無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月01日(月) 戦争は終わった/DVD『名探偵登場』

 ワールドカップはブラジル優勝で幕を閉じた。
 マスコミはもう一連の「事件」を「美談」にすりかえるべく必死である。
 テレビじゃ分別臭いコメンテーターが「愛国心がどうのと言われる方もいらっしゃいますが、久しぶりにみんなが一丸となって応援できたのはよかったんじゃないかと」なんて腑抜けたことを言ってまとめようとする。
 新聞は新聞で「日韓の溝を埋めることができた」とかなんとか脳天気なガクセイのコメントばかり載せてやがる。
 一丸となって乱暴狼藉、相手国を口汚く罵ることが「よかったこと」か?
 日韓の溝が、どう具体的な形で埋まったというのか?
 これが「洗脳」でなくてなんだというのだ?
 こういうこと言うと「マイナス面ばかりみてちゃイカン」とかアヤつけてくる奴がいるが、これ、プラス思考がどうのこうのって問題じゃなくて、「現実に目を向けろよ」ってことなんだけどな。私も別に、サッカー応援してたやつがみんな国粋主義者のナショナリストの、なんて考えてるわけじゃないのよ。ただ、それは戦前の日本人も同じだったってことなんでね。本土空襲されるまで、戦争とは人が死ぬことだってことをハッキリ自覚してた日本人、多分ほとんどいないんだから。

 重ねて言うが、今回のワールドカップは明らかに「代理戦争」としての意味を持っていた。いや、“持たされて”いた。
 それが証拠に、サッカーの試合に一国の首相や大統領が出張ってくることの異常さを指摘する人間は誰もいなかったし、三十年前には猫も杓子も金科玉条のように唱えてた「参加することに意義がある」なんて理念を未だに唱えてるやつは、ほとんど皆無になってしまっている。試合に出た以上は勝たなきゃ意味がない。アナタもそう考えてはいませんか?
 つまりは大半の日本人は、かつての「戦争絶対反対」から、「人さえ死ななければ、戦争は肯定される」ってとこまで(ヤマモトヨーコだね)、そのメンタリティを誰ぞに洗脳されてしまったということだ。これを「国を守るためなら、多少の犠牲はしかたがない」までスライドさせるのはそれほど難しいことではない。
 今回、審判のミスジャッジが随分問題になった。あれを「人間のすることだからミスがあってもしゃあない」でも「審判を抱き込むくらいの不正はあるよな」でも「たかがサッカーでインチキがあったからってそれがどうだと言うんだ」でもいいけど、軽く受け流せりゃいいんだけど、これがワダカマリとなって残ってたら、これが次への「火ダネ」になるんだって。
 サッカーファンの方は不快だろうが、あえて言う。
 あれは「たかがサッカー」だ。
 サッカーファンだけが楽しめばいいものであって、国をあげてのイベントにしちゃいけなかったものだ。それを「いろんなとこ」の思惑が絡んで、見事に「戦争」に仕立て上げられてしまった。これで「味をシメた」国は多い。そういう国は、既に「次」を求めているぞ。
 その「次」は、誰が、どういう形で提供してくるのか。
 それに「乗らずにいられる」理性が、果たしてあの熱狂に無自覚に参加してた連中にあると言えるのか。少なくとも某国には全くないように思えるんですけど、どう?
 ……私ゃオリンピックも好きじゃないけどよ、今思い返すと高橋尚子個人にスポットが当たってた前のオリンピックはまだマシだったよねえ。

 このへんで私も今回のワールドカップについて書くことは終わりにしよう。
 結構、「バカが騒いで」と客観的な見方してる人も多いってことがわかったからだ。私は自覚的なバカは好きだが、無自覚なバカは大嫌いである。私の文を読んで「人をバカにするな」と腹を立てる人はいるだろうが、バカにされて腹が立つ前に何がバカかの自覚を持てってんだ。
 
 
 雨上がりのせいか、いきなり暑い日。
 頭痛に血便と、体調も最悪。マジでからだが持たないのに、懸命に仕事。
 へろへろになってたのであまり書くことがありません。
 っつーか記憶が完全に飛んでるのよ。


 DVD『名探偵登場(Muder by Death)』(1976)。
 原題が「死による殺人」って、これだけでも意味不明だなあ(^o^)。
 さあ、この映画について語りだしたらキリがないぞ。
 私のフェイバリットコメディ映画の上位に位置する作品、これを「意味がわからん」とか「デタラメだ」とか「つまらん」とか言うヤツは全員縊り殺してやるから覚悟しとけ。まさしくその通りの映画なんだよ(~_~;)。
 『おかしな二人』のニール・サイモンによる探偵映画のパロディ……というタテマエだけれど、実はこの「探偵“映画”」のパロディというところがミソで、特典でもニール・サイモンがインタビューに答えて言ってるが、「探偵“小説”」のパロディではないのである。
 まずはそのあたりから語ろうか。

