JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:集団的自衛権行使容認を=首相は解釈変更に消極的−政府懇(時事通信社 - 06月24日 21:01) 集団的自衛権行使の個別事例について検討していた政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」 ◆コメント:集団的自衛権の意味。 まだ、こんな懇談会が存続していたとはしらなかった。 安倍総理大臣が、憲法改正を重要政策の1つとしていることに関連し、憲法を改正する必要があると思うか尋ねたところ、 「集団的自衛権」の意味も説明できずに憲法第9条を変えるのに賛成、とは開いた口がふさがらない。 はっきり言って無責任だ。大人がこういう無責任な態度だから、ガキもいい加減な人間になる。 集団的自衛権とは、 「自国が他国から侵略・攻撃を受けていなくても、自国と同盟関係を結んでいるなど、密接な関係にある国が第3国から、 である。 ◆個別的自衛権とは何か。 国際法と国内法を混同してはいけないが、この件に関しては、例えとして国内法(刑法)を使っても良いと思う。 全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 全世界の国民だから、当然日本国民も含まれる(日本国憲法だから、当たり前だが)。 どこか、よその変な国が日本を攻撃・侵略してきた場合、日本国は国民の平和的生存権を守らなければならない。 そのため、これに自衛隊が反撃するのは当然である。これが個別的自衛権である。 自分からよその国へ行って武力を行使する訳ではない。 ◆集団的自衛権を認めていないから、日本の自衛隊は世界有数の兵力を持ちながら、戦後六十余年、外国人をひとりも殺さずに済んでいる。 日本国憲法第9条第1項は、 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 と、謳っており、日本は完全にこれを守っている。 集団的自衛権をもしも認めたらどうなるか。 日本は、アメリカがベトナム戦争の泥沼に陥ったとき、集団的自衛権を認めていないから、巻き込まれなかった。 ところが、お隣の韓国の憲法は集団的自衛権の行使を禁じていないため、アメリカの要請に応じて兵隊をベトナムに送り、多くのベトナム人を殺した。 日本もそういう国になりたいですか? 強大な軍備を持っていながら、それは自国を防衛するためであり、憲法の規定に従い外国人を一人も殺していない、 そのことで、日本は世界から、一目置かれている。海外の新聞・雑誌の論説を読むと、分かる。 以前、読者の方から反論のメールを頂戴した。 「集団的自衛権はあくまで『権利』であり、義務ではないのだから、集団駅自衛権の行使を認めても必ず行使するとは限らないだろう」 という趣旨だった。 そんな、都合良くことが運ぶ訳がないでしょう。 政府の公式見解で集団的自衛権の行使を「違憲」としている今ですら、ちょっとアメリカにすごまれると、 日本政府は自衛隊を海外へ派遣する。海上自衛隊の艦船は、インド洋で、無料ガソリンスタンドをおこない、 航空自衛隊は、クウェートからイラクに、武装した多国籍軍兵士を輸送機で運んでいる。 しかし、空自の活動に対して、今年の4月、名古屋高裁が「違憲だ」と判決を下した。 自衛隊イラク派遣に違憲=兵士空輸「武力行使と一体」−名古屋高裁」(ココログはこちら)。 名古屋高裁は、 航空自衛隊の行為は、多国籍軍の武力行使と一体化した後方支援であり、自ら武力を行使したのに等しい。 という趣旨を判決文で述べている。行政府の行為や法律、手続きなどが合憲か違憲かを判断するのは司法で、 その司法がはっきりと後方支援は9条違反だ、と判断を下したのである。 それを無視した、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の結論は、無意味である。 憲法を変えたい連中はすぐに「国際貢献」を持ち出すが、自衛隊を送らなくても日本は、 既に、多くの国際貢献をしてきたし、今もしている。それは、 党首討論を聞いて。何故「国際貢献」というと「自衛隊派遣」しか出てこないのだ?(ココログはこちら) をご覧頂きたい。国際貢献と軍隊とは関係無い。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2007年06月24日(日) 「野党各党、政府責任を一斉に追及 年金記録紛失」←NHK「日曜討論」視聴後所感。
JIRO
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