無責任賛歌
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2002年01月06日(日) |
言えない話と男の優しさと英語落語と/『西岸良平名作集 蜃気郎』1巻(西岸良平)ほか |
今日も朝から日曜出勤。おかげで『アギト』を始め、朝の番組は軒並み見られず。 最終回が近いものばかりだってのに、どうしてこんな時に仕事をさせられるのか。 ええいこれはオタク差別だ、この世からオタクを消してしまおうとする陰謀だ、きっとそうに違いないと歯噛みつつ、マジメに仕事。 小心者だから職場に「アニメ見るので休みます」とは言えない(もちろん小心者でなくたって言えない。そんなことくらいはわかってますってば)。 こういう時にはたいてい面白いことが起きるんだが、その辺、アップできないのが残念なんだよなあ。 私自身は実は全くモラルのない人間なので、他人のことなんか一切考慮せずに、仕事場で起こった出来事をそのまんま書き散らしたりしたくなる衝動がしょっちゅう起こるんだが、社会的にはモラルを重視せねばならない立場にいるので、そうもいかないのである。 それでも「この世の中にギャグにしていけないものなんて何一つないんだ!」と言うとり・みきさんの叫びはココロの励みになる。「世の中言っていい事と悪いことがある」なんて偽善に従ってたって、つまらないものね。 定年退職したら思いっきり書き散らしてやろう。 そのためにもあと20年は生き続けたいのである。
仕事帰りはタクシー。 しげが練習に行っているので久しぶりだったが、偶然、以前「UFO見たことありますよ」とネタを振ってくれた運転手さんであった。 私の仕事上のことでいろいろ話をしたが、これまたここにはアップできない。外形だけ、差し障りのないように言うと、私は職場では常識がないように言われることが多いが、それは結局「タテマエ」を無視してしまうからなんである。でも、その「タテマエ」が大きなひずみを生んでいることは、世間の「常識」なんで、そのことを指摘するとたいていの人から大いに頷いてもらえる。 私を知る人は信じないかもしれないが、たいていのメンタルテストで私は「無難な常識人」と出てしまうのだ。もちろん、私自身、そんなの信じちゃいないが、「常識に基づいて行動しよう」という感覚で選択肢を選べば当然そうなる。その「常識」とは、ウチの職場の常識ではなくて、「世間知」としての常識である。 ちなみに、ウチの職場の「常識」に基づいて受けると、これがたいてい「ブラックリストタイプ」になるのな(^o^)。 ウソのようなホントの話である。 運ちゃんからは降りる時に「がんばってくださいね」と激励されてしまった。「自分が正しい」と思いこんでるやつらしかいない中で仕事をするってのも並大抵ではないよなあ。 そのへん、せめてしげだけでも感じてくれると嬉しいんだけど。
『サイボーグ009』 第12話「なぞの無人島」。 さて、今回のこれはもう完全オリジナルかな。それとも石森さんのSF短編にこんなのがあるのかも。……なんか「ロボットが意志を持つ」ってネタ、あまりに多すぎて、オリジナルだとしたら新味がない。ストーリー的に必要な話とも思えないし、なんでこういう話を挿入するのか? 偵察機トルドーで食料調達に出かけて遭難し、無人島に漂着した005、6、7。まあ、このメンツってだけで「ギャグ編」だってことはわかるけれど、そのわりに余りギャグが利いていない。ヒドイと言うほどではないが、作画のキレが悪いせいで笑えないのだ。 三人が沼や岩場や流砂で立往生するシーンを、画面の切り替えでなんとかギャグっぽく見せようとしているが、この効果がともかく薄い。そのあとの007のリアクションが枚数不足で不充分なせいだ。 無人島は、ブラックゴーストの廃棄された軍事施設だったとわかり、一行は監視ロボットと出会う。006とこのロボットの間に友情が芽生え、三人の危機を救う、という展開はもう充分読めるんだから、演出に工夫がないと楽しめるものではない。 どうして「ロボットに意志なんてあるはずがない」というアンチテーゼをきちんと見せておかないのかなあ。意志のないはずのロボットが意志を見せる、そこに感動が生まれるのは『ジャイアントロボ』以来の鉄則だろう。なのに最初から006とロボットが友情を交わしているように描写していったら、予定調和でしか話が終わらないじゃん。『ロボ』は横山光輝でイシモリじゃない、というご指摘もあろうが、だったら『大鉄人17』はどうなるのか。『ロボ』のパクリ、と言われてもしかたがないぞ。しかも稚拙な。 こういうのを典型的な「シロウトの脚本」というのだ。外形だけなぞって魂がこもってないっていうことだね。脚本の根本歳三、『キカイダー01』に続いての脚本で、多分これ以前に脚本経験はない。なぜよりによって『009』にシロウトを使うのよ。義理かコネか? ……せめて構成の大西信介がダメ出ししててくれたらと思う。それとも、それもできないくらい、スケジュールが押してたのかなあ。あとはDVD化する時に作画に手を入れてもちっと面白くしてほしいと思うけれど、最悪ってほどじゃなし、中途半端にまあまあの動きだからほったらかされる可能性も大きいかな。 やれやれである。 「放浪編」はもういいから、いい加減で「ベトナム編」に行ってくれ。
