2004年01月28日(水)  舞台『クレオパトラの鼻』(作・演出:上杉祥三)

■俳優座にて、トレランス第3回公演『クレオパトラの鼻』を観る。FMシアター『夢の波間』で茂右衛門を演じた上杉祥三さんが作・演出・出演。太郎兵衛役の西凜太朗さんも出演。去年、若手公演の『BROKENロミオとジュリエット』を観たけれど、上杉さんが舞台に立つのを観るのは、はじめて。今回はクレオパトラと天照大神をつなげた発想から生まれたオリジナル。ストーリーはロミオとジュリエットに比べるとかなり難解だったけれど、日本神話やムー大陸伝説、1999年にあった富士山噴火説なども織り込み、学研の超常現象雑誌『ムー』にはまったことのあるわたしには興味深い世界だった。「平成」の「平」の中に「一と八と十」を見いだし、「イワト(岩戸)成る」と読んだり、神戸大震災を「神の戸を叩く」と表現したり、「涙は海に戻ると書く」と詩的な台詞があったり、言葉遊びも楽しい。娘は自分を恨んでいると思っている母親に「恨んでいない。あなたを選んで生まれてきた」と娘が言う。「うらんで」と「えらんで」は似ている。■上演後、西さんの案内で楽屋の上杉さんを訪ねる。「神様は本当にいると信じている」と言う上杉さんは、「何度も会う人っていうのは、そうなるように神様が仕向けているんや」とシンクロニシティについても熱く語っていた。それを見過ごすか大事にするかで運命は大きく変わる、と。上杉さんの書くものとわたしの書くものには重なる部分がある。前回のロミジュリでは「あいうえお あいうえお 愛に飢えたる男と女がおりて…」という台詞があったが、わたしのコンクール応募作に「あいうえお〜愛に飢えた男と女」という脚本がある。「涙は世界でいちばん小さな海」という話を書いたこともある。そんな話をしたら、「きっと前世でご近所やったんたろなあ」と笑っていた。また会うだろうし、また一緒に何かやりたいですねと話し、元気をいもらって俳優座を後にした。

2002年01月28日(月)  心意気


2004年01月27日(火)  映画『問題のない私たち』(脚本・監督:森岡利行)

新宿の安田生命ホール(明治安田生命ホール?)にて、「問題のない私たち」試写会。黒川芽以ちゃんの初出演映画で、脚本・監督は森岡利行さん。上映前に森岡さん、芽以ちゃん、出演の沢尻エリカさん、美波さん、森絵梨佳さん、小松愛さんが舞台に立ち、島田律子さんの司会進行で挨拶。高校生役の女の子たちのかわいさに、客席からはため息。「すごく頑張った作品」「大変だった」と言いながら強くうなずいていたので、体当たりの演技が期待できそう、と楽しみが膨らんだところで上映開始。

スクール水着にはじまり、制服、ビキニ、浴衣、寝巻き浴衣に寝顔、今や貴重なブルマー姿まで見せてしまうサービスっぷり。その一方で、伝えたいメッセージをしっかり盛り込み、問題を投げかけているのは、さすが森岡監督。水着に釣られて見に来た人が不覚にも涙ぐみ、イジメについて考えてしまう図式がしっかり出来上がっているのだった。生徒間のイジメにフォーカスした前半と、先生や学校という権力や圧力が絡むイジメに話が転がっていく後半の2部仕立てになっているのが面白く、主人公の立ち位置がめまぐるしく変化するので目が離せなかった。

作品の中ではいじめる人、いじめられる人が次々と変わる(まるで順番のように)のだけど、それは現実も同じで、いじめたこともいじめられたこともある人はかなりの数にのぼると思う。会場からは何度かすすり泣きが聞こえたけれど、かつていじめた人やいじめられた人、あるいは今いじめている人やいじめられている人がヒロイン達に自分を重ねたのだろう。原作は別冊マーガレットに連載されていた同名の漫画。その漫画の元になった小説の作者は執筆当時高校生だったとのこと。「考えさせる作品を作りたいんですよ」と森岡監督。志通りの見ごたえのある作品に仕上がっている。2月28日からポレポレ東中野にて。大阪、名古屋でも公開。

