2011年05月17日(火) |
東日本大震災 帰納法的考察 |
これは、3月末のニュース。
東京電力は28日、福島第一原子力発電所の敷地内で21、22日に採取した土壌から微量の放射性物質のプルトニウムを検出したと発表した。原子炉の核燃料が損傷して漏れ出した可能性が高いが、東電は「人体に影響のないレベルの濃度」としている。
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「プルトニウムは、自然界にはない、人間が作り出した物質です」という解説と、 「検出されたのは、自然の状態で観測される値と変わらない量です」という解説の矛盾のなかに、現実がある。
福島原発事故を待たずとも、日本は既に、放射性物質に覆われている。 チェルノブイリよりも前から、核実験によって。
なんだ、とっくに世界は汚れていたんじゃないかという気持ちは、 複雑で簡単には表現できない。
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もう少し利口に考えてみると、こうも思う。
もう既に汚染されているのだとすれば、もう既に症状は出ているはずだ。
たとえば、がん。 たとえば、不妊。 たとえば、子どもの発達異常。 たとえば、精神面での様々なトラブル。自殺。
もちろん、食生活や化学物質との因果関係もあるだろう。 そのあたりを加味しながらも、どうせ汚染されているこの世ならば、 放射能汚染と社会の劣化の関係を、よく調べたらどうだと言いたい。
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もう少し穿った見方をすると、 原発での放射能汚染事故は、もうとっくの昔からしょっちゅう起きていたんじゃないか、という気もする。
5月9日に、敦賀原発でも排気筒から微量の放射性ガスが外部に漏れるトラブルがあった。 放射能汚染事故に対する報道の感度があがったから、こうした出来事が世に知られる。そう理解している。
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