無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2007年04月15日(日) 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ2

 いつもは日曜の朝は爆睡のしげ。が珍しく8時に起きている。
 それで『仮面ライダー電王』を見たのだが、設定をいろいろと説明すると、ちょっと興味を惹かれたよう。「『響鬼』以来、見たくなるかも」と。史上最弱のライダー、というのが効いたか(笑)。
 今日のゲストは池田成志君。ご存知の方も多かろうが、高校で同じ部活だった友人である。舞台では派手な役が多いが、一応イマジンに乗っ取られる役とは言え、基本的にはフツーのオヤジの役。なんだか老けたな。同い年だから当然と言えば当然なのだが。


 『天元突破グレンラガン』第3話「顔が2つたぁナマイキな!!」

> シモンとの共同作戦(?)で見事ガンメンを奪取し、敵を撃破したカミナ。
> 奪ったガンメンを「グレン」と名づけて得意げなカミナはヨーコに誘われ、狩りに出かける。その狩場でヴィラルと名乗る獣人と交戦。
> ヴィラルのガンメン「エンキ」の強さにラガンとグレンは敗退。
> なんとか命からがら逃げ出したものの、翌日にはリットナー村が襲われるのは明白だった。
> 逃げようと提案するシモン。
> 提案を一蹴し、ヴィラルとの再戦を挑むカミナだったが、やはり歯が立たない。
> ボロボロになっていくグレンの姿に、思わず顔を伏せるシモンに対し、ヨーコはカミナがシモンが必ず来ることを信じて戦っているのだと話す。
> 「で、あんたはどうなの?」

> 脚本:中島かずき/絵コンテ:大塚雅彦/演出:孫 承希/作画監督:近岡 直・石原 満

 今、気が付いたけれども「グレンラガン」って漢字で書いたら「紅蓮裸顔」になるんとちゃうかな(笑)。

 今石監督がメインになるようになって、ガイナックス作品のエンタテインメント性は上がりはしたが、その分、他社の作品との差別化は今ひとつ、という印象である。
 やっと登場した悪役ヴィラル、オープニングではキレた渚カヲル、という感じで期待していたのだが、セリフを喋るとこれが平凡というよりもただのバカで魅力がない。ただのチンピラか噛ませ犬である。
 頼むからさー、もう、「終わりだ!」「ばかな!」「なぜだ!」なんてこれまで何十何百のアニメや特撮で使われきたのか見当がつかないくらいどうしようもないセリフをさー、臆面もなく喋らせないでちょうだいよ(涙)。
 こんな萎えるセリフの間に「男の魂完全燃焼」とか「ムダムダムダ!」とか、島本和彦や荒木比呂彦のセリフを混ぜたって、かえって白けるだけなのである。
 脚本の中島かずきを信頼できないのはこういうところだ。王道と陳腐の区別が付いていない。
 作画はもう、テレビアニメとしては最高と言ってよく、アクションシーンと言うか殺陣のシーン、なぎ払われた草むらがパラパラと落ちていくようなカットなど、シビレろくらいの演出なのに、それがドラマにまるで絡まない。あと何話か見つづけたら、少しは面白くなるのか? 結局はエヴァ人気に頼らなければガイナックスは生き残れないのか?


 ワークショップ二日目。
 博多はほかの土地に比べてスケジュールがゆっくりの場合が多いが、古株が揃っているせいか、今回はテンポが速い。いつもなら二日目はまだ円座で練習、というところだが、今日は午前中にもう椅子を四つ並べた擬似舞台、そこで二人芝居を組まされる。
 もっとも森田先生、「今日はNHKの取材があるから適当にやろう」と仰っておられたが(笑)。

 昨日と違って、具体的に何をしろと言う指示が殆ど飛ばない。「ともかくやって」。
 これでもうこちらは混乱する。伸び伸びと演技される参加者もいるが、私はそこでどうしても悩む。「考えちゃダメ。準備しちゃダメ、舞台に立ったそこで考える、あなたがやってるのはシチュエーションで、そっちに行っちゃダメなの」と言われても、ある一定のシチュエーションがないと、セリフがまるで出てこないのである。
 ましてや、「思い出すことはいいけど、思い出そうとしちゃいけない」とまで言われてしまうと、これはもう観念論にしか聞こえない。いや、言葉の意味は決して抽象的ではなく具体的に理解はできるのだが、理解できたからできるというものではないのだ。

 「あなたみたいに『考える人生』を送ってきちゃうとね、これはすごく不幸なの」という言葉がズンと心に重くのしかかる。私はどれだけつまんない人生を送ってきたんだろう、と落ち込みかけていると、「俺の言う通りにしちゃダメだよ。言ってることコロコロ変わるんだから」と言って森田先生は笑われるのである。どうせえっちゅうねん。
 これはまあ、マジメな人ならたいていは怒るセリフだ。実際、これまでにも「これはどうすればいいのか」と質問した参加者に対して「知らねえよ」とぶっきらぼうに答える森田先生にムッとした参加者も少なくはない。乳母日傘の普通のワークショップとは性質が全く違うのだ。
 だから参加者が減るかと言うと、何度も繰り返し参加して行く人がちゃんと何十人といるのだから、人間というものは「懲りない」存在であると実感することである。