2002年01月27日(日)  詩人


2004年01月25日(日)  サンタさん17年ぶりの入浴

■正月にわが家を訪ねた義弟が「汚いなあ」としみじみ言っていたのが、サンタクロースのぬいぐるみ。アメリカの高校に留学したときのクリスマスプレゼントだから、数えてみたら17年も洗っていなかった。洗ってみたら、ロマンスグレーのひげはぴかぴかの白になり、顔色の悪かった肌もつやつやになって、すっかり別人。このサンタを贈ってくれたRobert Watson君は、「上院議員になる」のが夢だと言っていたけれど、今どうしているのだろうか。

2002年01月25日(金)  絨毯に宿る伝統


2004年01月24日(土)  映画『LAST SAMURAI』

ラストサムライチラシ■2週間前にふられた丸の内ピカデリー1で、ついに「ラストサムライ」を見る。あいかわらずすごい人気で、30分前に着いて、前から2列目。かぶりつきで見たせいか、戦闘シーンは酔いそうな迫力だった。一体いくらかければあんな絵が撮れるのだろう…と考えると、眩暈もした。ソロバンをはじいているようでは感情移入が足りない、と言われそうだけど。ストーリー展開はさすがハリウッドで、キャラクターの作りこみや配置は勉強になった。最後まで圧倒され続けて見たのだけど、迫力の映像よりも、言葉のやりとりに心惹かれるものが多かった。桜の下で交わすしみじみした会話や、ラストの「Tell me how he died」「I tell you how he lived」は、じわりとにじむように良かった。日本を題材にしたハリウッド映画で、ここまで真面目に日本を描いた作品は知らないし、日本人が撮るよりも日本らしい作品に仕上がっているように思った。時代考証をうんぬんする人は多いと聞くけれど、spiritに過去も未来もないし、立ち止まってwhere we came fromを考えるのも大事なことだよね。なんてことを、アメリカのほうばかり向いている日本人がアメリカ映画に教えられるところが、この作品のいちばん面白いところかもしれない。

◆作品を観てから半年後、友人が書いたトム・クルーズあての手紙を翻訳することに。>>>2004年7月6日の日記

2002年01月24日(木)  主婦モード


2004年01月23日(金)  今日はシナリオの日

■土日出社の代休を取って、ひさびさのお休み。新宿で元同僚のアサミちゃんとランチ。彼女は、わたしがシナリオコンクールに応募していた頃、いつも原稿を丁寧に読んで、心のこもったアドバイスをくれた。お芝居好きらしく、指摘は的確で、わたしのデビューを技術の面でも気持ちの面でも支えてくれた大切な友達。『ぱこだて人』を函館港イルミナシオン映画祭に出したとき、わたしは締切の前日まで海外出張に行っていたのだけど、家に着いたら文字びっしりのポストイットをあちこちに貼りつけた原稿が速達で届いていた。「製薬会社の人たちの正体は最後までばれないほうが面白い」など、言われてみればもっともなことばかり。ほとんど手直しせずに投函する気でいたわたしは、締切当日の郵便局が閉まるぎりぎりまでかけて、原稿を全面的に書き換えた。あれがなかったら、受賞していなかったかもしれないと思う。プロになった今はシナリオを読んでもらうことはしなくなったけれど、かわりに小説の原稿を渡す。
■アサミちゃんと別れて、談話室・滝沢で新しい仕事の初打ち合わせ。まわりのテーブルにも映画関係者の姿が。前田監督に初めて会ったのも、ここだった。メニューは不思議で、お茶だけでも1000円、デザートがついても1000円。■文芸社に寄って編集者に会い、そのまま新宿通りを歩いて四谷へ。四谷アトレ1階のPAULというパン屋の評判がいいので、オリーブパンを買って帰る。固めのフランスパンで、かじりながらワープロを打っていたら、キーボードがパンくずだらけになった。

