JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:<山本五十六>「述志」2通発見、日米開戦の心情つづる(12月2日12時45分配信 毎日新聞) 旧日本海軍の山本五十六(いそろく)・連合艦隊司令長官(1884〜1943年)が、太平洋戦争が始まった ◆コメント:全然意外ではない。山本五十六、米内光政、井上成美は、開戦に徹頭徹尾反対だった。 私が、ゴチャゴチャ綴るよりも、皆さん、阿川弘之氏の三部作を読んで頂きたい。それは、 山本五十六(上)(下) 米内光政 井上成美 である。 戦前の海軍軍人である。海軍大将にまで、なった人たちだ。言うまでもなく戦前の日本は、「専守防衛」ではない。 「軍人」は戦をするかも知れない、という前提で教育を受けて来た、「戦争のプロ」の筈だが、 山本、米内、井上は、「海軍リベラル三羽ガラス」などと新聞記者たちの間でも有名なほど、柔軟で合理的で現実的な思想を持っていた。 日本が、ヒトラーのドイツ、ムッソリーニのイタリアと三国同盟を締結するときに、三人は大反対だった。 山本は、「戦争になる。こんな条約を締結したら、アメリカ、イギリスと戦争になる」(その通りになった)とカンカンに怒った。 この時期海軍次官だった、海軍省には、毎日の様に右翼やら何やら訳の分からない、頭の悪い奴らが来て、「三国同盟を締結しろ」と脅迫した。 あまりにもすさまじいので、山本五十六は死を覚悟し、「述志」と題する文章、要するに遺書を書いていることは、阿川弘之著、 山本五十六(上)の264ページに記されている。 今般その原本が見つかったということだが、内容自体は山本の思想からすれば当然であって、脅迫されたぐらいで「三国同盟反対」の意見を変えるつもりは無かった。 井上は、戦争が始まる年、昭和16年1月、中将で海軍の航空本部長だった。「新軍備計画論」という「論文」を上司である海軍次官、大臣に提出した。 自分が正しいと思ったら、上司であろうがだれであろうが、あくまで意見を曲げない人だった。この「論文」は先日の元自衛隊の誰かさんの「論文」とは 大違いである。 「日本が米英を破り彼を屈服する(引用者注:米英を屈服させる、という意味)事は不可能なり。その理由は極めて明白にして・・・・」 工業力の差が比べものにならない。その上、明治の頭で昭和の軍備をやっても意味がない。戦艦なんかより、航空機に力を置きなさい、 このまま対米戦争なんかに突入したら、アメリカは、 「1.日本国全土の占領が可能、2.首都の占領も可能、3,作戦軍の殲滅(せんめつ)も可能」 井上の予想は完全に的中したが、当時の日本では、この程度の常識的な判断も受け入れられず、この後、井上は暫く閑職に左遷される。 米内光政は、普段は寡黙な人だったが、平沼内閣の海軍大臣時代、1938(昭和13年)、 8月8日の五相会議(昭和時代前期の日本において、内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の5閣僚によって開催された会議)の席上、 石渡蔵相から、 「三国同盟を締結するのならば、日独伊三国が英仏米ソの四国を相手に戦争することを考えねばならず、その場合、 と、質問されたときには、極めて明確に、 「勝てる見込みはありません。大体日本の海軍は米英を向こうに回して戦争するように建造されておりません。独伊の海軍にいたっては問題になりません。」 と答えた。 少なくとも、海軍の山本五十六、米内光政、井上成美の3人の大将、中将には、アメリカと戦争をするなど、正気の沙汰とは思えなかった。 そして、命を賭して戦争を防ごうとしたが、大衆は愚かで、一度世論が「鬼畜米英」に傾きだしたらどうしようもなかったのである。
「大局より考慮すれば日米衝突は避けられるものならば此を避け、この際隠忍自戒臥薪嘗胆すべきは勿論なるも つまり、ここまで来たら、最後の可能性は、天皇陛下が「戦争をしてはならぬ」と言って下さることを、 祈るだけだ、というのである。戦前だから、日本の軍隊は全員陛下の部下なのである。陛下が「絶対戦争したら、ダメだ」 と言ったら、その命令は絶対であり、日本は戦争するわけにはいかなかった。戦争しなくて済んだのである。 山本はまた、連合艦隊司令部で「真珠湾をやる」と宣言し、図上演習をおこなった、昭和16年10月11日付で堀悌吉宛に書いた手紙で、 「個人としての意見(引用者注:開戦反対ということ)と正確に正反対の決意を固めその方向に一途邁進の外(ほか)なき と、書いている。阿川さんは、 「個人としての意見と正確に正反対の決意を固め」というような言葉は、彼は他の人には決して言わなかった。 と書いているが、正にその通りだと思われる。
山本は11月13日に、各艦隊の司令長官、参謀長、先任参謀らを集め、真珠湾作戦の説明をした。 「目下ワシントンで行われている日米交渉が成立した場合は、出動部隊に引揚を命ずるから、その命令をうけたときは、 それに対して、機動部隊の司令長が、「一旦、出てから戻ることなど無理だ」と反論した。 他にもそれに同意する指揮官がいた。山本は顔色を変えた。 「百年兵を養うは、何のためだと思っているか。ただただ、平和を守らんが為である。もしこの命令に従えないと思う指揮官があるなら、 と言った。言葉を返す者は一人もいなかったそうだ。 一番、戦争をしたくなかった軍人が、真珠湾の総責任者だったのである。 何という悲劇だろうか。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。 【お詫び】 普段はメールを受け付けているのですが、最近、海外からのスパムメールがやたらと多いので、メールフォーム非表示にしてあります。 ココログからも、メールが送れますので、よろしければご利用下さい。
2007年12月02日(日) 「ジャーマン・ブラスのクリスマス」これは、楽しいよ。
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