無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年07月04日(金) 私は多分ちょっと本気で怒っている/『放送禁止歌』(森達也)

 ニカウさんが亡くなったそうです……って、覚えてる人もなかなかいいトシになっちゃいましたねえ。
 1980年の映画『ミラクル・ワールド ブッシュマン』は、輸入会社も予想しなかった大ヒットを飛ばしたけれども、「神様の落し物であるコカ・コーラの瓶を拾ったブッシュマンが、神様のところに返しにいく」だけの単純なストーリーがなぜか当時の人たちの心を打ったのですね。私も見に行きましたが確かに普に「面白かった」記憶はあります。
 科学的、人工的な現代文明にどっぷり使った生活してるとね、ふと「これでいいのかな、何か我々は『自然』に忘れものをしてきてないかな」なんて気になっちゃう時があるんですねえ。でもって、何年か置きに起こるそんな「自然回帰ブーム」にちょうどマッチした感じでその手の映画がヒットするんですよ。その典型的な例。
 でも今、同じものが作られてもさてヒットするかどうか。だって今や日本じゃその手の映画を恒常的に提供し続ける「スタジオジブリ」って映画会社がありますから(^o^)。
 宮崎駿がその名声の第一歩を示すことになる『風の谷のナウシカ』の漫画原作を描き始めたのが、その2年後の1982年。実際、ジブリ作品を除けば、この手の映画がヒットしたのって、『ブッシュマン』が最後じゃなかったか。
 あとで「あの映画は実はヤラセだ」とか批判が出たけど、ドキュメンタリーじゃなくて劇映画なんだから、こんな的外れな批判はない。それくらい日本人の「自然」願望は歪んでたとも言えるのである。

 ニカウさんは、1日にまきを拾いに出たまま戻らず、捜しに出た家族が草原で死んでいるのを見つけたという。推定59歳。


 さくら出版のマンガ原稿流出事件について、テレビレポーターが元社長に取材していたのを見る。と言っても本人、姿は現してない。
 「その件は弁護士を通じて」とコメントしてあとは沈黙ってのはまあ、分からないでもないが、そのあと更に弁護士に取材したら、「それは犯罪の話になるので言えない」って……。言ってるじゃん(^_^;)。
 つまりはアレが全部「不正流出」だということを認めちゃってるってことではないのよ。となりゃあ、そのへんの事情を「まんだらけ」が一切知らなかったって言い訳はちょっと成り立たなくなってくるね。
 インタビューに答えてた弘兼憲史さんも「あれは盗品」と明言されていたけれども、これから先、裁判で係争していってちゃんと原稿がマンガ家さんの元に戻ってくることになるのかどうか。結論が出るのに時間がかかった場合、その間に二重流出が起こりはしないだろうか。
 ゴタゴタする前に、「まんだらけ」社長が原稿を返す度量を見せてくれたらいいんだけれど、なんかテレビで見たこのおっさん、洗脳されてた頃の蓮○薫さんみたいな顔してて(例えがよくなくて申し訳ないが、なんか目がイッちゃってんだもの)、アテになりそうにないのである。高飛車なモノイイをするわけでも倣岸な態度を取るわけでもないのだけれど、「原稿をほしいのであれば買い取っていただくということで」と淡々と喋ってるあたり、一筋縄ではいかないような雰囲気なのである。「管理が悪いのはマンガ家と出版社の責任」って、出版社はともかく、マンガ家は違うでしょう。出版社に「原稿返して」と要求しても返却に応じてくれなかったんだから。それが分らないはずはないのにいけしゃあしゃあと言ってのけるあたりが、「わかってやってる」度が高いと思うのである。
 ああ、ほんなこつ、誰か大金持ちが原稿全部買い戻して、マンガ家さんたちに無償で返してくれないものだろうか。
 ……って、それじゃ問題の根本的解決にならんことは重々承知してるのだけれども。


「WEB現代」の『あなたとわたしのGAINAX』が面白い。
 第2回「ゼネラルプロダクツ」で、ガイナックスの統括本部長の武田康廣氏へのインタビュー、それなりの長さ(12分)をかけているので、「あの頃」の歴史を思い出して懐かしさに浸れる。
 と言っても、私は学生で貧乏で、とてもSF大会に参加できる余裕はなく、アニメ誌の記事を見ては、「ああ、自分たちよりちょっと年上の人たちがアマチュアなのにこんなスゴイことやってるんだ」と、「DAICON3&4」のOPアニメーションの趣味っぷりに感激していたものである。
 既にこのフィルム自体もSF大会などごく限られたイベントでしか上映されなくなっているので、「幻」と言ってもいいと思うが、オタクという言葉が発生する以前の、「アニメファン」の原石の輝きのようなものがアレにはあった。「美少女とメカ」はもちろん性のメタファーではあったが、何かまあ、そこに我々はアマチュアならではの「純」なものを見出していたのだ……と思う。
 と、言葉を濁さねばならないのは、その象徴として「吾妻ひでお」という、その「純」なもののウラにしっかりナニな部分を内包したキャラクターを使用していたということがあるのであるが。
 実際、イマドキの若い人に「あのころの吾妻ひでおは『最強究極絶対不滅純情可憐聖俗合わせ持つ美少女』を描いていたのだ」と言っても信じてもらえないかもしれない。

 ま、それはさておき、武田さんの「権利」に関する話はためになるし(『王立』も『ナディア』もガイナックスが権利を持ってないってのには驚いた)、ゼネプロからガイナックスへ至る険しくも楽しい道程は、これまでいろいろ書かれてきたものを思いだしながら読むとある意味感動的ですらある。
 けど、私が一番ツボにハマったのは次のくだり。

> もちろんキャラクターは売りたい。しかし、いかんせん、そのう、なかなか難しいんですよ。たとえば今“萌え”の路線が流行っているからといって、そういう作品がガイナックスでつくれるのか。何回挑戦してもそれは無理だろうと。妹が何人も出てきて「お兄ちゃーん」とかいっている作品を、ウチがつくれるかというとそれは無理だと思います。
 (中略)
> 山賀なんかは「王立宇宙軍」に出てきたリイクニが美少女だと思っていたくらいで、感覚はずいぶんあやしい。「おまえそれはないだろう」(笑)。確かに乳は揺らしてましたけどね。「トップをねらえ!」でも、最初はずいぶんと乳を揺らしている女の子が出てきましたけど、結局山賀がつくった作品の世界に監督の庵野がのめりこんで、とてもハードなSF作品になった。あの作品の場合、そのバランスで絶妙に面白くなった。作品をつくるということはそういうことだと思うんですよ。会社としてこの路線で行く、と考えても結局つくりたいものしかつくれない。