2002年01月23日(水)  ラッキーピエロ


2004年01月16日(金)  尽在不言中〜言葉にならない〜

■会社をやめるとき、昔(といってもほんの10年ぐらい前だけど)は社内の各部署をぐるぐる回ったものだけど、最近はメール送信一回で全社員にあいさつできるようになった。この便利さのおかげで、一緒に仕事をした人から顔も見ずに「さよなら」を言われて淋しい思いをすることが増えた反面、一度も仕事をしたことのない人や、面識すらない人から「ありがとう」を言われる機会も増えた。1対多数のメールは、良くも悪くも人と人の距離感を平等にする。お別れのメールには名文が多い。在籍中の思い出(輝かしいことも失敗談も)を綴る人、忘れられない上司や得意先の名前を挙げる人、これから打ち込む趣味のことを語る人、今だから言える本音や秘密が聞けたりして、なかなか興味深い。「お世話になりましたメール」ではじめて存在を知った人がすごく自分と合いそうな人だと気づいて、「この人と仕事できたら面白かっただろうなあ」と思うこともある。今日は顔だけ知っている中国系の社員の女性から「会社を卒業します」とメールが回ってきた。3年前に入社したときはほとんど日本語が出来なかったとのこと。この会社で鍛えられて成長したことを振り返り、「優しくいろいろなことを教えてくれまして、言葉にならない感謝一杯です!」と記してあった。「言葉にならない」は、中国語では「尽在不言中(Everything is told without telling!) 」と言うのだそう。言いたいことは、何も言わなくても伝わるよね、というニュアンスだろうか。かわいい言葉。

2003年01月16日(木)  ど忘れの言い訳


2004年01月15日(木)  谷川俊太郎さんと賢作さんの「朝のリレー」

毎年、会社の新年式典には心に残るエピソードがある。去年はメイク・ア・ウィッシュ日本事務局・大野さんの力強いスピーチに心を打たれたが、今年は素晴らしいサプライズがあった。詩人の谷川俊太郎さんと息子で音楽家の賢作さんがゲストで登場し、俊太郎さんの詩「朝のリレー」を賢作さんの伴奏で朗読するという贅沢な共演に立ち会えたのだ。

この「朝のリレー」は去年から展開しているネスレの広告で使われていて、いくつもの広告賞を受賞し、新聞のコラムなどで取り上げられ、世の中的にも好感を集めていると聞く。その評判はわたしの会社のちょっとうれしいニュースでもある。今までコーヒーの広告に使われていなかったのが不思議なほど、朝の豊かなイメージを膨らませてくれるこの詩に目をつけのは、去春研修で配属されたばかりの新卒デザイナーとコピーライターのコンビ。コーヒーのキャンペーンと聞いて、教科書に載っていた「朝のリレー」を思い出し、「ぴったりだと思うんですけど、どういう風に使っていいのかわかりません」と詩だけをアイデア出し会議のテーブルに置いた。先輩クリエイターたちがあらためて読んでみると、言葉のチカラがとても強いので、極力シンプルな空のビジュアルに詩をのせようという話になった。……という経緯は、わたしが直接関わった仕事ではないので、また聞きだったり、メディアからの情報だったりするのだけど、ついこの間まで学生だった二人のフレッシュなアイデアが採用されて、「詩を全部聞かせるために60秒CMをやりましょう」「シネアド用に英語バージョンを作りましょう」「寝顔フォトコンテストもやりましょう」と話がどんどん広がっていったサクセスストーリーは、うれしく、誇らしい。

CMのナレーションは歌手のayakoさんの瑞々しい声が印象的だけど、作者の俊太郎さんの生の朗読は何ともいえない凛とした空気があって、その声を直に受け止められる幸せを味わった。広告ではじめて「朝のリレー」に出会った人も多いようで、「おかげさまで町で声をかけられることが増えました」と俊太郎さん。飄々とした話しぶりはユーモアたっぷりで、何気ないやりとりにも言葉のセンスが光っていた。「苦しいことも、書くことで気持ちが解放されるんです」。文字を放つことで心も放たれるという感覚に共感。

2003年01月15日(水)  ひつじの国 ひつじの年
2002年01月15日(火)  ノベライズ


2004年01月14日(水)  泣けました、「半落ち」(横山秀夫)

■遅めの昼食をとった喫茶店で、怪しい客になってしまった。昨日の終電で読みはじめた『半落ち』(横山秀夫)が止まらず、パスタのフォーク片手に一気に読み終えたのだけど、いちばん涙を誘うラストだったものだから、パスタを食べながら泣く格好になってしまった。食事を終えると、すぐにプレゼンへ。得意先へ向かう電車の中で、会社の人たちに「とにかく、すごくいいですから! よくできているんですよ。素晴らしいですよ」と思いつく限りのほめ言葉を並べ立てて、すすめた。横山秀夫氏は「平成の松本清張」の呼び声が高いそうだが、人物も背景もしっかりと書き込まれていて読み応えがあり、元新聞記者というだけあって文章も非常に読みやすい。比喩も巧みで、メモを取りたくなるほど。待ち焦がれている連絡がなかなか来ないじれったさを「地球の自転とはこれほど遅いものだったか」と表現するところなど、実にうまい。登場人物たちのそれぞれの年齢と抱えているもののリアリティも見事で説得力があり、主人公の「50歳」という年齢が背負っているものに理解と共感を寄せることができた。どうやったらこんなに上手に人物を描き、物語を転がせるのだろう。「半落ちもいいけど、クライマーズ・ハイはもっとすごい」と両方読んだ人の弁。

2002年01月14日(月)  災い転じて


2004年01月10日(土)  ラブリー「ニモ」!

