JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:<橋下市長>文楽を鑑賞 「台本が古すぎる」と苦言(毎日新聞 7月26日(木)22時18分配信) 文楽協会への補助金凍結を表明している大阪市の橋下徹市長は26日夜、 ◆コメント:大阪市ってのは、専制君主制ですか・・・。 橋下徹大阪市長は、凡そ、「カネにならないもの」は無駄だ、という発想しかできない。 「自分には面白さがよく分からないが、これをみて通じ合っている人たちがいる。様々な感受性を尊重しなければならない」 と考えるべきで、大阪で営まれる人間の行為は、全てが自分(橋下市長)の好みに合うようにしなればならないなら、 この国は最早、専制君主による独裁制がまかり通る中世に時間が逆戻りしたも同然である。 ◆橋下市長は自分の発した言葉が論理的に矛盾していることに気がつかないか。 そもそも、橋下市長には、丁寧に批判して差し上げるだけ、有難いと思って貰いたい。 (文楽は)古典として守るべき芸だということは分かったが、新規のファンを広げるためには台本が古すぎる。 「古典」は「古い」から「古典」であり、現代風にアレンジしたら、それは最早古典ではない。 橋下市長は、文楽を見て、「古典として守るべき芸だということが分かった」という。 古典として守るべきならば、大衆に迎合してはいけないのである。 これを、音楽に当てはめるならば、 バッハの音楽は「古くさくて」、若者には受けないから、ロックバンド用に編曲しろ。 というようなもので、全く何も分かっていない。 この分だと、ベートーヴェンのシンフォニーが堅すぎる、といって、第九のフィナーレのソリストを 全員演歌歌手にして、コーラスをAKB48に演らせろ、とか、本気で言い出す可能性すらゼロではない。マンガである。 子供の頃、青春時代に芸術に触れる環境に育たなかったこと、それ自体は橋下市長の責任ではないが、 自分の趣味に合わないもの、自分に分からないものは、価値がない。あるいは儲からないモノは価値がない、 というその自分の価値観を根本的に反省するというプロセスが必要である。 と、随分紳士的に書いて差し上げたが、私の忌憚の無い気持ちを文字にするならば、 こいつはマスコミや、世間に毎日騒がれて、自己愛が異様に肥大している。 それに自分で気がつかない。死んでも治りそうに無い大馬鹿だ。 金正日は、オーケストラを創らせた(餓死者が出ている国で、それが良いとはいいきれないが)。 アドルフ・ヒトラーは、ワーグナーが好きだった。カネにならないからワーグナーの楽劇上演を禁止とは 絶対に言わなかった。 「芸術」に関しては、橋下大阪市長より、金正日とヒトラーの方がまだ理解がある。 それほど、橋下の主張は、彼の、超弩級の無教養さを表している。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2011年07月26日(火) 【翻訳】「日本で、核に関するベストセラーが新しい議論を反映している。(ワシントンポスト 7月19日)
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