外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
DiaryINDEXpastwill


2009年12月02日(水) 平山郁夫画伯、ご逝去。30年前に予備校で「特別講座」を拝聴しました。

◆記事:<訃報>平山郁夫さん79歳=日本画家、シルクロード描く(毎日新聞 - 12月02日 14:22)

現代を代表する日本画家で、仏教やシルクロードに題材をとった作品を数多く描き、

世界各地の文化財保護活動にも尽力した文化勲章受章者、平山郁夫(ひらやま・いくお)さんが

2日午後0時38分、脳梗塞(こうそく)のため東京都内の病院で死去した。79歳。

葬儀は近親者だけで行い、後日、お別れの会を開く。

広島県の生口(いくち)島(現・尾道市瀬戸田町)生まれ。旧制中学3年の時、学徒勤労動員先で被爆した。

東京美術学校(現東京芸術大)で日本画家の前田青邨(せいそん)に師事。卒業後、母校の助手を務めながら、

日本美術院展(院展)に出品を始めた。1953年、院展に初入選した。

当初は故郷の牧歌的な風景や人物を描いていたが、59年、仏典を中国に持ち帰った玄奘(げんじょう)三蔵を描いた

「仏教伝来」で一躍注目を集めた。以来、平和を祈念し、仏教やシルクロードをテーマにした作品をライフワークにした。

旺盛な制作のかたわら、高松塚古墳の壁画模写など文化財保護活動にも取り組んだ。

その活動は国外へと広がり、「文化財赤十字」構想を提唱。私財を投じ、中国・敦煌の石窟(せっくつ)寺院や

北朝鮮の高句麗壁画古墳、アフガニスタンのバーミヤン遺跡など、仏教遺跡を中心とした保護・修復活動を行った。

日中友好に貢献したほか、ユネスコ親善大使なども積極的に務めた。

後進の指導にも情熱を注ぎ、73年に東京芸大教授。89年学長に就任した。

95年末でいったん退いたが、01年に再度選ばれ、05年まで務めた。96年、日本美術院理事長。98年、文化勲章。

96年、フランスのレジオン・ドヌール勲章をはじめ、世界各国から文化交流の実績をたたえられた。毎日新聞社特別顧問なども務めた。


◆コメント:平山先生は、正真正銘の紳士でした。30年前に予備校で「特別講義」を拝聴しました。

平山先生の美術上の業績に関しては、無知な私が分かったようなことを書くのは僭越なので、遠慮させていただきます。


私はちょうど30年前、1979年東京の代々木ゼミナールに通う浪人生でした。

あの予備校は、経営者が如何にもカネの亡者みたいな顔をしていた(去年だか今年、亡くなりました)けど、

意外に文化的なところがあって、偉い先生方を招聘して大学受験には直接的には何の役にも立たない(だからこそ大切なんですが)、


「教養講義」を依頼するのです。

私の年は、京大名誉教授でフランス文学、フランス史、特にフランス市民革命の研究で名高い桑原武夫先生と、

平山郁夫先生のお話を拝聴しました。

平山先生はシルクロードの旅で撮った写真をスライドにして説明してくださいました。

その内容は勿論興味深いものでしたが、私はそれ以上に平山先生の「真摯」で「紳士」なお人柄に驚嘆しました。

スライドを説明する際、先生が座って、マイクを通して大教室の学生全員に聞こえるように、

予備校の事務員達がセッティングするのですが、一人若い女性事務員が、平山先生に椅子を持ってきました。

先生は、その事務員に対して、

あ、どうも恐れ入ります。

とおっしゃったのです。何という丁寧な、紳士だろう、と、まだ世間を知らない私でしたが、その言葉に感動しました。

あれから30年経ち、大学を卒業し、会社に入って、何百人、何千人という「大人」を見てきましたが、

平山先生のような人は、残念ながら殆どいない、ということがよく分かりました。

大抵、大したこともない、会社の「エラい」人、政治家、役人、等々はこういうケースで、女性事務員など、

目に入りません。椅子ぐらい持ってきて当然。御礼など言う必要なし、という態度が99.9・・・%です。


その、不躾な、世の中の大多数の「凡人」を見る度に、私は過去に思いをめぐらせ、
平山先生は、正真正銘、頭のてっぺんから、つま先まで紳士だった。

と思うのです。

ネット上、特にこのブログでは、私は先生とは対極的に、何かというと「馬鹿野郎、ふざけんな。張り倒すぞ」などと、

田夫野人の如き、野蛮な言葉を記してしまいますが、リアルの世界では(手前味噌ですが)家内が

あなた、ちょっと丁寧すぎるんじゃない?

というのです。つまり、私は、色々な店で買い物をしたり、外で食事をするときに、

しばしば必要以上に丁寧に、「有り難うございます」「恐れ入ります」を多用する傾向にあります。

これは、理由ははっきりしていて、予備校時代に目の前で拝見した、平山先生の丁寧な物腰し、少しも偉そうになさらない

姿を見習わなければ、という意識が働くのです。それは、それで良いと思います。

本来、人間は、皆平山郁夫先生を見習うべきだ、とすら思っています。


シルクロードの説明も、私らごときタカが浪人生が相手だというのに、恐縮するほど丁寧な言葉、態度を

平山郁夫先生は、絶対に崩しませんでした。それは、意識しているのではなく、そういう方なのです。

説教じみたことはおっしゃりたくないご様子でしたが、予備校の理事長に、「何か受験生にアドヴァイスを」とでも

頼まれたのでしょう。先生は、
「絵を描く時に、表現したいものがあるのは勿論大切ですが、その為には絵を描くために必要な技術を体得している必要が

あります。皆さんが今、一生懸命知識の習得のために「格闘」なさっている最中だとおもいますが、それは、

何をする上でもきっと役に立つ「基礎」になるでしょう。ご健闘をいのります。

とおっしゃいました。

私は浪人して色々な事を学びましたが、平山先生のお人柄に接することができただけでも、予備校に行った甲斐があった、

と、今でも思っています。先生のようなご立派な方には、もっとご活躍頂きたかったけれども、

こればかりは仕方がありません。

平山先生、有り難うございました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

【読者の皆様にお願い】

是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。


2008年12月02日(火) 「<山本五十六>「述志」2通発見、日米開戦の心情つづる」←山本さん、三国同盟にも開戦にも大反対だったのは、周知の事実。
2007年12月02日(日) 「ジャーマン・ブラスのクリスマス」これは、楽しいよ。
2006年12月02日(土) ベートーベン「交響曲第7番」のお薦めCD
2005年12月02日(金) <耐震偽造>民間確認検査機関が陳謝、再調査結果を説明←陳謝で済むか、馬鹿者。
2004年12月02日(木) 「環境投資で排出枠獲得 政府、ロシアや中東欧対象」 京都メカニズムという制度が京都議定書にあるのです
2003年12月02日(火) 「ある音楽家の教養の程度は、彼のモーツァルトに対する関係で分かる」(カール・フレッシュ=バイオリン演奏の技法)
2002年12月02日(月) 未成年でも殺人犯は厳罰に処すべきである。

JIRO |HomePage

My追加