■丸の内ピカデリー1で18:30からの「ラストサムライ」をめざして行ったら、上映30分前で満席になっていた。人気はまだまだ衰えていない様子。「ニモなら座れます」とのことで、ピカデリー2で「ファインディング・ニモ」を観たら、大正解。「よかったよ」の声は聞いていたものの、面白さは予想以上。冒頭からハートわしづかみで、ラストまで一瞬も退屈するところがなかった。ニモに片方のヒレが極端に小さいというハンディを負わせつつ、それをLucky Finと名づけるのがうまい。魚に感情移入できるんだろうかと半信半疑だったけれど、海の中の生き物たちにも水槽に住む生き物たちにもキャラクター設定がしっかりされていて、彼らが言葉を交わしたらこういう会話になるんだろうなあと自然に引き込まれた。いちばん好きだったのはペリカンの「エサ、エサ!」のシーン。「Mine,mine!」と言っているのだろうか、思い出すだけで楽しくなってしまう。ラストのおとぼけぶりも、さすがPIXAR。「バグズ・ライフ」「トイ・ストーリー2」「モンスターズ・インク」と、これまで見た作品はどれも好きだけど、さらにお気に入りが加わった。■「新年は、海の魚たちに勇気づけられました」と年賀状に書いていた知人がいたけれど、わたしもたくさん元気をもらった。PIXARのメンバーはずっと映画をやりたかったけれど、会社はコンピュータ・ソフトの受注が中心で、ソフトの販促ツールとしてZライト(ロゴでピョンピョンはねれいるあのライトかな)を主人公にしたショートフィルムを制作したところ、それが話題を呼んで映画制作の仕事が舞い込むようになったのだとか。そういう話を聞いても、元気が出てくる。


2004年01月09日(金)  ヨシミン(井野上豊)

■2004年最初に読了したのは『剣客商売七 隠れ蓑』よりひと足早く、『ヨシミン』。年末に作者の井野上豊さんから送られてきた小説で、井野上さんは秋元紀子さん(FMシアター『アクアリウムの夜』に出演)の友人だそう。秋元さんと話をしていたら、井野上さんが『彼女たちの獣医学入門』を観たという話になり、じゃあ今井さんに本を読んでもらおう、となったらしい。こんなつながりで届いた『ヨシミン』の表紙を見ると、「あ、文芸社だ」。わたしが4月に出すはじめての小説『ブレーン・ストーミング・ティーン』も文芸社から。これも何かの縁と感じて読み始めた。■ヨシミンというのは主人公の男の子の名前。あんまり長く眠り過ぎた彼が目を覚ますと、目玉がなくなっていた、と物語は衝撃的に幕を開ける。目玉探しに出かけたヨシミンは、神社でケノケノ様を待ちつづけるうちに老女になってしまったマチコや、目が光る不思議少女ナミダや誰もを受け入れてしまうミルクミなど、ひとくせもふたくせもあるキャラクターたちに出会う。社会の味方であるはずの警官が暴走し、教師が生徒の敵になり、ヨシミンの理解者のように見えた教育実習生も問題を抱え、ずいぶん救いのない話ではあるのだけど、読後感は意外とからっとしている。マチコをはじめヨシミンと心を通わせる女性たちの存在に救われているのかもしれない。全体にシュールな雰囲気が漂う独特のヨシミンワールドを繰り広げていて、つげ義春の漫画や村上春樹の小説がよぎった。こんな話は自分の頭からは出てこない。書いたものは作者の内面を映すというけれど、この一冊には井野上さんの生きてきた何十年かがギュッと詰まっていて、井野上さんが言いたいことがヨシミンやマチコの台詞になっているんだろうなと想像する。■井野上さんに感想のメールを送ったら、「昔読んだつげ義春さんの『ねじ式』という漫画には、今でも強い印象があります。『メメクラゲ』とか。主人公の顔とか。村上春樹さんも、大人になってから読んだ日本人の作家ではたぶん一番好きな作家です。少年だった頃は太宰治が大好きでした。そのほかにもいろんな人の影響が今の僕をつくっているのだと思っています」と返事が来た。2冊目の著書『バカDAY』も贈呈してくださるとのこと。本を通して読者が作者を知ると関係が、『ブレーン・ストーミング・ティーン』では逆転する。わたしを知らない読者には、作者はどんな人に映るんだろう。

