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2004年03月10日(水) |
「神戸連続児童殺傷、加害者の元少年が仮退院」 様子を見るしかないね。 |
◆記事:神戸連続児童殺傷、加害者の元少年が仮退院
1997年に起きた神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で、関東地方更生保護委員会(さいたま市)は10日午前、関東医療少年院(東京都府中市)に収容されていた当時14歳の加害者男性(21)の仮退院を認める決定をした。
これを受け、男性は直ちに仮退院し、同年6月の逮捕以来、約6年9か月ぶりに社会に戻った。今後、保護観察下で社会生活を送り、問題行動などがなければ今年12月末に正式退院を迎える。法務省は男性が仮退院した事実を遺族に通知。午後には決定に至った経緯などを報道発表する。
同委員会はこの日朝、男性の仮退院の可否を最終的に協議し、「約6年半にわたる矯正教育で、事件の要因となった男性の性的サディズムなどは改善され、再犯の恐れもなくなった」と判断。出院後の居住地などにもめどがついたことから、仮退院を認めた。
◆記事2:「追い込まないで」社会復帰を訴え 2004/03/10(神戸新聞)
神戸市の連続児童殺傷事件で、加害者の男性(21)が十日、関東医療少年院から仮退院したことを受け、少年審判で男性の付添人を務めた弁護士は「周りが騒いで男性を追い込んでしまうと社会復帰が難しくなる」と訴えている。
弁護士は、男性が更生したとされることに関し「自分の命の価値に気付いたことで、人の命を奪ったことへの贖罪(しよくざい)の気持ちが生まれた」と分析。
被害者側が懸念する再犯の恐れについて「少年は短期間で大きく成長する。心配はしていない」と言い「少年院が最高の手厚い態勢で臨んでくれたようだ」と話した。
その上で、男性に対し「犯した罪の重みは消えないが、自分が人に愛されていることを忘れず、強く生きてほしい」と呼び掛けている。
◆コメント:問題を混同しないこと。少年法は改正すべきだが、この青年を追い詰めたら、本当に再犯の可能性が出てしまう。
この問題に関して、世間がどのような反応を示すかと思い、いろいろな掲示板群をざっと眺めた。予想通り、「こんな男は社会へ出すな」とか「殺してしまえ」という書き込みが非常に多い。私も出来れば死刑にしたいが、現行法では出来ないのだからどうしようもない。そして、医療少年院に収容することももはや制度的に限度だというのだから、仕方がない。
今の法律が良い、といっているのではない。女子高生コンクリート詰め殺人の犯人たちなどは、とっくに社会に出て、中には結婚して子供を作った者もあるという。憤懣やるかたない。
しかし、本当に、許せない、と思うなら、首相官邸と法務大臣宛てに何回でも抗議のメールを送るか、同士を集めて少年法改正運動推進団体を組織するべきだろう。2ちゃんねるでいくら「あいつらは、許せない」などと書き込みをしていても、世の中を変えることは出来ない。そこまでの行動に出ないということは、結局、現状を肯定しているのである。
話がそれたが、要するに、今、ギャーギャー騒いでも、この男を殺すことは出来ないのである。
かつての「酒鬼薔薇聖斗」の人格がどのように変化したのか本当のところは誰にも分からない。だから、嫌な感じではある。皆さんはまだ、いいですよ。少年が今日医療少年院を仮退院して、住む所は、去年の週刊誌の報道によれば、私の自宅から数キロの場所なのだ。なかなかスリリングである。
記事2の弁護士の「彼を追い詰めないで」という言葉に対しては、子供を残虐な方法で殺した人間を、何故、社会が、腫れ物に触るように扱わなければならないのか?という反論が出るだろう。が、彼の意見は重要な点を衝いている。
刑事政策学という学問があって、その1分野に「犯罪の原因論」がある。人は、何故犯罪に走るのかということを考えるのである。それで、再犯に関してアメリカ西海岸の大学で提唱された概念で「ラベリング・アプローチ」というのがある。要するに、1度罪を犯した人間は、世間がその人物に「どうせあいつは、また、悪いことをするのだろ?」という「レッテル」を貼るので、いつしか、当人はその「マイナスの期待」に応えるような行動、すなわち、同種の犯罪に走ってしまうのだという、考え方である。
これは、常識的な人間観から見ても納得がゆく説明である。だから、今日出所した男のことは、まず、マスコミがなるべく騒がないで欲しい。マスコミが騒ぐと、近所の人にもすぐにばれる→白い目で見られる→段段やけくそになる→再犯ということになりかねない。再犯ということは、犠牲になる人間がでることですからね。
週刊誌は一部でも多く売りたい。テレビは視聴率を0.1%でも稼ぎたい。しかしそれが、また、人を、死なせるかもしれないのだ。
とりあえず、なるべく放っておくしかない。いたずらにネットで居所を明らかにしたり、画像を掲載したりするバカが出ないことを祈る。
2003年03月10日(月) 58年前の今日、東京にはたくさんの爆弾が投下されました。