 「どうして演劇をやるかなんてことを言葉にしたらさ、もうこれはくだらないことにしかならないんだから」
 とこれは前回も森田先生がおっしゃっていたこと。けれども前回は「ともかくここに来たということはなんか意味があると」と仰っていたのが、今度は「何の意味もないんだろうね」と韜晦されるようになった。
 それでも先生の次の言葉は私の心にしっかりと突き刺さった。

 「人から見て欠点だと思われてること、ダメな人間ほど魅力的なのね。いや、俺は本当にそう思っているの。そういう人を舞台に上げたいのね」

 後半は殆ど「声」を作る練習。鼻声であったりおすもうさんであったり。
 「変わった声でも、その声がその人にとっての自然だってことだからね」
 歩き方の練習もまた同じ理論。全員が歩かされるが、一人として同じ歩き方の人間はいない。
 つまり、全員の歩き方が「変」だということだ。何人かの歩き方を真似させられる。私の歩き方も。みんなが私の真似をしているのを見て驚いた。そこには何十人もの「父」がいた。男性も女性も、みんな「父」だった。

 父のDNAは確実に私に受け継がれていたのである。


 ほとんど座っているだけでも、昼の部夜の部とぶっ続けだと(研ぐ今日は時間を間違えて昼の部が6時近くまで長引いたので)思い切りくたびれた。
 帰宅すると殆どそのままぶっ倒れて爆睡。
 そのおかげで、この程度のものしか書けないが、ご容赦願いたい。

2004年04月15日(木) 鷺沢萠の自殺と、人質解放
2003年04月15日(火) メモ日記/探偵映画の夜。
2002年04月15日(月) 興奮する電話。でもアッチ方面ではナイ/DVD『エイリアン9』4巻(完結)/『楽園まであともうちょっと』1巻(今市子)ほか
2001年04月15日(日) My guest is my Lord/『まかせてイルか!』1巻(大地丙太郎・たかしたたかし)


2007年04月14日(土) 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ1

 復活しちゃ休みを繰り返しているもので、もう常連さんからも忘れられてるんじゃないかと思っている流浪の日記ですが(苦笑)。
 でもなぜか毎日いらっしゃる方が引きも切らずで、いつの間にやら25万ヒットですよ。どうなっちゃってるんですか、これは。
 この一ヶ月ちょっとの間に読んだ本やマンガ、見た映画だって、かなりの数に上るので、これを挙げてったらもう日記が追いつかないことは明白なので、それはもうやめます。
 本当は植木等さんの死去についても触れたかったんですが、またマスコミの扱い方のおかしさを追求し出したら、キリがなくなりますので、これも諦め。ただ、小林信彦さんが週刊文春の連載エッセイ『本音を申せば』の中で、「植木等を『昭和の無責任男』と呼ぶのはいかがなものか」と書いていたことは引用しておきましょう。


 さて、こうして日記がまたまた何度目かの復活を遂げたのは、ひとえにまたまた 「演出家 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ」に参加しているためである。どうもmi×iとかVA×RYとかに書いてるウスイ日記じゃ、読んだ気になれんと仰る向きが結構いるらしいぞ(笑)。
 でもこっちにだってたいしたことが書けるわけではないので、あまり期待しないでもらいたいものである。ただ、好き勝手書ける分、こっちの方が気が楽じゃあるけどね。

 もっとも最初はアニメの話題から(笑)。
 土曜と日曜の朝は、やっぱりアニメツアーになりますがな。
 先週から始まった『風の少女エミリー』精霊の守り人』『彩雲国物語 第2シリーズ』に加えて、今日から『BLUE DRAGON』が始まったが、一番の売りが鳥山明キャラデザイン、と言うか、それ以外にないというのが正直な印象である。はっきり言って、別に誰の絵柄だって構わないじゃないか、いや、むしろ鳥山キャラじゃない方がドラマ的な効果は上がるんじゃないかという気すらしてしまう。つまり、ドラマが結構シリアスで、あまりマンガチックな絵柄が似合うとは思えないのだ。『ドラゴンボール』の後半だって、大人になった孫悟空を「持て余している」様子がアリアリだったもんね。アニメの方じゃついに悟空を「子供に戻す」ことまでやっちゃったからね。
 「キャラデザイン」全般の問題については、もう少しアニメファンの間で論議されてもいいと思う。本当にそのドラマの世界観にふさわしいのかどうか。