2002年01月09日(水)  見えなかったB


2004年01月06日(火)  引っ越したお隣さんと舞い込んだ鳥

■お隣さんが引っ越して行ったらしい。わたしより20センチぐらい背の高いお姉さんが住んでいた。会って言葉を交わしたことは数回しかなかったけれど、そのうち一回は強烈な出来事だったので、忘れようがない。■3年前のこと、朝、植木に水をやろうとベランダに出たら、鳥が死んでいた。すずめのようなかわいいものじゃなくて、頭から尻尾まで40センチぐらいあった。あたふたと出張先のダンナの携帯に助けを求めると、「なんでそういうことになるんだ?」と間の悪さを責められた。鳥が死んだのはわたしのせいではないと思うけれど、こういう目に遭うのは、間が抜けている証拠かもしれない。大阪の母に電話すると、ゲタゲタ笑うばかりで話にならない。そんなに娘の悲劇がおかしいか、と東京の義母を電話でつかまえると、「あらまあ、かわいそうにねえ。死んじゃったのねえ」と嫁よりも鳥に同情を寄せる有様。よし、もうこうなったら頼れるのは自分しかいない、と再びベランダへ向かったものの、かがんで鳥を間近に見ると、足がすくんでしまった。頭から流した血が固まっていて、どうやら窓ガラスに激突した模様。ガラスが見えなかったのか、曲がり損ねたのか。鳥の死骸は消せない事実としてそこにあった。何とかしなくてはと思いつつも、手を出す勇気が出ない。■そのとき頭にひらめいたのは、「困ったときは、お隣さん」。わたしが子どもの頃は、隣近所が何かと助け合っていた。引越のときに挨拶したきりのお隣さんをピンポーンと訪ね、「すいません。びっくりしないでくださいね。ベランダで鳥が死んでいたんです。で、わたし、こういうの苦手でして。できたら、わたしが鳥の死体を片付けるのを横で見守っていてもらえませんか」と訴えた。お隣さんは不思議そうな顔をしつつも、わたしについてきてくれた。「よかったら、やりましょうか」とまで言ってくれたが、さすがにそこまで甘えるわけにいかず、「いえ、がんばります」。誰かが見てくれるということが、こんなにも怖さや苦手意識を忘れさせてくれるというのは驚きだった。バーベキューの炭バサミに靴下を履かせて鳥をつかみあげる作業の間、余計なことは言わず、見守る人に徹していたお隣さんは、菓子箱の棺に納められた鳥に「南無ー」と手を合わせた。■鳥の話には後日談があり、管理人さんに「どうしましょう」と相談すると、「区役所に聞いてみましょう」と菓子箱の棺を預かってくれた。数日後、「犬や猫は埋葬サービスがあるらしいんだけど、鳥はなくてね。うちの庭に埋めておきました」と言ってくれた。ゴミと一緒に捨てるのは気の毒だしね、という言葉がうれしかった。マンション暮らしにもほのぼのとした交流はある。つぎはどんなお隣さんが来るのだろうか。

2002年01月06日(日)  非戦


2004年01月04日(日)  じゅうたんの花の物語

■2002年秋、「風の絨毯」脚本の話が舞い込んで、わたしが最初にしたことは、ただひとりのイラン人の友人と会うことだった。イラン人の父と日本人の母の血を引く彼は、同時多発テロ直後でテレビ局のニュース翻訳に引っ張りだこの中、時間を割いてくれた。「イランと日本の合作映画で絨毯の話をやりたいと考えているんだけど」と話すと、「イランにこんな話があるよ」と語ってくれたのが、『じゅうたんの花の物語』。そのとき取ったメモが長らく行方不明になっていたのだが、大掃除で発掘できた。走り書きを少し物語風にふくらませて書き記しておこうと思う。
じゅうたんの花の物語

