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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年09月17日(火) 放生会の掘り出し物/『博多の心』(朝日新聞福岡総局)/『魁!! クロマティ高校』5巻(野中英次)

 今日は平日だけど仕事休み。
 いえ、別にまた体コワしたとかじゃなくて正当な休みでやんす。
 ♪(((#^-^)八(^_^*)))♪
 
 朝から映画に行こうとか思ってたんだけど、体力に限界を感じて昼まで休み。
 しげも今日は一日休みということで、相変わらず家事もせずに寝ている。
 先日の「運動」で足もまだイタイし、まあ、昼からゆっくり出かけりゃいいかと、横になってプレステ2で『いただきストリート3』など。
 ウチにはしげの買ったRPGやエロゲーやエロゲーやエロゲーが山とあるが、私ができるゲームといったら、この『いたスト』くらいなものである。でも1・2・3と来て、どんどんコースが増え続けてるんだけど、これ全部クリアできる日が来るのか。

 ようやく起きてきたしげを誘って、箱崎まで放生会を冷かしに行く。
 他地方の人にはよく読み間違えられるが、「放生会」は「ほうじょうえ」ではなく「ほうじょうや」と読む。この読みに拘るところが博多んもんの誇りというやつなので、「訛ってるじゃん」とか突っ込まないように。
 ご承知のとおり、「生き物を大切にしよう」のスローガンのもと、露店でイカだのタコだのを食いまくる縁日である。
 「博多三大祭り」と称される如く、休日の夜に出かけようものなら、箱崎宮の参道は立錐の余地もないくらいの大混雑になるのだが、平日の昼だと人通りもまばら。つーか、こんな空いてる放生会を経験したの生まれて初めてだ。だってガキのころから夜しか出かけたことなかったし。

 昼間だとおばけ屋敷などは当然、空いていない。
 しげが入れもしないくせに「なん、開いとらんやん」と文句をつけるので、「昼間から出るオバケがいるか」と言い返したが、考えてみたら遊園地のホラーハウスの類って、昼からやってるよな。オバQも昼間から出てたか。
 串焼き、イカ焼き、タコ焼き、唐揚げ、オムソバ、かき氷と食いまくる。放生会と言えばまず一番にトウモロコシなのだが(っつーか、昔はそれとワタアメしか売ってなかったような気がするぞ。バナナチョコだのリンゴアメなんて、いつから売りだしたんだ)、何となく敬遠。いや、歯にはさかる(←これも方言かなあ)のがイヤだっただけだけど。
 しげ、唐揚げがえらく気に入ったのか、二度も買う。「『味で勝負!』のハリガミに惹かれたっちゃ」というので、一つ分けてもらったが、確かに露店のものにしては油っこくなくかと言ってパサついてるわけでもなく、美味い。少なくともケンタッキーフライドチキンよりはずっと美味い。
 しげ、店のオヤジさんに「ねえちゃん、また来たね」と声をかけられて照れる。仕方なく私が代わりに「なんか気に入ったみたいで」と愛想笑い。どうせこのオヤジさんも私がしげの父親かなんかだと思ってるんだろうなあ。
 かき氷はたいてい蜜がかけ放題なので、青リンゴにコンデンスミルクを思いきり掛ける。糖尿はどうしたと突っ込まないように。今日は祭りだ。
 店のねーちゃん、突然「青リンゴにミルクって合いますよね!」と声をかけてくる。童顔で何となく声優のTARAKOみたいな女の子だ。「ええ、美味しいですよ」と答えると、「友達がみんな変って言うんですけど美味しいですよね、青リンゴにミルクかけたの、今日はお客さんが初めててです」と捲くし立てる。なんかそんなに孤独感味わってたのかな、このねーちゃん(^_^;)。
 店の人とこんなやりとりができるのも放生会ならではである。どんたくや山笠に比べるとまだ昔の博多らしさが残ってるところが好きだ。

 八幡宮の境内まで行きながら、しげ、お参りはしない、という。「何で?」と聞いたら、「お参りは正月だけって決めてるから」。よく分らん理屈だ。
 境内にはハトがいる。ハトがいれば当然自販機でハトのエサを売ってるのである。エサを売ってれば買わずばなるまい(別に決まってねーよ)。100円で、モナカの中にコーンの粒が入ってる例のやつ。ちぎって撒くとみるみるハトが飛んでくる。飛んでくるだけならまだしも、撒く間もあらばこそ、私の腕に留まって、直接エサをついばんでくる。しかも、1羽、2羽、3羽。背中にも留まる。そんなとこにエサはないぞ。
 ハト同士でエサを奪い合い、ケンカが始まる。クチバシでつつき合うだけでなく、翼でビンタを食らわす。一発、二発。たまらず逃げる弱いハト。嘘ではないぞ、目撃したんだから。昔、『帰ってきたウルトラマン』を見ていて、テロチルスがウルトラマンにツバサでビンタ食らわせてたのを見て、「トリがツバサで敵を叩くかよ」と思ったのだが、この認識は誤りであったことが20数年後にして判明したなあ。
 しげ、ハトに埋もれた帆場英一のような私を見て一言。
 「……満足?」
 おお、満足だとも。

 オムソバは一の鳥居のある岬の石段に座って食う。
 しげ、波打ち際に行くのをちょっと怖がっていたようだったが、「大丈夫、『あんとくさま』(by『海竜祭の夜』諸星大二郎)は来ないよ」と言って慰める。慰めになってないか。
 寄せては返すワカメを見ながらオムソバ食うってのも風情があるんだかないんだか。

 放生会には毎年古本市も出る。
 これがまた意外に掘り出し物もあるので、ついいつも買い込んでしまうのだが、しげは縁日と古本市の結びつきがピンと来ないらしく、入りたがらない。
 仕方なく、一人でさっと見回る。丹念に見るヒマはなかったが、偶然、私にとってはまさしく正真正銘の出物を発見。

 朝日新聞福岡総局編『博多の心』(葦書房)。昭和51年発行で、もうとうに絶版になってるのだが、この本の「最後の職人」の項に、亡くなった祖父が取り上げられているのだ。
 祖父は沈金師というちょっと珍しい仕事の職人だったのだが、もう10年以上前に亡くなった。この本が出たころには、沈金の仕事が激減して、本気で生活に苦労していたころだった。確か、父が密かに資金援助もしていたはずである。この本は、基本的に今に残る職人の仕事を記録する目的で編まれたものだったが、その「廃れていく」雰囲気がこの本の文章にもそれとなく匂っている。平成不況どころか、職人の不景気はもう20年以上も続いている。
 というのも、祖父の「沈金」という職業、耳慣れない人も多かろうが、漆器に彫刻して、その刻み目に金箔を埋めた沈金細工を作るのだが、これが祖父の晩年のころには全くと言っていいほど売れなくなっていたのだ。要するに、世間の人間の判断は「そんな贅沢品は要らない」ということだったのだ。贅沢品と言ってもあくまで工芸品で、使われることを目的としているから、当時でも何千円もするものではなかった。しかしやはり売れない。質が悪かろうが、極端に安いものしか買わない。博多の人間は戦後、「粋」という感覚を確実に失っていったのだ。
 跡を継ぐはずだった伯父は生活が出来ずに転職した。
 それでも祖父は沈金一筋で暮らしていたが、やがて脳溢血で寝たきり生活になり、七年経って死んだ。子供のころ、遊びに行くと小遣いを必ずくれた祖父だったが、見舞いに行くと、私の顔を見た途端、必ず声にならない声をあげて泣いていた。言葉はもう出せなかったのだ。
 父が祖父の散髪をするために、私に祖父の頭を持つように言ったが、その頭はすごく軽かった。軽すぎてかえってバランスが崩れそうだった。耳毛が伸びていて、それも白髪だったが、父はそれも耳を傷つけないように丹念に切っていた。今の父なら手が震えてそう上手くは切れないだろう。あれが私と父の最後の親孝行、祖父孝行だった。
 晩年の祖父が少しでも幸福だったと言えるのは、福岡市が祖父の功績を称えて名誉市民みたいなもの(正式名称は忘れた)にしてくれたことである。別に私たちの一族は誰も市に働きかけなどしていない。もう祖父は動けなくなっていたから、そのことをどこからか聞き知った市の温情だったのかもしれない。
 福岡はおろか、九州では唯一の、そして最後の沈金師だった祖父の仕事は、もはや博多のほとんどの人が忘れ去っている。たまに祖父や伯父の作った沈金細工を老舗の料理屋の器などで見かけることがあるが、それもいずれは失われていくだろう。
 私は祖父の晩年の作品を一点だけ持っている。高校入学のときだったか、記念に貰ったものだ。湖水で釣りする老人がわずかな線で掘られている。初め私は「獏」の絵を依頼したが、もうそのころには大作を作れる体力は祖父にはなかった。それでも脇辞に「綜藝綜智(しゅげいしゅち)」と彫ってくれた。
 それが今でも私の座右の銘となっている。