 ワークショップは午後2時からなのだが、昨日、ワークショップ仲間のSさんから、私ら夫婦に会いたいという連絡が妻の携帯に入ったということである。だもんで、12時に「天神テルラ」で待ち合わせ。2Fの「カフェ・デリス」で昼食を摂る。
相談の内容というのはプライバシーに関するので書けないが(イニシャルにしといても分かる人には分かるかもしれないので)、マジメだけど必ずしも暗い話ではないので、Sさんが誰なのか見当がつく人も、心配はなさらぬように。
そんなことより何が凄かったかって、そこの店はバイキング形式だったんだけれども、Sさんのおかわり速度と量がハンパではなかったことである。あの細い体のどこにパスタやらカレーやらヨーグルトやらサラダやらかぼちゃやらサラダやらが山盛り入っていくものなのか。
 ……って、こんなこと書く方がプライバシー侵害かな(笑)。いや、大食もかわいいお嬢さんなら許せるんである。


 ワークショップ会場はいきなり9Fのイムズホールで。前回はもう一階上の会議室みたいなところだったので、広々とした空間でやれるのはちょっとだけ安心である。
 どうせすぐに森田先生の眼に射すくめられることになるのだが。どんなに優しい笑顔でいらっしゃっても、森田先生の眼は怖い。心の底を見抜かれてしまう気になる。別に心のヒミツなんてものはない(と思う)のだが、前回まで、散々「みんないい人ぶるよね」と言われ続けてきているのだ。疚しくなくても疚しい気分にさせられているのである。
 ロビーに入った途端に森田先生に手を挙げて挨拶されたので、不安は早速的中してしまった(笑)。途端に腹が張ってくるが、これは必ずしもさっき喰い過ぎたせいだけではなかろう。

 先般、博多・小倉ワークショッパーズ有志によって行われた「夜市」のDVD、草莽の志士さんのお話によれば、「森田先生は『面白くないだろうから見ない』と言ってるよ」ということだったが、しっかりご覧になったそうである。
「打ち上げをやるところは多いんだけど、芝居をやったってのは初めてだね」とにこやかに仰るのだが、決して出来のいいものではないので、恐縮するしかない。
「照明を落とす演出がいませんので、途方に暮れました」としどろもどろの弁明をする。余談だが、「夜市」の発音、森田先生は「やいち」と言われていたが、実は正確な読み方は決まっていない。まあ、「よいち」でも「よるいち」でも構わないのだろうが、発案者の志士さんは「よいち」に拘っておられたようだ。熱い魂の男は細かい点も揺るがせにはできないのである(笑)。


 昼の部。
 お馴染みの「円陣」が組まれる。30基ほど椅子が丸く並べられて、中央にはもちろん森田先生。去年からの継続参加者はぱっと見で十数人。半分ほどは新しい人たちである。懐かしい顔に出会えるのも嬉しいが、新人さんが増えていくのも楽しい。人は本当に一人一人が違う。新しい人の演技にはやはり新しい発見があるのだ。
 「『古手』が新しい人にどんなことやってたか、教えてあげてよ」
何人かが指名され、私も「日常を舞台の上に乗せるのが目的で……」とか何とか喋るが、「つまんない喋り方でしょ? ここで聞く人と聞かない人に分かれるのね」とダメ出しを食らう。てか、演技を始める前からダメを出されちゃう私って、何なんでしょ(涙)。

 最初の指示は、「『何でも人のせいにする人』をやってみて」。
とまどいが円陣のみんなに流れる。「同じことばかりはやらないからね」と笑う森田先生。
 どんな人が「責任転嫁」しているか? ある人にとっては会社の上司。あるいは同僚。親兄弟を挙げる人も。早速、その人物を真似させられる。最初なので、なかなかうまく流れない。みんな、「演技の準備」をしてしまう。
「考えちゃダメね。考えるとどうしても『内容』を語ろうとしちゃうから。そうすると必ず詰まるのね」
 何人か、親兄弟を演じた人がうまく行った。母親を演じた人が、愚痴を言いながら、涙ぐんでしまった。つい最近、母親を亡くされていたのである。
「面白いね。こないだも泣いた人がいたけれども、これが博多独特なのね。家族の絆が強いのね。ほかの地方じゃね、親を演じても泣かないのよ。俺なんか冷酷だから親が死んだらせいせいしたけどね。やっぱり博多は南国だね」
そこからまた、「他人のせいにする人のまま、それを家族の誰かにして演じてみて」と指示が変わる。初めて来た人の何人かが、びっくりするほど特徴ある人を演じたりする。けれどもやはりまだ語る「内容」に拘って、突っかかってしまう人が大半である。
「……今はいいけどね、本番が近くなると、俺、怒るからね」
 それって、既に怒ってませんか。顔はにこやかですが。
 「声を変えてみようか。鼻声を出してみて」
途端に、それまで今ひとつの印象だった人が生き生きとし始める。
女の人が鼻声で、訥々と「どうして八時の約束なのに十時に来るの」などと怒ってるんだか怒ってないんだかよく分からないことを喋る。森田先生が指差して、「こういう人には怒れないでしょ? ケンカができないでしょ? これが大事なのね」
何が大事なのか分からずに、一同がきょとんとする。
 「大事なのはお客さんにイメージしてもらうことだから。この声の人はね、変な声だけれども、本人にとってはこれが自然なの。ああ、そういう人だなって思うと、この人のことが許せちゃうのね。ただ聞いてるだけだとイヤな声だけれども、脳の中で修正して、いい声にしちゃうの」
 それを聞いて、去年まではなかなか役を作れなかった人も、うまく声を作れるようになって行く。私も何となくコツがつかめたような気がして、声を出してみたが、「はい、そこで誰かが入ってきた」と別の指示が出た途端に対応できずにボロを出した。まだまだアタマで「考えて」いるのだろう。

