I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME
2015年08月29日(土) ■
『野火』展、KUNIO12『TATAMI』
『野火』展@ギャラリー山陽堂 表参道の交差点にある書店。通りかかるといつもそこにある、と言う感じ。あたりまえにある風景だと思っていたので、一時期リニューアルのために閉店したときはドキリとした。そして今年、新聞でこんな記事を読んだ。・『表参道、生死を分けた書店 山の手大空襲伝え続け70年』:朝日新聞デジタル 『野火』展が開催されるとのお知らせをtwitterで見て、すぐこの記事のことを思い出した。その書店でこの展示が行われることを考える。 ギャラリーは2〜3階。メゾネットのようなつくりになっていて、螺旋階段を上っていくとそれぞれ独立したフロアに着く。2階にはスチール写真と監督の直筆挨拶文、数点のイメージ画、ポスター、関連書籍やフライヤー。3階に絵コンテ、衣裳、小道具、メイキング映像。2階のみ撮影OK。 塚本監督の描く絵がかわいいと言うのは有名だが、そのタッチで執拗に描きこまれた絵コンテには人体損壊のディテール、その美術を作り上げるためのアイディアメモ(素材や造形方法についての細かい指定)がビッシリ。どのように身体を傷付けるか、こう力を加えられた身体はどういう流れで肉塊になるか、その肉塊、人間が、どういうふうに物体になるか。いかに偽物を本物のように見せるか、撮るか。プロデューサーとディレクターの両面性が窺える。スポンサーがつかなかったこと、の困難さを思う。シネマトゥデイの『「野火」への道』 に詳しいが、ヘルメットや銃は発泡スチロールやアルミ箔、ベニヤ板で作られている。護送車に至ってはダンボール製。映画を観たひとなら解るだろうが、これらが全くそう見えなかった。つまり、ハリボテに見えなかった。今回展示を見ても、成程確かに近くで見れば銃には装備がない。板を銃の形に丁寧に削り、塗装を施しているだけだ。しかし、その質感がすごい。野外で使い込まれたかのような汚れ、垢の再現。衣裳の傷み具合も腐臭を発しているかのようで、思わず息をとめてしまった。等身大のスタンドに衣裳を着せたものがメイキング映像を流しているモニタの後ろにあるもんだから、集中して映像を観ていたひとが、ふと振り向いて「うわっ」と驚いていたりする。兵隊の亡霊が立っているようだった。ありきたりな表現だが、衣裳や小道具に込められた製作者の気迫が今でもこの空間に漂っているのではないかと思う程だった。 自主製作の基本でもあるDIY精神には、執着(執念と言った方がいいかも知れない)とそれに伴う技術が必要だ。限られた予算と時間のなか、どこ迄出来るか。その最たるものを見せられた気分になる。腰が低く押しが強い、監督の姿勢はずっと変わらないなと思う。このひとは撮ると言ったら必ず撮る。そんなひとにはこれだけのスタッフが集まる。完成して本当によかった。長い時間をかけて、多くのひとに観ていかれることを願う。 開店と同時に入ったので鑑賞者は少なく(それでも何人かいたが)、タイミングによって全くひとりで展示を観られる時間もあった。早起きして行ってよかった。 -----・2階の様子、タンブラにあげときました 補正しないまま載せてるんであんまり綺麗な画像じゃないが〜・原作・大岡昇平 監督・塚本晋也 『野火』展示|ギャラリー山陽堂 展示が実現した経緯はこちら。監督がtwitter にも書かれていましたが、店主は中学の同級生。縁、について考える **************** KUNIO12『TATAMI』@KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ 何故早起きせねばならなかったかと言うとこれとのハシゴだったんですわ。終演後だと展示の終了時間に間に合わないのでな……と言う訳で表参道からの〜横浜。 うわあああ常日頃考えていることをこうもズバリと描かれると…鳥瞰気質の作家と演出家が組むとこうなるかと。脚本・柴幸男×演出・杉原邦生。美術も杉原さん。 太田省吾の『更地』からインスパイアされた企画だそうで、KUNIO10『更地』 を観逃したのが悔やまれる。イキウメの大窪人衛が出ていたこともあって迷ったんだがやはり京都迄行けばよかったヨーと言っても後悔先に立たず。しかし太田さんが『更地』書いたのっていくつのときよ……と調べてみたら、初演は1992年だった。太田さんは1939年生まれだから53歳くらいか。柴さんは1982年生まれだから今年33歳、その老成っぷりにゾワーとなると同時に、そもそもこのひとは二十代で『わが星』を書いたひとだった、人間どころか星の一生を眺めたひとだった。納得もする。当日配布のパンフレットで、杉原さんは「絶対に叶わない願いだけど、太田さんに観て欲しいな、と思ってしまいます」と言っていた。太田さんは2007年に亡くなっている。 「TATAMI」には畳と、人生を、世界をたたむことの意がある。畳は日本人のくらしと縁の深いものでもある。死の際、横たわるのも畳。とは言うものの、今となっては畳のうえで死ねるひとは少ない。家をたたむ、所持品をたたむ、家族をたたむ、自分自身をたたむ。内容としてはかなりキツいものなのだが、問答のように進められる会話は、試合巧者の演者たちにより、小気味好いと言ってよい程のリズムで進む。観客席からは笑い声さえ起こる。男1(父)武谷公雄と男2(息子)亀島一徳のリズム感がとにかくいい。途中加わる男3(ヘルパー)森下亮、男4(男の姿を借りた母、息子の息子)大石将弘の声のトーンがまた心地よい。シュールな設定とも言えるこの物語に序盤は戸惑うが、やがてそれらが確固たる劇世界によってあたりまえのことのように見えてくる。 何故杉原さんを鳥瞰気質と思うかはその空間認識能力に毎回驚かされるからなのだが、今回もある種フリースペースであるKAATスタジオを、その機構丸ごと舞台として見せる。更地に置かれた畳一畳、それをとりはらうと蛍光イエローのフロア、中央に「TATAMI」のロゴ。そして演者が手作業でバトンに結ぶ巨大で真っ白なバックドロップ、そのバックドロップが宙に上がっていく時間。空間と時間を強く感じさせるその演出は記号としてのものだ。その記号が観客の想像力を強く喚起する。空間は人間のくらす場所、時間は人間の生きる長さ。その広さ、あるいは狭さに一喜一憂。 ラストシーンの演出も極めて記号的。ひとりの人物に舞い降るきらめき。それは息子が父を訪ねていく夜道に輝く夜空であったり、一瞬で消えていく命の光でもある。杉原さんのアイコンでもある、ミラーボールの破片のようでもある。