 『博多の心』は父も持っていたが、自分でも持っていたかったので買った。元値は980円だが、600円。絶版本でもそう高値にはなっていないが、せいぜい20年ほど前の本ならこんなものだろう。しかし、ここに載せられているほかの職人さんたちも、今やほとんどが故人。博多の心は着実に消えていっている。
 新生姜を買って(これも放生会の名物)、父の店に届ける。
 そのとき、『博多の心』も見せる。
 父、「よう(こんな珍しいものが)あったな」と驚きながらも喜んで、姉や、丁度遊びに来ていた姉の娘さんのあっちゃんに写真を見せる。本には祖父の作品、松に鷹の絵を彫った堂々たる大作が載っているが、あっちゃん、目を丸くして「すごーい!」と叫ぶ。ここに写真を紹介できないのは残念だが、若い子が見ても一発でその凄さが分るほどの堂々たる芸術作品であったのだ。考えてみればそんなものを二束三文で卸していたのだから、祖父も随分欲が無かった、というより高い金は取れない、というのが矜持でもあったのだろう。

 知り合いの本屋に寄って新刊マンガをいくつか物色。
 丁度そのとき、日朝国交交渉終了のニュースが店先のテレビから流れてきた(ここのおじさん、いつもテレビを見ているのである)。
 覚悟はしていたろうが、拉致されたご家族の悲しみはいかばかりであったか。

 マルキョウに寄って買い物。
 ずっと探していたかき氷のシロップをようやく発見。「ブルーハワイ」を見つけてしげ、狂喜。「イチゴが無いのは残念だけど」。ついこの間まで「イチゴは嫌い」とか言ってなかったか。無いとなると別に欲しくなかったものまで欲しがるようになるのだから、やっぱりしげの根本的な性格はジャイアンである。


 さて、8人の犠牲者が判明した日朝国交交渉だが、単純に考えれば、洗脳に成功した人間が生き残り、抵抗した者が殺された、というのが真実に近いだろう。「病死」なわけがあるかい。
 洗脳されたフリでもして、なんとか生き延びられなかったものか、と思わないでもないが、そうそう人は自分を偽れないものだ。私だって、当時、拉致られて金日成に忠誠を誓え、なんて言われたら、やっぱ抵抗するだろうし。これは日本に対する愛国心があるというわけではなく、力でもって服従されることに強い拒否感があるからだ。もっとも、拷問されたらその場凌ぎで「キムイルソン、マンセー!」とか叫んじゃいそうだ(-_-;)。
 北朝鮮がこれだけ真実を認め、素直に謝罪したというのは、日本が初めて強行外交に出たからというよりは、アメリカの後押しがあったからこそってことは間違いないことなんで、あまり嬉しくもない。だからって、その理屈で、ブッシュの今の強行姿勢を支持したくもないんだが、やっぱり国際社会もヤクザに対しちゃヤクザで対抗しなきゃダメってことなんでしょうかね。一歩間違えば北朝鮮だって窮鼠猫を噛むで、ヤケな行動に出る危険が今でもあるってことは、こないだの不審船騒動でも分かってることだと思うんだが。金正日が本当に統制力を持ってるなら、こんな訪朝直前の騒動は起こらなかったはずなんだけどね。
 ともあれ、日本人は北朝鮮を責める口実を手に入れてしまった。いくら北朝鮮の人が侵略戦争がどうの、と言いだしても、反駁する材料が公然と与えられたのである。図に乗って、在日の人たちに罵声を投げかけたり、差別的な行動に出るバカ日本人がまた大挙して出そうな気配がして、民間レベルではそっちの方がずっと心配なのだが。


 マンガ、野中英次『魁!! クロマティ高校』5巻 ―天使編― (講談社/マガジンKC・410円)。
 大事件が起こってるってときにまたこんな本を(^_^;)。
 既にもうヤンキーギャグじゃないよな、と思いつつ、いきなり「北斗軍団」(全国制圧を狙うって、やっぱモトネタ『男組』なんですかね)という初期設定が復活してきて当惑したけれど、軍団分裂の話をしているはずがなぜか焼肉を誰が焼くかの話にスライドして、やっぱり全然ヤンキーマンガにはならないのだった(^_^;)。
 でも焼肉焼いてるそばから食ってくヤツってやっぱりいるよな。そのクセ、「アンタ、ちゃんと食べてる?」とか言うんだよ。
 「オマエに全部食われたよ(`‐´≠)」。

2001年09月17日(月) 祝日には旗を。私は出さんが/『クラダルマ』1・2巻(柴田昌弘)ほか
2000年09月17日(日) クウガと絶叫としゃぶしゃぶと/『少年探偵虹北恭助の冒険』(はやみねかおる)ほか


2002年08月19日(月) 偽善者の宴/『探偵学園Q』6巻(天樹征丸・さとうふみや)/『虹の子』(石ノ森章太郎)ほか

 給料日前の金欠病、今月も深刻(^_^;)。
 コメはあるけどおかずがない。まあコメがあるだけましとは言えるか。
 職場からの帰り道、いつもなら「どの店で食べる?」という会話を交わすのだが、今日はそんな悠長なものではない。
 「どうする? 食事」
 なんだか江戸川乱歩の『二銭銅貨』の世界だな。いや、狙ってやってるわけじゃないけど。
 「おかず何も買えん?」
 「600円しかないよ」
 「オレもそんなもん」
 「どうする?」
 「そりゃ、ラーメンくらいしか買えんやろ」
 「じゃ、スーパー寄ってラーメン買う?」
 「あと、卵くらいは買えるか」
 「わぁい、ラーメンラーメン♪」
 こないだ五風でバカスカ食ったせいだという自覚がないな、しげ。

 マルキョウに寄ってみると、その隣のうどん屋「マルチャン」が閉店してしまっている。え? 開店してまだ1年も経ってなかったんじゃなかったっけ? うわあ、麺にコシもノビもあって、トッピングが多くて、安くて美味くて、お気に入りの店だったのに。また美味いうどん屋を探さなきゃいけなくなったじゃないか。
 しげも憤懣やる方ないって顔で、「アンタのせいやけんね!」と私にヤツアタリ。
 「なんで俺が悪いんだよ、オレなにもしてね〜じゃん」
 「アンタ以外に当たれんやん」
 「自分に当たれや!」
 潰れると分ってたら、もう何回か通ってたのになあ。
 ……そうだよ、何日か前にも「行こうか」ってしげを誘って断られたんだよ。ああ、あの時行ってれば、潰れずに済んでたかもしれないのに……って、ンなわけないって。