 ここで休憩、さっきからの腹痛が我慢ができなくなっていたので、慌ててトイレに走る。けれども予測どおりと言うか、便意はあるのに便が出ない。初手からもうストレスに負けている。
 諦めてロビーに戻ると、これも恒例の弁当が配布されている。しばし、ロビーで仲間たちと談笑。
 新人さんの何人かにも声をかけてみる。別に先輩ヅラをしたいわけではない、というか、あんなにボロボロでは、とても威張れたものではない。それでも「厳しいし胃が痛くなるけれど、また絶対に来たくなりますから。一緒に舞台に立ちましょう」なんてことを言っているのである。もう完全に布教活動である(笑)。

 しげ。は、昼間たらふく食っているので、弁当を一口か二口くらいしか食べられない。
 残りは私が平らげるしかないが、私だって腹は満タンである。水で流し込むしかないかと、しげ。に「お茶を持ってきて」と頼む。
ところがこれがペットボトルを置いてあるカウンターに行ったら行ったきりで、そこにいた人たちとお喋りを始めてなかなか戻ってこない。ようやく戻ってきたかと思ったら、紙コップを差し出して「コーラ注いで来たよ」と言う。人の話、聞いてない。ぶっきらぼうに紙コップを受け取ると、それを見た森田先生が「夫婦だねえ」と仰る。
 「黙ってコーラを受け取って、奥さんを見もしなかったでしょ。これがドラマだと、夫に何かセリフを喋らせちゃうのね。そうじゃなくて、今のが『リアリティ』なのね」
 結局、休憩時間も講義である(笑)。


 夜の部。
 帰られた方あり、新しく来られた方あり。
やはり最初はワークショップの説明から。
 「次は『怒ってるけど怒ってるように見えない人』をやって。そういう人って、いるでしょ?」
 確かに。そういう人は私の周りにもたくさんいる。
 「『怒られてるけどとぼけている人』をやってみて」
そういう人はもっとたくさんいる(笑)。なるほど、これが「リアリティ」である。
この両者を組み合わせてみると、見事にドラマが生まれる。何気ない、フツーの風景なのに、それが妙におかしい。
 日常を舞台に上げることを、森田先生は「ポップアート」と呼んだ。「日常のことって、人は気付かないのね。見てるけれども見えてない。それを見ようというのが『イッセー尾形のつくり方』なの。赤瀬川原平さんの『路上観察』なんかもそれで、日常の何でもないものをこう(目の前に物を置く仕草)取り上げてここに置くと、それがアートになるのね。何かを作るんじゃなくて、既にあるもの、フツーのものの価値を見つけましょう」
 何を取り上げてよいか分からなくてとまどう人が増える。
 「動いちゃダメよ。動いたら途端にそれは芝居になるからね。」
 森田先生の説明が長くなる。佳境に入った感じで、円陣の流れが滞るようになる。
 けれども、私たちの演技は着実に「濃く」なりつつあるのだ。 


帰りがけに、妻が質問する。
「責任転嫁する人で××を演じたやん? そしたら森田さんが『その人は悪い人ね』っ言ったやん。××って悪い人?」
「間違いなく悪いひとやね。だって、××××、××××、××××××××××やん」
「ああそうか」
悪口を言うのもストレスの発散である。

2004年04月14日(水) シロウオ料理とタランティーノの暴走
2003年04月14日(月) メモ日記/一人ぼっちの夜。
2002年04月14日(日) にほんじんにえーごはむりれす。/『ウラグラ!』(唐沢俊一)/『探偵学園Q』4巻(さとうふみや)ほか
2001年04月14日(土) 土曜ワイド「女三人露天風呂殺人事件・湯煙の向こうに殺意が見えた」……ってウソだからね。


2007年02月12日(月) 肩がイタイ/映画『DOA』/『となり町戦争』/『魂萌え!』/マンガ『C.M.B.』第4巻(加藤元浩)

〔11日の続き〕

 映画『DOA/デッド・オア・アライブ』
 (監督:コーリー・ユン/脚本:J.F.ロートン、アダム&セス・グロス、グランツ・ヘンマン)

〔キャスト〕 かすみ:デヴォン青木/ティナ:ジェイミー・プレスリー/クリスティー:ホリー・ヴァランス/ハヤブサ:ケイン・コスギ/あやね:ナターシャ・マルテ/エレナ:サラ・カーター

