昨日は夫が娘の面倒を見てくれていて「自分1人の時間」があったのだけど、その時思ったことなど。
先に出掛けた夫と娘を追って駅に向かう途中、顔見知りの警備員のおじさんに「おはようございます」と挨拶したら怪訝な顔をされてしまった。娘と2人でよく歩く道すがらに立っている人なのだけど彼は私が「娘と2人」でないと、私を認識出来ないらしい。私と娘はいつも一緒に行動していて、私はあくまでも「娘のお母さん」と言う存在なのだってことを思い知らされた。
そして昨日は1人で電車に乗った。娘がいないので電車で本が読めるなぁ……と鞄に文庫本を入れて入った。席についたらまず読書。娘がいない時、電車の中では当然のように本を読んでいたのだけれど、娘が生まれてからは1度だって読んだことが無い。「電車で本を読む」などと言う些細なことでさえ、子どもがいると出来ないんだってことに今さらながら気がついた。
子どもがいなければ何でも出来る。子どもさえいなければ……と考えてしまう母親の気持ちが少しだけ理解出来た。もちろん、だからって「母親やめたい」などとは思わない。子どもに手が掛かる時期はわずか数年のことだ。期限付きの辛抱は辛抱のうちに入らない。いつ終わるとも分からない、無期限の問題に挑むのは辛いのだけど。「いったい、いつになったらこの生活から抜け出せるのだろう」と思って、死にたくなった昔を思い出してしまった。子育てにはハッキリした期限がある。だからある意味、とても気楽だ。
今日は数年ぶりに粕汁を作ってみた。娘がもっと小さい頃は「小さい子に粕汁って大丈夫かな?」と心配で作らなかったのだけど、もうそろそろ良いかな……と。濃厚な粕汁ではなくて「味噌汁に酒粕を混ぜた」程度のものだけど。それでも十分美味しかったし、娘も酔っ払うことはならかった。アルコールに弱い子だったら、粕汁だけでも駄目だったりするけれど娘の場合は大丈夫そうだ。
今回はスーパーで買った酒粕で作ったのだけど、いつかまた「美味しい酒粕」で作った粕汁を飲みたいなぁ……と夢想した。仕事で奈良に通っていた頃、造り酒屋さんで酒粕を分けてもらっていた。酒粕と言ってもスーパーで売っている物とは別物と言っていいほど段違いに美味しくて、その酒粕で作った粕汁の味がいまだに忘れられない。あのテの酒粕はアルコール分もけっこう残っていそうなので、娘がもっと大きくなったらまた作ってみたいと思う。
粕汁を飲むと三浦綾子の『塩狩峠』を連想してしまう。主人公、信夫の飲んだ豆腐入りの粕汁は、スーパーの酒粕で作った粕汁じゃなくて、もっと濃厚で身体の暖まる食べ物だったのだろうなぁ。
そんな訳で娘は今日、生まれて初めて粕汁を食べた。とても気に入ったらしく「また作ってちょうだいね」と言っていたので、冬の定番メニューにしたいと思う。次はもうちょっと酒粕を増やして作ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。