 「アヤナミは萌えキャラちゃうんか」、というツッコミは妥当ではあるまい。一見かわいらしいキャラデザインの美少女になら誰にでも萌えるファンにとっては『エヴァ』のキャラも『シスタープリンセス』や『らいむいろ戦記譚』の妹キャラも全部いっしょくたなのかもしれないが(でも本当に「妹ブーム」なんてあるのか)、やっぱり「背負っている物語」が違うのである(設定の多寡ではない)。
 陳腐な言い方になって申し訳がないのだが、「ドラマ」ってのはそこに「人間」がいなきゃどうしようもないのだ。「人間が描けなければドラマにならない」というのは否定のしようがない事実なんで、そうでないアニメや映画に魅力は生じない。ドラマのない作品にも魅力があると思っている人たちは実は作品以外のものを見ているので、それは全然作品を誉めてることにはならないのである。

 も一つ笑ったのが、注釈に付いてた「萌え」の解説。

> 『萌え』

> '90年代中盤から後半にかけておたく文化の中で生まれた用語。誕生当時は漫画やアニメ作品、ゲームなどにおける少し変わった、「なにか心にひっかかる」キャラクターやストーリー、世界設定などに対して用いられていたが、やがてキャラクターの魅力をあらわす用語として定着した。一応はアニメ、漫画作品の年少の美少女キャラクターに対して発生する恋情、もしくはキャラクター設定に関する特定のバイアスに対して使用される用語ではあるが、その概念は完全に固定されていない。たとえば『ドラえもん』におけるヒロイン、しずかちゃんを「萌えキャラ」と表現して良いか否かなどの命題は、人それぞれに解釈が存在する。

 「なにか心に引っかかる」とは随分微妙な言いまわしだけれど、対象についてじゃなくて、萌えてる本人の一つタガがふっとんんじゃってる状態を表してる部分もあるんじゃないですかね、これには。いや、若いアニメファンも結構見てるけど、「萌え」なんて用語使ってる人間って、イタイ中でも最大級にイタイ人たちだけですよ、ホント。やっぱねえ、マトモな神経持ってる人間なら、たとえ仲間うちであっても他人に理解できる言葉を使いますから。
 あと、「しずかちゃん」の件ですが、原作後期の絵柄のしずちゃんとか、渡辺歩作画監督のしずちゃんならまあ萌えるってのも分からなくはないんですよ。けど、ほかのはどうなんですかね。たとえば冨永さん作画のしずちゃんじゃないと萌えない! なんてんだったら、それは確かにちょっとねえ、どういう人ですかアンタは、と言いたくなりますが。


 今日も終日雨。
 残業で帰宅はまたまた10時過ぎ。帰りが暗くなると、バスの中でも本が読めなくて本当に退屈してしまうのである。今現在、私の主要な読書時間帯は、食事中とトイレ中と入浴中とこの通勤時間帯なのだから、日の明るいうちに帰りたいものなんだが。いや、残業も1時間くらいなら文句ないんだけど、恒常的に2〜4時間ってのはあんまりだがね。
 ボーナスも今度から下げられるしなあ(額面は上がるのだが、税金が余計にかかるので実質目減りなのである。なんでこんなインケツなことしてくれるのか)。労働意欲を欠けさせることばかりどうしてするのかな。


 森達也『放送禁止歌』(光文社/知恵の森文庫・680円)。
 著者はテレビドキュメンタリーの監督である。オウム真理教事件のドキュメンタリーである『A』の監督さん、と言えば、ああ、と思いだされる方もおられようか。
 本作は、タイトルにもある通り、いったん発売されながら、放送には「不適切」とされて今や耳にする機会の失われてしまった歌謡曲について、その「放送禁止」に至った顛末をテレビ番組にした時のメイキング本である。
 岡林信康『手紙』『ヘライデ』『チューリップのアップリケ』『くそくらえ節』『がいこつの歌』、三上寛『夢は夜ひらく』、頭脳警察『世界革命戦争宣言』、丸山明宏『ヨイトマケの歌』、北島三郎『ブンガチャ節』、なぎらけんいち『悲惨な戦い』、高田渡『スキンシップ・ブルース』『自衛隊に入ろう』『生活の柄』、山平和彦『放送禁止歌』『大島節』『月経』、ザ・フォーク・クルセイダース『イムジン河』、高倉健『網走番外地(1965年版)』、泉谷しげる『戦争小唄』『黒いカバン』、赤い鳥『竹田の子守唄』……。
 さて、これらの曲を実際に聞いたことのある世代は40代以上だろう。
 私とて、遠い記憶の彼方のものが殆どで、岡林信康のものにいたっては、一曲も聞いたことがない。ただ、これらの曲が「放送禁止歌」であるという「知識」は持っていたつもりだった。その「禁止」された理由も、性的な表現や差別的な表現が引っかかったんだろう、と漫然と考えていたのである。
 問題はその「引っかかった」というのが「何に」ということである。
 多分、たいていの人が「放送コード」というものがテレビ局の内規か何かにあるものだと信じていると思う。ところが著者は、取材の過程で「そんなものはない」という事実を発見してしまうのだ。
 一応、「規制」の主体となるものとして、民放連が1959年に発足させた「要注意歌謡曲指定制度」というものはある。しかしこれはただのガイドラインに過ぎず、強制力はないばかりか、1983年に廃止されてもいるのである。更に言えば、実際に「放送禁止」されている『網走番外地』『手紙』『チューリップのアップリケ』『イムジン河』『自衛隊に入ろう』『竹田の子守唄』などはこの一覧表に全く記載されていない。また、「どこか」から「糾弾」があったという事実もない。
 要するに「放送禁止」の実態は、放送局側の「疑心暗鬼」に他ならないのだ。
 「この曲は、もしかしたら放送しちゃヤバいんじゃないか」。
 その「思いこみ」が勝手に「放送禁止歌」を作りあげていったのである。

