長い長いトンネルだった。出口だと思って近づいてみると、小さな光は遠くに消えていった。歩いて、走って、休んで。どこにあるのかさっぱり分からない出口を探していた。 何もかもが嫌になってしまいそうだった。自分の存在意義を疑った。無為な時間が過ぎ去っていくような気がしていた。 肉体なんて幻だと思った。体力という言葉ほど、信用ならないものはないと思った。 燃えかすになった俺に最後に残ったもの。 それは、気持ちを切らさない…ってことだった。
昨日、血液検査を行い、その結果、今日の退院を認められた。入院305日目(移植後121日目)、ついに、湯之谷に帰ることになった。
2008年04月22日(火) |
退院って難しいもんだ
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またまた退院延期になってしまった。 電解質バランスがホスカビルで崩れたことと、CRPの異常な上昇でストップが掛かった。 奥只見ポールキャンプ参加に黄色信号だ。 はぁーーーーーー。
なーんと、300日過ぎちまったぜ。移植後116日目。まだベッドの上。 昨日は、ホスカビル点滴中に嘔吐、そして全身痺れが発生。痺れは、電解質不足、特にマグネシウムが不足したらしい。急遽、電解質を点滴補充した。 それにしても、吐いてばっかりだ。食べては吐く食べては吐く、そして下痢をする…の繰り返しで、またまた痩せてしまった。50kg前後を行ったり来たり。 ホスカビルは、今日と明日まで。明日の採血でCMVがなければ、退院のはずだけど、それが水曜日になるのか木曜日になるのか、はっきりしない。
2008年04月17日(木) |
2008奥只見丸山ポールキャンプのご案内
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5月2、3、4日 奥只見丸山 ポールキャンプ 定員30名 星瑞枝(トリノ五輪出場) 関塚真美(トリノ五輪出場) 佐藤翔(全日本ナショナルチーム) 星直樹(2008全日本技術選22位) 参加費 1日10,000円×参加日数 宿泊、リフト券は別になります。 宿泊 折立温泉 やまきや 受付 緑の学園1号館売店で9:00〜 集合 緑の学園1号館売店に9:30 宿泊希望の方は連絡ください。 世界を舞台に戦っている3名を招いてのポールキャンプです。 ■申し込みは必ず下記項目を記入の上、メールにて申し込みお願いします。 →customsp1@yahoo.co.jp ・キャンプ名(奥只見丸山ポールキャンプ) ・名前 ・住所 ・参加日 ・奥只見までの移動手段 ・宿泊希望 ・リフト券希望 詳しくは、http://blog.livedoor.jp/customsp1/をご覧ください。
※毎年大好評の濃ゅーーーいキャンプです。ハードパックされたレーシングバーンで、来季へのステップアップのキッカケをつくりませんか?
昨日、4月15日(火)、退院のつもり…だった。 テレビ取材の打ち合わせを終え、誰もいない最上階の展望室で一人歌を歌い、最後の夜景を感慨深く眺めていた、そんな前日の4月14日(月)の俺の行動は、ひどく陳腐なものになってしまった。
そう、土壇場で覆されてしまった。
原因は、サイトメガロウィルス(CMV)。一般人も保有する常在菌ではあるけど、免疫力の低い移植後の患者にとっては面倒くさいヤツで、これの肺炎になっちまうと致死率も高い。だから、死にたくなかったら、あと1週間は我慢しろ、ということで、我慢することになった。
でも、1泊だけなら、外泊してきても良いと言われたので、昨日、家へ帰って泊まって、さっき病院に戻ってきた。
家に帰って気づいたこと。
薪ストーブを一日中つけているので、空気がクリーン。空気清浄機は自動モードになっているけど、ほとんど稼働しない。むしろ、病院の4人部屋の方が空気悪い。
薪ストーブの上には、やかんがかけられていて、程よい湿度が保たれ喉に優しい。空気が綺麗なこととの相乗効果で、家にいる間は咳が全くでなかった。それに比べて、この4人部屋といったら…
朝晩の寒さが圧倒的に違うようだ。でも、布団にもぐっていて、快適な睡眠を得られた。病院はナースの巡回があったり、同室の人のトイレやイビキがあったり、安眠できないんだよねー。
