JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆皆さんご多忙の折、恐縮乍ら、映画を観てきました。 先日書いたが、皆さん(社会人)は期末でご多忙のところ誠に恐縮乍ら、 ◆非常に真摯に作られた名画である。 まだ、この作品をご覧になっていない方もおられるだろうから、出来るだけ「ネタバレ」に 人間の良心、人間の本性が持つ善良な、明るい側面に光をあてる。 からである。それは、「おとうと」に関しても全く同様である。 出来の良い姉、吟子(吉永小百合)と、定職を持たず、だらしのない出来の悪い弟、鉄郎(笑福亭鶴瓶)の対比は、 年齢が逆転するが、寅さんシリーズにおける、しっかり者の妹、さくら(倍賞千恵子)と、風来坊の兄、寅次郎(渥美清) のコントラストを、想起させる。 吟子が女手一つで育て上げた娘・小春(蒼井優)の結婚披露宴に、招待していないのに突如現れた鉄郎は、 自分が酒乱であることを自覚し、周囲からも決して酒を飲むな、と厳命されていたにもかかわらず、 つい、一杯やってしまったが最後、止まらなくなり泥酔し、披露宴で大暴れして、これを台無しにする。 立腹しながらも、弟を庇う吟子だが、もう一度、迷惑をかけられ、さすがに激怒して鉄郎と絶縁する。 これ以上書くとまずい。最後はホロリとさせられる。 山田監督は、映画を撮るときには全て順撮り(台本に描かれたストーリー通りの順に撮影すること)だそうで、 テレビドラマや、他の映画作品では、極端な場合最初にラストシーンを撮ったり、撮影順が前後することは普通だが 山田洋次監督は、「それでは役者が本当に感情移入出来ない」から、絶対に順撮りなのだそうだ。 映画の流れが如何にも自然な要素の一つは、そこにもあるだろう。 ◆一般的にはお薦めだが、個人的には、残念ながら、今一つ。 誤解を招くといけないので、もう一度強調するが、「おとうと」は間違いなく、名画である。
による。1.はどうしようもない。私の為に作られた映画ではない。多くの人にとって、笑福亭鶴瓶氏は好ましい存在なのであろう。 この辺りが映画の難しいというか、困ったところで、音楽ならば、 ある同じ作品(曲)を、演奏家Aが弾いたのは好まないがBが弾いたのは良い。 ということがあり得るが、映画においては、役柄と役者が一体化し、映像として固定されており、 他をもとめることが不可能である。だから、書いても仕方がないのだが、あくまでも「個人的な感情」である。 2、に関して、私が酔っ払いが大嫌いになった背景がある。 それはかつて、日記(ココログ)に書いた。 リンク先の文中、「私が酒飲みから受けたトラウマ」という部分である。 つまり、映画「おとうと」は間違い無く名作だが、私が残念ながら完全には感情移入出来なかったのは、 「笑福亭鶴瓶という私が好まないタレント」が「私が非常に嫌悪する酔っ払い」になって、劇中、姪の結婚披露宴を台無しにした、 という時点で、私の中に こんな野郎、勝手に野垂れ死にすりゃ、いいじゃねえか。 という「憎悪」の感情が形成されてしまった事による。 風来坊で、身内に迷惑をかけたのは「寅さん」も同じで、妹・さくらのお見合いをぶちこわしたこともあるし、 義理の弟・博(さくらの夫。前田吟)の母親の法事で、余計なことをして、ヒンシュクを買ったこともあるが、 車寅次郎が酒を飲んで酔態を晒し、或いは酒で他人に迷惑をかけたことは、無い筈である(シリーズ48作全てを 観ていないと思うし、観た作品を全て記憶しているわけではないので、断言はできないが)。 そして、渥美清という俳優の、ここが天才的なところ(というか、もって生まれたキャラクター)で、 「それでも、どこか、憎めない」のだが、笑福亭鶴瓶だと私の場合、同列に扱えない。 何度も繰り返すが、これは私の「感情」であり、 映画作品としての「おとうと」そのものは、大変に美しい。 ご覧になっていない方には、是非お薦めしたい。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2009年03月10日(火) 「<経常収支>13年ぶり赤字、輸出の大幅減が影響 1月」←輸入が輸出を上回った、と言う意味です。「政治」の本質。
JIRO
|HomePage
|