 「傷つく人の気持ちを考えて」とは差別を問題とする人権派の人たちがよく口にすることではある。しかし実のところ、放送業界での「禁止用語」というのは単なる言葉狩りにしかなっていない。『手紙』などは歌詞を読めばどう解釈したところでこれは「差別に対する怒り・告発」としか読めまい。それが「放送禁止歌」になってしまう点に、現実として差別を温存する土壌が存在しているのである。
 「糾弾」を行っているとされる某団体は、よく「文脈を捉えて批判するのならともかく、安易な言葉狩りはしていない」と主張している。本書でも、著者の森さんがその団体の役員の人に「放送で○○・○○という言葉(最大級の差別語とされているもの)を使っていいですか?」と質問したところ、「使い方には留意してください」と了承している(実際の放送には使用されず)。
 けれど、その団体が放送局の「勝手な自主規制」について積極的に改正を求めたなんて話は殆ど聞こえてこない。某団体は、『手紙』が放送禁止の憂き目にあっていることに対して、果たして抗議の姿勢を示したことがあったのだろうか?
 更に言えば、いつぞやの某作家の断筆に関する討論番組で、当時のその団体のトップの人が「○○・○○という言葉は聞くだけでイヤだ」と発言したのを私はしっかり覚えているし、録画もしている。文脈どころか、それは「発言」自体を封印させかねない「圧力」であり、「言論統制」以外の何物でもなかった。
 こんな態度で、どうして「表現の自由を脅かすつもりはない」などと言えようか。結局あの団体も一枚岩ではなく、人によって時によって言ってることがコロコロ変わるのである。放送局側が難癖つけられることを恐れてコトナカレに走るのもそこに原因がある。
 放送局側の弱腰について、糾弾はされてしかるべきだろうが、一番の問題は「被害者ヅラした加害者」である某団体であろう。過度の糾弾がかえって差別を助長し、わけのわからない後続の糾弾組織(「かわいいコックさん」まで黒人差別だなんて言ってるバカ親子とかな)を乱立させた原因になっていることを彼らは少しは自覚しているのだろうか。
 文句があるなら、「放送禁止歌などを想定している放送局を糾弾する」声明でも発表してからものを言え。

 最後に、岡林信康の『手紙』の歌詞をここに引用する。私の意見が間違いと思うのなら、まず、この歌詞に対する批評から始めてもらいたい。

> 私の好きな みつるさんが
 おじいさんから お店をもらい
 二人いっしょに 暮らすんだと
 うれしそうに 話してたけど
 私といっしょに なるのだったら
 お店をゆずらないと 言われたの
 お店をゆずらないと 言われたの

> 私は彼の 幸せのため
 身を引こうと 思ってます
 二人はいっしょに なれないのなら
 死のうとまで 彼は言った
 だからすべて 彼にあげたこと
 くやんではいない 別れても
 くやんではいない 別れても

> だけどお父さん お母さん
 私は二度と 恋はしない
 部落に生まれた そのことの
 どこが悪い どこがちがう
 暗い手紙に なりました
 だけど私は 書きたかった
 だけど私は 書きたかった

2002年07月04日(木) 丼より皿/『快傑ズバット大全』(ブレインナビ)ほか
2001年07月04日(水) 喉が異常に乾くよう/DVD『少年ドラマシリーズ ユタとふしぎな仲間たち』ほか


2003年07月03日(木) 遊ぶ女/『BURAIKEN』(唐沢なをき)/『超役立ち法律大事典』(行列のできる法律事務所)ほか

 ここんとこずっと雨が降り続いていたが、珍しくも今日は朝から晴。
 ……と思ったらやっぱり昼ごろから天気が崩れ出して、雨になるのであった。梅雨と言えば梅雨らしいんだけど、沖縄の方で「梅雨明け宣言」したの一週間くらい前じゃなかったか。梅雨前線、えらく留まってるなあ。

 仕事が溜まってきてたので、少し早めに家を出て片付けようかと計画、昨日のうちに、しげにもそう伝えておいた。
 「明日は早いから、仕事が終わったら早く帰って来いよ」。
 これはもちろん、早く帰ってきて少しでも寝ておけ、という意味である。しげの仕事自体は2時には終わるのだから、すぐ帰ってきて寝れば5時間は寝られるのである。それを「次に入る人が困るから」と残業して(ここまでは仕方がないかなとも思う)、それからあとカラオケに行ったりデニーズやジョイフルで駄弁ったりしているから寝る時間がなくなるのだ。でもって、帰ってくるなり「眠いから送れない」と言って、夕方まで10時間くらい寝てしまう。当然、家事なんて何一つしない。
 ちゃんと言っといてもどうせ遊んで帰ってくるんだろうな、と思ってたら、やっぱり朝帰り。今日こそは早めに帰ってくるだろうとつい期待して、私も3時ごろまで待ってたものだから、肩透かしされてあまり寝ていない。結局、カラダがよく動かずに早出もできず。節々の痛むカラダをむりやりタクシーに乗っけて職場へ。全く、迷惑ばかりかけやがるんだからな。

 これだけ遊んでおきながら、その上しげは「どこか旅行にでも出かけん?」とか私に甘えてくるのである。
 今、私が旅行に出かけられない状態だということもすっかり忘れているのだ。
 こういうことばかりされていると、ホントに「しげはいないもの」という前提で生活を考えなくてはいけなくなる。
 それでいいとはしげも思っちゃいまい、と思いたいのだが、結果としてそうせざるを得なくなるのは事実。それ、ちゃんとわかってんのか?
 もしかしてしげは、内心、私がホントに今の仕事をやめてくれればとか思ってんだろうか。
 十何年も一緒にのたくってんのに、気持ちはいつまで経っても伝わらないんだなあ。


 帰宅して、テレビのチャンネルを回したら、偶然「クイズ常識の時間」でアニメ特集をやっている。
 西村知美が身重なのにゲストで呼ばれてるが、何だか呼ぶ方も呼ぶ方だし出る方も出る方という気がする。まあいいけどね。
 クイズ自体はアニメファンには常識みたいなものなので、西村知美だけがどんどん答えていくのが笑える。それにしても、アニメの実写版を紹介して笑いを取ろうっての、昔からよくやってたけど、笑うより先に私ゃイタイんだけどねえ。で、毎回『ルパン三世念力珍作戦』が引き合いに出されるのはどうかなあって思うんだが。そんなに次元大介の田中邦衛ってヘンかね。原作じゃそんなにダンディってわけでもないぞ、次元(特に初期)。