自分の希望通りの食事がとれる。もちろん、生ものとか制限のある食材はあるんだけど、少なくとも、味付けは自分の好みのものを食べることができる。
と、メリットばかりのようだけど、それなりにデメリットもあるわけで(笑)
特に、我が家は、水を水道水に頼らず、清水を使って来たんだけど、それはいろいろマズイらしい。食事やうがいや手洗いはもちろん、お風呂もダメなんだって。去年、やっと水道の本管配管を終え、家に一本だけ水道水の蛇口を取り付けたんだけど、その工事をまた手直ししなきゃならなくなった。最初から全部水道水に変えれば良かったのに、家のじいさん(父)が清水にこだわった結果なんだよなー。ま、頑固で、そんな面倒なことになっているので、彼には良い薬になったと思う。とりあえず、退院までの改修を命じてきた。
さらに、じいさん、俺が帰ってきたら、水田の管理をさせようともくろんでいたらしい。あれだけ、医者から説明受けてんのに、勘違い甚だしい。ほんと、馬鹿なのかもしれない。
あと、ばあさん(母)が、やたら土のついた植物を家の中に置きたがる。農作物の苗であったり、花であったり、観葉植物であったり。とにかく撤去してほしいと頼んでみたが、非協力的なので、次回、本退院して残っていたら、有無を言わさず、すべて捨ててやる!
家の両親、自分らの意見と、俺の命とどちらが大事なのか良く分かる事例だろ?それくらい、俺の命って軽いんだよ。小さいときからずっと感じていたことなんだけど…
ま、そんなことで、とりあえず、退院は延期!
2008年04月15日(火) |
移植後110日目(入院294日目)。ついに退院予定だったはずが、またしてもサイトメガロウィルスが暴れ、退院延期。
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移植後110日目(入院294日目)。ついに退院予定だったはずが、またしてもサイトメガロウィルスが暴れ、退院延期。
2008年04月12日(土) |
風に吹かれ散りゆく花
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鉛色の空の下、満開の花が雨に濡れ、風に散らされていく。そんな様子を見ていたら、感情が昂ぶってしまった。
俺は、自分を勝者だと思っている。ここ数年の言葉で言えば『勝ち組』。もちろん、この病気に対してのことだけど。
これは、素直に喜んで良いことだと思う。自己の生存が継続され、明日の生活を夢見ることが許された。単純に嬉しい。
でも、自己の存在は相対的なもの、敗者があってはじめて、この存在が確保されたんだという事実を…花は教えてくれている。花は、散り際に言葉を投げかけてくるんだ。雨に濡れ、風に落ちて、踏まれても。
それは、つまり、じゃあ、敗者は、どうなったんだ?っていうことなんだ。
悪条件が重なったにもかかわらず、俺は、悪運の強さで今日という日を迎えている。だけど、運なく力尽きていく人の割合の方が圧倒的に多いのが、この病気だ。
今の俺の時点で、同タイプの病気だったら、6割の人が亡くなっている。(さらに、残りの4割の半数が残念な結末を迎えることになる。)それが現実というものだ。現実から目を逸らすことは、決して勝者はしてはならない。
勝って、なお、兜の尾を締める。闘い終えた後も闘っている最中と同じように、安易に心を緩めることなく、敗者を思いやって生きていきたいと思う。
※ネオーラル・ストップ!これで、グレープフルーツもオッケーだ。
今日は、はなまつり。お釈迦様の誕生日。
敬虔な(?)真言宗檀徒である我が家では、この日を忘れると怒られた。また、子供たちが通っていたのは仏教系の私立幼稚園だったので、おはなまつりの行事があった。
お釈迦様が生まれると、甘露の雨が降り注ぎ、その体を清めたと言う。その後すぐに、お釈迦様は立ち上がり、七歩歩み、『天上天下唯我独尊』とおっしゃったそうだ。
甘露の雨は神々の祝福を表し、七歩歩んだことは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)という輪廻の世界を超えたことを意味し、また、『天上天下唯我独尊』とは、人間性の尊厳を言い表している。
入院287日目、移植後103日目。
退院まであと少し(…のつもり)。