それは不思議と、人生への祝福に見える。記号は見立て。演劇のすごいところ。そしてここでこの演出を持ってくる、杉原さんの底の知れなさ。 柴作品としては極めて珍しい男芝居は、杉原さんから「柴作品は女の子の描き方が印象的。だから男しか出てこない作品を書いて欲しかった」と言うリクエストに応えてのものだったようだ。『わが星』好きなひとも観てみるといいよ、いきものの一生についての話ってところは変わらない。こまかいところだが、結婚する相手を「男か、女か、」と訊く父のシーンがあまりにも自然で好感を持った。それがあたりまえの時代になっている、と思えた。 それにしても武谷さんの巧さな……そして森下さんはベビーフェイスと長身のギャップが激しいので、舞台で全身を見るとハッとする。ヘルパーの衣裳がとてもよく似合っていた。観ていないひとのために説明すると、ヘルパーの服は一般的に想像するものとは違い上下黒、細身のライダーズジャケットに革のパンツ。ファニーな抑揚のない声で彼が語った未来の夢、「飛行機になってみたいですね」。今でも耳にこびりついている。 -----・KUNIO12『TATAMI』前半 戯曲が公開されています、後半は来場者限定(要パスワード)。上演台本とは違うもので、このホンからあの演出が、演者たちの息遣いが生まれたのだなと思い乍ら読む
2015年08月27日(木) ■
『地獄谷温泉 無明ノ宿』
庭劇団ペニノ『地獄谷温泉 無明ノ宿』@森下スタジオ Cスタジオ『大きなトランクの中の箱』 以来、日本国内では約二年振りの新作。と言う訳で観るのは二作目、アトリエ「はこぶね」での上演を逃しているのは残念で仕方がないが、空間と機構を活かす、と言う面では、森下スタジオでの公演を続けて観られたことはよかった。前回同様、四面構造の舞台が場面転換により回転していく。宿の玄関、宿の部屋、脱衣場、湯殿。うち宿の部屋は二階。三場のうち一場が二層になっている、と言うところも『大きなトランクの中の箱』と共通しています。各々の場の再現度も素晴らしい。建物と調度品のエイジング、時間とひとの手垢が染み付いた空間。これが数週間しか現存し得ないとは…舞台は幻だな、とつくづく思う。 宴会の余興で人形芝居をやる父子が依頼の手紙を受けとり、やってきたのは北陸の山深く。しかし到着した宿の様子がなんだかおかしい。宿泊客に聞いてみれば、いつからかこの宿に主はいなくなり、近所の者たちが勝手に施設を使っていると言う。帰りの足もなくなり、手紙の差出人も判らぬまま父子は宿でひと晩過ごすことになる。通された一階の相部屋には盲目の青年、上の部屋には老婆と芸妓ふたり。主のいない宿の管理は三助が請け負っている。この三助、個人名ではなく役職名 。無口で字も書けないと言うこの男の本名を誰も知らない。 東京からやってきた人形芝居のふたりは父子、芸妓のふたりは擬似母娘で、老婆は年長の芸妓と擬似母娘。青年と三助の縁者は不在(不明)。宿泊人たちは東京からやってきたと言う父子に人間的好奇心と性的興味を以って接し、父子はある方法でそれに応える。三助はひたすら献身する。 いやー…感想がそのまま心理分析の材料にされそうでおそろしいわこれ(笑)トランクから取り出された人形は、まんまペンフィールドのホムンクルス でしたし。ホムンクルスは「小人」の意味を持つ。父役にマメ山田が招聘されたことを考える。ふと思い出したのはNYLON100°Cの『2番目、或いは3番目』 。しかしここに憐れみはなく、共同体への示唆がある。人形芝居の父は自分をさして「むごいもんだろ」と言う。一度も学校に行ったことがないと言う息子は「父がそう決めたんです」と言う。芸妓のひとりはこどもを望んでおり、「旦那も応援してくれてるの」と、三助に夜這いをかける。ペニノにおける「悪夢」を今回担うのは盲目の青年。他人との接触を望む気持ちと、それを恐れる気持ちとの谷間に転落する。 最後「あ、よかったねえ」と思ってしまったクチです。ことほどさように、命と言うものはポジティヴな輝きを持っている。依頼の手紙の文末には平成25年とあった。北陸、開発、新幹線と言うワード。消えていく集落、消えていくフォークロア。しかしそれは本当に消えていくのか? ナレーションは「いつでも、いらっしゃい。お待ちしています」と言ったように記憶している。ひとの営みは案外したたかで逞しい。 礼儀正しく、ひとを惹きつける空気をまとっている、しかし背景が見えない。すっごい得体知れなくてこっわ! て思った息子役の方は初見。唐組の方だった、辻孝彦。芸妓の久保亜津子と日高ボブ美の襞のような質感。謎の集落に暮らす婆と言うイメージをしっかと観る側に貼り付けてくれた石川佳代、『大きな〜』で父親を演じた飯田一期が天涯孤独な三助を演じたところに興味。森準人は痩躯とその(見えない)瞳が印象的。田村律子のナレーションも、奇譚を語るにぴったりな味。 胡弓も三味線も、もともと演奏出来るひとを選んだのか公演のために稽古したのか…見事でした。そのうえまっさらな肉体を晒すと言うハードルもあるから、腹が据わってないと出来ないなあ。美術が注目されがちなペニノだけど、演者もすごい。 欲求が生じたことを少し。父親に抑圧され続ける息子、と言う描写に終始していた(他の登場人物もそう理解している)ふたりが、帰路の際交わした笑顔についてが、ナレーションのみで説明されたこと。これは実際に目にしたかった。強烈な存在感を持つふたりが父子を演じていたから尚更。老婆が若い芸妓に三味線を教えるやりとりも、ナレーションの前振りなしで表現出来たのではないかなと思う。 -----・「大きさではなく、芸を買ってくれ」日本最小手品師・マメ山田“小人の哲学”|エキサイトニュース デビューの経緯等、マメさんのまとまったインタヴューってあまりないように思うので読めてよかった
2015年08月23日(日) ■
『気づかいルーシー』『the flowers of romance release tour』
