JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆長い闘病生活の後、昨年7月25日に亡くなられた読者がおられます。 私がエンピツというWeb日記で「JIROの独断的日記」を書き始めたのは 2009年07月26日(日) この日記を読んでくれたみなさんへ で終わっています。 私は医学の知識がないので、どういう病状・経過だったのか実感が伴いませんが、 ご本人が入院した直後、病状説明と治療計画を書いておられます。 2007年07月03日(火)病状説明と治療計画 この骨髄異形成症候群自体はガンではないのですが、 急激に急性白血病、特に急性骨髄性白血病に移行することが多い。 ナカムラさんの場合も正にそれでした。 最初は抗ガン剤による化学療法を試みますが、治療効果がはかばかしくないので、 骨髄移植を行うつもりであったところ、適当なドナーが不在で、 臍帯血移植に切り替えざるを得なくなります。ナカムラさんの骨髄は最早ガン化して、血液を造れない。 臍帯血の中の造血幹細胞が血液を造り出すことを期待したのです。 臍帯血移植を行ったのが2007年12月27日でした。 書き忘れましたが、日記を注意深く読むとナカムラさんはわたしよりも5つ年下、1965年生まれです。 臍帯血移植時は、42歳でした。 臍帯血移植後90日の検査では、ドナー細胞が99パーセントで、ブラスト(芽球)と言われる悪性の未熟細胞は 1.6%で殆ど無い、という状態(ブラストが増えると白血病の再発が疑われるのです)になり、 2008年4月26日、移植後121日目(入院305日目)には退院許可が出て、元々アスリート(スキーです)のナカムラさんは、 2008年05月02日(金) 移植後127日目。奥只見丸山スキー場に行く。 と日記に書いています。さぞや嬉しかったことでしょう。ところが・・・・。 2008年06月16日に検査を受けた2日後、2008年06月18日、主治医から電話があり、 末梢血にブラスト発見。再発の疑い。 を告げられます。2008年06月24日(火) 移植後180日目にはブラストの占める割合が30パーセントになり、 最早、白血病の再発は明らかとなりました。あまりにも残酷です。 以下、本来高度に専門的なことですから、内容を本当には理解できませんが、CAG療法という 抗ガン剤のシタラビン、抗がん性抗生物質、アクラルビシンを点滴又は皮下注射する化学療法や、 白血球の血液型、HLAが完全に一致しないドナ−、ナカムラさんは弟さんから造血幹細胞移植を受ける、 半合致移植という、最後の手段まで試みました(2008年11月21日)が、その後大変な頭痛に苦しみます。 読んでいる方が辛いです。 それ以降の病状の経過は、何だか興味本位になるようで、不謹慎なので止めます。 結局、ナカムラキュウヤさんは、最後まで頑張りましたが、奧さんとお子さんを残し、 2009年7月25日に亡くなりました。容態が良くないことは、分かっていたのに、 私は最後まで、ナカムラさんにメールを送れませんでした。 「頑張って下さい」とか「早く良くなって下さい」などという言葉は空々しいだけです。 ナカムラさんは最後まで、周囲の人々に気を配っておられます。 ご本人が亡くなる8日前に書かれた、最後の日記です。 2009年07月17日(金)マダマダツヅクヨコノミチハ 最後まで「幸せだ」と書いておられます。私には絶対に真似できません。立派だと思います。 私は、この日記とご家族の最後の日記を読んだ時に、取り返しがつかないことをしてしまった。 と思いました。何でも良いからメールを送れば良かった。 願わくば、拙日記を読み、あるいは、ご紹介した音楽を聴いて、ナカムラキュウヤさんの気分が 束の間でも、少しでも和んだことを、今更ですが、祈るような気持です。 ナカムラキュウヤさんのご冥福を祈ります。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2009年07月26日(日) 「児童向け英会話ビジネス活発化 英語教育の必修化、不況が教育投資を後押し」←小学校で英語を教える必要はない。
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