 ホームページの更新もできれば毎日やっていたいのだが、そんな時間も体力もない。
 「マンガの笑セリフ」を今日までで一気に3回、更新したことはしたが、意外とこれ、体力使うんである。何たって、書庫の中から本探してこなきゃなんないから(^o^)。あまり新しいマンガだとみんな読んで知ってるし、そろそろみんなの記憶の彼方に去りかけてるのを選んでおきたいんだけれども。
 ああ、でもほかの工事中のコンテンツもなあ(~_~;)。


 マンガ、唐沢なをき『BURAIKEN』(エンターブレイン/ビームコミックス・756円)。
 描きおろし14ページなんてのを入れてくれるから、また買わなきゃならなくなっちゃったじゃん。やっぱ結構アコギだと思うぞ唐沢さん。
 実は私は唐沢なをきの代表作は『カスミ伝』シリーズとこの『BURAIKEN』だと思っているのである。理由はどっちも時代劇のパロになってるからなのだな(←この言質は『赤富士』とかについて描くときには簡単に入れ代わるので信用しないように)。
 こんなのたいしたパロじゃなかろう、と仰る方にヒトコト。主人公血煙今日四郎の元ネタは当然、眠狂四郎なんだけど、彼の円月殺法は、刀を回して相手を催眠術にかけ、その隙に斬るという、時代劇小説中最も華麗だけれど同時に最も卑怯なワザでもあるのである。
 それをパロるんだから、当然その剣は「もっと卑怯」でなければならない。そこで「ウンチク垂れて相手が混乱したところを血祭りに上げる」、という技が完成したわけだ。こういうアイデア勝負の作品が昔は多かったよなあ、唐沢さん(遠い目)。
 描きおろし新作は確定申告&七人の侍パロだけど、以前の連載と「全く同じ」展開なのが嬉しい。この「変わらない」ってこと、なかなかやれるものではないのよ。つい奇を衒って「平成版」とかにしちゃうマンガ家さん、多いでしょ。
 それにしても、リアルなエロマンガにはイマイチ萌えないのに、こういうマンガキャラがナニされまくってるのの方がナニだってのは何でなんでしょうね。


 マンガ、魔夜峰央『パタリロ西遊記』6巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 もう6巻まで来ちゃいましたね。『パタリロ!』も今まで何度か長編シリーズがあったけれども、まさかこれが最大長編になるとは思ってなかった。人気あるんだろうか。
 原作に結構依拠してた前巻までとうってかわって、今巻はミステリ仕立てのものが多い。とは言っても、もう「あの作家のあの作品からそのまんま持ってきました」ってのばっかりなのはどうかと思うけど。しかも『パタリロ!』本編で使ったことあるトリックばっかだし。
 魔夜さん、もしかして自分がかつて同じ作品描いたことあるの、忘れちゃってんじゃなかろうか。そういう可能性高そうだよなあ。


 行列のできる法律事務所・編『超役立ち法律大事典』(日本テレビ・1050円)。
 こんなのまでつい買ってます(^_^;)。中身はテレビで放映されてたのそのまんま。あれ見てると、裁判なんて弁護士の匙加減一つだなあ、という気がしてきて、ちょっとしたことでも裁判沙汰にはならん方がいいよなあ、という気にさせられることが多い。でもそれって、詐欺師に一番つけこまれやすい心理状態なんだよね。あまり弁護士間の諍いを見せないでほしいようにも思うんだが。
 まあ、買ってどうこういう類のものでもないんだけど、中のマンガ描いてるのが若林健次さんだったもんで、ついね。今イチ売れないでこんな仕事もしてたか。そのうち学習マンガに行っちゃわないかちょっと心配である。

2002年07月03日(水) 妻のどこまでも広い背中/『デボラがライバル』1・2巻(多田かおる)/『20世紀少年』9巻(浦沢直樹)ほか
2001年07月03日(火) 頭痛のせいでネカマ風(-_-;)/『黒衣 ―KUROKO―』2巻(高橋葉介)ほか


2003年07月02日(水) ストレスは溜まるようになっている/映画『復活の日』

 眼科医から「2ヶ月くらいは安静にしてなさい」といわれていたので、この先2ヶ月ほどに予定していた出張、旅行の類を一切キャンセル。
 とりあえず明日、明後日のものはなかったから、いきなり誰かに迷惑をかける、という事態にはならなかったものの、やはり何人かの同僚からは仕事が自分に回ってきたことでイヤな顔をされる。
 いやね、ホントに仕事したがらない人っているのよ。そのくせ、家に帰らないで残業だけはしょっちゅうしてるんだから、何を考えてるのかよくわからん。
 私の場合、誰かが急な病気で休んだときには全く平気な顔で仕事を引き受けてるのに、ちょっと不公平かな、と思う。


 例のちょっと、というか、最近はかなりアブナイ同僚が、ツイ、と私のそばに近づいてきたかと思うと、無言でいきなりクスリの袋のようなものを二つ、手渡してきた。
 一瞬、覚醒剤か何かかと思ってビクッとする。けれど袋をよく見ると、表面にハングル文字が書いてある。
 「……なんですか? これ」
 「しょうが湯」
 それだけ言うと、さっさと向こうに行ってしまった。
 ……え〜っと、つまりこれは私へのプレゼントだろうか。でも普通、何の説明もなしにいきなりこんなもん渡しゃしないよなあ。「韓国に行ったお土産です」とか(と言ってもこの人が韓国に行ったのかどうかは知らない)、「これでも飲んであったまってくださいね」とか、なにか挨拶のヒトコトくらいありそうなものだ。いきなりただ渡されてもなあ、どんなリアクション取ればいいのやら。
 しかもこの「ふた袋」という中途半端さは何なんだろう。箱買いして同僚たちに少しずつ配ってるっていうのならそれも分かるのだが、なにしろこの人、みんなから嫌われてるので、こなさんに配ってる形跡はないのである。
 えーっと、私はこのしょうが湯、飲んでいいものなんでしょうか。