『気づかいルーシー』@東京芸術劇場 シアターイースト 二日連続で絵本原作、ミュージカル、芸劇。松尾スズキの絵本 が舞台になりました。うはーこれは面白かったヨ! 開演前、沈んだ声で「原作の松尾スズキです…上演中携帯等音の出る機器は……」とアナウンス。そのあまりの暗さに思わず聴き入ると、最後に「諸注意をちゃんと聴いて頂きたくて実は嘘をついていました……松尾スズキではなくノゾエ征爾でした………」。会場が笑いで包まれます、つかみはオッケー。 ジェンガを模した美術を解体して物語中の小道具に見立てるアイディアがとてもいい。おはぎと馬糞の質感もいい(笑)。ワンピースでパンツが見えるのをものともせず走り、飛び、高所にしっかと立つ健康的な少女の姿に生命力を感じる。こういう姿を、ペドフィリアの要素を感じさせることなく見られることが今ではとても少ない。ここは松尾スズキマジックでもあって、王子さまの皮を被ったおじいさんの場面に顕著に表れる。愛情の種類とはとても曖昧なもので、おじいさんはその一線を(偶然の要素はあれど)踏み超えることがない。松尾さんがかつて演出した『農業少女』をふと思い出す。高い場所から遠くを眺める少女、その瞳に世界はどう映るだろう? 世界=世の中を象徴するかのような、王子さまの嘘とその気づかい。原作同様このモヤモヤは消えないなー、「気づかい地獄」の最たるものです。しかしここ迄描いちゃうところも松尾さんならではと言うか、めでたさにかき消されて放っておかれがちな、ひとが見たくない、隠したい部分を抉り出す真骨頂にも思えました。 健康的な少女を体現するルーシー役の岸井ゆきの、素晴らしかったなー! アクションもキレキレ、声も魅力的。魅力的な声と言えば王子さま役の栗原類。プライマルスクリームかと言うような声を発し、それに伴う身体の動きにも警戒心がないと言うか防御する姿勢を感じないと言うか…貴重な身体の持ち主。身体を解放することに関してはプロのおじいさん役小野寺修二、同様に身体をモチーフとした作品への参加も多い馬役の山中崇と、見ていてとても気持ちのよい座組みでした。複数の役を担当したはえぎわ組の川上友里、山口航太もいい味。田中馨、森ゆにによる生演奏がおかしくもかなしい物語を鮮やかに彩っております。それにしても山中さんは馬の衣装の前半かなり大変そう。暑い夏の公演ですし、脱水に気をつけてくださいませ……。 そうそう、田中さんが使ってたベースってAmpegのクリスタルシリーズ(ADA4)だよね。これのギター(ADA6)をデイヴ・グロールが『One by One』の頃よく使ってたんであっとなった。・[Ampeg Crystal Guitar] - サウンドママ!! コントラバスも使ってましたし、ちいさなパーカッションもこまごま。かわいらしくて奇妙な劇伴。 「エンディングで出演者と一緒に立ち上がって踊ろう!」と配布されていた『気づかいのうた』振付図解。立ち上がるひとはおらず、煽り役の山中さんが「拍手だけでも! 拍手だけでも嬉しいです!」と言うと皆さんノリノリで手拍子。この辺りのハードルは高いですね…初日開けてからの試行錯誤が見え隠れ。それでもこの日はかなり客席の反応がよかったように思いましたよ。演者が観客に話しかける場面でもこどもたちが元気よく答えており、ロビーの落描きコーナーではこどもたちが嬉しそうに色を塗っておりました。松尾さんの原画展示も。 **************** mouse on the keys『the flowers of romance』release tour@UNIT UNIT 11th ANNIVERSARY! 初ワンマン! いやー待った待った待ちました、フルアルバムとしては六年振り、『machinic phylum』からでも四年振りの新作『the flowers of romance』 リリースパーティです。6月の上海と北京、今月の香港、マレーシア、台湾のアジアツアーを経てご本人たち曰く 「我々いい仕上がり具合になって来ております」とのこと。こちらもライヴを観るのは昨年のUNIT 10th ANNIVERSARY『dirty realism』 以来、期待するなと言うのが無理な話です。 ・mouse on the keys - the flowers of romance "album release asia tour 2015" アジアツアー告知映像格好いいんで張っときましょ。 しかもゲストにぎゃーとなりましたよね。レギュラーでもある根本潤(sax)と佐々木大輔(tp)、rokapenis(vj)に加え、Akeboshi(vo、electronics)、千葉広樹(b)、飛田雅弘(g)と総力戦と言うか、この界隈集合した感が……ワンマンが出来るだけの楽曲数が揃い、それらを再現出来る、いや再現以上のものを演奏出来るメンバーを揃える。過去最高のものにしたると言う意気込みが感じられました。 ステージ背後の壁に横長のスクリーン が横断している。暗転、「I Shut My Eyes in Order to See」のSE、真っ白なスクリーンにノイズがはびこり始め、再び白くなっていく。バンド名のタイポグラフィが浮かび上がる。そして川さんのカウント、「Spectres De Mouse」へとなだれ込む。フロアがステージと近いので、映像が視界を覆う程の迫力。そして爆音。一気に目と耳が作品世界で埋め尽くされる。 記憶が曖昧ですが新譜からはSE含めると「I Shut My Eyes in Order to See」「Leviathan」「Reflexion」「The Lonely Crowd」「Le Gibet」の5曲だったかな? 清田さん作曲の表題曲「The Flowers of Romance」は聴きたかったなー! ストリングスが入ってるからな…「Hilbert Dub」もプリペアドピアノなので難しかったか。いつか聴きたいです。個人的ハイライトはAkeboshiくんの声が入った「The Lonely Crowd」をライヴで聴けたこと。感動しているところにネモジュンのソロがたたみかけ、この辺りはもうエモーショナル極まれりで涙が出ましたよ…「Reflexion」の佐々木さんのソロもライヴならではの、息遣いが伝わる響きでよかった……。 それにしても川さんの音がデカい。ドラムもだけどBPMを変える際、カウントの声もデカい。まあ自分の音がデカいので大きな声でカウントしないと聴こえませんしね。「Leviathan」の後半とか、声のデカさにビクゥとなりました(笑)。テクニカルでラウド、手数の多さと繊細なシンバル音。ドラマティックであり乍らとことん現実主義的なものを感じる。多面的で多彩、そして強靭。それはMCや曲間の挙動にも顕著で、ライヴの世界観を徹底して表現したいと言う思いと、いろいろ解説したい、いやそれ以前に喋りたい、そしてダイヴしたくてたまらない(笑)と言う思いが瞬間瞬間で入れ替わる。この日も途中「あんまり喋らないようにしてるんです」だって。も〜喋りたくてうずうずしてる感じがますますシーザー(動物のお医者さん) ぽいね!「I Shut My Eyes〜」も「あの〜一曲目、えーと、タイトル長くて憶えられないんだよね」って自分で言っちゃってました。