 あるところに仲のいい一家がいました。お父さんは羊を飼い、その羊の毛糸を染めて、お母さんがじゅうたんを織って暮らしていました。子どもたちは元気ないい子ばかりでしたが、お手伝いは好きではありませんでした。
 ある夏、日照りが続いて、羊に食べさせる草が枯れてしまいました。お父さんはひとりで羊を引き連れて、遠いところへ旅に出ました。太陽と星が何度も過ぎ、丸々と太った羊たちと、たくさんの小羊たちを連れて、お父さんが戻ってきました。
「お父さん、どこ行ってたの?」と子どもたちはお話をせがみました。
「北へ行ってきた。北には森があって花があって鳥がいたよ」
「森って何?」
 生まれたときから南に住んでいる子どもたちは、森を見たことがありませんでした。
「森というのは、お前たちの何倍も大きな木が何百とひしめいているところさ」
「あとは何を見たの?」
「海を見たよ。海には魚がたくさん泳いでいた」
「海って何?」
「魚って何?」
「泳ぐって何?」
「海というのは、一面に水が広がっているところだよ。水たまりを百個、いや千個集めたようなところだ。その中を魚というきれいな色をした生き物がひらひらと動き回っているのさ。空を鳥が飛ぶみたいに」
「ぼくたちも海に行きたい!」
「森も見てみたい!」
「お話だけじゃわからない!」
 子どもたちはもう大騒ぎです。お父さんが見てきた場所を、自分たちも行ってたしかめたくて仕方がありません。
「だめだめ。お前たちはまだ小さすぎる。旅は危険だ」
 お父さんは子どもたちの小さな頭をなでて、なだめました。
「じゃあ海を連れてきて!」
「森を連れてきて!」
 子どもたちはおなかをすかせたときのように床をばんばんたたきました。
「そんなことできないよ。海も森も、とてつもなく大きいのだから」
 お父さんは困った顔で言いました。やれやれ、おとなしい羊にくらべて、子どもは何と世話が焼けるのでしょう。
「いい方法があるわ」
 お母さんのやさしい声がしました。お母さんはさっきからお父さんと子どもたちのやりとりを黙って聞いていたのでした。
「いったいどんな魔法を使うんだい?」
 とお父さんがからかうと、お母さんは毛糸を差し出して、言いました。
「さあみんな手伝ってちょうだい。お父さんが頭の中に持って帰ってきた景色を、じゅうたんに織るのよ」
 子どもたちは、わーいと歓声をあげ、色とりどりの毛糸に飛びつきました。こんなにうれしそうにお手伝いをするのは、はじめてです。
「お父さん、森は何色?」
「森は深い緑色だよ。青に近い緑だ」
「海は何色?」
「海は青だ。太陽が当たるところはきらきらと黄色く光る青だよ」
「魚は何色?」
「赤やら黄やら、いろいろだ。しましまの魚もいるし、虹みたいなのもいる」
 子どもたちは森の向こうに広がる海と、その中で泳ぐ色とりどりの魚を早くじゅうたんにしたくて、うずうずしていました。でも、めったにお手伝いをしないので、糸の結び方もさまになりません。最初は失敗ばかりでしたが、子どもたちはしんぼう強くお母さんを手伝いました。少しずつ、森は森らしく、海は海らしく見えるようになってきました。
 秋が過ぎ、冬がめぐってきました。
 出来上がったじゅうたんは、世界中の花がいっせいに咲いたように、きれいで楽しい色があふれていました。空には鳥が、森には花が、海には魚が、いのちの色をきらめかせていました。
「これはお父さんが見てきた森と海だ。ううん、それよりもっと美しい景色だよ」
 お父さんは子どもたちをぎゅっと抱きしめました。
「わーい、海だ! うちに海が来たよ!」
「わーい、森だ! うちに森が来たよ!」
 子どもたちはじゅうたんの森を歩いたり、じゅうたんの海で泳いだりしました。力を合わせて織り上げたじゅうたんは、とても丈夫で、あったかいのでした。
「このじゅうたんがあれば、わたしたちは海や森の中で暮らせるわね」
 お母さんはにこにこしながら子どもたちを見ていました。家族みんなが寝転がれるぐらい大きな大きなじゅうたんなのでした。
 子どもたちはじゅうたんを織るのが大好きになっていました。毛糸を染めるお手伝いも、その毛糸を作ってくれる羊の世話をすることも、いやがらなくなりました。じゅうたんを織るときは、自分たちが見たい景色を織るようにしました。誰も見たことのない珍しい模様のじゅうたんが次々と出来上がりました。そのじゅうたんは、買った人たちも幸せな気持ちにするのでした。
■この微笑ましい物話には、「一枚の絨毯が持つ豊かさ」を教えてもらい、「色の豊かさと心の豊かさ、糸の結びつきと心の結びつきを重ねて描きたい」という方向性を指し示してもらった。脚本の初稿には、絵を描くさくらにルーズベ少年が「日本を連れてきて」と言う台詞を入れた。その台詞はなくなっても、この物語から得たものはスープになって作品に溶けてくれたことを願っている。