 アニメ『名探偵コナン』第291話「孤島の姫と龍宮城」(事件編)。
 あ〜、あの動機もトリックもチグハグだったやつか。波のトリックには欠陥ありまくりなんだけど、アニメで少しは修正するかなあ。
 沖縄を舞台にした意味もあまりなかったよな、確か。せっかく「グソー」とか「マブイ」とか沖縄方言を盛りこんでるんだから、もう少しウンチクが欲しかったところだけれど。
 和葉がゲストの回だと宮村優子の声が聞けてホッとするな。最近、声優の仕事を段々減らしてきてるみたいで、アスカファンとしてはちょっとサビシイ思いをしているのである。それが例のAV騒ぎや離婚などゴタゴタが続いたせいで、仕事を一新しようと宮村さんが考えていたのだとしたら残念なことである。
 声優としてはぜんっぜん演技が上達しなかった人だが、そのシロウトっぽさが好きだったんだがなあ(過去形で言うなよ)。


 17日〜18日に行われた日本テレビ『24時間テレビ25 愛は地球を救う』の全平均視聴率が15.4%で、同番組歴代7位の成績だったとか。
 こういう偽善的な番組が高視聴率を取るということは世相的にはあまりいいこっちゃないのである。それだけ人も世も荒んでるから、たとえ見え透いたウソだって解りきってても、あえて引っかかっちゃいたくなるってことだからねえ。全く、そんなに善人のフリするのが好きか。
 ウチの親父なんか、第1回の放送の時から怒ってて、「番組作るの止めて浮いた製作費寄付した方が募金よりずっと大金じゃないか」と文句つけてたが、そりゃそうだよな。
 松田優作は生前プロダクションからこの番組に参加するよう勧められて断ったってことだけれど、いかにも「らしい」話である。今や「この人は絶対24時間テレビには参加しないだろう」ってタレント、役者を探すほうが難しくないかな。たけしはとっくに参加しちゃってるし(お笑い系はほとんど全滅である)。

 瞬間最高視聴率を取ったのは、100キロマラソンに挑戦した西村知美がゴールした直後で、37.5%。
 西村知美が走るって聞いた時には、どうして西村知美が? と疑問に思ったものだったが(それは間寛平でも研ナオコでも同様なんだけれど)、こういう数字が出たってことは、西村知美は世間から「受け入れられた」ってことなんだろう。でも、それって西村さんにとって、ホントにいいことなのかね?
 いや、西村さんを受け入れるなって言いたいわけじゃないよ。けどね、いい悪いは別にして、「西村知美」という名前を出しただけで、思わず「ぷっ」と吹き出してしまう雰囲気が以前には確かにあったはずなんだよ。でもこの「100キロマラソン」の企画、「西村知美を笑うなキャンペーン」というか、そういう反応をすることを許さないムードをテレビが故意に作り出そうとしている感じがあって、そこがまたどうにも偽善的でいやらしいって気がしちゃうんでねえ。

 西村知美がいかにこのマラソンに対して一生懸命になったかってことをドキュメントで紹介してるんだけれども、これがどうにもクビを捻りたくなる造りなんだよ。どうにも疑問なのは、どうして彼女のこれまでのタレント生活まで紹介する必要があるの?
 天然キャラが災いして、デビュー後数年は人間関係に悩んだとか、そんなことを放送して、何がどうボランティアと関わると言うのか。『24時間テレビ』は西村知美の宣伝のためにあるわけじゃないじゃん。それに、そういうキャラで「売った」以上は、泣き言を言うのはプロとしてどうかと思うんだが。
 もっとも、誰が走ろうと、それがそもそもどうボランティアに関わるんだよって疑問自体があるんだけどね。

 私も、『ドン松五郎の生活』のころの西村知美の美少女ぶりに眼を見張った過去があるから、今の「西村知美は何をしたいのか?」って状況にちょっと哀しいものを感じているのである。どの記事を見てみても「“タレント”の西村さん完走」と書いてあるが、アンタもともと「女優」でしょうが。と言っても西村さんの最新作って『スペースカッタくん』しか知らない(^_^;)。
 西村知美の走る姿に誰もが感動したということは、「女優としての西村知美」は求められていない、ということでもあるのだ。感動を押しつけられたことでイロモノとしての価値も捨てさせられた。「感動の人」というレッテルは、役者にとっては決して有利には働かない。歌手である研ナオコはともかく、間寛平が「コメディアンとしてはもう完全に死んでいる」、いや、「殺してしまった」事実をテレビ局は自覚しているのだろうか。
 西村さん、その轍を辿って行きそうな気配が濃厚なんだよなあ。偽善にうっかり乗っちゃうと、生きる道が閉ざされることもある。そうなってほしくはないんだけどなあ。


 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』6巻(講談社/少年マガジンコミックス・440円)。
 しげに「ねえ、5巻は買ってたかなあ?」と聞かれるが、即答できない。
 正直な話、ツマラン漫画は買って読んでも中身をすぐに忘れてしまう。『Q』ファンには悪いけれど、やっぱりマジメにミステリを読んでるファンなら、どれくらい出来が悪いかは共通認識として持っちゃうよ。
 これまでの日記を読み返そうとしたが、これがもう膨大な量で、とても見つけられるものではない。誰だ、こんなにムダなことばかり書いてるやつは(^_^;)。
 しげが仕事に出かけて、部屋の中の本の山をひっくり返してようやく5巻を見付ける。読み返して忘れちゃってたのも納得。特につまんない内容だった(^o^)。

 今巻第一話は前巻からの続き、『Q対A延長戦』。
 直接トリックとは関係ないけれど、事件のきっかけとなった氷川美鈴墜死事件、露店風呂から崖下の岩場に落ちて死んだにもかかわらず、体に巻いたバスタオルが全く乱れていない。こりゃてっきり犯人が死体に何かしたんだな、と思ったら全然そういう説明がなかった。
 こりゃどういうわけ? と首を捻ったが、ハッと理由に思い至った。
 アレだ、ヌードがマガジンの出版コードに引っかかるのだね。でもおかしいよなあ、ヌードを出せないなら、露店風呂を舞台にしなきゃいいのに。謎解きミステリとしてはこの描写は明らかにアンフェアだ。
 それとも、被害者はわざわざバスタオルを体に解けないほどにキツク巻きつけて墜落したと解釈してやらなきゃならんのかね? 読者に甘えちゃいかんよ。
 それはそれとして、肝心の中心トリックは、チャチだけれど明確なミスはない点で一応の評価を下せる。密室を作る必然性も「事故死と思わせるため」(警察が本当にそう思ってくれたのは御都合主義だが)と、筋は通っちゃいる。
 けれど、どの事件でも言えることだけど、犯人がこんなめんどくさいトリックを弄して犯行を行わなきゃならない必然性っつーか、自らが罪から逃れようとしたのはなぜかってことの説明がいつも不充分なんだよなあ。被害者さっさと刺したら、警察にとっつかまってもいいじゃんって犯人ばっかりなんだもの。
 今のミステリ作家たちって、揃いも揃って横溝チルドレンなんだけどさ、その論理性じゃなくて怪奇性にばっかり囚われちゃってんだよなあ。松本清張くらい読んでおこうよ。


 マンガ、石ノ森章太郎『虹の子』(双葉社/双葉文庫名作シリーズ・600円)。
 えーっと、これはなんなんでしょ?
 石森章太郎が1960年に『少女クラブ』に連載したものなんだけれど、前半、企業間の陰謀に巻き込まれた幼女が翻弄されるストーリーが展開してたのに、後半、なぜか南洋の孤島の宝探しの話になる。
 木に竹を接いだと言うか、高杉良の小説の後半が南洋一郎になってるようなもんだ。われながらスゲエ例え。でもホントにそんな感じなんだよ。
 どうしてそんな感じになっちゃったのかなあ、連載は一年でキッチリ終わってるから、急な延長で話を変えたとかそんな感じじゃなさそうだけど、素直に考えれば人気がないためのテコイレってことなんだろうけれど、とても成功してるとは言いがたいな。ヘタに絵が上手いものだから、あまりトンデモって感じで楽しむこともできにくい。ただの失敗作なんだね。
 ファンじゃなきゃまず買わない一冊でした。