ビールも入りライヴが進むにつれますます挙動不審、酔ってんだかどうなのか判らない…そういえばキックが強すぎたのか終盤「バスドラがずれた」ってなおしてた(笑)。 さてそんなシーザーとともにハイテンションな演奏を繰り広げる清田さんと新留さん。このふたりも多面的で、ハードコアな曲をやっても指先はあく迄醒めきっている。この日は清田さんの運指が比較的見やすい位置だったので、それこそバンド名を体現するかのような鍵盤上を滑る指と、激しく髪を振り乱すので全然見えない顔のギャップを堪能。反面いきなり振られたMCは朴訥。川さんに「本当はこんなひとじゃない」とか言われていた。新留さんに至っては挨拶と物販情報しか喋らず、「Unflexible Grids」のベース音はちょうクール。 ライヴだと全体的にBPMが早めになり、その複雑なリズムとメロディも相俟って曲が終わったときには「完奏したー!」と言う達成感すらあります。聴いてる側がそう思うってなんだか面白い……。「aom」「plateau」が顕著。「Forgotten Children」のメロディはとても静謐で美しいものだけど、ライヴだとエネルギッシュに響く。それにしても初ワンマンにしてベスト選曲と感じてしまう…どのアルバムにも鉄板曲があるなあ。構成も練られており、「Soil」「Seiren」等の美麗曲から盛り上がり必至の「最後の晩餐」「A Sad Little Town」と隙がない。そうそう、レアなとこでは「the arctic fox」やりました! 音源DVDにしか入ってないんだよねー。香港でのライヴ映像があがってたんで張っときましょ。 ・Mouse on the Keys 'The Arctic Fox' live @ Kitec Hong KongVIDEO ちなみにそのDVD『irreversible』 、川さん曰く「今全部YouTubeにあがってんですけどぉ〜、全く冗談じゃないですよぉ〜」だって。帰宅後探してみたらホントに全編あがってた……このDVDホント名作なんで、YouTubeで観てもいいけど観たらソフトも買ってください! マジで! 幕切れは飛田くんのノイズがフロアを覆い、発光するスクリーンに目を奪われ、オープニングへと還っていくような見事な着地。アンコールでは清田さんドラムからの〜envyのダイロクくんが飛び入り、川さんはキャップにサングラス姿でデス声からの〜ラップなの何なの? な「Toccatina」どしゃめしゃセッション。ネモジュンが「川くんが喜んでダイヴすると思います!」なんて言ったりしてグダグダなふりしてとてもハッピー、気の抜けないエンディングでした。ひとが降ってくるかも知れない緊張感もあってな……(そう思う根拠 )。うわーん楽しかった、早くも次のライヴが待ち遠しい!!! は〜なんか興奮冷めやらぬままに書いてしまったのでとてもとっちらかっている(そして長い)がホント素晴らしいライヴでした。少しでも様子が伝わることを願ってー! ----- ・このバンドは、ポストロックに反逆してやろうって―― mouse on the keys、6年ぶりとなるフル・アルバムを先行ハイレゾ配信 - OTOTOY・前編 : mouse on the key結成にいたるまで ・後編 : ニュー・アルバム『the flowers of romance』が出来るまで 川さんの話ホント面白いな・mouse on the keys『The Flowers of Romance』ポストロックの季節が再到来? 時代のキーワードは「折衷主義」: CINRA.NET ・2015年、夏のポストロック事情ーー『ポストロック・ディスク・ガイド』とその後のシーン - OTOTOY ・リズム&ドラム・マガジン 2015年9月号 | 「インスト・バンドで“歌う”ドラマーたち」 リリース時期が近いからか(と言っても二ヶ月は空いてるか)BATTLESと一緒に取り上げてる記事が結構ある **************** 昨日は『100万回〜』のあと『画鬼暁斎』展を観たので、ねこねこ(かえる)うまねずみな土日曜でありました。
2015年08月22日(土) ■
『100万回生きたねこ』
『100万回生きたねこ』@東京芸術劇場 プレイハウス 佐野洋子の名作絵本が原作。初演は未見です。ねこは成河、白いねこは深田恭子。ミュージカルと銘打っていますが、歌だけを前面に押し出さず、身体表現とその身体を彩る美術による総合芸術と言う印象が強かったです。つまるところ、それこそが舞台であり演劇。身体が雄弁に詠う分、言葉は短く簡潔になる。その言葉の扱いが美しい。特に友部正人の歌詞が素晴らしい。 一幕は100万回生きたねこの6つのエピソード、二幕は白いねこと出会ったねこの100万1回目のねこ生。一幕は長く、二幕は短い。100万回のねこ生と1回のねこ生なので差を感じるのはあたりまえといえばあたりまえですが、その体感だけではない儚さが二幕目にはあります。好きなひととの時間はあっと言う間にすぎる。懸命に生きた時間はあっと言う間にすぎる。そのあまりのスピードに胸を打たれるのです。ねこと白いねこが結ばれてからの言葉はどんどん短くなり、単語のやりとりになっていく。そして最後は言葉にもならない叫びになる。 言葉遊びがふんだんに盛り込まれたホンに、さまざまなアイディアがつまった美術。規模の大小はありますが、ひとが沢山関われば関わるほど散漫になりがち(特に言葉を扱うパートに至っては)な印象がある総合芸術が非常によくまとまっており、その編集の巧みさ、カンパニーが同じ方向を向いていることに正直驚いた。大前提でもあるこれ、プロデュース公演では決して多くはないのです。演出・振付・美術を手掛けたインバル・ピントとアブシャロム・ポラックのコミュニケート力と、それをしっかり伝えたであろう通訳と、意図を汲んだ演者たちにただただ敬意を抱く。勿論文化の違いを含む誤訳、誤読もあろうが、その誤読をもポジティヴなものへと変換していける骨太さは原作に由来する。実現はとても難しい、手が届かないような普遍な理想。だからこそ読者はこの作品に惹かれ、その実現を追い続ける。 個人的なところでは、ねこと白いねこのしりとりに窪田晴男の「しりとりをする恋人たち」を思い出して悶絶しましたよね…ピチカートVのヴァージョンが有名ですが、もともとはラジオ番組『GIRL GIRL GIRL』で作られたもので、これがすんばらしい! 音源等廃盤になっていますがどこかで探して聴いてください…と言う程にいい曲よー。
2015年08月16日(日) ■
『HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER』
『HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER』 サマソニとホステスがタッグを組んだオールナイトイヴェント、と言う初の試み。前夜はもはや恒例となったソニックマニアな訳で、ソニマニ〜サマソニ〜ホステス〜サマソニを全通したひとっているのかね…宿を近くにとってれば仮眠休憩入れられるか……とは言えメッセの床には死んだように寝ているひと多数。爆音のなかピクリとも動かないひともいて(ステージ間の飲食休憩エリアじゃなく、ライヴやってるフロアで寝ている)ある意味感心する。しかし躊躇せず転がれるってとこがメッセのいいとこかも知れん、私もエレクトラグライドの明け方は床で寝てたわ。 稲川淳二の怪談後ごはんとおやつ、ワーイ夜遊び久々ー。さてThom Yorke Tomorrow's Modern BoxesですよーとSONIC STAGEへ向かうと、入場ルートがステージ外を迂回するように規制されている。これは大混雑になりそうだな、RAINBOW STAGEではDEERHUNTERキャンセルにつきSpiritualized®(ところでいつから商標になったの)がロングセットになっており、あわよくばトムとハシゴ出来ないかなあと思っていたんだけど、入場制限されちゃうかな? 一回出たら戻れないかも…行き来は諦めた方がいいかなあ……。とりあえず終わったらすぐ移動出来るよう後方で観ることにする。果たしてその予想は半分は当たり半分は外れた。 注目のソロDJセットと言うことで序盤は大混雑、トムが登場したときの歓声と盛り上がりはすごかったが、そういうフェス向けアゲアゲの内容ではなかったんです。ナイジェル・ゴドリッチとのふたりセット、Atoms For Peaceのナンバーもあり、エレクトロからドラムンベースとバラエティに富んだ音で、トムがサンプラーを操作しつつハンドマイクで唄ったりギター弾いたり踊ったりと、観ていて「おお?! おお!!」となる場面も多かったんだけど、昼間弾けて体力も落ちつつある観客との相性がね……アンビエントな展開が続いた中盤から、眠く、なる! 前の方はガチのファンばかりだろうからずっと盛り上がっていたのだとは思いますが、後ろにいた自分の周りは沈没していくひと、出ていくひと続出。う〜んこれはまあ仕方ないかね…『Tomorrow's Modern Boxes』はリリース方法が特殊だったので(後述リンク参照)、聴いていない+内容を知らないひとも多かったのではないかと。RADIOHEADやトムTシャツ着てるひと迄座り込んでいてちょっとせつない気持ち……とは言え貴重なものを観ました。大阪同様単独でやったら反応もかなり違ったのではないかと思われます。髪型といいダンスと言い、「森山未來くんみたいになってる」とMIOさん。思わず膝を打つ。それにしてもつくづくカリスマ。・Photo Gallery - SUMMER SONIC 2015|Thom Yorke Tomorrow's Modern Boxes ・トム・ヨーク新作『Tomorrow’s Modern Boxes』検証 | RO69 リリース当時のレヴュー・トム・ヨーク、最新作『トゥモローズ・モダン・ボクシーズ』のCD盤を日本限定リリース | RO69 で、試行錯誤の結果か、今回CD盤が出ました さて「よっぽどの目当て」ふたつめ、F・F・S(Frantz Ferdinand & Sparks)! いやもう最高か! こちらはフェスとの相性も抜群、深夜2時過ぎのフロアが弾ける弾ける。美形のフロントマンふたりが揃ってハンドマイクで唄いまくる光景がも〜アイドル! ラッセルとアレックスの一挙一動から目が離せない! アレックスが「アリガト〜ウ」、ラッセルが「アリガトウゴザイマ〜ス」を連発し、ふたり顔を見合わせて微笑みあったりするさまが絵になる! 最高か!(再)この日いちばん黄色い声出ましたよね…終始キャーキャー言いました。『F・F・S』 と、両バンドの代表曲で構成。当方フランツは代表曲を数曲知ってる程度だったんですが、その代表曲(「Do You Want To」「Take Me Out」)をズバズバやってくれたもんだからもとからのファンは大喜び、一見さんもそのオープンな心意気に有難うー! という感じでサビは大合唱。スパークス好きとしては「Achoo」「The Number One Song in Heaven」をこんな規模の会場で聴けたことに感涙、しかもフランツのファンであろうひとたちも笑顔笑顔で唄ってて(サビとかは一周すればすぐ把握出来るので)嬉しい。し〜か〜も〜ロンおじいちゃんあのダンスやった! スパークスファンは大歓声、フランツファンからはどよめき。あれがここで観られるとは…やったらすごい盛り上がると思ったけどホントにやられるとギャーッてなるわ。本日のハイライト。アリガトウアリガトウと連発のあと「ソウデスネ?」「ソウデスネ?」とアレックスとラッセルの掛け合いで始まった「So Desu Ne」も楽しく、メンバーも客もニコニコですよ。 個人的にはフランツのベース、ボブのひとがら溢れる挙動にえびす顔です。ベースの位置が高いとこにもにっこり。いや〜それにしてもフランツのひとら演奏達者…そしてはっちゃける盛り上げっぷりと格好いいところをビシッと見せる緩急自在。伊達にキャリア積んでませんわ、そりゃヘッドライナー慣れもしてますわ。いいものを観た……今度は単独で観たい! あれだよ〜来年初頭に来れば、スパークスは岸野社長のお誕生日ライヴにも出られるじゃん! お願いします〜!!! 終演後近くにいた若者ふたりが「スパークスのひと歌がすごく巧い!」「立ち姿が圧倒的に格好いい!」「こんなに暑いのに長袖で格好いい!」と上気した顔で話してたのにニヤニヤですよ。最後の長袖が格好いいってのはなんだろうと思いましたが…そうそうラッセルの衣装すごくかわいかった〜、マダムみたいだった〜。はーもう素晴らしくキッチュでポップなステージでした。・セットリスト 画像・セットリスト おおう詳細、有難い!・Photo Gallery - SUMMER SONIC 2015|F・F・S ・Sparks Official「Thank you Japan for the incredible reaction to the FFS show at Summer Sonic Hostess All-Nighter!」
Thank you Japan for the incredible reaction to the FFS show at Summer Sonic Hostess All-Nighter!
