかったら多分ベストワンになることはなかっただろうし、洋画で『ミスティック・リバー』がベストワンになったのは、アカデミー賞が『ロード・オブ・ザ・リング』一色になってしまったことに対する反発があったろうと推察される。所詮、ヒョーロンカの選ぶベストテンなんて、誰ぞの顔色を伺いながらの政治的産物に過ぎない。 そんなのに比べれば、他人の批評なんぞ気にせずに選んだ自分のベストテンの方がまだしも訴える力があるように思えるのだが、だからと言って、例えば『盲獣VS一寸法師』を万人に勧める気はないので、そこは勘違いなさらぬよう(^_^;)。
2003年01月07日(火) 顔のない時代、歌のない時代/『全日本ミス・コンビニ選手権』(堂高しげる)ほか 2002年01月07日(月) 食い放題に泣く女/『エンジェル・ハート』2巻(北条司)ほか 2001年01月07日(日) ああ、あと三日休みが欲しい(贅沢)/アニメ『人狼』ほか
2005年01月06日(木) |
触んなきゃできない演技指導なんてない/『金魚屋古書店』1巻(吉崎せいむ)ほか |
昨日に続いて、下痢、咳が止まらず、仕事休み。明日は何とか出勤しないとなあ。 そんなわけで、今日もテレビ見て本読んで寝て過ごす1日だったのだけれども、感想全部書いてたらキリないので簡単に。
昨日(つか今朝)WOWOWで再放送してた『伊東四朗一座 熱海迷宮事件』を録画して再見。前に録画してたのはアナログ放送分だったので、今回はデジタルで。何がどう変わってるのかは実はよく分かってないのだが。 ギャグはかなり古く、それは実はあえてそうしていることなのだけれども、今の若い人が見るのにはかなりつらい部分がないだろうか。いや、ギャグの古さと言うよりは、三宅裕司のセリフ回しのヘタクソさがギャグの古さを際立たせているのである。もうかなり前から私は三宅裕司はコメディやる以前に役者の勉強した方がいいんじゃないかと思ってるんだけれども、ホントにいつまで経っても芝居が上達しない人である。伊東四朗の使い方にしても、三谷幸喜の方がはるかに上手い。
デジタル放送に切り替えたおかげで見られるようになったテレ朝チャンネルで、『家政婦は見た2 エリート家庭の浮気の秘密 “みだれて…”』を放映。 第1作だった『熱い空気』は松本清張原作なので、実質上のシリーズ第1作はこの『2』の方になる。市原悦子の「石崎秋子」という役名もこの第2作から(第1作のときは「河野信子」)。でもそのフォーマットはちゃんと松本清張の原作に則っていて、家政婦が覗き見た事実のウラに更にもう一つの真実があったというミステリー的どんでん返し、また、最後に覗き見の罰として手痛いしっぺ返しを家政婦が受ける結末も第1作と共通していることなので、『2』以降の作品にもちゃんと原案者としての清張さんの名前をあげとかなきゃいけないんじゃないかと思う。 今じゃとてもやれないだろうが、働き先の中学生と石崎秋子が妖しい関係になりかけるというのは、そう言えば市原悦子って、昔は“そういう役”が多かったんだよなあと感慨深い。娘役で、初代「地球防衛少女イコちゃん」の磯崎亜紀子が出演しているのもポイント高し。って金沢碧や梶芽衣子のラブシーンよりそっちの方に目が行っちゃうってのは、昨今の世情を考えるとチトマズイか(^_^;)。
夜はWOWOWの蜷川幸雄特週で、『魔性の夏』と『嗤う伊右衛門』の2本。 舞台の蜷川さんの、その場の空気を凍らせるような演出も、映像だとそこまでは行かない。そこそこ出来がいいだけに、「この程度の作品で蜷川幸雄を評価してもらっちゃ困る」との思いがどうしてもしてしまうのである。総じて舞台演出家の映像作品は、舞台と比べると数段落ちるものになってしまっているが、蜷川さんはもっとすごいものを作れるはずだから、せめてもう1、2本は映画を作ってほしいと思ってるんだけれども。
マンガ、吉崎せいむ『金魚屋古書店』1巻。 第1巻だけれども、『金魚屋古書店出納帳』シリーズ2巻の続編。実在のマンガを題材にして、マンガへの熱い思いを語るこのシリーズ、好きは好きなんだけれども、「今の若い人はここに紹介してるマンガの殆どを知らないんだろうなあ」と思うと寂しくもなるのである。『ビリー・パック』などは私が生まれる前のマンガだが、それでも復刻や雑誌掲載などで一部を読んだことはあるし、我々の世代までの人間の多くが過去の作品だって渉猟することに何の苦労も感じてなかったんだが。 つかねえ、このマンガで紹介してるマンガって、「知る人ぞ知る」ようなマニアックなものじゃなくて、60年代〜80年代に生きてた一般人なら誰でも読んでたような超有名なマンガばかりで、オタク臭いのは殆どないんだから、今の人だって、少しは昔のマンガに目を向けてもらいたいと思うのだが。21世紀に入って、『Dr.スランプ』を読んだことがない若い人がゴマンといるって事実がもう悲しくて仕方がないのである。 特におススメなのは、『お江戸でござる』の杉浦日向子女史による『百日紅』。画狂老人葛飾北斎と、その娘お栄の日常を描いた、表面上は静かな、しかしその内面は愛憎渦巻いているトンデモない傑作。マンガ家志望の人なら、一度は読んでおくべきマンガである。