〔ストーリー〕
> 人里離れた北海道の忍者村を去り、抜け忍として兄の行方を捜すかすみ。南シナ海でクルージングを楽しむ女子プロレス王者・ティナ。香港のホテルで警察に捕まりそうになるものの、警官隊を蹴散らして逃亡する強盗のクリスティー。
> そんな彼女たちに世界最強ファイターを決するトーナメント“デッド・オア・アライブ”への招待状が届く。3人を含めたファイターたちは飛行機で会場となる島ドアテク・アイランドへと向かうが……。

 オリジナルのテクモのゲームはまったくやったことがない。と言うか、格闘ゲームそのものに殆ど興味がないので、ストリートファイターとバーチャファイターの区別もつかない有様である。だから逆に「原作とのイメージの違い」などに惑わされることもなく、映画を楽しむことができた。

 冒頭、いきなり「日本・石狩山脈」とテロップが出て、どう見ても標高が1万メートルは越えているんじゃないかというチベットかヒマラヤかという山奥の修行場(一応、鳥居を立てているので日本だと言いはりたいらしい)で、和洋折衷の珍妙な衣装に身を包んだプリンセス・カスミとハヤブサが国を抜けるの抜けないのと英語で喋りだすのだから、このシークエンスだけでトンデモ映画であることは保証されたようなものである。
 まあ、ゲームそのものがもともとトンデモなんだろうけれど。
 字幕では「抜け忍」となっているのが原音だと「SHINOBI」で、ああ、あちらでは忍者は「NINJA」で、抜けたら「SHINOBI」になるのかと、解釈のズレに苦笑してしまうが、そんなのは序の口である。
 DOAに出ようってほどの腕前のかすみが盗賊に簡単に捕まったことがあったり(修行する以前とは思えない)、王女が抜け忍(忍びの里で「王女」って言い方もヘンだが)になって、このままじゃ跡継ぎがいなくなって大変だろうに、連れ戻すどころか殺人命令が出たり(出してるのは誰なんだよ)、それを追いかける女忍者あやねはどう見ても外人だったり(ノルウェーの人らしい)、デタラメ描写はとてもじゃないが書ききれない。

 もちろん時代考証とか文化考証をやろうなんて気が製作者たちにさらさらないってことは明白である。
 けれども、『パール・ハーバー』や『ラスト・サムライ』や『SAYURI』のデタラメぶりに腹は立っても、『DOA』に対しては笑って見ていられるのは、誰にでもこれが「おふざけ」であって、本物の日本を描いたものではないことが分かるからだ。
 A級・B級という映画の分け方は好きではないが、B級はB級に徹してこそ面白い。ストーリーも人間関係もテキトーで深みが全くないのが逆にいい。ゲームのキャラをとりあえず一通り出してはいるものの、トーナメントの途中、ヒトミとかゲンフーとか、いつ消えたのかよく分からないかわいそうなキャラも何人かいる。

 そこはまあご愛敬で、主要な三人のヒロイン、かすみとクリスティーとティナは全編アクションに継ぐアクションで、三人が協力してラスボスを倒しに行くようになる後半、ああ、これはバカ映画版『チャーリーズ・エンジェル』の路線を踏襲したいのだな、ということがはっきりしてくる。
 ビリングはティナが一番、ポスターはクリスティーが正面、物語の中心はかすみと、それぞれに配慮した扱いも心憎い。
 本家チャリエン同様、アメリカ人から見た東洋人の美人タイプって、こんなの? という疑問をかすみ役のデヴォン青木(お父さんは日本人だが、お母さんはドイツ系イギリス人だとか)に感じはするものの、三人ともスタイルは抜群で、鼻の下を長くしたい目的だけで見に行っても損はしないだろう。てゆーか、こういう映画に余計な期待をしてはいけない(笑)。

 ティナのオヤジが、ベッドで娘と一緒に寝ているクリスティーに向かって、「クリスティーって言うのか? うちの娘もクリスティーナって言うんだ」って言うシーン、「ティナ」が「クリスティーナ」の略だってことに気がつかずに似たような名前を付けちゃった日本人に対するからかいなんだろうな(笑)。


 映画『となり町戦争』。
(原作:三崎亜記/監督:渡辺謙作)

〔キャスト〕 北原修路:江口洋介/香西瑞希:原田知世/智希:瑛太/舞坂町 町長:菅田 俊/前田善朗:飯田孝男/本田:小林麻子/室園 絹:余 貴美子/田尻:岩松 了

〔ストーリー〕
> 舞坂町に暮らし始めて一年、北原修路は町の広報紙で隣の森見町と戦争が始まる事を知る。しかし、開戦初日を迎えても町の様子に変化はなく、戦争を実感することは何一つなかった。広報紙に掲載される戦死者数を除いては……。
> 数日後、対森見町戦争推進室の香西と名のる女性から電話があり、特別偵察業務辞令の交付式への出席を促される。その業務の延長で、やがて北原は敵地へ潜入するため香西と結婚する事になる……。

