無責任賛歌
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2003年01月06日(月) |
食えないモノを食う話/『名探偵コナン 揺れる警視庁1200万人の人質』/『ジャイアントロボ誕生編』(伊達憲星・冨士原昌幸)ほか |
体調、昨日よりさらに悪化。 仕事しててもヘロヘロなので、有休を取って帰宅する。 毎年ね、「今年こそはバッチリ仕事するぞ」とか考えるんだけどね、気合を入れた途端に風邪引いたりすること多くてさあ。しかも、熱がほとんど出ないもんだから、長引くことったら。 悪い咳が出てるしなあ、今回もチト苦しめられそうな。 せっかく昼どきに帰ってきたのだから、しげと食事を一緒にしようかと思ったら、「先約があるから」と断られる。てっきり鴉丸さんあたりとの約束かと思って「誰と?」と聞いてみたら、「ゴロちゃん(=円谷君)」と言う。 「珍しいな。なんでまた?」 「餃子食いに行くんよ」 「餃子ッて……どこの?」 「あの○○○の○○○○○○の○○の店」 「……あのクソマズの!?」 なにしろ、中の具が全く煮えてなくて半生、皮もベタベタネトネトと脱脂粉乳の皮膜で作ったよう、ゲロマズ、腐ってる、臭い、吐きそう、サイテー、エンガチョ、人間の食いもんじゃねー、どんな言葉を使っても譬えられないほどにマズい餃子で、最初に食ったのはもう何年前か、二度と食いたくないと二人して語り合ったものだったが、それをどうして今更。 「昨日の練習のときにゴロちゃんにその餃子の話したら『食べてみたい』って言うから」 「で、今日食べに行くって約束したん?」 「そう」 「円谷君は、ばかか?」 もちろん、バカなのであろう。 でも、本人が「食いたい」と所望しているものを、わざわざ止めるというのも余計なお世話であろう。まかり間違って、「味がよくなってる」可能性だって、ないとは言えないではないか。 そうしげに伝えたら、「そうなんよ、もし美味しくなってたらどうしようか」 ……そんなに不味い餃子を食わせたいんかい。もしかしてしげ、内心円谷君を嫌ってないか。 なんとなく展開が不安になったので、一緒に付いて行こうかと思ったが、立ち眩みがしたので中止。家でしげの報告を待つことにする。
数時間後、帰宅したしげに顛末を聞いて見る。 「どうだった? 味は」 「あ? 不味かったよ」 「円谷君の反応は?」 「一口目はね、『こんなもんですか?』とか言ってたんだけど、二口目で『しげさんの言う気持ち、分りました』って」 やっぱりわざわざ自分のバカを確認しに行ったようなものである。 これほどにマズいものを売ってる店がよく潰れずに残ってるなあ、とは私も疑問に思わないではない。全部食い切れずに吐いて残す客だって相当いるんじゃないかと思う。 けれどこの店、意外や意外、以前某マンガで「博多の美味い店」として紹介されているのだ。「なんだ、実は美味くって、アンタの舌がおかしいだけじゃないの?」と突っ込まれそうだが、マンガを読む限り、その作者が食べたのはラーメンだけで餃子は食べていないのだ(ラーメンは普通のとんこつ味である。私は嫌いだが、これは好みだろう)。 とにもかくにも、そういう「お墨付き」の与えられた店に対して文句をつけるのには、お客さんたちも抵抗があるのだろう。私だって毒盛られたわけじゃなきゃ黙ってるよ。 味覚は主観に左右されることが多いから、「ホントにそこまでヒドイの?」と仰る向きもあろうが、今のところ、「マズいけど食う?」と忠告したにもかかわらず果敢に挑戦し、「美味かった」はおろか「それほどでもないんじゃない?」と言った人間はただの一人も存在しない。 それでも「食べてみたい」と仰る奇特な方には場所を教えるに吝かではないので、メールでも下さいな。ただしあとの責任は一切負わないし、「やっぱりマズかったやんけ!」なんて言われても、「アホ」のひとことしか返しません。
しげ、それから職場の飲み会があるというので誘われて出かけて行ったが、そのまま朝まで帰ってこない。飲み出したらとまらねえもんな、あいつ。 通常、こういう場合、夫は妻の浮気なんかを心配するもののようにも思うが、そんな気に全くなれないのはなぜなんだろう。やっぱりそれだけ妻を信頼しているからなのだな(^o^)。
