白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2009年10月22日(木) 散歩の思い出。

最近、娘は散歩に夢中だ。毎日お昼寝が終わった後、午後3時頃から2時間ばかりかけて散歩を楽しんでいる。

娘には娘の「マイブーム」があるらしく、大型遊具のある児童公園に毎日通っていた時期があったかと思えば、電車を見るために踏切の近くへ日参していたこともある。今は散歩にハマっていて、最近買った自転車にも乗らず自分の足で歩いてあちこち探検にいそしんでいる。

2歳になった娘は今までの赤ちゃんっぽかった歩き方がすっかり影を潜めて、散歩している姿はすっかり子供のそれだ。わざわざ段に上ってみたり、歩道の真ん中を通っている点字ブロックの上をソロリソロリと歩いてみたり、草や石ころを収集したり。私も子供の頃に「この線から外れたらサメに喰われて死ぬ」などと言う、自分ルールを作って歩いた覚えがある。娘がそんなことを考えて歩いているかどうかは謎だけど、彼女は彼女なりの流儀をもって歩いているようだ。

娘の後をついて歩いていると「毎日大変ねぇ」なんて声をかけられることが多い。まあ娘について歩くのは気を使うし、どこに連れて行かれるか分からないし、場合によっては「帰りたくない」とグズる娘を抱き抱えて家まで連行しなければならないので、大変と言えば大変だけど、亡父の散歩の付き合いよりも100倍は楽だなぁ……なんてことを、ふと思った。

父は亡くなる前、肝臓病から脳が委縮して認知症のような状態になり、徘徊するようになった。50代男性が徘徊する後を付いて歩くのは心身共に草臥れたものだ。認知症の人を表現するのに「子供にかえっているのよ」なんて言ったりするけれど、娘の散歩に付き合うようになって、今さらながら「それもそうだなぁ…」と思った。徘徊する父と付き合いも、子育てを経験してからだったら、もっと上手に対応してあげられたのになぁ……と残念に思う。

まぁ…もっとも、あの頃は色々な意味で一杯一杯で恋愛や結婚なんて考えられるような状態では無かったのだけど。

娘の散歩に付き合いながら、父と歩いた日のことを思い出してしまった。ものすごく辛い経験だったはずなのに、今になってみると懐かしさばかりが込み上げてくる。あれはあれで良い時間だったのかなぁ…とさえ思ってしまうほどだ。時間の経過は思い出を変質させていくのがろたか。

娘の散歩ブームがいつまで続くかは分からないけれど、しばらくはせっせと娘の後をついて歩くことになりそうだ。娘との散歩もいつか思い出になるのだろうけれど、今はこの時間を楽しむことに専念しよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2008年10月22日(水) 3連プリン
2007年10月22日(月) 赤ん坊のいる生活
2006年10月22日(日) 祭り囃子を聞きながら
2005年10月22日(土) 観劇と切り絵
2003年10月22日(水) 都会のネコと
2002年10月22日(火) 黄色いレインコート
2001年10月22日(月) 隷嬢のごとく。

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