 ともかく江口洋介の大根ぶりが終始鼻について、見るに耐えなかった。
 町と町とがどういうわけだか戦争を始める、というシュールな設定、それでも平和な日本にいて戦争を実感することのできない日本人の現実感のなさ、自分の身近な環境も含めて、世界を、文化を、日常を、リアルに認識することがどうしてこんなに困難になってしまったのか、そこを問いかけているのが原作小説であり、それは映画にした場合でも動かすことのできないモチーフであるはずだ。
 そのためには周囲の人間の言動がいかに異常であろうとも、主人公の存在だけは実体感をもって描かなければならない。ところがそんな能力が江口洋介にはからきしないのである。妙な格好をつけたポーズ、わざとらしいセリフ回し、笑いを取ろうとするのが見え見えの間、芝居がかった感情の爆発、どれもこれも一人よがりで、主人公の言い知れぬ不安を少しも観客席まで伝えて来ない。
 パンフレットを読むと、「江口洋介主演は監督のオファーがある前に決まっていた(そのために原作のキャラクターを江口に合わせて変えざるをえなくなった)」と正直に告白しているが、だったらそんな演技力のない役者を使って映画なんて作れません、と断りゃよかったのに、とまで思ってしまう。

 江口洋介に引きずられるかのように、他のキャラクターたちもどんどん「下落」していく。田尻役の岩松了は滔々と戦争論を語りだすし、香西役の原田知世は安っぽい恋愛ドラマのヒロインと変わりがなくなってしまった。結果的に原作のラストとは全く逆の結末をつけざるを得なくなったために、最終的な印象として残るのは、陳腐なメロドラマということだけである。私ゃ、ラストが『吸血鬼ゴケミドロ』そのまんまだったので笑っちゃいましたよ。
 何が描きたかったのかまるで分からない、ただ「となり町との戦争がありました」という設定があるばかりで中身のない空虚な映画である。

 江口がダメダメでも、監督にもう少し映画を撮る才能があれば、まだ何とかなったんじゃないかと思う。しかし江口を使ったこと以外の演出の面でも、この監督は独りよがりな演出が多く、信用できない。
 オープニングで音楽をいきなりぶちきったりするのは観客を不安に陥れる演出のつもりかもしれないが、ただの編集ミスにしか感じられないという可能性をこの監督は分かっているのかどうか。「開戦×日目」というテロップが撥ねたり飛んだり回ったり、無言の動きに効果音が付いたり、そんなアニメみたいな演出はうるさいだけでしかない。世界の異常性は世界そのものに語らせなければ意味がない。余計な演出はかえって逆効果である。
 この監督に対しては、「お勉強だけがよくできて、馬鹿な子っているんだよね」と言ってあげたい。

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〔これより12日〕

 左肩の痛みがちょっと激しい。

 今回の風邪っ引き、かなり長引いていて、夜中に咳が止まらなくなって痰が喉に詰まり、苦しくて飛び起きて、寝不足になる、ということを繰り返している。
肩の痛みというよりは、首筋から肩甲骨にかけて、関節炎になっているような感じなので、これは咳が響いているせいだろう。
 この分では連休が明けてもしばらくはつらい日々が続きそうだ。

 そんなに苦しいのなら、さっさと医者に行けと誰ぞから言われそうだが、医者に行ったところで、痛み止めか湿布をもらうくらいのものだろう。
 仕事を休んでゆっくりと養生した方が、治りが早いのは分かっているのだが、そうなると二日三日は欠勤せざるを得なくなる。今はちょっと休めない時期なので、無理をしてでも出かけて行くしかない。一日遅れの「サザエさん症候群」になっちまいそうな気分である。

 誰ぞが気遣って家事をしてくれれば気持ちはかなり休まるんだけどね。部屋の中は相変わらずゴミが散乱したままで、足の踏み場もろくにないケモノミチ状態である。
 本気でこの日記、オニヨメ日記にしてやろうか。


 マンガ『C.M.B.森羅博物館の事件目録』第4巻(加藤元浩/講談社コミックスKCGM)
> 「ユダヤの財宝」の謎を追え!!
> 殺害現場はローマの遺跡“コロッセオ”。被害者が見つけた「ユダヤの財宝」とは!?……二千年もの時を経た壮大な歴史ミステリーが、いま解き明かされる!!