約300日の入院期間。長かった。本当に長かった。そして、様々な思いが溢れてオーバーフローしそうだ。
まさに生還。生きて還れる。死なずに済んだ。
見かけも血液も変わったし、中身っていうか、心が入れ替わったと思う。人生が変わった。
今日、14時頃、もう一回、マルクやった。2週間前にしたばかりなんだけど、ブラストが1%ほどいたことと、フィッシュ検査をやるってことで、やることになっちゃった。
俺がいただいた臍帯血は、女の子なので、フィッシュ検査やると、ずばり分かっちゃうんだよねー。移植後、生着確認のマルクのときも、たしかやったんだよな。
予定通り、来週の火曜に退院(…強く希望している。)するためにも、今回のは避けれなかったということで、しょうがないね。新しい主治医との呼吸も合って、そんなに痛くないマルクだったし、良しとしよう。
それより、今朝の体重は、とうとう50kgを割って49.7kg!ついに、ここまで…って感じだ。(ナースへの申告は51kg台にしてある(笑))
だけど、日に日に歩くスピードは速くなっているし、筋肉も徐々に『線』になってきた。身体は回復傾向にはあるよ。
食べれない今はしょうがないのかな。
とにかく、来週、退院してから、じっくりと馴らしていこうと思う。病院の中を動き回るのも限界があるし。
外は、桜が満開のようだ。部屋の窓から見えるし、移動中の廊下の窓からも見えた。実家の桜は、あと10日くらいかな?梅がそろそろ咲いているかな?
いい季節に帰れて本当に幸せだ。
清明 (せいめい) 二十四気の一.4月5日ごろ.
今日は、清明という日なんだそうだ。春分と穀雨の間の4月5日ころらしいんだけど、今年は4月4日。清明というのは、清く澄み切った気候のことを表しているらしい。
吐き気と微熱と咳が続いている。それに下痢。
最近続いている熱は、カテーテル熱しか考えられないということで、本日午後4時過ぎ、約9カ月間に渡り右鎖骨下静脈から差し込まれていたカテーテル(IVH)が抜かれた。サンディミュンもネオーラルに切り替わり、あえてしなければならない点滴もなくなったこともあるし。
抜くのは一瞬だった。差し込むときの手間ヒマ考えると、信じられないくらいあっけなかった。
ひと月前に比べれば、徐々に人間らしくなってきているのは間違いない。
道路が雨で濡れていた。身体も雨で濡れたままだった。たぶん、疲れていたんだと思う。スキー場からの帰り道だった。
家に着く前の最後の緩い右カーブ。前方にフラッシュグリーンのVWビートルの旧車が走っていた。そこで、記憶が一旦途絶えた。
次の瞬間、斜めになった車内で、俺は目が覚めた。
いったい、何が起こったのだろう?クラクションが鳴りっぱなし。頭がハンドルに打ちつけられている。右目の視力が…
右目が見えない。ルームミラーで確認すると、右眉内側がテニスボールのように膨れている。痺れていて痛くはないけど、もしかして、右目を潰してしまったのか?
あー。やっちまった。居眠り運転、自損事故。ぶつかった相手は、3月下旬の硬く締まった雪の壁。
運転席側が斜め上になっていたので、車から出るのに苦労した。車の前に回ると、この事故が凄いものであることが、だんだん分かってきた。なんと、ボンネットの左側が無くなってエンジンがむき出しになっている。スキーキャリアが50メートル以上先の雪上までふっ飛んでいる(当時、一番丈夫だと言われていたテルッツォのレインガード直締めタイプを、初代スプリンターカリブに付けていた。)。
考えてみれば、当たり前か。居眠りでノーブレーキだもんね。カタログに出ているオフセット衝突実験と同じだ。
こんな事故を昭和63年3月26日午後4時36分、起こした。(その後、救急車が来て、後日、警察で一応の取り調べを受けて…)
そして、その9日後、初めて人の親となり、翌日には、左目片目で、我が子と対面するのであった。親として情けない出発になった。
あれから、20年。
今日は病院のベッドの上。なんか、状況が似ているよなあ。我が子が二十歳になる節目だというのに。
まあ、そんな星のもとに生まれた娘よ、明日はおめでとう。そして、妻よ、ありがとう。
【Referer】
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