 研修の名目で、某病院のカウンセラーの方の講釈を聞く。
 要するに「仕事のストレスから開放されていかにリラックスするか」ということなのだが、なんか大々的に全社員を集めてやんなきゃなんないことなんだろうかね。仕事上のストレスは解消できないからストレスになってるんだから、たかが講義の一つや二つで楽になるんだったら、とっくの昔に自分で何とかできてるだろう。こういう時間を設けられて強制参加させられる方がよっぽど仕事の時間が削られて迷惑なんだけどねえ。
 場所はかなり広めの会議室で行われたんだけれど、カウンセラーの方がまず、「自由に移動して、自分が一番リラックスできる場所を探してください」なんて言うのである。会議室のどこにそんな場所があるか(-_-;)。でも私は暑がりであるので、さっさと窓際に移動する。外は小雨だが、ちょっと顔が冷たくなるくらいが気持ちいい。
 そこでカウンセラーさんが「楽な姿勢で」とか「足を伸ばして」とか言うんだが、まあその通りに実行する人はあまりいない。私を含めて数えるほどだ。そりゃ当たり前の話で、上司がズラリと並んでる前で、いきなりリラックスできる度胸のある人間がそうそういるわきゃない。私が平気でそれをできるのは職場への帰属意識が低いからで、一般的には誉められたことではないのである。
 カウンセラーさんがしきりに「これができないのはストレスが溜まってる証拠ですよ」と仰るが果たしてそれはどうかね。日本人の場合、組織に所属し、一律の行動を取ることで安心感を得る場合の方が大きいんじゃないか。神経の細い人なんか、ちょっと人と違う行動しただけでビクビクしちゃうことってあると思うけど。なんかこのカウンセラーさん、アテにならんなあ。
 次に絵ハガキを何十枚もたくさん見せて、「この中で気になるものを取り上げてください」というもの。その絵がどうして気になるのか、じっと見つめて考えてみましょう、ということだけれど、ゲームの心理テストみたいな感じで、これもリラックスに関係があるのかどうか今一つピンとこない。
 私が選んだのは、薄汚れたマンションを仰角で見上げた写真で、背景には青い空と白い雲が広がっている。マンションはその一部しか映っていないので、写真に占める面積は空の方が大きい。
 自己分析のクセがついてない人には、なぜ自分がそれを選んだのか、なかなか見当がつかないものなのだろうが、画像分析に慣れていればそれは特に難しいことではない。例えば私の選んだそれは、私の自殺願望を表しているのであって、薄汚れたマンションは私の自我の投影だし、空は「開放」の象徴である。また、自己と他者はその位置を容易に転換しえるから、これは他者の自殺願望を否定したい自己の意志の表れでもある。
 その程度の自己分析ができていれば、自らの心のコントロールはまあまあ可能なので、ストレスの解消の仕方も自分で分かるし、実際に私が自殺するような事態に陥ることはまずなかろう。でも、大事なのはその程度のことはやろうと思えば誰にだってできることなので、ヘタに自分のプライドを肥大させて自らを特別視しちゃいかんよってことなんである。自己分析ができない人間がストレス溜まりまくりになるかっていうと、そういうものでもないからだ。
 「自分がなぜこれを選んだのかよく分らない」と首を捻っていた同僚もたくさんいたが、わかんなくてもいいんじゃないの。今が幸せなら、わざわざ波風立てるこたないのである。
 てことは今日のカウンセリング、ホントに何の役にも立たないってことになるんだけど、この研修って、「日本のカウンセリング状況は、未だいかがわしいレベルにある」って教えてくれるためのものだったんですか。
 

 疲れて帰宅。
 新番組「トリビアの泉」を見る。新番と言っても以前は深夜ワクでやってた豆知識番組で、今回の第20回から堂々のゴールデンタイムへの進出。でもこんなの視聴率取れるんかいな。
 唐沢俊一さんがスーパーバイザーやってることを知ってたので見てみたが、豆知識の量がともかく少ない。こういうのはヘタにゲストを呼んでスタジオ形式にするんじゃなくて、取材フィルムは使っていいから、もう少し量を増やして中身が濃い印象を与えた方がいいのである。中村玉緒のコメントなんて聞いてどうするんだ。
 でも金賞取った「電話の時報案内の声は中村啓子さんという人である」っての、なんか面白いんかね。ゲストもみんな本気で面白がってたようには見えなかったんだが。
 子門真人の『スターウォーズ』も久しぶりに聞いたけど、こういうのも何かツッコミが入らないと、別に面白くも何ともないのである。で、タモリを初めとして、司会者の高橋克実、八嶋智人もこのツッコミが超絶的にヘタ。でも今やこういうバラエティ番組の司会者は決してうまくちゃいけないのである。だって今の視聴者ってみんな根拠もなくプライドだけが高いから、自分よりバカなヤツでないと見ようとしないからね。
 番組スタッフの中にシティボーイズライブの演出を担当していた三木聡さんの名前も見つける。この人も豆知識好きだからなあ。スタッフは充実してるのにどうも印象がつまらないのはディレクターがアホだからなんだろうな。


 CS日本映画専門チャンネル『復活の日』。
 これも昔見たときには、「作ってるヤツだけが感動してる」一人よがり映画だなあ、と、2時間半がタルくてタルくて仕方なかったんだけど、原因はやっぱり役者たちの思わせぶりたっぷりな時代劇演技がつまんなかったからだろうねえ。特に日本人の方の。
 SFはさあ、その空想の基盤を支えるためには繊細で緻密な描写が必要なんだけど、深作監督にそれを要求するのはムリだ。うねりのあるドラマを作るのにはもっとも不適な人を選んじゃってるんだよなあ。
 役者陣の中で「いいな」と思えたのって、ジョージ・ケネディくらいのものだったし、その印象は今も変わらない。昔見て今見て印象に変化がないというのはそれだけ中身が薄っぺらだったということである。
 一応、当時大ヒットを飛ばしたこの映画、けれど製作費がそれ以上にかかっちゃってたので、角川映画の大作路線はここで一つの終焉を遂げる。その後の角川映画はアイドル路線、アニメ路線、何だかよく分らない映画路線(^o^)と変遷を遂げて、今の「で、何を作ってるんだよ」路線に至るのである。
 しかし、一般的には演技派として見られている渡瀬恒彦を私が「大根じゃねえの?」と思ってしまうのは、南極で錯乱して雪の中に飛び出してっちゃうトホホな芝居を見せられてるからなんだよなあ。この映画の一番の欠点は、個々人の絶望が「点景」としてしか描かれてない点なんで、悲惨さが観客に伝わってこないのである。渡瀬恒彦にしろ、多岐川由美にしろ、ちゃんと死ぬとこ見せなきゃ意味ないやな。あと、キリストと草刈正雄が字幕で会話するシーンは『バトル・ロワイヤル』と見比べてみるとなかなか笑えます(^o^)。
 当初から海外戦略の狙われていた作品だったが、レナード・マーティンの星評価では★★1/2でまあ、普通。「南極大陸の景色はキレイだけど、お話は長すぎてしかも紆余曲折」と、あまり誉められてない。確か海外版は編集が日本のと変えられてて、ラストは人類滅亡で終わってたってのなんかで聞いたことあったけど、ほんまやろか。だったら物語は随分単純化されてるはずで、それてもこの評価ってのがちょっと頷けないのだが。