2001年08月19日(日) 毛が三本/『ふざけるな専業主婦』(石原里紗)ほか
2000年08月19日(土) 今日、彼氏彼女は相々傘であった/『占い師はお昼寝中』(倉知淳)ほか


2002年08月18日(日) 草臥れ休日/アニメ『サイボーグ009』地下帝国“ヨミ”編/『エキストラ・ジョーカー KER』(清涼院流水・蓮見桃衣)ほか

 さあ、短く書くぞ(^_^;)。

 昨日の日記に書き忘れてたけど、『プリンセスチュチュ』の声優で特筆すべきはナレーションの岸田今日子&ドロッセルマイヤーの三谷昇です。
 声を聞いた瞬間、耳を疑いましたからねえ。
 どちらもメインは舞台の俳優さんなんですが、もちろん映画、テレビにも多数出演、声優経験もあります。
 岸田さんの声優の代表作と言ったら、なんと言っても初代ムーミンでしょうね。スナフキンの西本裕之さんもそうだけれど、テレビアニメ時代になって、アニメの声アテを専門にする人が声優、という区分けがハッキリしてきた時代に、あえて声優以外の方を起用したという意味では、宮崎駿の魁でもある……ってアレにも宮崎さん、ちょびっと参加してたかな。
 三谷さんが声優をしたの、『千夜一夜物語』以来じゃないかな。あ、あと『クジラの跳躍』があったか。けれどどっちにしろ声優に使うのはなかなか思い切った起用。三谷さんを知らない人には説明しにくいんだけれど、実に独特な声を出される方です。ドロッセルマイヤーの顔が何となく三谷さんにダブってくるのもご愛嬌かな。


 久しぶりに『仮面ライダー龍騎』『おジャ魔女どれみどっかーん』など、漫然と見るが、寝惚けてて全く頭に入ってこない。日曜の朝はやはり寝るに限る。
 気がついたら居間で熟睡。『ぴたテン』は完全に見損ねた。
 疲れているのだな。

 外出するのも面倒なので、出前を恃むことにする。
 ウチの近所にはラーメンもカレーもファミレスの出前もあるのだが、どれも割高。結局、ピザを頼む。
 ピザって、飯を食った気に全くなれないんだけど、肉と飯粒好きのしげが、どうしてお菓子みたいなピザが好きなんだか。


 アニメ『サイボーグ009』第43話「異変」。
 ついに、というかやっと、というか、ファン待望熱望の『地下帝国“ヨミ”編』の始まりである。かつて『サイボーグ009 怪獣戦争』として映画化されたときは、1時間ちょっとという上映時間の関係もあってか、ストーリーは大幅な改竄に遭い、ヘレナは五つ子じゃなくて一人になっちゃったし、バン=ボグートは出て来ないし、何よりあの「ジョー、君はどこに落ちたい?」のラストシーンがない!(後に旧テレビシリーズの最終回で復活したけど)ということで、もう何をか言わんやだったんだけど、声優だけは009=太田博之、003=ジュディ・オング、007=曽我町子、006=藤村有弘、ヘレナ=市原悦子という超豪華な布陣だったんだよねえ。004が大竹宏だったなんて、今ならミスキャストって言われそうだけれど、ちゃんとニヒルな声を出してましたよ。魔神像ブラックゴーストの山内雅人(ラオ博士〜!)はもう最高にリアルな悪役声だった。
 何しろもう古い古い、1967年の映画なんで、未見の人は多いと思うけれど、それなりに楽しめるアニメではあるので、新作と比較してみるのもいいかもよ。

 さて、で新作の出来映えやいかにってことだけど、出だしはまさしく原作どおり。
 超音波怪獣の登場、三友工業社長(よくこの名前出せたな。エラい)、バン=ボグートの暗躍(この名前がSF作家バン・ヴォートのモジリだってことも若い人にはわかんなくなってるみたいね)。

 原作でも描かれている009・ジョーと、孤児院(アニメでは教会)時代の旧友・茨木、小山田、メリーとの対決も、原作以上に濃いドラマに仕上がっている。
 再開を祝い、談笑する四人。一人、輪の外に取り残される003・フランソワーズ。
 三人は語る。「今、三友で働いてるんだ」。息を飲む009と003。この瞬間、彼らがなぜジョーに遭いに来たのか、そこにいた者はみな察したはずだ。しかし、何食わぬ顔で、三人はジョーを自分たちの家に招待する。
 メリーが003に一言。
 「ジョーを借りてくわね」
 メリーはもちろんジョーを愛している。しかし、既に自分がジョーを愛せなくなっていることも知っている。今、ジョーの側にいるフランソワーズへの、これがメリーの精一杯の皮肉。
 そんなメリーの心に気付きつつも微笑みながら、ジョーを送り出す003。
 けれど彼らがいなくなったあと、003は俯き、002に連絡を取る。これが哀しい戦いになることを知っていたから。
 車に乗ったジョーもやはり俯いている。「……やっぱり、そうなのか」。
 変身する茨木、小山田、メリー。毎度毎度「戦いたくない」を連発してて、ちったあ学習しろよ、と突っ込みたくなる009だけれど、このときばかりは「戦いたくない」のセリフが切実に聞こえる。戦いたくないのは三人だって同じなのだ。戦いの中でもお互いをかばいあう三人の姿がより一層の、悲しみを誘う。
 いいなあ、これだけ細かい演出を積み重ねて映像化してくれてると、『ヨミ編』を待ち望んでた甲斐があったよ。

 悲劇を演出しサイボーグたちを翻弄するバン・ボグートが、顔を見せるだけで、セリフをヒトコトも言わないのも、思わせぶりだけれどもいい演出だ。
 ヒキは全身を破壊された008、倒れ伏すヘレンを発見する004。うおおおう、盛りあがるぜい!


 アニメ『ワンピース』第122話「砂ワニと水ルフィ! 決闘第2ラウンド」。
 もー随分見てなかった『ワンピース』を見てみる。そろそろ「アラバスタ編」も終わりに近い感じだしね。
 あ〜、ニコ・ロビンの声、山口由里子さんだったんだ。キャラクター的にははっきり赤木リツコさんの流れだねえ。ジャンプアニメの欠点で、連載を食いつぶさないための間延びした演出は相変わらずだけれど、どうせこんなもん、と初めから期待もしなけりゃそれなりに楽しくは見られる。クロコダイルの大友龍三郎さんもドスのきいた声で、原作じゃ後半すっかりチンピラに成り下がったキャラをなんとか持ち堪えさせているな。
 しかし出て来る敵、出てくる敵、みんな悪魔の実を食ってるけど、泳げない海賊ばかり出してどうするんだろうね。クロコダイルなんて海の上で戦ったら一発でやられるくらい弱いキャラだと思うんだけどな。いくらなんでも海全部干上がらせることは出来ないでしょ。……おっと、これって禁句?(^o^)


 『笑う犬の発見』、オープニングが「天ピース」となって、『ワンピース』のパロになっている。ルフィはアニメなんだけど、ちゃんと田中真弓さんが声アテしてる。ウソップがネプチューンの原田泰造、謎の宇宙人(そんなん『ワンピース』にゃ出てこねーよ、とツッコミ入れられる役)に名倉潤、そこまではいいのだが、チョッパーの着グルミに入ってるのは誰なんだろう。小人のマーチャンか(^o^)。
 四つの扉のうち一つだけが通れるって、昔のドリフにもあった他愛無いコントなんで、あまり長く続くとは思えないが、こういうのも『ワンピース』ファンはチェックするのかな。


