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2010年06月23日(水)
『2番目、或いは3番目』

NYLON100°C 35th SESSION『2番目、或いは3番目』@本多劇場

土日曜日の公演が全然とれず、平日ではこの日しか行けそうになく。初日開けて3日目のナイロンに行くと言う暴挙です(笑)。いやでもちゃんと観られるものでしたよ…ってそりゃあたりまえか。

ただ今回、なかなか難しい。いや、面白かったんですけど、その物語の奥にはまだ何かあるんじゃないか?と思ってしまう。初見の作家の作品だったらこりゃすごい!と思うだろうけど、ケラさんならまだ突っ込めるんじゃないかな…と思ってしまうのは贅沢だろうか。そして最後迄どちらに着地するか判らない緊張感があります。幕切れには納得出来ますが、その過程が、時間切れでこうなったのか、ケラさんに迷いがあるのか、迷いを抱えたまま終えることこそが大事なことだったのか。うーん、両方かな?それとも幕切れはああだと決めていて、過程を書いていくうちにああいったものになったのか。ここらへん上演を重ねることで変わってくるかなあ、後半どうなっているか気になる。

取り上げられているモチーフもてんこもりで、あーケラさん書きたいことが沢山あったんだなあとは思うけど、それがなんか…取り上げて、それから?と思ってしまった部分も多かった。ひとつひとつのシーンは面白いんだけど……。登場人物はそれぞれ傷を抱えていて、その弱っているところにつけこまれて酷い目に遭ったり、病的な自分に気付けなかったりするんだけど、その仕組みにもうちょっと突っ込めたんじゃないかなーと…ううーん贅沢?峯村さん演じるダーラがキャンピングカーでやっていたこととか、小出くん演じるジョゼッペが何をしていたかとか、その辺りをもうちょっとだけ見せてほしかった。想像で補完は出来るけど、でもやっぱりもうちょっと。で、ここらへんは省略されているのに、屈託ない会話が脱線する様が執拗な程繰り返されると言う、一時期気になっていたところがまた出てきちゃってたなー。前にも書いた憶えあるけど、そこは5回じゃなくて3回でいいんじゃないかな、3回じゃ判らないだろうって観客を信用してないのかな、と思わせられてしまう。いや、面白い、面白いんですよ。でも。

それでも最後の老夫婦の台詞と後ろ姿を観ると、ああ、こうやって生きていくものだよなあ、と微笑んでしまったのも確か。ちょっと『ナイス・エイジ』に通ずるところもありました。

と言えば大倉くんが今回久々に炸裂しており、『ナイス・エイジ』でのアホ長男ばりでした。もう頬骨が痛くなる程笑った…「なんなのこのひと?次何するか読めない!」と言ったヘンな緊張感が客席に漲っていた(笑)。で、笑いとともに「えええ、このタイミングでそんなこと言う?そんなことする?」と言ったどよめきも。もはや名人芸の域…これはナイロンでしか観られない!こんな怪物の受け皿はそうそうないよ……。外部での大倉くんもいい仕事するんだけど、こんだけ壊れた役は他では観られないです。なんだろう、ナイロンのひとたちって皆巧くて演出の意図(台詞の間とか)を汲み取った計算され尽くした演技も巧いんだけど、そしてそれは峯村さんが言っていたように訓練の賜物でもあり、ナイロンの強みでもあるのですが、大倉くんはそこに留まらないと言うか…時々そこから逸脱するように見える面白さがある。ナイロンなのにそれはアドリブなのか?ケラさんの書いた言葉を喋ってるのか?と思うことすらある。それが舞台上ですごく活きる。そして187cmが八百屋舞台から転がり落ちそうになるシーンは、演技だから落ちないだろうと思いつつも最前列だったのでひいっとなった。

峯村さんの演じる悲しみと諦めを抱えた女性像にはいつも心を動かされる。松永さんが今回イヌコさんと同世代の役、しかも久々?のいいやつ!よかった!村岡さんの娘っぷりもすごくよかったなあ。長田さんは老け役が板についてる(笑)。三宅さんは幸せになってほしいと思わせられる、そしてこのひとが喜んでるとこっちも嬉しくなると言う役がホント似合う。本人の明るいキャラクターによるものかな。ゲスト陣のバランスもなかなか面白かったです。マギーと緒川さんは慣れたもの、小出くんと谷村さんはちょっとまだ探り合いと言う状態か。

以下ネタバレ。

通過の物語でもあります。場所も通過するもの、家族のありようも通過するもの。政府から捨てられた地域。自然災害か、戦争か、もしくは何らかの実験の弊害か事故か(チェルノブイリもちょっと連想された)で廃墟のようになり、その中で日々の暮らしを続けるひとたち。「酷い」環境で暮らすひとたちに善行を施すことで自分の存在意義を確認したいひとたち、前の場所にいられなくなったが故に移動してきたひとたちが救助活動にやってくる。いちばん酷いのは自分たちではない、もっとつらいひとたちを助けてあげなければ。そこで安心を見出すのは、自分たちは「2番目、或いは3番目」に酷い目に遭っている、と言った相対的なもの。彼らは身を寄せ合って、お互いを必要とし、お互いを憐れもうとし、必死で生きている。

一幕目が終わった時点では、ああこりゃ後味のわるいものになりそうだな、と思った。終盤になるにつれ思わせぶりな演出が増えていき、同時に他愛のない会話は続き、ここでゲラゲラ笑っていても次の瞬間に絶望的なことが起こるのではないかと言う不安が湧く。よって自分の感情を素直に出せなくなり、どんどん無表情になる(笑)。この地域はガスの実験場になりました、数日後から実験は始まります、と言っているのに、舞台上にスモークが流れ始めたので「まさかもうガスが撒かれ出していて、全滅?」「一刻も早く皆この場を離れてほしい」と言った心配でおろおろし乍ら観ていました。この手の演出はケラさんよく使うんですが、今回はまんまとやられたなー。それも楽しめたと言えばそう。

問題を沢山抱え乍らも、膠着から脱け出すことを選んだひとたち。そして言わない優しさより言う優しさ。最後の最後迄ケラさんは迷ったのだろうが、老夫婦の会話に未来を託した。それは心に火が灯るようなものだった。どんな時でも、どんなことが起こっても、この強さが人間にはある、それを信じたい、と思った。