2002年07月02日(火) アニメ見るのは浮気じゃないよん/アニメ『最終兵器彼女』第1話/『エクセル▽サーガ』9巻(六道神士)ほか
2001年07月02日(月) ばとんたっちorあとはどうなと/『赤い雲』(西岸良平)ほか


2003年07月01日(火) 踊らぬ娘に踊る人々/『寄生獣 完全版』8巻(岩明均)/『エンジェル・ハート』7巻(北条司)

 ミュージックステーションをドタキャンしたロシアの女子高生デュオ、タトゥーであるが、その記者会見の様子を初めてテレビで見る。
 まあなんかロシア語で「私たちだけのショーにしたかった」とか言ってるが、じゃあ、1時間ずっと自分たちで歌いっぱなししたかったってことなんだろうか。つーか、契約時にそういった打ち合わせができてなかったとは到底思いにくい。
 確か以前、「週刊文春」か「新潮」だったかで、タトゥーのことを「現代女子高生のカリスマ(いい加減でこの誤用もなんとかしたらどうだ)」なんて紹介がされてたけど、ロシア人だろうが日本人だろうが、たかだか17、8の小娘に、人を心から魅了できるだけの天分がそうそうあるわきゃないのである。どうもこの二人の「人気」とやら、多分に「作りもの」である公算が大きい。
 ファッションセンスがどうの、レズであることがどうの(これもどうも宣伝臭い)、そういったプロパガンダに乗せられるのは乗せられる者の自由だけれど、今回のトラブルも案外故意にやってんじゃないか。
 それが証拠に、あっちこっちの日記で、今回のタトゥーの件を話題にしているが、この事件以前にその存在を知ってたらしい人がほとんど見当たらない。私だって「文春」を読んでなきゃ「タトゥーって誰?」ってなもんだったろう。
 まあ、「このクソナマイキなロ○ケが」とお怒りになる向きが多いのもわからんではないが、腹立てる分だけあのコたちの宣伝工作にひと役買ってることになるのである。ファンになるならともかく、右から左に聞き流しときゃいいんではないの。
 あのコたちも、ホントに「タレント」として自分たちをアピールしたいんだったら、生放送中にいきなり脱ぐくらいのことすりゃいいのだな。どうせ話題になる「だけ」のことなら、ドタキャンなんかよりそっちのほうがよっぽど「伝説」になる。マネージャーも新人の子はそれくらいの度胸で売り出そうよ。


 訃報が続く。
 28日、劇作家兼演出家の岸田理生さんが大腸がんのため死去。享年57。
 この方についても書きだしたらキリがない。寺山修司や実相寺昭雄との関わりで語られることが多いが、まず、幻想文学の映像化に関して第一人者であったことを抑えておかないと、その耽美的な表現方法について理解することは困難であろう。
 岸田さんの描く異界は、幻想の産物でありながら現実以上にねちっこい情念の世界であった。つーか、人間の抱く幻想って現実以上に生々しいものなんだよ。なんたって人間が心の奥底に封印している深層意識の世界なんだから。そこんとこがよく分ってる作家さんだったのだ。
 代表作はやっぱり舞台『身毒丸』あたりになるのだろうか。『1999年の夏休み』も、金子修介が監督でさえなかったらもっとドロッとした心に迫るものになってたと思う。映画『さらば箱舟』とかも面白かったけれど、泉鏡花原作のテレビの『青い沼の女』が一番印象深い。ヒロインの山本陽子がちょっとトウが立ってたのが難だったが。それにしても若過ぎる死である。


 続く29日、米女優、キャサリン・ヘプバーンさんが老衰のため死去。享年96だから、これは大往生。
 4度のアカデミー賞主演女優賞に輝く大女優。今でもアメリカでは「ヘプバーン」と言えばオードリーよりもキャサリンなのかな。アメリカの「理知」を代表する女優ということだが、私のような若造がリアルタイムで見たのは1981年の『黄昏』だけである。でも、18歳の若造には彼女の渋みはピンと来なかった。
 若いころの写真を見ても、決して美人とは言えない。額と鋭角的な輪郭にケンがある。ただ、いかにもインテリぶった映画マニアが誉めそやしそうな「知的」に見える雰囲気はあった。それがイヤだったから、彼女の出演作をあえて選んで見ることもしなかった。それもまたつまらない拘りではあったが。
 偶然見ている出演映画に『若草物語』『フィラデルフィア物語』『アフリカの女王』『招かれざる客』などがあるが、彼女の印象がほとんど残っていないのはどういうわけだろう。女優好きの私にしては珍しいことである。
 この人の訃報については、それこそ故・淀川長治さんに感想を聞きたかったものだが、淀川さんも相当長生きしたのにそれ以上だったんだから恐ろしい。


 ネット上のウワサであるが、近々『名探偵コナン』のアニメが終わるらしい。
 まあ終わってくれたほうがいいようなアニメであるが、視聴率的にはまだまだどころか全然ヒット中のアニメを簡単に終わらせられるものなんだろうか。
 原作もすっかり出来が悪いものばかりになっちゃったし、いい加減、スタッフも嫌気がさしてんじゃないかって気もするが、仮にいったん終わったとしても『ルパン三世』や『シティ−ハンター』みたいにスペシャルでどんどん続く、なんてことになりゃしないだろうか。
 でも終わるんだったら、ホームページのコンテンツで貶すこともないかな。