 マンガ、清涼院流水原作・蓮見桃衣漫画『エキストラ・ジョーカー KER』(角川書店/アスカコミックスデラックス・588円)。
 あ〜、基本的にミステリーではないですね、これ。根拠なしに「実はこうでした」ってのはつまりは駄作ってことなんだけど、確信犯でやってるところが始末に悪いね。わざと書いた駄作はやっぱり駄作だがね。なんだか「既知外の真似したら既知外」みたいだよな。
 この原作は、あくまで「ギャグ」として、速星七生に描かせるべきものだね。それだったら、「椅子に爆弾をしかけられたけれども、そこに座ったやつが『機会オンチ』だったから、爆弾が故障した」ってバカネタも一応笑えるよ。……これをシリアスっぽくやっちゃ、読者の中には腹を立てるヤツも出てくるって。
 ……いや、ちょっと腹立ってますよ、作者にも読者にも。多分この作者、ミステリーなんて好きでもなんでもないのだ。対象を弄くることしか出来ないのって、どこか柳田理科雄に通じるものがあるな。
 巻末の「あなたもJDC探偵になっちゃえ!!」って読者募集のコーナーがまたふざけてるんだよ。なんだよ、最優秀賞の「ダル探偵=やる気のなさが最高潮になった時、真相がわかる」って。そんなののどこに推理、どこに根拠があるんだよ。
 ほかにも「熱帯魚を観察する目の動きで脳を刺激し、推理する」とかもひどいね、そんなことしないとお前は脳ミソ一つ働かせられんのか。ただのバカじゃねえか。「あらゆるものを鏡に映し、推理力をアップさせる」だと? 一生、鏡地獄の中に入ってろ。「瞳(アイズ)で合図=メ(目)ッセージを受け推理」、人見知り=瞳知りのシャレらしいが、それがなに? 推理とどう関係あるの? 全く意味不明だ。既知外作家には既知外読者が群れるってことかい。
 ああ、でもこんなんでよければ、ミステリーなんて百万冊でも書けるなあ。そう言えば昔大学の推理研にいたころ、こういうミステリーのトリックのバカネタ、いくつも考えたこと思い出したなあ。個人ホームページ開いたらバカトリックのコーナーってのも作ってみようか。
 それにしても原作小説の方の『ジョーカー』もこういうバカネタばっかりなのかね。いや、持ってるんだけど、もう二年以上も読んでない(^_^;)。


 DVD『パワーパフガールズ』見ながら寝る。
 短く書けたかな?

2001年08月18日(土) オトナの玩具はコドモ/『悪魔の手毬唄』(横溝正史・つのだじろう)ほか
2000年08月18日(金) 気が滅入る話/『明日があるさ』(林原めぐみ)ほか


2002年08月17日(土) しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん/アニメ『プリンセスチュチュ』第1話/映画『ピンポン』

 排水溝が詰まったせいか、クーラーから水がシトシト垂れ始めた。
 3、4年前にもそんなことがあって、そのときは電器屋さんに来てもらって、掃除機でゴミを吸い取ってもらったのである。
 要領は解っているので、今度は自分でゴミを吸い出しゃいいや、と思って、しげに「掃除機出して」と頼む。
 「掃除機あるけど、困っとうっちゃ」
 「何が」
 「本体はあるけどホースがないと」
 「……なんで?」
 「さあ?」
 「さあじゃないだろ、使って片付けたの自分なんだから思い出せよ」
 掃除機の在り処はしげの頼りない記憶を頼みにするしかないが(矛盾した表現だよなあ)、問題は滴り落ちる水である。
 洗面所からバケツを持ってきて、滴りの下に置く。
 ……なんだかこういう光景、昭和初期の日本映画でよく見たなあ。マンガでも40年代頃まではこんな絵がよく出て来てたものだったけど、ありゃ雨漏りだったな。現実の雨漏りを経験したことはもう三十年以上も昔だ。なんだか懐かしいなあ……って懐かしがってどうする。
 バケツを置いても結構な高さがあるので、飛沫が撥ねて絨毯はやっぱり湿ってしまう。それで絨毯の上にバスタオルを敷いて、その上にバケツを置く。バケツはほぼ6、7時間ほどで一杯になる。水をベランダに流そうとして、手がすべる。バスタオルも絨毯も水浸し。
 なにやってんだろうなあ、オレ。


 昼間、しげの白髪を抜きながらCSキッズステーションオリジナル制作アニメ第3弾、『プリンセスチュチュ 卵の章』1.AKT「あひると王子さま」を見る。
 『セーラームーン』『魔法使いTai!』のスタッフが再結集、という触れ込みだが、より原案・キャラデザインの伊藤郁子色を前面に出したって印象。佐藤順一監督はサポートに回ったって感じだね。
 『Tai!』も相当ヘンなアニメだったけれど(なぜナルト?)、それがマトモに見えるくらいヘンなアニメにしあがってるよ。

 一見、ごくフツーの人がごくフツーに生活してるように見える街、金冠町。
 そこにバレエを初め、芸術を教える金冠学園という、大きな学校がある。
 ヒロインの女の子の名前はあひる。
 ドジでノロマだけれど、プリマを目指して、初級クラスに通っている。
 なぜかクラスの先生は猫。でもどうやらそれがこの「世界」では普通のことらしい。
 「世界」?
 そう、この世界はどうやら不思議な世界。
 昔々、悪いオオガラスと戦って、そのときに受けたキズがもとで心をなくしてしまった王子様の、心のカケラが散らばって、どこかに眠っている世界。
 あひるもホントは、ホンモノのあひるなのだ。
 ある日、水辺で悲しみに沈みながら踊る美しい王子様を見て、「この人を助けたい」と思った。
 そこに現れた謎のお爺さん、ドロッセルマイヤー。
 「王子様の心を取り戻すために、プリンセスチュチュになるかい?」
 と、無気味に笑う。
 王子様は今、「みゅうと」という名前になって金冠学園にいる。あひるは言う。「王子様を救えるなら、死んでもいい」。
 そして、契約はなされたのだ。

 うーむ、こりゃ、伊藤&佐藤版の『少女革命ウテナ』だね。
 え? そんなに妖しいのかって? 妖しいですよぉ(* ̄∇ ̄*)。
 なんたって、「心をなくした王子様を助けるお姫様」の話なんですから。

 巣立ちを迎えたヒナ鳥が屋根から飛び立とうとしている。
 みゅうとは、それを窓から身を乗り出してぼんやり見つめている。
 寝起きなのか、彼は裸の上にシャツ一枚。
 風にシャツの端がはためいて見えそうだ(何が)。
 その風に煽られたか、ヒナ鳥はバランスを崩して落ちる。
 みゅうとは思わず窓から飛び出す。
 心をなくしているから、自分の命の危険すら分らないのだ。
 ドロッセルマイヤーの声があひるの心に響く。
 「このままだと王子様が死んじゃうよ」
 そのとき、あひるのペンダントが光る。
 あひるの姿がまばゆいばかりの光に包まれ、プリンセスチュチュに。
 音楽が鳴り響く。あの曲は。
 「花のワルツ!」
 校庭一面に広がる、花、花、花。
 その花の中に落ちるみゅうと。
 こうして、あひるは王子様を助けた。
 けれどドロッセルマイヤーの不気味な声が再び聞こえてくる。
 「でも、お前はただのあひるなんだよ」
 そう、あひるは、本物のあひるになっていた。