しげの帰宅を待って、また「めしや丼」で食事。 前回と同じく「鶏鍋」を注文する。一旦気に入ったら、同じものをしばらく食べつづけるのが私のクセなんだが、これは栄養が偏る原因にもなる。でも鶏鍋は野菜も入ってるし、それほど偏食ってことにはならんだろう。 それでもちょっと味が濃いかな、と思って肉をしげに分けてやる。 いつものように、しげは「いいと? 肉が減るよ?」と聞くが、分ければ減るのは当たり前だ。それとも肉がほしくはないのか。 「食べ物にだけはアンタ、優しいね」 「だけはってなんだ。なんでもオレは優しいよ」 「……他の人に聞いてみてん、アンタが優しいかどうか」 「みんな言うよ、オレが優しいことに、しげだけが気づいてないって」 「それはアンタが、オレ以外の人間に優しいってことやろ?」 ……肉をもらったってのに、どうして浮気者扱いされなきゃならんのかなあ。
夜、何気なくテレビを見ていると、外国人の女性が、高座に上がって落語を演じている。しかも全部英語で、所々に「ソウゼンジ」とか「アダウチ」とかいう単語が混じる。 なんだなんだ、と番組表を見ると、『NNNドキュメント'02 新春企画 RAKUGOでGO! 英国人女性・ ダイアンが行く』 という番組だとわかった。 女性は、大阪の下町で暮らすイギリス人のダイアンさんで、自分で着物も作り、華道と茶道の師範を持っているとか。 で、彼女は落語を英語圏の人にも知ってほしいと、年末にロンドンで開かれた「日本フェスティバル」に出演しているところなのだ。ダイアンさんの演目は、彼女をこの世界に導いた故・桂枝雀の『宿屋仇』。 ううん、この落語は聞いたことがないぞ。もちろん、英語で聞いていても、間の取り方の悪さは伝わっちゃうし、実際その場の観客が感心しながら見てはいても笑っちゃいないんで、ウケてないんだなあ、ということはわかるが、こういう人がいるのは嬉しい。 「落語が外人にわかるかよ」という意見もあろう。異文化を簡単に移植などできないというのもわかる。確かにそうかもしれないが、だったら、海外からの移植分化で作られてきた日本文化自体を否定することになりはすまいか。 初めは模倣、練られてオリジナル、ということは将来的に充分考えられることだ。スタンダップコメディに対するシッティング・コメディってのが英語圏に生まれたっていいんじゃないかなあ。 別に「日本」が世界共通の言語になることを望んでいるんじゃなくて、新しい文化が生まれることを期待したいんである。 ……それはそれとして、桂枝雀全集のCD、ほしいんだけれど、映像がついてないってのがネックなんである。これがDVDだったら揃えたいんだが……って、だからそんなもん買うカネなんてないってば。
マンガ、『西岸良平名作集 蜃気郎』1巻(双葉社・300円)。 このシリーズも連載時に読んでた記憶があるんだけれど、やっぱり『漫画アクション』に連載されてたのかな? そのへんはもう、ウロ覚え。 ミステリ的にも意外とトリッキィで、『三丁目の夕日』でしか西岸良平を知らなかった私が、彼を見直したキッカケになった作品でもある(だからエラソウに言うなってば)。 タイトルはなんだか「魔天郎」みたいだけれど、これは横溝正史の『真珠郎』にインスパイアされたものと考えていいだろう。小林信彦のパロディもあったし。「○○郎」ってシャレ、犯罪者をイメージさせたりするのかな。 もっとも怪盗の造型としては、若きディレッタント、といった感じで、「真珠郎」の残虐さはない。やっぱりルパンの落とし子で、女性と淡い恋もするが、入れこみはしない。ロボットに化けたりするあたり、乱歩の『青銅の魔人』も入ってる。ドイル他のトリックを流用しているあたりも、できるだけマンガをバラエティに見せようとする作者の意図が見られる。 すごい傑作、というほどではないが、通常の西岸ワールドとは一風違った味わいを楽しめる一冊であることは間違いない。
2001年01月06日(土) ああ、今日は土曜か。今気づいた(^_^;)。/映画『ビッグムービー』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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