JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆「超」私事(わたくしごと)ですが、倅が修学旅行に行っているのです。 今週、私は、沖縄の天気を東京の天気より心配している。 ◆それはともかく、昨日(6月25日)が倅の誕生日だったのです。(親バカ話の連続ですいません) 17年前、1991(平成3)年の6月25日午前11時19分に倅が生まれた。 「おめでとうございます。元気な男のお子さんですよ」 と言われても、ポカンとしてしまう。顔はまだ何だか紫っぽいし、しわだらけでサルみたいだ。 産湯につかる前なので血液も付着しているし、正直言って「ギョッ」とするのである(少なくとも私はそうだった)。 実感が湧かないとは、このことだ。 実を言うと、私は以前、子供が嫌いだった。 だから、自分の子供が出来たと知ったとき、生まれてきた子どもを「可愛い」と感じなかったらどうしよう・・・と、 今から思うと滑稽だが、本気でそういう心配をしていた。 しかし、上手くできてますなあ。人間ってのは。我が子を愛おしく思うように出来ているらしい。 たとえ見た目がどうであろうが、首が据わるのが遅かろうが、歩くのが遅かろうが、言葉を話すのが人より遅かろうが、 可愛い(アイドルタレントをみて可愛いと思う、「可愛い」ではない。「かけがえがない」ということだ)と思うように出来ているのである。 母も家内も私が子供嫌いだったことを知っていたので一体どうなるか、と、心配していたらしいが、 いざ子供が生まれたら、オムツを替えるのは早くて上手いわ、ミルクを作るのは上手わ、泣いている我が子をあやすのは私が一番上手いので、 「ポカン」としていたそうだ(後から聞いた話である。自分では、自分の変化に気が付かなかった。自然に我が子が可愛かった)。 ◆親というのは哀れなものでね。 前述したが、愚息は、成長の過程において全て標準より遅く、背も小さかったので、あるとき、 「うるせえなあ」 と思っていた。あの時の親父の気持ちが分かった。が、孝行をしたいときには親は無し。 ◆肌身離さずもっているものが有るのです。 今日は、徹頭徹尾親バカで書きます。肌身離さず・・・といっても、珍しいものでも何でもない。
2007年06月25日(月) 「年金記録漏れ、社保庁全職員に賞与返納要求へ 」←社保庁職員は「一生賞与無し、退職金、年金無し」が相応。
JIRO
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