DiaryINDEX|past|will
2005年03月10日(木) |
<ニッポン放送株>ライブドアの過半数は微妙 「タテ社会の人間関係」って読んだことないのかな。 |
◆記事:<ニッポン放送株>ライブドアの過半数は微妙
フジテレビジョンとのニッポン放送株争奪戦で、過半数取得を目指しているライブドアについて「市場でのニッポン放送株の売りが細っており、6月の株主総会の勢力を確定する年度内には、過半数に届かないのではないか」(市場筋)との観測が強まっている。
ただ、ライブドアが2月8日に大量取得するまで筆頭株主だった投資ファンド、M&Aコンサルティング(通称「村上ファンド」)の動向は不明。現在も相当数を保有していて市場で売却すれば、ライブドアが過半数に届く可能性があるだけに、改めて動向が注目されている。
◆コメント:形式を満たしても、堀江氏はニッポン放送を上手く運営できないでしょう。
このごろは、あまり書店で見かけることが無くなったが、私が学生の頃までは、実に色々な学者、作家、元ビジネスマン、などが「日本人論」を展開していた。 日本人が書いた日本人論で欠かせないのは、社会人類学の中根千枝東大名誉教授の「タテ社会の人間関係」、土居健郎氏の「甘えの構造」、イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏の「日本人とユダヤ人」あたりでしょう。
タテ社会の人間関係は、後から文句をつけるのは簡単だが、初めて日本人の社会の特質を理屈で説明した本として、やはり画期的である。
但し、この本は題名が悪い。講談社現代新書だから、講談社の編集者の責任もあると思うが、もっと内容を反映させようと思ったら、「『場』の社会の人間関係」とするべきだった。
中根氏によれば、日本では、個人主義が発達せず、集団の中の和が重んじられ、意志決定は、「集団」によって成される。何故か。
◆個人の属性(=資格)のつながりを重んじる西欧と「場」のつながりを重視する日本。
人間の集団を大きく分類すると、各個人の資格を共有することを重んじるもの(資格とは、この場合、個人の属性という意味であり、性別、職業、氏素性、学歴、資本家か労働者か、などなど)と、「場」を共有していることを重んじる集団がある。
「場」とは、学校、職場(会社)、地域などを指す。 そして、勿論日本人の集団は後者である。
「場」を共有していることの方が個人の属性よりも重視されるわけであるから、日本人が重んじる社会にはさまざまな資格のものが入り交じっている。
これを統制する手段の一つは、年齢が高いものほど権力を持つ、という仕組みを作ることである(念のため書き添えるが、社会学というのは、良い悪いを論ずるのではなく、まず、ありのままを観察分析する作業なのである。この仕組みの長所・短所とは別である)。
もう一つ、場の社会においては、その場を他の仲間と共有していることが、その人の「社会的資本」となり、共有してきた時間が長いほど。その「社会的資本」の価値は増大するのが大きな特徴である。
「お局様」が偉そうにしているのは、そういうことだ。
だから、日本人は場を共有してきたものは仲間であるが、そうでないものは「よそ者」であり、簡単には受け入れられない。
自分が勤務する会社のことを「ウチの会社」という表現をするのは日本人ぐらいである。
繰り返すが、良い悪いではない。現実が、そうなのだ。
◆堀江氏はまだ、「よそ者」なのだ。
堀江氏は、この点が分かっていないのである。
彼が、株式市場に忽然と登場して、ニッポン放送の株を買い占めようとしたときに、それ自体が違法ではないのに、猛然と反発を食らったのは、若干30余年の財界の若造、つまり日本の財界という「場」における「新入り」(心情的にはよそ者)であるにもかかわらず、長い歴史を持った会社の株を買い占めて、「文句あっか?」というそぶりを見せたためである。
確かに堀江氏は同じ日本で経済活動を行っており「場」を共有しているが、まだ、完全に一員と見なされるほどの時間を共有していないのである。
◆ニッポン放送の社員が拒絶反応を示したのもそのためである。
ニッポン放送の社員達は戦々恐々としていて、仮にライブドアがニッポン放送の発行済み株式の過半数を握り支配権を握ったとしても、堀江の云うことなど聞かぬ、と気焔を上げていたが、これも同じ原理である。
長い間、同じニッポン放送という「場」を共有していない人間は、ニッポン放送社員にとって「よそ者」であり、いくら、法的要件を満たしていたとしても、生理的・心理的に、 その支配には従いたくない、ということである。
これは、合理性を欠いているが、人間、残念ながら全て合理的に行動するようには出来ていないのである。
私が「タテ社会の人間関係」を読んだのは、23年前であり、その頃に比べると、かなり日本人も欧米人のまねをするようになったが、「場」の社会を重んじる「遺伝子」は多分、そう簡単には変わらないのだろう。
2004年03月10日(水) 「神戸連続児童殺傷、加害者の元少年が仮退院」 様子を見るしかないね。
2003年03月10日(月) 58年前の今日、東京にはたくさんの爆弾が投下されました。