2002年01月04日(金)  ひだまりでウェイクアップネッド


2004年01月03日(土)  庚申塚の猿田彦神社

■申年2本目に観たドラマは今夜放送された『古畑任三郎スペシャル』。南米某国を訪ねた古畑氏のパスポートを猿に盗ませ足止めを食らわせる設定で、彼のせいでアリバイを崩された犯人に「今となってはあなたのパスポートを盗んだ猿が憎い」と言わせるところが心憎い。小道具の鍵の使い方にも感心。初オーディオドラマのNHK-FM『浅間』も同じく今夜放送。220年前の浅間山噴火をモデルにした立松和平原作のドラマ化。『アクアリウムの夜』『夢の波間』でご一緒した保科義久さんが演出で、音響はわたしの高校の同級生・嶋野聡君という顔合わせ。ほんとに世の中狭い。『浅間』は噴火のために家族を失った村人たちが、残ったもの同士で縁組し、再び家族を作り、村を再生させる話。夫婦だけでなく、親子の縁も組み直す。天災という圧倒的な悲劇に屈することなく前向きに生きていく人々のたくましさと力強さを感じさせるドラマだった。■人の作ったものに膝を打ってばかりでなく、今年はしっかり書かねば、と自分を戒めて初詣。大晦日に行列していた神社は、今日は貸切状態。巣鴨の庚塚(こうしんづか)にある田彦神社。縁起を担いで。いい作品が書けますように。

2002年01月03日(木)  留守番


2004年01月02日(金)  金持ちよりも人持ち

■夕方にダンナの母と弟夫妻が来るので、朝から必死で大掃除。年末まで仕事だったので、今ごろ汗(冷や汗?)をかく羽目に。乾いたきり投げていた洗濯物の山を崩し、古新聞の山に取りかかる。使えそうな記事を切り抜き、心引かれた部分に蛍光ペンを引き、ファイルに分類する。ザッザッとこなしているつもりでも、結構時間がかかる。「金持ちよりも人持ち、友持ち」という言葉を見つけ、新年の抱負はこれで決まり。■ピンポーンと義母が到着したときは、片付く一歩手前の「捨てる物捨てない物ごちゃまぜ状態」。「いいわよ家族なんだから気にしないで」とおおらかに言いつつ、あれやこれやを投げこんだ『開かずの間』をちゃっかり開けて、「まあ!」と驚いていた。ダンナは新年会。義母と義弟夫妻とわたしで1時間ほどのんびりお茶をし、他愛ない話をして過ごす。「あのサンタクロース、えらい薄汚れてますねえ」。東京育ちだが大学から関西にいる義弟は関西弁で話す。「アメリカいたときのクリスマスにもらったから、もう18年洗ってないことになるわね」と大阪育ちのわたしは標準語アクセントで不思議な逆転現象。サンタさんの垢落としをしなくては。サンタで思い出したが、年末に会社の後輩コピーライターに雪だるまの姿をしたミルク泡立て器をもらったので、今日カフェオレ用のフォームミルクを作るのにデビューさせた。乾電池を入れ、スイッチONにすると、ウィーン。なかなかしっかり泡が立つ。■夜、「向田邦子の恋文」ドラマを観る。恋人のもとへ足しげく通う邦子に恋人が「仕事に障るのでは」と心配すると、「ここに来なきゃ一行だって書けないんだから!」と言い返す台詞が良かった。この人も、好きな人から、書く力をもらっていたんだな。■今年も、金持ちよりも人持ちでいたい。その人たちに力をもらって、作品を書いていきたい、と思う。

2002年01月02日(水)  パワーの源

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