 大富豪、ライオネル・トウェイン(演ずるは『冷血』の作家、トルーマン・カポーティ!)は長年探偵小説のファンだった。
 しかし、あまりに読者をバカにしたヘボミステリーの多さに辟易し、ついに5人の名探偵を屋敷に呼び寄せて、実際の殺人事件を起こし、その謎が解けなければ笑いものにしてやろうと計画する。
 その5人の名探偵が、かつて実際に「映画」で活躍していた名探偵たちなのだ。

 まずはディック&ドーラ・チャールストン夫妻。
 ダシール・ハメット原作のニック&ノーラ・チャールズ夫妻が活躍する『影なき男』シリーズ(原作は一作だけだが、映画はウィリアム・パウエルとマーナ・ロイによってシリーズ化された)のパロディ。
 陽気なアメリカ人夫妻だけれども、モトの映画は随分洗練されてたムードだったから、これにデビッド・ニーブンとマギー・スミスを充てたのは正解。『ハリー・ポッター』ではすっかりおばあちゃんになっちゃったマギー・スミスだけど、この映画の当時はまだまだ若くて、知的な美人。役自体は今一つ知的じゃないんだけど。

 シドニー・ワン警部とその息子、これもアール・デア・ビガーズ原作の「チャーリー・チャン(張)」シリーズがモトネタ。と言っても私もこの作家ばかりは原作本を読んだことはない。なにしろ日本での出版点数が少ないし、今入手できる本もほとんどない。そのためにイマイチ無名で、どうしてこんなのが? と疑問に思われる方もいるだろうが、実は戦前のアメリカでは40本以上の「チャーリー・チャン・ムービー」が作られているのである。サイレント期には日本の上山草人(『七人の侍』の琵琶法師ね)なども演じていたそうだが、ワーナー・オーランドやシドニー・トーラーのチャンが有名。1981年にはピーター・ユスチノフもチャンを演じている。
 シドニーを演ずるは変装の天才、ピーター・セラーズ。まぶたを一重にして怪しい英語を操り、いかにも胡散臭い中国人を熱演しているが当初はオーソン・ウェルズが演じるはずだったとか。チャンは代表肥満という設定だから、こちらの方がパロディとしては合っていたかも。

 ベルギー人探偵ミロ・ペリエと運転手マルセルは、言わずと知れたアガサ・クリスティー原作のエルキュール・ポアロ。
 もちろんこの映画が制作された当時は、ピーター・ユスチノフもましてやデビッド・スーシェもポアロを演じてはいない。戦前の映像化ということで、『アクロイド殺し』『ブラック・コーヒー』『エッジウェア卿の死』に主演したオースティン・トレバーがサイモンのイメージにはあったのだろう。あるいは舞台でポアロに扮したチャールズ・ロートンも一時は「これぞポアロ」と言われていたらしく(原作者は演技がフザケすぎてて嫌いだったそうだが)、そちらに対するオマージュの度合いの方が強いかも。なにしろ、そのロートン夫人であるエルザ・ランチェスターが、本作ではもう一人のクリスティーの名探偵のパロディを演じているのだから。
 ペリエ役者は『ラ・マンチャの男』でサンチョ・パンサを演じたジェームズ・ココ。「ネスパ?(そうですね)」とフランス語で聞いて、ミス・マーブルスから「ネスパじゃないわ、コーヒーよ」とボケ返されるギャグはベタだけど大好きだ。

 四人目のサム・ダイアモンドとその愛人は、またもやハメット原作から『マルタの鷹』のサム・スペード……というより、これはもう、演じるピーター・フォークと、アイリーン・ブレナンは完璧にハンフリー・ボガートと、ローレン・バコールを気取ってますな。もっともこの夫婦の共演はもとネタ映画の『マルタの鷹』ではなくて、レイモンド・チャンドラー原作の『三つ数えろ(大いなる眠り)』の方なんだけど。ボガートが演じるとサム・スペードもフィリップ・マーロウもいっしょくたになっちゃうからなあ。ピーター・フォークは更に『カサブランカ』もちょっくら混ぜてる感じだ。喋り方がいかにもボガートのものマネなんだけれど、地声も似てるんだよね、この人。