マンガ、駒井悠『そんな奴ぁいねえ!』10巻。しげが惰性で買ってるマンガなんで特に感想はなし。キャラクターの区別がつきにくい4コマは見ててツライ。
アメリカの映画TV情報サイト“Zap2it”が、先月31日、2004年のベスト映画とワースト映画を発表している。以下はそのリストだけれど、これもやはり日本人の感覚とはかなり差異があるのであった。
Zap2it's Best of 2004 List 1. "Phantom of the Opera" 『オペラ座の怪人』 2. "Kinsey" 3. "Finding Neverland"『ネバーランド』 4. "Motorcycle Diaries" 『モーターサイクル・ダイアリーズ』 5. "Eternal Sunshine of the Spotless Mind"『エターナル・サンシャイン』 6. "Hotel Rwanda" 7. "The Merchant of Venice"『ヴェニスの商人』 8. "The Incredibles"『Mr.インクレディブル』 9. "The Aviator"『アビエイター』 10. "Alexander" 『アレキサンダー』
Zap2it's Worst of the Year List From the most to the least offensive-- 1. "Around the World in 80 Days"『80デイズ』 2. "Brown Bunny"『ブラウン・バニー』 3. "Yu-Gi-Oh!" 『遊戯王』 4. "Welcome to Mooseport" 5. "Alfie" 6. "Twentynine Palms" 7. "Laws of Attraction" 8. "Soul Plane" 9. "The Forgotten" 10. "A Love Song for Bobby Long"
さすがにワーストには日本未公開のものが多いね。ベストも今年日本公開のものが多いから、これからが楽しみといところだろうか。 ファン投票によるものなので、批評家賞であるゴールデングローブ賞のノミネート作品ともかなりズレがある。特に『オペラ座の怪人』などはその乖離が激しい。批評家からは散々酷評されているので、見に行くかどうか迷ってしまうのである。 『80デイズ』がワースト、というのは、ジャッキー・チェンが主演になっていることの反発が強かったのではなかろうか。確かにどこから見ても中国人のジャッキーにフランス人のパスパルトゥーを演じさせるというのはムリがあるし、ヴェルヌの原作を無視して設定を改変、中国のシーンを大幅に増やしたことに腹を立てた人もいただろうことは予想はつくが、だからと言ってワーストに置くことはない。第一、中国でのカンフーシーンはジャッキー自身は撮影することを渋っていたのだ。ワースト評価に人種偏見の匂いを感じ取るのは穿ちすぎだろうか。
巷のニュースに関して、最近はあまりコメントはして来なかったけれど、気になるのがいくつかあったのでコメント。 女優志望の中学三年の女の子に、「演技指導」と偽って、ワイセツ行為をしたとして、劇団「テアトル・ド・パラード」主宰の演出家、三村創こと岩窪多摩緒と芸能プロダクション「銀の船」経営、宮沢久美子の二容疑者が逮捕された。取り調べに対して、二人はあくまで「演技の指導だった」と容疑を否認しているそうだけれども、被害者の女の子には「これからする行為は他言しない」という内容の同意書に署名させてたそうだから、公明正大に演技指導してるんだったら、そんな念書を書かせる必要はなかったはずである。だいたい、「ベッドに寝かせ、下着を脱がせて胸を触った」「足を開かせて……」なんて演技指導があってたまるか。 私も演劇関係者のハシクレであるから、世間一般の人が「演出家とかが演技指導の名のもとに女の子のカラダに触ることって多いんじゃないか」とか誤解したらいけないということで注釈を付けさせて頂く。 確かに、指導者が演技者の腹筋の様子を見るために、発声中の役者の腹やワキに触れるということはある。