JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆少々、取り込みがありまして。 相方の体調が良くない。3週間も生理が遅れている。 ◆夜中に家族に病人が出るのは初めてではない。だが嫌なものだ。 面倒くさいからではない。 「いや、鼻血ってのはね。大量に見えますが唾液などが混じっているから実際は大したことないのですよ」 という。違う。明らかにものすごい鼻腔内出血だった。トイレで倒れた。 救急車で新宿の東京医科大学病院の救急に搬送された。 診察台に座った時、痙攣を起こした。恐らく脳梗塞の軽いものだったのだろう。 その時は命は助かったが、あの時の恐ろしさは忘れられない。 暫く無事だったが、1992年12月26日、父は脳梗塞を起こし、最初は近所の病院に搬送され、 後に慈恵医大病院に二ヶ月ほど入院した。最初は少し麻痺があったが、ほぼ元通りになった。 しかし、遂に、1993年8月下旬の真夜中、離れたマンションに住んでいた(既に私は結婚して子供がいた)私に、 母から電話があった。また倒れ、救急車で比較的近くの個人経営の総合病院に搬送されたという。 私は車を飛ばした。病院に到着したら、いきなり当直の脳外科の女医から、 「危ない状態です」 と言われた。ここでは治療が困難だからといって受け入れ先を探し、東京女子医科大学のICUに運ばれた。 こういう時の不安な気持ちは経験しないと分からない。私は朝まで一睡もしなかったが眠さを感じなかった。 折悪しく、私はその直前、ロンドン勤務の内示が出ていた。どうしようか迷ったが、父が行けといった。 後ろ髪を引かれる思いであった。数年後、父は再び脳出血を起こして他界した。私は死に目には遭えなかった。 家内はそんな重篤ではないが、要するに夜中の病人というと、親父を思い出すのだ。 だから、とても落ち着かない気持ちになる。加えて私はうつ病である。不安系のうつ病である。 下手をするとパニック発作を起こすから気をつけなければならない。 当分眠れそうにないが、天下国家を論じる気分にもなれない。 これほど、私事を並べるのは(最近ちょっと増えているが)稀なことなので、 ご勘弁いただきたい。 もしかすると、筋腫をオペで取るかも知れない、そうすると暫くバタバタする。 ただ、筋腫だけについてオペをやると決まったわけではない。ただし、検査の結果、 悪性肉腫(要するに、ガン)が見つかったら、間違いなくオペだから、そうなると、 ちょっと厄介だ。日記の更新が滞る日が増えるかも知れない。 まだ、検査結果が出ていないのに、このようにクヨクヨ考えるのは、私の性格である。 読者諸氏に、事情をご説明いたしたく、稿を上げた。今のところ(2008年08月29日(金)01時25分)、 痛みがおさまってきたのか、静かだ。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2007年08月28日(火) 「イージス艦『流出情報は共有パソコンに』…下士官が供述」←こういう集団で戦争するのですか?安部さん。
JIRO
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