 今回は一巻で一編の長編『ユダヤの財宝』。
 『Q.E.D.―証明終了』の姉妹編として始まったこのシリーズ、本編との差別化を図ろうとして「博物館」をネタにしたんだろうけれども、その割には、これまでのエピソードは、ミステリーとしてはちょっと小粒、という印象だった。
 主役の榊森羅と七瀬立樹のコンビ、『Q.E.D.』の燈馬想・水原可奈に比べると、より無邪気で子供っぽいのだけれどもキャラクターとして魅力的かと言われると、まだまだ弱いかな、と感じていた。

 それが今回のネタはいきなり「ユダヤの財宝」である。いきなり壮大なイメージになっちゃったけれども、果たして広げたフロシキをうまくたためるものかとドキドキしながら読み進めてみたのだが、やはり小説に比べてコミックには情報量に限界がある。
 残念ながら『ダ・ヴィンチコード』ほどのボリュームは感じられなかった。もしも全世界にこの作品が発信されたら、バチカンを怒らせてしまうんじゃないかという点はそっくりだけれども(笑)。

 ベネディクト(ベネディクティス)14世はなぜコロッセオ(コロセウム)を殉教地として保護したのか。これは確かに歴史上の謎ではあるけれども、本作のような推論は荒唐無稽である。いや、歴史ミステリーというのは荒唐無稽であって然るべきなのだが、それをそうと納得させるだけの傍証の積み重ね、常識をひっくり返すための論理のアクロバットが必要なのだが、いかんせん、そこまでには至っていない。このネタ、コミックなら本当は、最低3巻分は必要な話なのだ。
 小さな謎を積み重ねて複雑に見せかけてはいるが、一つ一つのトリックは案外単純であり、装飾がまだ足りない。カール殺しのトリックもどこかで見たか読んだかしたような気がする。

 とまあ、随分貶しているように見えるかもしれないが、紙数があればもっともっとミスディレクションを仕掛けられるはずだ、ということなのである。


 夕方から、ダイヤモンドシティルクルに出かける。咳はとりあえず薬で抑えているが、肩の痛みは取れない。カバンはできるだけ右肩に掛けるようにする。
 このところ映画と言えばキャナルシティに出かけることの方が多かったのが、久しぶりにダイヤモンドシティの方を選んだのは、こちらに「こまねこ」グッズが売られていることが分かったからだ。
 妻は最近、すっかり「こまねこ」にハマッていて、私がゲーセンで取ったこまちゃんのぬいぐるみをカバンに付けて提げているくらいなのである。

 今日はこまねこシールに『こまねこ現場レポート』(トヨムラカオリ/こまねこ出版)を購入。ボールペンや絵葉書、絵本やCDもあるので、それらはおいおい買っていくことにするつもり。


 ダイヤモンドシティのフードコート、ワンコインセールとかで、各店舗でステーキや焼きめし、たこ焼きなんかが500円の安売りセールを行っている。
 単価がもともと800円前後でお高いので、500円になって普通の値段かな、という印象なので実はあまり安売りという感じはしないのだが、よその店だとやっぱり1000円2000円はかかってしまうので、これを利用しない手はない。
 一番安売り感がするのはどれか、と妻に聞いてみたら、「ステーキ!」と答えた。質問するまでもない返答であった(笑)。腹ごしらえをしてルクルへ。


 映画『魂萌え!』
 (原作 桐野夏生/監督 阪本順治/プロデューサー・李鳳宇)

〔キャスト〕
 風吹ジュン、三田佳子、加藤治子、豊川悦司、常盤貴子、寺尾聰

〔ストーリー〕
> 定年退職から僅か3年、夫・隆之は心臓発作であっけなく逝ってしまった。葬儀の後、隆之の携帯にかかってきた電話がきっかけで、敏子は夫に10年来の愛人がいたことを知り愕然とする。さらには、突然同居を宣言する長男の身勝手さにも嫌気がさし家を飛び出すが、行く宛てはない。生まれて初めてカプセルホテルに泊まり、そこで宮里という老女に出会う。宮里は悲惨な身の上話を聞かせ、お代として1万円を要求するのだった……。

 福岡のシネコンの中で、恐らく一番客が入ってないであろうルクル。立地条件が悪い上に、レイトショーがキャナルの1000円に比べて1200円とちょっと割高。最近ようやくポイントカードを作ったが、レイトを他と同じく1000円かそれ以下にしないと対抗は難しいと思うが、今更もう遅いかもね。
 ヒット映画でも休日に楽々席が取れてしまうのだから、はてさてどれだけ持つものやら。

 アイドル時代の風吹ジュンのスキャンダルを記憶している人はもうそう多くはないと思う。『がきデカ』のジュンちゃんのモデルになったくらいだから、それなりに人気はあったのだけれども、いったんそれは地に落ちた。それからお定まりのお色気路線での復帰、『蘇える金狼』で松田優作と大胆なシーンを演じたりして、とりあえずの浮上は果たしたが、その後、役者として大成するとは誰も予想はしていなかっただろう。
 本人もそのあたりを自覚していたと見え、大林宣彦監督と出会ったときに「もっと早くに監督に出会えていれば」と言ったという話であるが、もっと早くに出会っていたら、もっと早くに脱がされていたことであろう(笑)。
 でもって54歳になっての風吹ジュンの風呂場シーンが話題になっている本作であるが、別に前を見せるわけでなし、内容は初老を迎えた女性の自立の物語なのだから、そういう方面での話題作りはこの映画にはふさわしくない。というよりは失礼である。