テレビで『名探偵コナンスペシャル 揺れる警視庁1200万人の人質』。 佐藤刑事&高木刑事のラブラブ編&連続爆破犯を10年に渡って追い続ける話。 原作付きだけれど、冒頭に「萩原」って刑事が殉職する話を追加。萩原が死んで松田が死んでって……まあ、元ネタは明らかだけれど、カッコつけてるだけで内面のないキャラがいくら死んだって、訴えるものはなにもない。回数が増えた分、くどい印象しか与えない。萩原も松田も、爆弾解体作業中に何をムダ話してやがるかコイツって感じだしなあ。 犯人の「仕掛け」は、爆弾の爆破3秒前に、次の爆破予定地が表示される、というもの。 爆弾の仕掛けられた観覧車に閉じ込められた松田刑事、それを読むまでは爆弾を解体できず、読んで佐藤刑事の携帯に場所を送信している間に3秒は過ぎ、爆死……ってんだけど、まあ、10年も前に携帯が普及してたのかってツッコミは置いといても、爆弾止めてから場所を送信すればいいじゃん? と考えたのは私一人じゃないはず。松田刑事、サルか……と思ってたら、あとでコナンが全くその通りのことをして爆破を回避しちゃうんだものなあ。これじゃ松田刑事、無駄死にどころかただの「バカ死に」である。 今回の事件では、コナンと高木刑事がタワーのエレベーターに閉じ込められるのだけれど、犯人、以前は素直に次回の爆破予告地を教えてたのに、なぜかそれを暗号化。犯人がよりイジワルになっているってことなのかもしれないが、だったらいっそのことウソの予告をすりゃイイんじゃないかね。この犯人、妙なところで正直である。 このときの暗号、原作読んだときにも思ったが、ただのコジツケで暗号なんて言えた代物ではない。“detective(探偵)”をひっくり返して“evit……”で「帝丹高校」を示すってねえ……。いや、話の流れから帝丹高校が狙われてるってのはバレバレだから、その分、暗号のコジツケ具合が目立って興を削がれることおびただしい。
でも、そういう細かいところはまだまだマシなところで、一番情けないのが、犯人の動機に関する描写の中途半端さなんだよなあ。 もともと犯人はただの金目的、動機に同情の余地は一切なかったんだけれど、途中、仲間が警察のダマし打ちで死んだと錯覚して、警察への復讐がメインになってくる。こうなると盗人にも三分の理じゃないが、視聴者の犯人への同情だって少しは生まれてくる。少なくとも、犯人の誤解は解かないとって展開は当然期待されるのだが、これが全くない。 いったいなんのためのネタ振り? と思ってたら、ラスト近くで、松田刑事の復讐の念に駆られた佐藤刑事が思わず犯人を射殺しようとしたのを、高木刑事が止めたときのセリフにそのワケがあったのだね。 「何やってるんですか、佐藤さん。いつも、佐藤さんが言ってるでしょ。誇りと使命感を持って、国家と国民に奉仕し、恐れや憎しみに囚われずにいかなる場合も人権を尊重して公正に警察職務を執行しろって、そう言ってたじゃないですか。そんなんじゃ、松田刑事に怒られちゃいますよ」 つまり「犯人の人権」を尊重しろ、と言いたいわけだ。けれど、リクツではそうでも、描かれる犯人に同情の余地が全くなければ、「なんでこんなやつの人権まで保障してやらなきゃならんのだ」と、いう感情はどうしたって動く。マンガはリクツじゃないんだからさ。そのために「盗人に三分の理」を与えたってワケだ。姑息だねえ。 「こんなやつのために松田君が!」って佐藤刑事の怒りも、犯人の「警察めハメやがったな」も、どちらも両立させようとするからこんな中途半端な描写になる。ミステリという現実の世界に根差したドラマを作ろうってんなら、たとえ子供向けアニメでも、いや、子供向けアニメだからこそ、こういう「正義とは何か?」「罪とは何か?」って命題を適当に扱っちゃマズイでしょ。 「なんで佐藤刑事、犯人を撃たなかったの?」 「どんなに悪い人でも、勝手に殺しちゃいけないんだよ。ちゃんと裁判にかけないと」 「かけたら死刑になるの?」 