Posted by Sparks Official on 2015年8月16日 おじいちゃんのダンス動画、オフィシャルであげてた。ぎゃー ----- 今回は一度もマリンに出なかったのでなんとか体力もったなー。サマソニと言うか幕張自体に来るのが久し振りだったんだけど、ロッテリアがバーガーキングになっていてショックを受けた。千葉ロッテマリーンズの本拠地なのに…と思ったが、今日本のバーガーキングってロッテが運営してるんですね。・ソニ飯紹介! - ATTRACTION - SUMMER SONIC 2015 ごはんはフジにはないものってのをテーマに、中とろづけ丼とらぁ麺フロマージュサマソニスペシャル(生ハム、玉子入り)を食べました。おいしゅうございました。あとSONIC CAFE(STREAMER COFFEE)はしっかりしたコーヒーが飲めて嬉しかった。静岡県茶商工業協同組合の冷たい静岡茶もぐいぐい飲めてよかった! この静岡茶さん、0時過ぎは売り場も閑散としてて呼び込みとかしてたんですが、F・F・S終了後はすっごい客が並んでしかもラージばっかり頼むのであたふたしていた。頼む前に「ラージ…ですよね?」と言われた(笑)。 そして帰宅後クレミア出店していたと知る。ガーン、あこがれのソフトクリーム…… いやはや近年稀に見る楽しい夏になった!
2015年08月15日(土) ■
『SUMMER SONIC 2015』1日目
『SUMMER SONIC 2015』1日目 サマソニすごい久し振り〜前回行ったのいつだっけと調べてみたら、2011年だった。RHCPがヘッドライナーで、矢野さんがひとりでyanokamiを務めた年ですね。とにかく暑さに弱い自分にとってサマソニはフジの何倍も過酷なもんで、よっぽどの目当てがなければ二の足踏みまくるんです。しかし今年はその「よっぽどの目当て」があった、ふたつも。 午前出演の注目株、Dinosaur Pile-Upを観たかった…が、ホステス含め朝迄の参加なので体力温存、15時過ぎに会場入り。入場制限あるかなと行ってみればすんなり入れたので、MOUNTAIN STAGEのBABYMETALからスタートです。おおー、これが…と観光気分で見る。ギターがdCprGの大村くんの筈なんだが、どんなに目を凝らしても本人かどうか自信が持てない。白塗りメイクだから。メタル特化ですからとにかくバックバンドがバカテク。歌も上手。フロアはパンパン、WoDもサークルモッシュも起こり、凄まじい。十代半ばでこれだけのひとを掌握する、その眼下に拡がる光景…すごいことだ……この子たちの将来ってどうなるのかしらと恐ろしい気にもなる。月末にはレディング&リーズにも出るそうです、すごいな。 続いてSONIC STAGEでTHE JON SPENCER BLUES EXPLOSION! ノンストップのインプロセット、普遍のスタイル。こーれーがー鬼格好いい。往年の映画コラージュループに「JSBX」のロゴが重なるだけ、と言うシンプルなバックの映像が激烈に格好いい。ジョンもジュダもラッセルも相変わらず格好いい、そう徹頭徹尾格好いい! 痺れまくるあっと言う間の60分。・Photo Gallery - SUMMER SONIC 2015|THE JON SPENCER BLUES EXPLOSION (20150819追記:・JSBXの歌詞とセットリストについて - Togetterまとめ だばーこの日も初っ端いきなり「2 Kindsa Love」でぎゃーとなったら途端に次にいっちゃって「? ?」てついてくのに精一杯だったもんね…うーワンマン観たかった) さて今回の「よっぽどの目当て」、Manic Street Preachers。performing ‘THE HOLY BIBLE’と題されているとおり、『THE HOLY BIBLE』再現ライヴです。早めに行ってKODALINEをちょっと聴く。優しく沁みる音でした。もうこの時点で胃が痛くなっており(察して)、観たいけど観たくないオエーとかなってたんですが観てよかった、よかったです。 改めて説明すると、1994年にリリースされた『THE HOLY BIBLE』はマニックスのオリジナルメンバーであり精神的支柱でもあった詩人、リッチー・ジェームス・エドワーズの心象風景が最も表出したアルバム。当時はwebも身近ではなく、彼が心身ともに荒廃していくさまを知るにもタイムラグがあった。数週間遅れで目にする度に痩せ、自傷が増えていく彼の姿。嫌な予感ばかりが膨らんでいた1995年2月1日、遂に彼は失踪し、今も行方が判っていない。2008年に死亡宣告が下された。リリースから20年と言うことでの再現ライヴだが(本国では昨年開催されている)、本音を言えば単独公演で観たかった、フェスの祝祭空間で観る気分ではなかった。しかし日本とは縁の深いバンドだけに、このセットを持って来日してくれたことは本当に嬉しかった。来てくれるからには見届けなければ。 カーディフ郊外の森をイメージしているのだろうか、緑の葉でステージが覆われていく。ステージ下手側にkeyがセッティングされたが、それも葉で隠されてしまった。THBのセットはマニックスの三人でやりきった。サポート(よく見えなかった。ショーン・リードだったか?)はTHB以外の、残りの4曲のためだけに来たんだ。三人だけのマニックスを観るのは久し振りだった。2006年にギターのサポート(リッチーのパートではない。ステージ上のリッチーのスペースはずっと空席だ)としてウェイン・マーレーが迎えられたとき(日本では2007年に初披露)は、素直に「ジェイムズの負担が減った」とは思ったものの、こうして今ギターをひとりでこなすジェイムズは負担も何のその、粉川しの氏言うところの 「2.5人分」だ。ジェイムズ側の二列目で観たので、その仕事人っぷりに改めて舌を巻く。スタッフに指示を出し、ショーンとニッキーにアイコンタクトをし、エフェクターをせわしなく踏み替え、コードからリフからカッティングからギターを弾きまくり、あのメロディに乗せるのが難しすぎるリッチーの言葉をパワフルに紡いでいく。それはまるで、所謂“ゾーン”に入った職人のようだ。I am an architect!「Faster」の歌詞を思い出す。 と言えば、「Ifwhiteamericatoldthetruthforonedayit'sworldwouldfallapart」をライヴで聴いたのって多分初めてだったと思うんだけど、これショーンが八面六臂の活躍な! 偉そうですみませんがショーン上手くなったなあと思った…それはニッキーもそうか……。ここらへんも話すと長くなるんであれだが、これだけ演奏と思想(曲の世界観)の分離がハッキリしているバンドも珍しい。