無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年01月08日(火) ココロはいつもすれ違い/『女王の百年密室』(森博嗣・スズキユカ)

 仕事が本格的に再開したってのに、鬱、またぶり返す。
 思い出さなければ鬱にもなりようがないのだが、思い出してしまうものは仕方がない。思い出すことで自身のアイデンティティも形成されるのであるから、鬱もまた自分が自分である証拠だ。
 でも、こう鬱が続くと、自分がなんで鬱になってしまったのか、その原因の部分を忘れてたりもしてるんで、あまりアイデンティティの確立とは関係なくなっちゃってるんである。
 バカだね、どうも。


 しげから、「今日は練習があるから、迎えに来れないかもしれない」と聞いていたので、夕方、仕事が終わるとさっさとタクシーで帰る。
 帰宅してみるとやっぱりしげはお出掛け中。
 念のため、携帯に連絡を入れてみるが、つながらないので、「帰ったよ」とメッセージだけ入れておく。

 あとでしげから聞いたのだが、このとき実は、しげは鴉丸嬢と一緒に、私の職場まで迎えに来ていたらしい。
 「“KC”(鴉丸穣は私のことをこう呼ぶのである。高峰か)を迎えに行くなら、ついでに其ノ他くんちにも寄って(はあと)」と鴉丸嬢が言うので、回ってきたのだとか(其ノ他くんのうちは、私の職場の近くにあるのである)。
携帯に連絡を入れた時はたまたま移動中だったそうで、ちょうどすれ違った格好になってしまった。
 二人して、待たされたウラミで散々私の悪口を言ったらしいが、しげの場合、「迎えに来れない(かもしれない)」と言って、「やっぱり来れたよ!」という例が今までに一度もないのだから、そんな不透明な言質を信用しないのも、私にしてみれば当然なことだ。
 第一、今日だって、鴉丸嬢が一緒じゃなかったら、しげが迎えに来なかったことは火を見るより明らかなことなんだから。

 けれど、実際、鬱で体調も壊しかけているので、二人に付きあって其ノ他くんちまで行かなくてよかった。あまりセルフコントロールができない状態で人と会うと、相手をつい不快な気分にさせかねないからだ。
 ともかく夕方を過ぎたばかりだけれど、目を明けてられないくらいに疲れてたので、ともかくぐったりと寝る。
 夜になって起き出して、マンガなどパラ読み。
 ちょっと小説の類が最近読む時間が取れなくなってきていて、活字にも飢えてるんだが、日記の更新にやたらと時間がかかって、まとまった時間が取れなくなっているのだ。
 ……だから10行ぐらいで日記を書いちゃえってば。


 マンガ、森博嗣原作、スズキユカ漫画『女王の百年密室』(幻冬舎・735円)。
 小説版はまだ単行本しかないので、文庫になるのを待とう、と思ってたら、先にマンガ版が出やがった。
 森ミステリを認める人、否定する人、それぞれに言い分はあろうが、否定派の批評の大半が、「本格のフリして本格でない」「トリックがチャチ」「トリックがインチキ」とか、そういう「マットウな」批評だったりする。
 しかし、そのあくまで「本格」に依拠した批評は、果たして本当に森ミステリに対して有効なのだろうか。
 『冷たい密室と博士たち』でも犀川創平が言明していた通り、例えば「密室を作る方法」などは、「どうにでもなる」のである。これだけ科学技術が進歩している現在なら、一般の読者が知らないような専門技術を駆使したトリックで不可能犯罪を構築することも可能であろう。いったん、そういうことを考え出すと、読者の裏を掻くトリックの案出など実に容易だ。だからこそ新本格の作家たちは、旧態依然と言われようと、「外界から閉ざされ」、科学技術も捜査も及ばない「雪の山荘」モノに固執していたのである(たいてい、携帯電話は「圏外」だ)。
 そういう特殊な設定にしないと、現代、あるいは未来のミステリは、その謎を解明しようとする試みどころか、「謎」自体が成立しなくなる。すべてが「無意味」だということにもなりかねない。
 森ミステリは、まず、そこを突き抜けたのだ。
 トリックなどはどうでもいい。
 では何が森ミステリの謎であるのか。
 それは、「彼は何者か」ということである。
 犯人が誰か、ではない。最も理想的な犯人らしい人物は、森ミステリにあっては常に明白である。恐らく「犯人を当てる」だけなら、十人中九人がそれをアテてしまうだろう。
 しかし、では、「犯人である『彼』は何者なのか」。
 この答えに解答することは容易ではあるまい。森ミステリの探偵たちも、それを最後まで突きとめ得ぬことは往々にしてあるからだ。そして、「犯人」と表裏一体である「探偵」。主人公たる彼らもまた、自分自身に無意識のうちに問いかけることになる。「『私』は何者なのか」と。