 今日もまた雨。
 しばらく天神のLIMBに出かけてないので、今日あたり寄ってみようかと思ってたのだが、雨ん中を歩く気分ではないので中止。
 博多駅前にはもう飾り山笠が飾られているが、見送りを覗く余裕はなし。知ってる人は知ってると思うが、山笠の裏側(これを「見送り」という)、子供の客を当てこんで毎年アニメキャラが飾られることが多いんである。
 今年は、「探偵学園Q」「犬夜叉」「金色のガッシュベル」「ターミネーター3」「ドラえもん」など。まあどれだけ珍妙なものが飾られるか笑って見てやろうってことなんだが、毎年毎年、こんなトンデモなものを博多はミセモノにして恥を晒してきてるのである。今更、事件の一つや二つ増えたところで、博多っ子の神経はビクともせんわ(^o^)。
 また今度の休日あたり、あちこち回って映像を撮ってこようかと思う。
 もし、他地方の方で、一年で一番人出の多いこの時期に博多に来ようなんて奇特な方がいらっしゅったら、こんなものやってますんで、お笑いの種にどうぞ。

番  流   種 別  標題       人形師
一 中洲流  舁き山  鐘馗求玄宗之誉  中村信喬
        表   激戦太刀洗武勲  三宅隆
       見送り  老公博多世直旅  中村信喬

二 西 流  舁き山表 寶劍在手裏    井上和彦
       同見送り 金鳳舞碧天    井上和彦

三 千代流  舁き山  吉法師不羈之勇  川崎修一
        表   項羽劉邦誉    川崎修一
       見送り  決闘巌流島    川崎修一

四 恵比須流 舁き山  和気兆豊年    亀田 均

五 土居流  舁き山  毘沙門天法燈照  中村信喬

六 大黒流  舁き山  八風吹不動    置鮎琢磨

七 東 流  舁き山  聖一国師大願祈  室井聖太郎
        表   櫛田社前菊池勢  室井聖太郎
       見送り  西遊記      中野親一

八 上川端流  表   茨城童子綱館段  田中 弘
       見送り  奇襲桶狭間之戦  田中 勇

九 新天町   表   破浪一箭射紅扇  亀田 均
       見送り  探偵学園Q    亀田 均

十 博多リバレイン 表 満開博多七福神  置鮎琢磨
       見送り  助六由縁江戸桜  置鮎琢磨

十一 渡辺通一丁目 表 源平盛衰記    中野親一
       見送り  犬夜叉      中野 浩

十二 福岡ドーム 表  壇ノ浦源平合戦  三宅 隆
       見送り  勝鷹V奪還    置鮎琢磨  

十三 博多駅商店連合会 表 決闘巌流島  置鮎正弘
       見送り  金色のガッシュベル 置鮎正弘

十四 キャナルシティ博多 表 国性爺合戦 置鮎琢磨
       見送り  ターミネーター3 置鮎琢磨

十五 川端中央街 表  決闘巌流島    中野親一
       見送り  ドラえもん    中野 浩

十六 ソラリア 表   城郭悠然黒田藩  置鮎正弘
       見送り  清涼山誉連獅子  小嶋慎二

番外 櫛田神社 表   決闘巌流島    中野親一
       見送り  神話因幡之白兎  中野親一


 
 マンガ、岩明均『寄生獣 完全版』8巻(完結/講談社/アフタヌーンKCDX・900円)。
 全巻を改めて読み返してみると、この話が本当に面白かったのは、新一がミギーと混じりあって、だんだんと人間の心を失っていくあたりまでだったなと思う。人間が人間であることの意味はなんなのか、寄生生物が混じることで「心」が失われていくとすれば、そもそも「心」とはいったい何なのか、そのあたりをもっと突っ込んで描ければ、SFとして相当面白いものになったと思うんだけれど、結局、「意味もなく」新一は人間の心を取り戻してしまった。「寄生生物ってなんだったの?」ってもどかしさは、前に読んだ時も感じたことだ。
 これを岩明さんの代表作とするのは、ちょっと持ち上げすぎって気がするな。


 マンガ、北条司『エンジェル・ハート』7巻(新潮社/バンチコミックス・530円)。
 今巻から新展開、今までが「C・H香瑩誕生篇」という序章で、これからが新生C・Hの活躍が始まる「激動篇」だそうな。
 つーか、香瑩使って、女の子のシティーハンターやりたかっただけじゃんねえ。
 いやね、お話自体は必ずしも悪くないんだけど、なんか「どこかで聞いたような」って話ばかりで新鮮味ないんだよ。
 実の双子の弟を殺してくれという依頼がリョウに持ち込まれる。暴力団の組長になった弟の罪を、何とかして食いとめたいというのが彼の願いだった。そしてそのあと、自分をも殺してほしいと。しかし悪の道に走ったと思えた弟は、兄への愛情を失ってはいなかった。
 これって、なんか元ネタあったよなあ、と思うんだが思い出せない。まあパクリとまでは言いきれなくても、今どき、こういう「人情ばなし」ばかり語られてもねえ、と思うのである。

2002年07月01日(月) 戦争は終わった/DVD『名探偵登場』
2001年07月01日(日) 食いすぎたのは、あなたのせいよ/『コメットさん』(横山光輝)ほか


2003年06月30日(月) ダンボールの迷宮/『新世紀エヴァンゲリオン DVD−BOX』

 昨日の劇団の練習に、久々にC−1藤田くんが来ていたのだそうな。
 借金だらけのはずなのになぜかワンボックスカーを買ったという藤田君にせがんで、しげ、その車に乗せてもらったのはいいのだが……。
 まず、後部座席に乗ろうとして、ドアが開かない。鴉丸嬢のか細い腕では全然ビクともしない、しげが渾身の力をこめて、「ええい!」と開けて乗りこんだはいいが、今度は降りるとき、固く閉ざされて内側からどうやっても開かなくなってしまった。しかたなく其ノ他くんが、外から男の子らしさを発揮して、なんとか開けたそうである。
 「でね、車の中が凄かったとて」
 「どんなふうに?」
 「内装がね、ダンボールなんよ!」
 「はあ?」
 「天井の布張りが剥げてたからそこに手を突っ込んでみたらね、中はダンボールやったと!」
 ……私は世間の車に詳しくないのだが、もしかして、車はみんな内側にダンボールを張っているものなのだろうか。ベンツもフォードもクライスラーも。