そして思想をどれだけ表現に結びつけるかがジェイムズにかかっているのだなと思う。つくづく稀有で、特殊なバンドだ。 前のひとが熱狂的なファンのようで、最前列の柵にウェールズ国旗を掲げてくれていたこともあってか、ジェイムズがよく寄ってきてくれた。ジェイムズは恒例の「オゲンキデスカイ!」の挨拶もあり、気っ風のいい寿司職人のよう。曲間のMC中、ずっとギターのシールドをムチのようにブンブン振りまわしている様子にも笑いが漏れる。何故か江戸ッ子とか祭りの男衆とか言う言葉が似合う…ウェールズの子なのに……。終始シリアスなステージ中、ところどころ我に返ってニヤニヤする。アルバム全曲の演奏を終えたメンバーに、暖かい拍手(そう感じた)が贈られた。そしてここからはアクセル全開の鉄板曲+最新アルバムからの4曲。瞬時にフロアが湧き、シンガロングが起こる。 『THE HOLY BIBLE』は三人で演奏しなければならない、4REAL以外の誰をも介入させてはならない、と言う潔癖さ。その潔癖さ故にリッチーは消え、メンバーも傷付いた。しかしそれから20年経っても、彼らは変わらない。この潔癖さがある限り、一生聴いていこうと今でも思える。マニックスは私にとってそんなバンドだ。 あの時代はやっぱりどこかおかしかった。カート・コバーンが自殺したのも1994年だった。翌年の1995年は、リッチーがいなくなってFOO FIGHTERSがデビューした年でもある。思い入れがあるふたつのバンド、その両方の現在をひとつき弱の間に観ることが出来た。2015年の夏は、夏が苦手な自分にとって、20年前に思いを巡らせる特別なものになった。 -----セットリスト 01. Yes 02. Ifwhiteamericatoldthetruthforonedayit'sworldwouldfallapart 03. Of Walking Abortion 04. She Is Suffering 05. Archives Of Pain 06. Revol 07. 4st 7lb 08. Mausoleum 09. Faster 10. This Is Yesterday 11. Die In The Summertime 12. The Intense Humming Of Evil 13. P.C.P --- 14. You Love Us 15. Design For Life 16. Walk Me To The Bridge 17. Motorcycle Emptiness "YOU MAY THINK I'M SMALL, BUT I HAVE A UNIVERSE INSIDE MY MIND" ― YOKO ONO ----- 引用はオノヨーコ。ちなみに大阪 は安部公房("THE FUTURE IS FOREVER A PROJECTION OF THE PRESENT." ― KOBO ABE)。・Photo Gallery - SUMMER SONIC 2015|MANIC STREET PREACHERS performing ‘THE HOLY BIBLE’ ぼんやりしたままSIDE-SHOW MESSEで『稲川淳二の怪談ナイト』、体育座りでお話を聞きます。歓声と拍手に迎えられた稲川さん、ニコニコと手を振ったりしてちょうキュート。しかし怪談は怖かった。
2015年08月08日(土) ■
『竹林の人々』
OFFICE SHIKA PRODUCE『竹林の人々』@座・高円寺 1 丸尾丸一郎の私小説がもと、とのこと。そもそもこの作品に興味を持ったのは宣材に掲載されていたテキストと、出演者のなかにオクイシュージの名を見付けたからだった。そのテキストがまるまるオクイさんの台詞として舞台上から発されたときの驚きと、こみあげた感情は忘れがたい。 ----- 俺の知る限り、 この屋敷の住人たちは やっぱり最低だ。 結局は 自分のことだけに夢中で、 自分だけを可愛がり、 それで精一杯満足してしまう。 他人のことなど、 最後は頭の片隅にも 置いて残さないのだ。 俺はまた母のことを 思い出していた。 なぜ、母は俺を 置いていったのだろう? あんなに俺を愛し 育ててくれていたのに。 どこまで考えても、 それは答えの無い 空しい問い掛けなので、 俺はそれが 生きる苦悩なのだろうと悟って、 納得することにした。 (公式サイト から引用) ----- 家族間に起こる波風。大人になった今見ると他愛もないようなあれこれだ。ああ、そんなことがあったねえ、あのときは大変だったのよ。しかしそれは年月を経た今だからそう言えること。大人になった未来など想像すべくもない、実際子供だった主人公やその兄からすれば、それはもう途方もない壁であり絶望だ。そのやりきれない思いをぶつける過程で誰かを傷付け、自分も傷付く。ここから先、なんとか生き延びることが出来るかどうかはもはや運でしかない。父は妻と息子たちを、妻と兄は身体の一部を失いかけ、あるいは失う。主人公はどうだろう? 最終的には得たものの方が多いように思う。「フィクションの部分も多々あります」と言うことわりはあれど、自身の私小説ということを押し出していたこの舞台に立っている丸尾さんの姿を見て、ほんの少しほっとしたような気持ちも起こった。 渦中にいる少年たちに「それはいずれ解決する、大人になればわかるときがくる」と言うのはたやすい。しかしそれはタブーだ。だから見守ることしか出来ない。生き延びたそのとき、祝福するしかないのだ。 そしてこの作品が面白いのは、作者が投影されているのは主人公だけではないと言うところだ。もうひとり、重要なキャラクターがいる。それがオクイさん演じる犬だった。キャスト表には「魔物」とある。犬の姿を借りた、と言えばいいだろうか。拾われ、裏庭に繋がれている犬。人間は気まぐれで犬を拾い、そのまま惰性で飼っている。愛情を注ぐこともなく、なんとなく餌を与え、なんとなく遊び、自分の機嫌によっては暴力を振るう。そんな人間の身勝手さを見つめ続け、かつての自分の家族を思う犬。その犬が、先述の台詞を語る。なかのひとが見えない、役を完全にまとえる役者のすごさと言うものはあるが、この台詞を語る魔物はなかのひと=オクイさんの思いがにじみ出ているような切実さがあった。そこに圧倒された。 大人になってわかったことがあっても、納得することにしても、抱えた傷は生きている限りついてくる。主人公と犬の姿をした魔物、このふたりのおかげで、複眼的に家族と言うものを見ることが出来た。 小説がもとと言うこともあってかモノローグが多く、それが説明になってしまう箇所が多々あったのが惜しい。そのテキストにこそ惹かれたことは否定出来ないが(何せ観たいと思ったきっかけがそこなので)、演者も皆達者だったので、このあたりはもっと練ることが出来たのではないかと思った。楽器が出来る強さを生かした「暴れ馬と化す兄」を出走ファンファーレで迎える演出は出色。バスケのシーンはとても楽しかった。主人公とその兄を演じた鳥越裕貴、小澤亮太は初見だったが、ふたりとも二十代半ばなのに役柄の年齢相応に見える。あの年代特有のヒリヒリした苛立ちを記憶や体験から掘り起こす作業があったのではないだろうか、それは痛みを伴ったのではないだろうか。彼らはそれをやりとげたのだなあ、と思った。