 女王が統治する幸福な楽園。
 不満や恨みのない世界でなぜか起こった殺人事件。
 「SFミステリ」の体裁を取っているために、従来の森ミステリが嫌いだった人も、余計なハードルを越える必要はないだろう。
 ここでは「どんなトリックも神の名のもとに可能」なのだ。殺人事件の、密室の謎を解く必要はない。そんなものは「どうにでもなる」。
 読者が思い致せばいいのは、主人公サエバ・ミチルの秘めたる思いにであり、マイカ・ジュクの警句に込められた思いにである。彼はミチルが「神に導かれた」と言い、「女王」もまた、旅人であるはずのミチルの名を「神のお告げ」によって知っている。
 「神」とは何かを推理しても、それは意味がない。もちろん、その答えがラストで明かされはするが、それ以外の何10通りの解決だって、読者は想定し、作者が提示したもの以外の答えを自分が信じたところで全く構いはしないのだ。
 「僕は生きているのだろうか? まあだいたい生きてるってとこ? 悪くはない。悪くはないよ」
 ミチルの、最後のこの痛みをともなった言葉を噛み締めることが、森ミステリを味わう一番の方法だろう。多分我々も「だいたい」でしか生きてはいないのだから。
 

 しげ、8時過ぎに帰宅するなり、また出かける準備を始める。
 「……どしたん? 今日は仕事なかったんやないんか?」
 「……うっかり電話取ったのが失敗……」
 しげ、眉間にシワを寄せて、いかにも口惜しそうな、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
 どうやらリンガーハット、急な欠員が出て、助っ人をしげに頼んできたらしい。せっかくの眠る時間がなくなって、しげ、本気で臍を噛んでいるのだ。
 「リンガーハットからの電話は取っちゃいかんね!」と吐き捨てるように言う。でも電話に出た時点で「負け」だわなあ。

 実は私も、休日、職場からあった電話は取らないことにしている。
 それで大事な仕事だったらどうするんだ、と非難されそうだが、実際に電話に出てみると、たいした用事でもないことが圧倒的に多いのだ。
 いっぺん、電話に出ずに、次の日になって誰かから何か言われるかと思ったら、全く何も音沙汰がなかったので、私の頭の中では、「職場からの電話は休みを邪魔するイヤガラセ」としか受け取れなくなった。
 ……いやね、ほかの同僚が休んでる時も明らかに「イヤガラセ」の電話してるとこも、何度も目撃してるのよ。人間性で言えばサイテーの部類に入るヤツってゴロゴロしてるもんでね。
 本当に大事な用事なら、間を置いてでも二度、三度と電話をしてくると思うんである。それがない以上、わしゃ、休日の電話には絶対に出んぞ。第一、休日に私が家にいる、と思いこんでるのはどうしてだ。


 俳優の加賀邦男さんが、7日に心不全で死去。享年88歳。
 特撮ファンには『仮面ライダーV3』の風見志郎の父親役で有名であろう。
 ……って、何シーンも出とらんわ、そんなん(ーー;)。
 けれど、ついそんなのを例に出さなきゃならないくらい、脇役が凄く多い人ではあったのだ。かと言ってヘタクソってことはなくて、往年のオールスターキャストの映画の中でも、割り当てられるのは重厚な役が多かった。
 訃報の記事には『大菩薩峠』あたりを代表作としてあげているが、調べてみると、役は米友。……内田吐夢版だよなあ、片岡千恵蔵が机龍之助の。米友ってのは心優しい槍の名手の役なんだけど、加賀さんだったかどうか記憶にない。もちっとましな紹介、できなかったのかなあ。
 ついこないだDVDで見たばかりの『本陣』、フィルモグラフィーでは最後になっている。テレビではお見かけしてたけど、映画でとなるとあれが遺作になるのか。……って、もう30年近く前だぞ? あれほどの名優が、それ以降、一度も映画に出なかったのか。映画界が、役者、名優をいかにキチンと使わずに来たかってことの証明みたいなもんだなあ。
 二男の亀山達也、三男の志賀勝も俳優だけど顔は似てないと思う。加賀さんのような美形から、志賀さんのような個性的な顔が生まれるというのがまた面白い。

2001年01月08日(月) 成人の日スペ……じゃないよ



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