「なるときもあるし、ならないときもあるね」 「ならなかったら、あの犯人、また同じような事件起こさない?」 「どうかなあ、反省してもうしないんじゃないかなあ」 「……ふーん」 もちろんこの子、は犯人が反省なんてしないだろう、と思っている。でもそれを口に出しはしない。「これ以上、オトナと会話したって意味ない」と悟ってるからである。キャラ萌えのミーハーな客と違ってさ、子供はバカじゃないんだからね(バカなのもいるが)。 子供向けアニメだからこそ、理想を語るのならもうちょっと強い基盤を持ったドラマを作ってほしいんである。『コナン』の諸作がつまらないのは、結局は作り手のオトナの根性が座ってないからにほかならない。
『コミック1971』vol.2(週刊アサヒ芸能増刊1月24日号/徳間書店・390円)。 1970年から数えて1年ごとに、その年の代表マンガを再録していくシリーズの第2弾。昭和で言えば46年、私は小学三年生で8歳だった。 今回の巻頭を飾るのは、石森章太郎『仮面ライダー』の第1話。カラー原稿が4ページ分復刻されているが、本来は16ページであった。どうせなら全ページカラー復刻してほしかったけれど、そうすると390円って値段が維持できないんだろうなあ。 当時の記憶をよみがえらせてみると、石森さんの描線が随分「ザツ」になってしまったことにショックを受けたものだった。もちろんこの後もっともっとザツになっていくのだが、マンガ家としての石森章太郎の頂点はこの前年、昭和45(1970)年だったのだなあ、と今にして思う。作品の完成度、という意味で考えれば、『リュウの道』が最高傑作、ということになるか(『家畜人ヤプー』という説も(^o^))。 それでも原作版『仮面ライダー』はテレビ版よりも圧倒的に面白い。結果的に未完(?)の形で終わってしまったが、二人のライダーにはもっともっと孤独な闘いを続けてほしかったと思う。
他の収録作のうち、注目すべきはあすなひろしの『寒いから早く殺して』や安部慎一の『背中』など。どちらも青年誌に発表されたもので、小学生だった私はリアルタイムで読んではいない。今や入手困難な二人の珠玉の作品が雑誌形式であれ読めるのは喜ばしい。 永井豪の『くずれる』は『少年マガジン』で読んだ。ラストが怖くて、当時は二度読み返せなかった。
1971年。 当時の社会の出来事を年譜で辿ってみても、覚えているのは「左卜全死去」「大鵬引退」「大久保清の逮捕」「イタイイタイ病」「円、変動相場制へ」「黒澤明自殺未遂」ぐらいのものか。でもそういった社会的な「事件」は小学生にとってほとんど対岸の火事だった。左さんの死去と大鵬の引退は悲しかったが。 ともかくこのころ、私にとっての「世界」は全てテレビの中にあった。 ドラマでは『宇宙猿人ゴリ』『天下御免』『おれは男だ!』『なんたって18歳』『大忠臣蔵』『繭子ひとり』『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』『好き!好き!!魔女先生』『美しきチャレンジャー』『ぼてじゃこ物語』『つくし誰の子』『刑事くん』『浮世絵・女ねずみ小僧』『シルバー仮面』『ミラーマン』(最後の2本は裏番組どうしで、チャンネル変えまくって見た)。このへんは全部見ていたし、アニメはもっと言わずもがな。 『カバトット』『アンデルセン物語』『さすらいの太陽』『新オバケのQ太郎』『天才バカボン』『ふしぎなメルモ』『さるとびエッちゃん』『国松さまのお通りだい』『アパッチ野球軍』『ゲゲゲの鬼太郎(新)』『スカイヤーズ5』『ルパン三世』『原始少年リュウ』、これでは外で遊ぶヒマなんて全くなかったのは当たり前だ(^_^;)。 昭和ガメラシリーズの最終作、『ガメラ対深海怪獣ジグラ』を“日活の映画館”で見たのもこの年(経営悪化していた大映は、最後には日活と合併していたのである)。大映倒産のニュースは学校の帰り道で友達から聞いた。「来年からもうガメラが見られない……」この年最大のショックな出来事だったかもしれない。 