 うわあ、なんだか女の子の願望を突き放すような冷たいアニメだなあ。
 御伽話のお姫様は、普通、王子様に救われるのを待っているものだ。
 『少女革命ウテナ』では、お姫様を助ける王子様がいないから、お姫様が王子様になろうとした。「でもいいの? それで」と突っ込まれながら。
 本作では既にお姫様自体、救われる側にいない。王子様の方が、お姫様が来るのを待っているのである。
 けれど、お姫様は実はただのあひる。みにくいあひるの子。だからこそ「お姫様」のつもりになって、自分が助けられる夢に浸っていたかったのに、気がついたら自分が王子様を救う側に回らなきゃならなくなっていたのだ。
 え〜、女性の方にケンカ売るような解説になっちゃいますが、要するに女性の客観的な価値って、美貌と若さしかないって話なんですよ。それがあるからこそ、それにすがって、女の子は王子様を「待って」いられた。けれどアナタに美貌も若さもなかったらどうします? ただのあひるだったら。「王子様を救う」って新たな価値を持つしかないんですよ。自分をプリンセスだと信じて。
 どうですか? アナタに王子様は救えますか?
 久しぶりに毎週がタノシミなアニメが出てきました♪ CSに入ってる人はぜひ見てみましょう。


 博多駅でよしひと嬢と待ち合わせ、シネリーブル博多駅で映画『ピンポン』を鑑賞。
 松本大洋の原作は読んだことがないので、虚心坦懐に見ることが出来たんだけど、映画として多少メリハリがない点や、マンガチックな表現が足引っ張ってる点はあるものの、全体的には悪くない。

 マンガと映画の表現は、ムカシムカシ、それこそ天と地ほども違っていた。
 手塚治虫の例を引くのは今更だが、まずはマンガ側が積極的にクローズアップやカットバックなどの映画技術をマンガ的表現に組み替えていったのが戦後のこと。70年代あたりになると、マンガ的カリカチュアを映画も取り入れるようになり、双方の「乗り入れ」が頻繁になっていく。もちろんマンガを映画にそのまま持ち込むわけにはいかず、そこにはやはり「映画的処理」というものが必要になるのだが、それはある意味、原作の否定にもなる。そこが原作ファン、映画ファンとの間に確執を生むことにもなった。問題はなかなかに難しい。
 具体的に言えば『ブラック・ジャック』の映画化である。大林宣彦の『瞳の中の訪問者』には宍戸錠のブラック・ジャックが、あのツギハギの顔、半白髪に黒マントという姿で登場したが、当然、リアリティのカケラも感じられないヒドイ出来だった。常識的に考えるならせいぜい頬のキズ程度に留めておくのが賢明だろう。しかし、それが手塚治虫のブラック・ジャックではないことは明らかである。
 葉っぱをくわえてない『ドカベン』の岩鬼正美、「ちょんわちょんわ」をやらない『花の応援団』の青田赤道なんて意味がないことはわかるが、原作どおりのスタイル、行動を実体を持った人間にやらせれば、結果的には失笑もの、あのテイタラクになってしまうのだ。これだからマンガの映像化は難しい。だからたまに「原作から抜け出たような」イメージの映像化に出会うと、我々は狂喜したものなのである。木の内みどりの水原勇気はよかったなあ(* ̄∇ ̄*)。薬師丸ひろ子の山葉圭や、宇佐美ゆかりの若松みゆきも。なんか単にかわいい女の子ならどれでもいいみたいだが。

 『ピンポン』の話に戻そう。
 原作を読んでいないだけに、逆にこのへんはマンガの表現そのまんまだなあ、とか、ここはマンガを映画的に改変したんじゃないか、というところがかえって目につく。
 もともと、キャラクターにペコ、スマイル、アクマ、チャイナ、ドラゴンなどとニックネームをつけるのは1、2時間という短い時間でキャラクターを印象付けるための映画的手法である(もともとは短編小説の手法。長編だと主人公は逆に名前を変え職業を変え、という場合が東西を問わず圧倒的に多い。ジャン・バルジャン=マドレーヌとかね)。長編で仇名を使うと、これ、かえってキャラクターが無個性化かつ匿名化するんだよね。マンガ長編でこの手を使った松本大洋がどれだけこのことを意識したかは分らないけれど、恐らく、マンガは「妙な違和感」を内包してしまったのじゃなかろうか。
 ペコにだって本名はあるはずだ。マンガの中で彼がどれだけ本名で呼ばれるかは知らないが、しかしペコと仇名をつけられれば、ペコはペコ以上のものでも以下のものでもなくなる。ペコでない時間を過ごすときもあるはずなのに、読者は彼をペコとしてしか認識しない。これは作者にとっては不利なはずなのだ。それを松本大洋が押し通して長編をものにしたとすれば、さて、マンガのほうはどんな展開になっているのか、気になるところだ。
 映画のほうは2時間しかないから、そういう「違和感」はほとんど存在しない。ペコにも星野裕という本名があるのだが、彼は常にスマイルの目を通して見つめられる構造になっているので、終始ペコとして機能している。スマイルやアクマには、まだ、スマイルやアクマでない時間も描かれているのだが、ペコだけは特別なのだ。まさしくペコは、子供のころもスランプのときも、映画の間ずっとペコであった。「『さん』くれろ」のセリフは「ペコ」の枕詞であり、まさしくこのセリフがペコを「映画」の主人公に仕立てている。マンガが取り入れた映画的手法が、本来の生まれ故郷である映画に戻っていったような印象だ。
 逆に、マンガチックな表現が違和感を生じさせているシーンの最たるものはバタフライジョーの背に生えた蝶の羽である。一見、映画的に見えるが実はリアルさに欠けるあの表現は、映画の整合性を考えればカットしてしかるべきであった。原作を読んでいるよしひと嬢に「あのシーン原作にもあるの?」と聞いたら頷いていたから、これがまさしくマンガを映画に移すときの困難さを克服できなかった実例だろう。
 これは映画オリジナルじゃないか、と踏んだのはオババだ。
 あんな艶っぽいキャラは松本大洋の原作にはとても登場しそうにないなあと思って、よしひと嬢に聞いて見たら、原作はホントにただのオババなデザインだそうな。この変更は正解で、奇しくも映画とマンガとでは「婆さん」の持つ記号の意味の違いを表している。
 マンガだと「婆さん」はどのマンガでも地位を確立していて、「仙人」であったり「マスター」であることの記号をデザイン段階から持ち得ている。『らんま1/2』のシャンプーの婆ちゃんなんかがいい例だ。それに対し、映画では婆さんは何かを付け加えない限り、どうしたってただの婆さんにしかならない。北林谷栄も三戸部スエも丹阿弥谷津子も千石規子も野村道子もみんな普通のお婆ちゃん。日本のお婆ちゃんで普通でない婆あを演じたのは、『紅孔雀』で黒刀自を演じた毛利菊枝さんとか、『大盗賊』で地獄谷の婆を演じた天本英世さんくらいのものかも(^o^)。原泉も確かなんかの魔女演じてたような。
 つまり、オババを市原悦子や泉ピン子が演じてもインパクトがないのだ。夏木マリを配役し、艶っぽさを加えたことによって、彼女に関わるペコやバタフライジョーにまでその「魔力」が伝播する。夏木マリがかつて憧れた男だからこそ、竹中直人は竹中直人なのにカッコよく見えるし、ペコの復活にも説得力が生まれるのである。
 彼女をオババと呼んだのはペコたちだろう。この呼称はまさしく「魔女」としての「オババ」である。だとすれば、そのキャスティングに関しては、マンガの絵面よりも、「魔女」を演じることのできる俳優は誰か、という視点で選ぶのが当然の帰結だ。「マンガのイメージと違う」ということで、夏木マリを否定するなら、映画の見方をまるで知らないと排斥されても仕方なかろう。
 だから、頬擦りされるなら市原悦子と夏木マリのどっちがいいですかって話で(^o^)。こういう姐さんに「愛してるぜ」と言われたら死んでも悔いはないですよ、ホント。


 よしひと嬢の希望で「五風」で食事。
 真っ先にタコワサビを頼むよしひと嬢。しげは辛くて食べられないが、こういうところでオトナとコドモの差が出るな。
 刺身、テンプラ、焼肉と三人で食いまくる。おかげで昨日取り戻した税金が一気に吹っ飛ぶ。しげ、少しは手出ししろよな。

