JIROの独断的日記
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2003年08月28日(木) |
「私たちは生まれながらにして、ストロークなしでは生きていけない。」(エリック・バーン、心理学者)宅間被告人のストローク飢餓 |
宅間被告人は何故、ここまでして人の神経を逆撫でするのか?
心理学の一分野にエリック・バーンという学者が興した、交流分析(TA:Transactional Analysis)という理論体系がある。交流分析で重要な概念のひとつに「ストローク」というものがある。ストロークとは「相手の存在を認める言動」である。ストロークには正のストロークと負のストロークがあるが、バーン博士によれば、とにかく人間はこの「ストローク」、他人からの反応、を求めつづけて生きているようなものなのだそうだ。
朝、知り合いに会ったときに「おはよう」と声をかけるのはストロークの発現であり、それに対して「おはよう」という返事が返ってきたら、お互いに正のストロークを交換した事になる。
こちらが、相手に対していやな顔をした場合は負のストロークを発現した事になる。相手もいやな顔をしたら、負のストロークの交換をした、ということになる。負ではあるがストロークを交換したことは事実である。
どちらか一方、或いは双方が何の挨拶もしなかったら、ストロークの交換は無かったことになる。
要するに、好意的な挨拶のみならず、相手の長所や功績をほめるのが正のストロークで、叱ったり、けなしたりするのが負のストロークである。
勿論誰でも、正のストロークを沢山与えられれば、やる気が出て伸びやかに成長するが、正のストロークが与えられない人間はどうするかというと、負のストロークでも良いから集めようとするのだそうだ。
インターネットの掲示板で荒しや煽りをするのは、その典型である。負のストロークでも良いから、誰かに何か反応して欲しいのである。
また、暴走族もかならず、人がすんでいるところを「暴走」する。誰も居ない山中を「暴走」しても、人がいないのだから、何のストロークも得られないからである。
宅間という男も同様である。裁判中にわざと世間の憎しみを買うような言葉を発するのは、彼の人生ではとうの昔に正のストロークを得る事は諦めており、負のストロークを必死になってかき集めようとしているのだと推測される。
つまり、人間にとって一番辛いのは「何のストロークも得られない状態」だ、ということになる。
いじめにも「無視する」というやり方があるのは、この原理である。あえて、一切のストロークを与えないわけである。
宅間被告人は遅かれ早かれ死刑に処せられるであろうが、彼に最も辛い思いをさせようというのであれば、刑の確定後、拘置所の人間も、司法関係者も、今後一切、彼に声をかけず、向うから話し掛けてきても無視することである。そして、だまって、刑場に引きずり出し、宅間が「最後に言いたい事がある」などと言っても、一切無視して、刑台に連れて行き、死刑を執行することである。
2002年08月28日(水) 精神疾患への理解
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