ほかに劇場まで見にいった映画は、『キングコング対ゴジラ』『どうぶつ宝島』『アリババと40匹の盗賊』『ゴジラ対ヘドラ』(教室で「水銀コバルト……と歌って、いやがられたなあ)『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 三大怪獣地上最大の決戦』(ラドンがタイトルにいないじゃん、と怒っていた)。小学三年生だから、一般映画なんか見ない。 けれど、『どうぶつ宝島』から『アリババ』に移行した途端、東映動画の脚本も作画もガクンと下がったのはガキの目にもハッキリ分った。「セル枚数使ってないじゃん!」とか考えてたんだから、8歳のクセに生意気なガキではあった。 後にわかったことだが、この間に宮崎駿を始め、東映動画のベテランがごっそりと退社してたのである。
もう、30年以上も昔だ。しげもこの世に陰も形もなかったころ。 ドラマのタイトルを眺めていると、あのころの感覚が、今でも自分の中に残っていることに我ながら驚きを覚える。オトナの目からは生意気に映ってたかもしれないが、本人は素直にいいものはいい、悪いものは悪い、と判断していたのである。 クラスの担任はサカイケイコ先生。独身で美人で優しくてエコヒイキがなくて、私が今まで出会ってきた先生の中で一番素敵な人だった。二年後にはインケンでイジワルでオバサンなクソタワケが担任になるので、このころが私の一生で一番幸せだったころかもしれない。 「昔に戻りたい」という感覚は私にはあまりないのだが、1971年にならちょっと戻ってみてもいかな、と思う。
『トラマガ』vol.3(インフォレスト・690円)。 雑誌名より新連載の『ジャイアントロボ誕生編』のロゴの方が大きいのは前号と同じ。正直な話、『トラマガ』が潰れずに続くかどうかは、この『ジャイアントロボ』にかかってるかもしれないなあ。ほかの連載、あまりに弱すぎるし。 アニメの続編がポシャッてマンガに、というのは『機動戦士ガンダム クロスボーン・バンガード』という前例がある。まあ完全にお蔵入りになるよりは続編を見られた方がいいに決まっているけれど、やっぱり「アニメで見たかった」という思いは強い。脚本の「伊達憲星」、十中八九、OVA版の監督の今川泰宏の変名だと思うけど、「『地球が静止する日』以外にもアレとコレと、ストーリーはたくさんある」と散々ハッタリかましてくれたんだから、キチンと始末はつけてほしいものだ。 とりあえず誕生編の第1話、派手な展開で見せてはくれる。 気になるのは、草間大作がいきなり記憶喪失だったり、銀鈴がBF団の一員だったり、村雨健次が「ネルソン沢田」という名前で出てきたり、氷室博士のデザインがなぜかOVA版のシズマ博士(『鉄人28号』のドラグネット博士)と同じだったり、OVA版と比較してみると、微妙に設定が違うところ。作者はちゃんと整合性を取るつもりなのか、もう完全な仕切り直しでこれまでの設定は無視するつもりなのか、今のところまだ判別がつかない。 けれどBF団のエージェントNO.5が「衝撃のアルベルト」であることはまず間違いないな。仮面の上からまで葉巻くわえてるのはご愛嬌だけれど(^o^)。 冨士原昌幸さんの作画も、以前のコミック版の水田麻里さんに比べると画面構成に元気があって遥かにいい。デザインの山下明彦さんの「味」がイマイチ出ていないのはちょっと残念だけれど。
今年の流行語対象が早くも「ウェー、ハッハッハ」に決まりそうな気配である(^_^;)。北朝鮮のメディアに出てくる人たちのイッちゃってる様子っつーか、気持ち悪さというのは、戦前の日本を鏡に映してるみたいだなあ、と思ってたんだけれど、時代劇の影響も受けてないか。なんだかあの喋り方に団徳麿あたりをイメージしたのは私だけでしょうか(古すぎだって)。
2002年01月06日(日) 言えない話と男の優しさと英語落語と/『西岸良平名作集 蜃気郎』1巻(西岸良平)ほか 2001年01月06日(土) ああ、今日は土曜か。今気づいた(^_^;)。/映画『ビッグムービー』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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