 帰宅して、DVD『ミニパト』や『ラ・ハッスルきのこショー』『パパ・センプリチータ』など、よしひと嬢に見せてなかったモノを連続してかける。
 『ミニパト』は押井守&榊原良子ファンのよしひと嬢には痛く楽しんでもらえたよう。一心に画面に食い入る様子を見てると、オタクの血がうずいてきて、ついつい聞かれもしないことをトウトウと喋る。
 「今のとこ、セリフが飛んだでしょ? 実は押井さんの脚本、カットされてるんだよ。何しろ押井さん、メカデザインの○○○さんが大っ嫌いでさ、そのことまんま脚本に書いちゃったもんだから、監督の神山さんが削ったんだって」
 オタクがモテないのはこういうところなんだよなあ。なのに、イヤそうな顔一つしないで、ニコニコ聞いてるんだから、全く、よしひと嬢も心が広い。でも内心では実は、「ウゼェよこのオタク」とか思ってんじゃないかなあ(^_^;)。
 今朝見たばかりの『プリンセスチュチュ』も録画しといたのを見せたら好評。やっぱり猫先生が可愛いみたいだね。みゅうとがシャツ一枚で鳥を助けようと身を空へ投げ出すシーンで、思わず「か、『風と木の詩』!」と叫んでいたのは内緒にしておいてあげよう(^o^)。
 そうこうしているうちに深夜。
 しげは「まだ『カタクリ家の幸福』見せてない」と不満気であったが、よしひと嬢がダウン。なんだかウチに来るたびにビデオ責めにされてるような気がするが、これも我々夫婦に関わってしまった不運と思って諦めて頂きたい。勝手ですみません。

2001年08月17日(金) 代打日記
2000年08月17日(木) 明日から仕事/『夜刀の神つかい』(奥瀬サキ・志水アキ)ほか


2002年08月16日(金) ドリンクバーの果てに/『フラッシュ!奇面組』1巻(新沢基栄)/『永遠のグレイス』(川崎郷太・伊藤伸平)ほか

 夜中にしげの寝部屋で平積みにしていた本がなだれを起こしたらしい。
 何となくしげの悲鳴を聞いた気はしたが、特に助けを求められなかったので、そのまま寝る。睡眠時間はできるだけ確保しておかなければ、カラダが持たん。

 今日は午前中だけ仕事。
 おかげでしげは昼日中に迎えに来なければならず、数時間しか眠れずイライラしている。けれど、昼のうちに片付けなきゃなんない用事があったんで、多少の無理は承知で、しげにがんばってもらうしか仕方がなかったのだ。
 というのは、役所の手違いで、固定資産税が二重に引き落とされて、マジで金欠病に陥ってしまっているのだ。このン万円を取り戻さねば、今月、給料日までの日々を暮らしていけない。
 一週間ほど前に役所に電話連絡して、銀行振込を頼んでいたのだが、役所仕事が迅速なわけもなく、未だに入金がないのである。と言うわけで、区役所に直談判に行くために仕事を半日、休みを取ったのである。
 役所の駐車場にしげを待たせて、窓口まで行くと、やたら書類を書かされて、20分ほどかかって、やっとお金を返してもらえる。しかし、役所のねーちゃん、一見物腰が柔らかいんだけれど、「すみませんでした」の一言もないのな。さすが公務員、よく教育されてるじゃないの(--#)。

 その足でキャナルシティを回り、盗まれたしげの手帳などを物色。気に入ったものがなかったらしく、しげまた落胆。
 いつもの食事をどうしようか、という相談、「ジョイフル」にドリンクバーが出来たというしげの言葉を信じて、家の近所の店に行ってみたが、ドリンクバーなんて影も形もない。どうやら店舗によって設置の時期にズレがあるらしい。

 ドリンクバーを諦めきれないしげ、夜もまた、別店舗の「ジョイフル」まで足を伸ばす。
 こちらはドリンクバーがありはしたのだが、なぜか偶然、知り合いが大挙して食事に来ていて、話し掛けられてうるさかったのだった。私はそういうときでも適当に相槌打ってその場を取り繕えるのだが、問題なのはしげである。しげは私の知り合いでも面識がないと挨拶一つ出来ない。挨拶を促しても、ムッツリして愛想がないこと夥しい。
 「奥さん、遠慮してるんだ」と、相手がかえって気を遣ってくれるのだが、それに対しても返事を返さない。しかたなく、私の方が「気後れしやすいんだよ」とフォローを入れるのだが、人付き合いという点を考えるとちょっと困りモノなのである。だからと言って、しげの対人恐怖症は年季が入っているので治る見込みがほとんどない。一旦知り合いになれば、人一倍お喋りもするのだが、ほんの少しでも心にワダカマリがあると、全く話せないのである。
 実は私の両親ともしげはマトモに話せなかった。声をかけられれば返事はできるのだが、自分から進んで声をかけるには、心の中で相当シミュレーションをしないと出来ないのだ。父には「猫かぶってるんだよ」と弁明しているが、そうではないことを父も感じているようである。
 いつぞやの某オフ会でも、見知らぬ人間に囲まれて気分が悪くなり、そのあと泣きじゃくっちゃったくらいである。これはもう、世間の人々にしげはそういうやつだと納得してもらうしかないのだ。

 冗談ではなく、しげの精神年齢は小学生並ですので、人見知りするのも許してやってください。で、しげと出会った方は、できれば声をたくさんかけるようにしてください。多分それでも失礼な態度をとっちゃうとは思いますが、しげはあなたがたのことを嫌っているわけではありません。適切な対応をしようと思うあまり、かえって何かドジを踏むんじゃないか、失敗するんじゃないかとプレッシャーを感じて身動きが取れなくなっているだけなのです。


 『キネマ旬報』8月下旬号。
 昔は映画のニュースって、ほとんど『キネ旬』に頼るしかなかったんだけれども、今やネットですぐに収集できるようになったので、記事がいささか古い印象を受ける。「角川大映」も、「『千と千尋』が赤いぞ」事件もとうの昔に知っちゃってる。だから今は、もっぱら見た映画の批評を読んで、自分の意見との違いなんかを確認するだけになってるんだよね、最近は。
 今回は『猫の恩返し』特集。森田宏幸監督のインタビュー、高橋望先輩が相当裏で動いたらしいことを暴露してくれている。高橋先輩、「みんなの意見をまとめると、どうもみんな柊さんの原作が好きで、少女漫画として映画にすることを期待してる」と森田監督に伝えたとの話だけれど、さて、ホントに意見をまとめたのかどうか。迷ってる森田監督に勢いを付けるためにハッタリかました可能性もあるぞ(ホントにちゃんとスタッフの意見を聞いてたんだったらごめんなさい)。
 『猫の恩返し』も、世間の評価は結構厳しいようだ。「宮崎アニメ」と比較して、「中身がない」とか抜かしてるバカ意見が多いけど、宮崎アニメに中身があったことなんてただの一度もないぞ。宮崎駿自身がそう言ってるんだからこれは間違いない(^^)。
 つまりは自分だけの妄想で映画見てるやつがどれだけ多いかってことだよな。もともとあの映画は「少女マンガ」というファンタジー、「成長する少女」なんて描くつもりはなかったってことだから、「少女の成長が描かれてない」とか「底が浅い」とか批判するのはお門違いなのである。
 興行収入はどうやら30億程度で終わりそうだが、『千と千尋』には遠く及ばないにしても、新人監督の作品としては充分なヒットだろう。ジブリブランドのおかげだろう、と皮肉るのは当たっていない。それならどうして『となりの山田くん』はコケたんだよ。映画をエンタテインメントとしてちゃんと作って、ちゃんと宣伝すれば、数字はついてくるんである。
 そして、映画を見る際にはこれが大事。エンタテインメントに「教訓」を期待しちゃいけないよ。これ鉄則。 