2015年08月01日(土) ■
『犬どろぼう完全計画』『フレンチアルプスで起きたこと』
『犬どろぼう完全計画』@シネマート新宿 スクリーン1 いやーこれは観てよかった! 初めて観る監督(キム・ソンホ)の作品で、キャストもキム・ヘジャ(『母なる証明』 のお母さん!)とカン・ヘジョン以外知らないひとばかりでしたが、チラシにとても惹かれたのです。宣美だいじ。タイトルデザインもかわいい。2014年作品、原題は『개를 훔치는 완벽한 방법(犬を盗む完璧な方法)』、英題は『How To Steal A Dog』。原作 はバーバラ・オコーナーによる児童文学。舞台を韓国に置き換えていますが、これがとてもよくハマッています。坂道の多い街の風景、色鮮やかなお弁当。視覚も心理描写も色彩豊か。鑑賞後の心も豊潤。 ピザの移動販売業が失敗した父は失踪。家も失い、母とこどもたちはその販売車で暮らしている。母はちょっと見栄っ張りで頼りない。車を売って当面の住処を、と言う選択があるにも関わらず、頑なに車を手放そうとしない。お金のかかる私立校から転校してもいい、親戚を頼って引っ越そうと言う娘の提案も聞き入れない。娘は車から学校に通っていることをともだちに知られてしまうが、そのともだちはともだちで自分の家庭に問題を抱えている。ふたりはお金持ちの家からいぬを誘拐してお金をもらおうと思い付く。 「どこが完全じゃ」と言う計画を、娘たちが作った設定のクラフトや絵で見せていく演出がいい。娘が描いた絵や切り抜きはアニメーションによって実写のシーンに棲みつき、やがては彼女の心のうちをも表すようになる。色とりどりの500万ウォン、「坪あたり」にある500万ウォン。そんなカラフルな視界を通してこどもたちが目にするのは、なかなかに厳しい大人の世界。遺産を巡るドロドロ、孤独な資産家とその息子の別れ、家どころか指も失くしているホームレス。涙、諦め、怒りから目を逸らさず、ひとつひとつ向き合っていく彼女たちの姿には思わず拳を握ってしまう。どうか無事で、この子たちに明るい未来が開けますようにと。 コメディのフォーマットが効いている。つらい現実に立ち向かうには笑うこと、そして禁忌を知ること。警戒心と好奇心のバランスをとり乍ら、こどもたちは冷たい雰囲気の資産家や、ひとが避けて通りそうなホームレスに近付き、話しかける。そして話を聞く。何故彼女が、彼が、今こうしているのかを。そのまっすぐな思いは、大人たちの時間をも少し変える。主人公とともだちの相棒っぷりも格好いい! 出自も所属も気にしない、一緒にいるだけで楽しくなる関係。人生ってわるいもんじゃない、と思わせてくれる。 やがて母親がどうして車を手放さなかったのか、そして家族をどれだけだいじに思っているかが明らかになる。この辺り、『国際市場で逢いましょう』 で主人公が店を手放さなかったことと通じる。許すことと、赦しを乞うこと。どちらもとても難しい選択だが、彼女たちは前を向いている。ヤクルト 5連パックがとてもいい伏線になっています。あの飲み方気になったんだよね、ここで出てくるとは! と泣き笑い。ホームレス役のチェ・ミンス、酸いも甘いも噛み分けたかのようなその風貌がとても魅力的。コスチュームがまた格好いいんだ。バイクチェイスはこどもたちでなくとも歓声をあげたくなる爽快な名シーン。こまっしゃくれて生意気で、でも憎めない。とびきりかわいい子役たち(主人公を演じたイ・レは芝居もうまい!)も素晴らしく、いぬも名演! 見守る大人たちも抑制の効いた演技で印象的なひとばかり。 ハラハラドキドキ、劇場が笑いに包まれる。通路挟んで隣にいた父娘、見づらかったのか途中通路に女の子が出てきて、そのまま正座して食い入るように観ておりました。夢中になれる映画に出会ったんだねとなんだかこちらも嬉しくなった。 **************** 『フレンチアルプスで起きたこと』@ヒューマントラストシネマ有楽町 シアター2 なんとも言えないハシゴをしてしまった……しかし終わってみれば、どちらも家族の話ではありましたな。楽しい筈の家族旅行が、フレンチアルプスの美しい風景とは裏腹に地獄絵図になります。雪山に閉じ込められている環境、と言う点からしても『シャイニング』ばりに恐ろしいわ(笑)。 五日間の休暇でスキーにやってきた家族。一日目はそれなりに楽しく過ごします。でも写真を撮ってもらうとき、妻が夫に対してちょっと違和を感じているシーンがちゃっかり入れてあります。二日目の朝事件は起こる。朝食をとっていたレストランを雪崩が襲い、家族を置いてひとりだけ一目散に逃げたお父さん。いや〜な雰囲気に包まれる一家。その夜ホテルで知り合った男女に、夫がそのときの話をする。いやーすごい雪崩だったんだよ、逃げる程ではなかったけどね……はぁ? あんた真っ先に逃げたやん、泣き叫ぶ息子を置いて。と観客の頭にモヤ〜としたツッコミが入ると同時に映るはぁ? と言う表情の妻。ここから『ゴーン・ガール』ばりのディスコミュニケーション漫才が幕を開けます。 まああれよね…「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言う話ではありますね……最後の妻の行動で、夫を一方的には責められないよとフックを残していますし。しかしこれも鶏が先か卵が先かのあれで、相手がああ出たからこちらもこうした、の堂々巡りです。三日目から登場したワケアリカップルの男性が言うように、人間は動物。家族と言うコミュニティを維持するためには訓練=芝居が必要。最終日、こどもたちを安心させるために夫婦が打ったひと芝居(と判断した)によって、一家はかろうじて修復の道を選びます。さて未来はどうなる。こどもたちもパニックになった父親を前にして「パパ泣かないでー!」と一緒に泣きだしてしまうけなげさだけど、自分を守ってくれる場所を失うのは困ると演技をしたこども時代の記憶が自分にもありますよ。家庭の維持と言うのはたいへんです。何故そう迄して家庭を守ろうとするのか? 絆とは愛情によるものだけではないのです。 一日目、二日目、と日が変わる毎にテロップとテーマ曲(ヴィヴァルディの『四季』より「夏」)が挿入されるんですが、この緊張感ったらない。と言うか、テーマ曲が入る迄の緊張感がすごい。ある意味夏向け、涼しくなるよい映画です(ニッコリ)。