 さりげなく地味に見える物語であるが、この映画が風吹ジュンと同年代の女性に対して訴えかけるメッセージ性はかなり強い。
 あなたは今一人ですか、それとも家族に包まれていますか?
 そしてあなたは今の人生に満足していますか?
 あなたはあなたの側にいる人を本当に理解していますか?
 あなたはあなた自身が何を欲しているか、本当に知っていますか?
 そういった質問に対して、正面から答えることをこの映画は女性たちに求めているのである。

 「関口敏子」という主人公の名前はあまりに平凡である。おそらくは同姓同名の人間が全国には何百何千といると思われるが、そのことでトラブルになる可能性も覚悟の上で原作者は「平凡さ」を重視して主人公にこの名前を付けたのだろう。
 「鬼龍院華子」とか「萬里小路綾香」なんて名前は、本作には似合わない。このネーミングは松本清張の系譜に連なっている。すなわち、「どこにでもいる一介の主婦」、つまり「読者であるあなた」の共感を求めるために付けられた名前なのだ。
 本作は厳密な意味でのミステリーではないが、未亡人となった敏子は夫に「謎」があったことを知る。現象としてはありきたりな「夫の浮気」という事実に過ぎないが、自分の知らない夫の姿を知るにつれ、夫と自分との間にどれだけ高い壁があったか、どれだけ心理的に離れていたかということを、否応なしに突きつけられることになる。
 浮気相手の伊藤昭子(三田佳子)が「私は隆之さんのお葬式にも出られないのよ」と狂気の目で涙ぐむ。しかし、一人の女を狂わせるほどにまでに愛した男としての夫を、敏子は全く知らないままであった。この二人のいったいどちらがより不幸なのだろうか。
 多分、不幸とは本人が不幸と自覚したときに生じるものなのだ。敏子がこれまで全く不幸でなかったはずはない。しかし、不幸に対してあまりに鈍感であった。あるいは目の前の不幸からあえて目を背けていた。
それが、夫の死後に鈍感さのツケを払わせられるかのように「自覚」を迫られたのだ。敏子の経験する不明も混乱も失敗も、全ては敏子自身に原因がある。夫が愛人にいみじくも伝えていたように、敏子は自ら「置物」になっていたのだ。

 鈍感さはたとえそれが本人の本性であったとしても罪であるのかもしれない。
 敏子のお人好しぶりを見るにつけそう思う。身の上話詐欺師の宮里(加藤治子)に自分から一万円を払い、塚本(林隆三)の誘いに乗って簡単に不倫に走る。いかに動揺して心が定まらない時であったとは言え、あまりに軽率で、50を過ぎた大人の女性といった印象は薄い。
 このままで行けば、息子の彰之(田中哲司)や娘の美保(常盤貴子)に住居を乗っ取られるかもしれない……その寸前で、ようやく敏子は自分の愚かさに気付く。
気付いたのは、多分、敏子が「自分は一人」ということを知った瞬間だ。結局人は「自分しかいない」と知ったときにようやく自立できるのだ。

 この映画には随所に「何気ない風景」が挿入される。
 それは例えば、敏子が電子ジャーのふたを開けて、炊き上がったご飯をただ見つめているだけ、というカットだったりする。そこで敏子が何を考えているかは分からない。ぼーっとしているだけで、何も考えていないのかもしれない。それは分からないが、敏子がそういった「時間」を欲していることだけは分かる。
 何かを考えているにしろ考えていないにしろ、自分としての第一歩を踏み出すためには、「時間」が必要なのだ。そうこの物語は語っているように思える。

 「自分探し」の物語というものを私は基本的に好まない。探すまでもなく、自分はここにこうしてある。今の自分がニセモノで、他に真実の自分があるなどというシンデレラかみにくいあひるの子のような物語は、お伽噺の中だけでたくさんである。
 敏子もまた、いったんは物語の中の自分に逃げ込もうとした。不倫という名のフィクションに身を置こうとした。けれども彼女は最後に自分の愚かさに気付く。それが敏子を最後の最後で救うことになる。観客もまた、そこでようやく敏子に共感できるようになるのである。


 あと一本、映画を見たけど、やっぱり字数オーバーではみでたので、明日の日記で。

(続く)

2005年02月12日(土) 死んでもゲーム/舞台『BIGGER BIZ 〜絶体絶命!結城死す?〜』
2004年02月12日(木) 入院日記11/存在の耐えられないデカさ
2003年02月12日(水) ラブラブブラブラ/『逆説の日本史6 中世神風編』(井沢元彦)/『バロム・1』1巻(さいとう・たかを)ほか
2002年02月12日(火) 気がついたらマヨラー(笑)/『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』(上遠野浩平)/『大秘密』(W・パウンドストーン)
2001年02月12日(月) 来年の『ゴジラ』はあるのか/『アニメージュ』『ニュータイプ』3月号



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藤原敬之(ふじわら・けいし)