 マンガ、新沢基栄『フラッシュ!奇面組』1巻(エニックス/ガンガンコミックス・410円)。
 『奇面組』の新作が21世紀に読めるとはなんという感慨。
 高校のときに友達の女の子と、「奇面組、番組にも勝っちゃったよ!」と手を取り合って喜んだ思い出(バスケ大会の時の話ですな)が懐かしい。そんなことやっとったのかと言われそうですがやっとったんです。すみません。
 こないだよしひと嬢、塩浦嬢に見せたらやっぱり懐かしがられた。てことは、よしひと嬢は小学生、塩浦嬢は幼稚園のころか? ヘタすりゃ塩浦嬢はアニメの再放送でしか知らないんじゃないか。

 懐かしいことは懐かしいのだけれど、驚くべきことは、その中身が、絵柄もギャグも、二十年前と全く変わってなかったってことだね。
 何しろこの1巻、中学生編からのやりなおしなのである。続編ではなくリメイク。確かにカンペキに完結しちゃったお話だから、そうするしかないか。「奇面フラッシュ」や「イカリコング」のギャグを、まったく何のアレンジもせずに繰り返してるこの変化のなさは、おそらく作者の「律儀さ」の表れだ。リメイクにアレンジは要らない、改作はかつての作品との間に矛盾を生み出すだけだ、と新沢さんは考えているのだろう。
 律儀さゆえにギャグとしては今一つ破天荒になりきれなかった欠点はあるのだけれど、かつて、その上品さは、「汚い絵のギャグマンガ」が『ジャンプ』や『マガジン』で幅を利かせていく中では、まるで清涼飲料水のような爽やかさすら感じさせていたのだ。『奇面組』にエッチギャグは絶対に出て来ない。それが読者に安心感を抱かせていたのだ。
 もっとも、個人的にはオトナになった零くんと唯ちゃんとのラブコメってのもちょっと見てみたなあ、という気がしないでもない。けれど、ほんの少しでも生々しく描いた途端に読者の総スカンを食らうことは眼に見えている。やっぱり、「リメイク」しかなかったってことなんだね。
 でも、昔と同じく、腕組や番組、御女組とか出しといて、骨組やルッ組はなぜ出さなかったのかな。婦組が出せないのは時代に合わなくなってるから解るけど。でも好きだつたんだよ、子役締ひろ(^。^)。今更だけど、どうして新沢さん、アキナやキョンキョンはパロってたのに松田聖子はやらなかったのかな。小松田せいとか聖田松子とでも名前つけりゃ作れたろうにねえ。もしかして嫌いだったのかも。……一部のファンにはブリッコってことで蛇蝎の如く嫌われてたからなあ、聖子。そういう事実も今は世間から忘れられてるかなあ。
 なんか話題がずれちゃったな(^_^;)。


 マンガ、野中英次『課長バカ一代ベストセレクション 子供用』/『魁!! クロマティ高校』1巻「黎明編」2巻「登校編」(講談社/マガジンKC・各410円)。
 しげがいきなりこんなもん買ってきました(^_^;)。
 そう言えば、『クロマティ』の連載第1回、『マガジン』で立ち読みしたときまた妙なのが始まったなあ、と思ったもんだったけど、まさかウチに置くことになるとはなあ。
 池上遼一の絵柄で会社ギャグ、ヤンキーギャグをやるってだけのマンガだけどさ、もうこの志の低さがすばらしいね。諷刺とか権威への挑戦とかそんなの全くなし。ただひたすらアホなだけ。話が進むにつれてもう、会社マンガかヤンキーマンガかってことすらどーでもよくなってくる。メカ沢ってなんなんだよ、もう。


 マンガ、川崎郷太原作・伊藤伸平漫画『突発大怪獣漫画 永遠のグレイス』(少年画報社/ヤングキングコミックス・520円)。
 私が買うマンガで、しげが「どうしてつまんないのに買うの?」と文句をつける三大作家はあろひろしと伊藤伸平と小山田いくだと思うが、『課長バカ一代』買ってくるやつには言われたくないもんである。
 でもつまんないと言えば確かにつまんないんだよね、伊藤さん。オタクなのは作品の端々見てても解るんで、ついシンパシーを感じて本を買っちゃうんだけれど、オタクにも付き合って楽しそうな人と鬱陶しそうな人がいて、何となく後者のような気がするんだよなあ、伊藤さん。
 まず表紙が昭和29年版『ゴジラ』のポスターをそのまんまパロってんだけど、さて、イマドキこれをやらかすセンスをどう思うよ、って問題がまず一つある。パロにしては芸がないし、かと言って若い世代にゃ初代『ゴジラ』も見たことねえって人が多かろうから意味ないだろうし。知り合いや友達が表紙を見たとき、喜んでくれるとでも思ってるのかね、伊藤さんは。思ってんだろうな。困ったねえ。┐(~ー~;)┌
 タイトルの『永遠のグレイス』ってのも意味ありげだけれども、「エターナル・グレイス」ってのは「永遠の恵み=神の恵み」を表す言葉らしい。賛美歌にもそういう一節があるし、そういうタイトルや詩を含む曲を発表している歌手も複数いるようだ。原作の川崎郷太監督(すみません、『ウルトラマンティガ』見てなかったんで、どの程度の実力の方かとんと存じ上げませんです)が、このタイトルをどこから引用してきたのかは不明だけれども、作中に特にタイトルへの言及はないから、自由に解釈してくださいってことなんだろう。突然の怪獣の来襲を人々がどう受け入れるか、それもまた神の試練って解釈なのかね。……ちょっとありきたりではないかい?
 いや、基本アイデアは面白いのよ。あとがきマンガで川崎監督も描いてるけど、「60メートルの怪獣が出て来てもビル一つ離れたら見えない」「事件なんてニュースを見てなきゃ知らずにすんじゃう」という視点から、怪獣の破壊を尻目に自分たちのデートのことだけ考えてる待ち合わせカップルを主人公に、というのは実に映画的で面白いんだけどね。
 惜しむらくは、それを演出・表現する実力が伊藤さんには欠けていた、ということだろう。伊藤さんの描くキャラクターの最大の欠点は、好きなキャラの幅が極端に狭いということだ。性格の歪んだ美少女異星人ユニットとか、マシンガンぶちかます美少女テロリストとか、そういう性格破綻者を描かせたらすごく魅力的なんだけども、実は引き出しソレしかない(^_^;)。おかげで、フツーの女の子を主人公として描くことがとことん出来ないんだよねえ。
 主人公の麻美、しょっちゅう何か企んでるようなシニカルな表情を見せるけど、別に何も企んでない。つーか、ドラマの文脈から察するに何も考えてないはず。そんなキャラ、伊藤さんの引きだしにはないから、ついそういうチグハグな絵になっちゃうんだな。で、相方の緑坂だって、あそこまでアホで軽薄で外道なキャラに描くことはない。ドラマ上、緑坂は殺せないんだから、バカはバカでも、もちっと感情移入しやすいキャラにしないと、読者はキャラへの反発を「ドラマのつまんなさ」と勘違いしてしまう。そういう演出も伊藤さんには出来ない。多分、心の底からとことんああいう男が嫌いだからなんだろう。
 伊藤さんみたいなアニメ絵のなりそこないみたいな絵を描く人じゃなくて、もっと劇画チックな絵の人の方がこのドラマには合ってると思うんだけど、こういう共同作業って、縁だからねえ。この程度の出来に収まっちゃったのはいたし方ないことか。

2001年08月16日(木) 代打日記
2000年08月16日(水) 橘外男&中川信夫ワンダーランド/映画『女吸血鬼』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)