姿勢が悪ければ、肩や背中を押したりして矯正させることもないわけではない。しかし、それは練習着の上から行えることで、裸にする必要は全くない(それどころか裸にすれば触らなくても腹が動いてるかどうかは見て分かるってば)。別に指導者が触らなくても、腹筋の動きは役者自身が自分で手を当てて確認することができるものだし、たとえ初心者で自分の腹筋が動いているかどうかよく分からない場合であっても、オトコに触ってもらわなきゃならないものではないのだ。他の女性の劇団員に確認してもらえばよいことなのに、その「テアトルなんたら」には女性劇団員が一人もいなかったとでも言うのであろうか。姿勢の矯正の指示などは口頭で充分で、いわんや胸を触ったり足を開かせたり、なんて演技指導はありえない。 ネットでもう少し情報を調べてみると、そもそもこの劇団の存在そのものがかなり胡散臭い存在であったことが分かる。結成が2003年1月とそう昔ではないのだが、第1回公演の時点で既にトラブルを起こしている。代表世話人に迎えたある女優さんと演劇に関する方向性の違いから袂を分かっているのだが、ホームページ(現在は閉鎖)上ではその女優さんが未だに劇団に所属しているかのように写真を無断で掲載し続けていたのである。どうやら「代表世話人」という肩書きもその女優さんにとっては予想外のことで、劇団の指導も2ヶ月に1回程度、発声指導をしに行っていただけで、三村容疑者ともここ一年ほどは全く音信不通の状態だったようだ。 小さな劇団の主宰者が、劇団存続のためのハク付けとして、有名人の威を借りたくなった心情も分らないではないのだが、役者や劇団自体に実力、あるいはそれを要請しようという基盤がなければ、結局は何をどうしたところで「未来」は生まれない。客を呼ぶための努力を否定するわけではないが、自らの表現者としての意義を忘れ、劇団の存続自体を目的としてしまうのは本末転倒である。いったい「テアトルなんたら」には、演劇を通して自分たちを表現したい何があったというのだろう。劇団を隠れ蓑にワイセツ行為をしたかったただけじゃないのか。 「芸のためなら女房も泣かす」ではないが、役者、必ずしも道徳者であるとは限らない。「浮気は芸のコヤシ」というような不道徳を賞揚する感覚を残している役者は今でも決して少なくはない。具体的な人名を挙げることは避けるが、浮気事件が発覚して、マスコミに吊るし上げられた途端に堂々と開き直ってそう主張していたアノ俳優、コノ俳優を想起していただきたいのだ。だが、果たして彼らは、本気で自分の芸を磨くためにあえて不道徳に身を置いていたのだろうか? 私にはとてもそうは思えないのだが。 ハッキリ言うが、役者本人が道徳的な人間かそうでないか、そんなことと彼の演技とは何の関係もない。演技は役者の「想像」の産物である。極端な話、童貞の男が百戦錬磨のプレイボーイを、男漁りの女が処女を演じられなければ、それは到底「演技」として認められない。『藤十郎の恋』はヘタな役者の言い訳に過ぎないのだ。 そんな演技の基本も分らない役者モドキが跋扈している現実を思えば、残念ながら今回の事件が氷山の一角に過ぎない可能性も否定はできない。軽いセクハラなら、あちこちの劇団で起こっているのかもしれない。弱小劇団の主宰者が「私に逆らうと役に付けないよ」なんて言って脅迫するのは何様のつもりってなもので笑止ではあるが、本当に有名な俳優から強要されたら、断われないで泣き寝入りしてしまう例はありえることなのではなかろうか。多分、そういう連中から見れば、今回の事件も「女の子に触りたきゃフーゾクでガマンしときゃよかったのに」程度の感覚で捉えられてしまっているんじゃないかと、暗澹たる気分になる。 多くの役者が、自分の仕事をスケベエを正当化し行使するために利用しているのなら、また世間もそのように役者全体を見ているのなら、こんなに腹立たしいことはない。誓って言うが、ウチの劇団じゃこんなことは全くないぞ。女から男への逆セクハラはやたらあってるような気もするが(^_^;)。
2003年01月06日(月) 食えないモノを食う話/『名探偵コナン 揺れる警視庁1200万人の人質』/『ジャイアントロボ誕生編』(伊達憲星・冨士原昌幸)ほか 2002年01月06日(日) 言えない話と男の優しさと英語落語と/『西岸良平名作集 蜃気郎』1巻(西岸良平)ほか 2001年01月06日(土) ああ、今日は土曜か。今気づいた(^_^;)。/映画『ビッグムービー』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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