 今日も雨がパラつき。
 職場に電話をして、眼科に行くことを伝える。
 同僚にやりかけの仕事など頼むが、欠勤の理由が「風邪」とかだと、露骨に「その程度で休むのかコイツは」って感じの反応が返ってくるのが常だが、「網膜剥離」だと、「無理しないでどうぞゆっくりお休みください」って感じになるのがおかしい。病気の軽重でサベツしちゃいかんな。本人にとっては仕事にならん点では同じなんだが。

 今日は病院までしげに送ってもらえる。
 検査の結果は、とりあえずレーザー治療はうまくいっているとのこと。穴が広がるのはなんとか防げているようである。
 主治医からは「また一週間後に来て下さい」と言われたが、これから毎週、点検しないといけないんかな。
 ふと小さな黒いものが目の前を横切るので、虫かと思ったら、例の首吊り紐なのであった。コバエが目にたかってるような感じで、なんだか眼球が腐っていくような錯覚にとらわれてしまう。精神衛生上、あまりよくないのである。これもレーザーで焼いちゃうことはできなかったのだろうか。
 しかし、私が虫嫌いでなくてよかった。これがよしひと嬢だったりしたら、目の前にしょっちゅう蜘蛛がぶらさがってきてるように錯覚して、悲鳴を上げてたとこだろう。
 受付で、一昨日は手元不如意で払えなかった治療費を払う。保険でなんとかならんかと思うが、証書がどこに行ったか覚えてない。病人がこういうことに杜撰では損をするのである。

 帰りがけ、「ビッグボーイ」で遅めの昼食。
 二人とも同じランチを頼む。いつも絶対に私のと違うメニューを選びたがるしげにしては珍しいことである。手ごねハンバーグにチキンと豚肉のしょうが焼きが付いて680円。ボリュームがあるのにまあまあリーズナブルだ。
 サラダバーを覗いてみると、なぜかウドンがある。普通はスパゲティだろう。もしかして、パスタと間違えてウドンを注文しちゃったのか。……んなわけないな。けど麺つゆもないのにどうやって食うのか迷っていたら、しげが「ゴマダレかければ?」というので試してみる。
 ……辛くて食えたものではない(>_<)。
 「かけすぎとうやん」としげが言うので、タレをちょっとだけ付けて食べてみると、今度は味がしない。どうも要領がつかめない。和風ドレッシングにすべきだったろうか。
 帰宅して、目を休めるために夕方まで寝る。

 夕方からしげは仕事に、私は博多駅へ。
 紀伊國屋でDVDや本を買いこむ。もう、ここのDVDコーナーの店員さんにもすっかり顔を覚えられているので、カウンターで「あの……」と言うなり「『エヴァンゲリオン』ですね」と、荷物を手渡される。こんなふうに手回しがよすぎるのもあまりいい気はしないのだが、ここの女性の店員さん、丸顔に丸めがね、ショートカットでちょっと男の子っぽい感じが可愛らしくて、ちょっと昔にアイドル(?)だった斉藤ゆう子に似ていて、何だか憎めないのである。声も実にハキハキしていて感じがいい。
 こうなると、この店では絶対えっちびでおは買えないのであった(この店でなくても買わんけどさ)。
 

 DVD『新世紀エヴァンゲリオン DVD−BOX』。
 まあ、ケースがごっついこと。梱包用のダンボールから本体を取り出すと、赤いガラスケースの中に、セフィロトの木と死海文書をレリーフにした、細長い、銅色のケースが。ちょっと厳重すぎる気もするな。
 昔LDシリーズに付いていた「EVA友の会」も復刻。まさにコレクターズ・アイテムと言ったところだ。
 とりあえず、DISC1〜3と、特典映像を見る。確かに音が昔に比べてよくなってる気はするが、たかが音声多重のステレオテレビじゃ、そんなのよくわからないのであった。
 けれど、改めて『エヴァ』を見返すと、そのドラマ造りのうまさに今更ながらに舌を巻く。やっぱりかつてエヴァに人生狂わされた人々というのは、昔ながらのテーマ主義に毒されてて、何もないところに自分を投影し過ぎちゃったんじゃなかろうか。
 本放送時、第2話の『見知らぬ、天井』を先に見たしげが私に、「すごいよ! 前の話の続きを二つに割ってね、最初と最後に持ってきてるの!」と、その「ドラマ構成」にまず注目していたのを思い出す。
 しげに演劇の才能があるなあって感じるのは、こんなふうにキャラクターの内面描写よりも「語り口」にこそ演劇の本質があると直観してるとこなんだが(だから『エヴァ』をドラマとして楽しめて、自分を見失わずにすんだのだ)、あれから8年が経って、さて、少しはその才能が開花したのかどうか。

 特典映像、アフレコ用映像と称して、シロミだらけの映像を9話分収録。台本が手元にあれば、あなたもシンジ君やアスカやレイになりきってアフレコごっこができるという趣向である。……だったら台本もフロクに付けとけよ。
 ウワサの実写版「エヴァ」は、劇場版の予告編でもちらっと使われた、レイ、アスカ、ミサトを林原めぐみ、宮村優子、三石琴乃の声優本人が演じるというもの。シンジは本人が演じるわけにいかないのは分るな(^o^)。これがあたかも『ラブ&ポップ』につながる庵野秀明第1回実写作品として極めて高い完成度を持っているのが興味深い。そうだよなあ、こういうもう一つの『エヴァ』もありえたというのが、「作品世界というのは、とどのつまり、作り手と受け手が関わった分だけ無限にあるのだ」という世界観を表しているようで面白い。最後のシンジの声は、庵野監督自身の声アテだそうである。
 この実写版見られただけでもボックス買った甲斐があったなあ。

2002年06月30日(日) 荒む心、続く/DVD『マジンカイザー』5巻/『忍者飛翔 雪の章』(和田慎二)ほか
2001年06月30日(土) 原稿アップ(´。`;)/『マンガ世界戦略』(夏目房之介)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)