 最後の五人目、ミス・ジェシカ・マーブルスはクリスティーのミス・ジェーン・マープル。マーガレット・ラザフォード主演で『パディントン発12時50分』以下四本が製作されているが、これも日本未公開。死ぬまでには見てみたいんだけど、どこかDVD化してくれよ。
 演じるエルザ・ランチェスターは浦沢直樹の『マスター・キートン』で有名になったが(^o^)、元々『フランケンシュタインの花嫁』などでも有名だった。今回のマーブルスのオファーは、やはりクリスティー映画の『情婦』で、判事ウィルフリッド卿(夫のチャールズ・ロートン!)の看護婦役で出演していたことも関連しているだろう。
 マーブルスの看護婦(でも老齢で今は自分が看護されてる)ミス・ウィザース(演・エステル・ウィンウッド)は、森卓也がスチュアート・パーマーのミス・ウィザースがもとネタだとか断定してたが、これは明かな間違い。映画本編でも「5人の名探偵」と明言してるし、名前の一致はただの偶然だろう。いい加減、あのボケ爺さんの知ったかぶりは誰かなんとかしてくれんか。

 探偵以外の人々にもちょっと触れておけば(と言ってもあとは3人だけれど)、主人のライオネル・トウェインはいかにも作家か大富豪っぽい名前だけれど、屋敷の住所が「22番地」。「トゥー・トゥー・トウェイン」で、マザー・グースの歌詞「トゥー・トゥー・トレイン」の駄洒落になっている。
 盲目の執事と唖の女中の組み合わせってのはとても日本ではできないギャグだけれども、屋敷の執事が不具だったりするのは怪奇モノの定番。サー・アレック・ギネスとナンシー・ウォーカーがこれを楽しそうに演じている。
 アレック・ギネスはちょうど『スター・ウォーズ』撮入前だけれども、その脚本を絶賛していることをニール・サイモンに明かしている。重鎮のイメージが強いが、結構サバけていた人のようだ。前にも書いたと思うが、この人のおかま演技が見られるのは多分この映画だけ。オビ・ワン・ケノービのオカマですよ! あ、それで役名がベンスンマムなのか(「名前は?」とマギー・スミスに聞かれて、「ベンスンマム(ベンスンです。奥様)」、と答えるギャグあり。日本語に無理やり置きかえると、「吉田です」「吉田さんね?」「いえ、「吉田出須」です」ってな感じか。……そんな名前の人間はいないぞ)。
 ナンシー・ウォーカーは後に『コロンボ』でもピーター・フォークと共演。あちらではやはりコメディエンヌとしての評価が高いらしい。

 残念ながら、5人の名探偵のうち、ピーター・フォークを除く全てが故人。
 カポーティにギネスも亡くなった。こんな豪華競演は、二度と見られまい。

 本作のパロディぶりは確かに日本人にはわかり難い。
 実際、初見のころ、これをマトモなミステリとして見ようとして、そのオチのデタラメさに頭を抱えたものだった。実際、何度見返しても、オチの意味、憶測はできても納得はできない。
 しかし、これが後の日本の新本格のデタラメさを予告したものだと考えれば(おいおい)、その先見性の素晴らしさに下を巻くことは請け合いである(^o^)。
 これは「ミステリ」のパロディではなく、「へぼミステリ」のパロディなのだ。思い付きとご都合主義で、「途中で作者が犯人を変えることもある」リレー小説のような。実際、最後の最後のドンデン返しは現場で付け加えられたものらしい。ニール・サイモン脚本に基づくノベライズに、そのシーンはないからである。で、アレがアノ人のことを指すとしたら、殺人の動機は……?
 さあ、未見の方はどうぞご覧あれ。そして私と一緒にアタマを抱えましょう。

 DVD版は残念なことに吹替え版を収録していない。
 テレビ放送時のフィックス声優による豪華競演はちょっとした見モノであった。
 記憶だけで書くのでちょっと間違ってるかもしれないが、デビッド・ニーブンに中村正、ピーター・セラーズに羽佐間道夫、ジェームズ・ココに富田耕生、エルザ・ランチェスターに高橋和枝、そしてもちろんピーター・フォークには小池一雄という布陣であった。カポーティは内海賢二だったかな?
 なんにせよ、羽佐間道夫のアヤシイ中国人の声が聞けるだけでも、吹替え版は相当な怪作でありますよ。

2001年07月01日(日) 食いすぎたのは、あなたのせいよ/『コメットさん』(横山光輝)ほか



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