無責任賛歌
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| 2005年05月11日(水) |
ダウナー、ダウナー/『ONE PIECE ワンピース』巻三十七(尾田栄一郎) |
劇団メンバーのみんなのブログ、読みやすいものが多いんで、私もこの日記の行間をちょっと空けるくらいのことをしたいのだが、どうやったらいいのか分からない。いろいろタグをいじくってみたのだが、これが全然変化なし。もう何年も日記書きつづけてるってのに、未だにパソコンに慣れてないのである。パソコンに詳しい方、誰か上達のヒケツを教えて頂けないものでしょうか。
何だかいつまで続くんだって感じの、しげの鬱。 今日もポプラで鶏天弁当とミックス弁当を買って、車の中で二人で分けて食べる。しげはこれがかなり気に入ったらしく、食ってる最中、ずっとニコニコしているので、その流れで映画に行こうかと誘ってみたのだが、途端に渋い顔になる。 「せっかくラブラブなのがなくなっちゃう」というのだが、何をどうすればしげのいう「ラブラブ」になるのかが見当もつかない。バカップルを演じたら、それでしげの心は満たされるのか? 「演技でもいい」としょっちゅう言ってるが、実際にやってみたときに「いつものアンタじゃない」とかえって情緒不安定の度合いが増しちゃったことがあったので、しげの言をマトモに受け取ることもできないのである。 しげは、帰宅した後、突然またコンビニに出かけたかと思ったら、イクラ丼を買ってきた。しかも千円近くする巨大イクラ丼である。 「アンタを驚かせようと思って」というのだが、確かにビックリした。そりゃあ、私はイクラが好きだ。回転寿司で、イクラにキュウリがくっついて来るのを見ると、「姑息なマネをするんじゃねえ!」と、キュウリをどけてイクラだけで食べるような人間である。一度、ドンブリいっぱいのイクラを食ってみたいなあというのは夢でもあった。 けれど、嬉しくはあってもこれがしげの情緒不安定から来る行為だと思うと、素直に喜べないのである。給料日前でそんなに贅沢できるわけでもないのだから、無理してこんなの買って来なくてもいいし、第一、しげが作ってくれていたミートボールスープも私はもう食べていたのである。 ただ、こういうことを書くとまたしげがシュンとしかねないので念のため書いておくが、こういうトンチンカンをやらかすところも(もちろん鬱も)含めて、私はしげと一生添い遂げたいと思っているのである。もう十年以上も一緒にのたくってるんだから、そこんとこの気持ちにいい加減気づいてくれてもいいんじゃないかと思うのだが、これが全然しげに伝わらないのがココロの不思議というやつだろうかと首をひねるしかないのである。
チャンネルNECOで「みうらじゅん的映画祭」特集で映画『大巨獣ガッパ』。 みうらさんが、「ガッパやギララやゴケミドロのようなB級作品を再評価することが、タランティーノをやっつけることになるんだぞ」の主張に大きく頷く。もっとも私は、これらの作品を「B級」と認識したことはないんだけどね。予算ってことでA級B級を分けるんだったら、日本映画はハリウッド映画に比べたら全てB級になるわな。トホホな部分はクロサワにだってあるのだ。 「昔、テレビで見た」とかいう特撮ファンはいっぱいいるけれども、「ガッパ」を劇場で見たって人にはあまり会ったことはない。私と同年輩か、それよりちょっと上くらいの人しか、こんなもん見たがるやつはいないので、それもいたし方がないのだが、当時私は劇場から出てきながら、心の中でみうらさんが「脱力もの」と評する「ガッパの歌」を涙しつつリピートしていた。『ガッパ』がイギリス製怪獣映画『怪獣ゴルゴ』のかなり露骨な「換骨奪胎」であることを知ったのは後年のことで、親子ガッパの再会に、ガキの私は素直に感動していたのである。 だもんで、あまりトホホな映画であるかのように紹介されるのはちょっと悲しいものを感じてしまうのだが(確かに「亀」が当たったから次は「河童」という日活の発想は何だかなあだけれども)、ムカシの特撮映画なんて見る気もしない、なんて似非オタクがちょっとでも減ってくれるんなら、トンデモ的な紹介の仕方にもガマンしなきゃならんかなとも思うのである。悔しいけど。
マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE ワンピース』巻三十七(集英社)。 ジャンプシステムの最もよくない部分の影響を受けて(つまりは連載の「引き伸ばし」ね)末期症状に陥っているが、それに気がつかないでいるのは、信者的なファンと新参入の若いファンと、作者だけであろう。……って、前2者が半端じゃないくらい数がいるから、連載がいつまでも続いてるんだろうけど。 ウソップに続いて、ニコ・ロビンも麦わら海賊団を離脱しそうな気配だけれども、ウソップだけだと「どうせまた戻ってくるんだろう」と読者に先読みされてしまうので、もうちょっと「押しとく」必要性を感じてのこの展開だろうか。でも、こういう謎を残した形で「もう二度と会うことはない」とロビンに言わせたところで、ドラマツルギーがそれを許すはずもない。ここまで物語を「仲間」をキーワードに紡いでおいて、それがあいまいな理由のまま放置されていいはずがないのだ。 ウソップもロビンもいずれ麦わら海賊団に戻るか、そこに至らないまでも、何らかの形での「絆」を結びつづけていくことは確実なので、中途半端に離散するように見せかける展開はかえって嘘臭い。麦わらの一味崩壊の危機感がないから、「出来レース」にしか思えないのである。 こういう出来レースを何度もかましてくるあたり、尾田さんの作劇術が破綻している証拠なので、「末期症状」と言わざるを得ないのである。……いやね、これでロビンが本当に二度と登場してこなかったら、それはそれですごく意外な展開になるのだが、そうなったほうが読者は作者を許さないんじゃないかね。 ルフィもゾロもいとも簡単にサイファーボールの連中にやられちゃってるが、これもまた「敵のインフレ状態」でしかないので、緊迫感も高揚感もゾクゾクもドキドキもワクワクもない。しかも今巻、後半はルフィたちがまるで出てこないのだ(フランキーを仲間にするための、いつもの「回想」だとしても長い。しかもやっぱりナミやチョッパーと同じく「育ての親の死」のパターンだ。もう二番煎じ、三番煎じでこうも感動を押しつけらけたって、涙も出やしないのだ。 それでもこうして、単行本を続けて買ってるのは、何だかんだ言っても尾田栄一郎が鳥山明なきあとの(死んでないって)、ジャンプマンガを支えている才能の持ち主であることに違いはないからだ。このまま「引き伸ばし」でせっかくの尾田さんの才能を枯らしちゃいかんと思うよ、本気で。それでつまんないマンガしか描けなくなったマンガ家が山といること、昔からジャンプ読んでるファンなら知ってるよな?
2004年05月11日(火) ホントに午前様になっちゃったよ(-_-;)。 2003年05月11日(日) すっ飛ばし日記/ギャグで怖がる女 2002年05月11日(土) つんでぶで……謎の言葉(^o^)/DVD『日本誕生』ほか 2001年05月11日(金) ちょっと愚痴を言いたい夜/『荒野の出前持ち』(石川賢)
| 2005年05月10日(火) |
彼は誰か。/『のどかnobody(ノーバディー)』2巻(田山りく・及川雅史) |
「想定外の事件」というのはまさしくその通りだろう。 いつぞやの三馬鹿のような、無自覚な連中とは違う。カメラマン・記者ではないが、命を賭した仕事に従事していることは間違いない。ただし、その「思想的背景」は知る由もない。
イラクの武装組織「アンサール・アルスンナ軍」(アルカイダと深い関係があるとされるイスラム教スンニ派の武装組織で、外国人の拘束、殺害事件を多数起こしているグループ)が、昨九日、イラク西部ヒート近くで米軍基地から出てきた車両を襲撃し、イギリスの警備会社「ハート・セキュリティー」から派遣されて米軍基地の警備支援に当たっていた日本人、斎藤昭彦氏を拘束した。斎藤氏は重症だという。 率直な疑問を口にするなら、「米軍基地にどうして他国の『警備』が必要なのか?」ということなのだが、識者によれば、近年、アメリカなどでは兵士を抱えるコストを削減するために、有事のみに利用する傭兵・ボディーガードを民間会社に依存する割合が大きくなっているということである。要するに「準兵士」として働くわけで……って、つまり「MASTERキートン」(ロイズで働く前のね)か! と、実際にそういう人が活躍している現実は知識として知ってはいたものの、日常のニュースの中にこうして飛び込んできた途端に何か戦慄のようなものを覚えてしまうのは、やはり安楽な中に暮らしている日本人の心の間隙というものであろう。 斎藤氏はかつて1979年から81年にかけて陸上自衛隊第1空挺団に所属し、その後、フランスの傭兵部隊に20年間所属し、200人からの部隊も率いていたという。ハート社は元特殊部隊所属の除隊者で構成されており、斎藤さんが雇われたのもそういった経歴が買われたためらしいが、だとすれば斎藤さんにとって、他国の警備会社の傭兵となることも「国防」の延長線上にあったことなのだろうか。その線がよく見えない。 しかし、武装組織は明らかに斎藤さんを「米軍の一味」と見ている。斎藤さんを除いて、ほかの傭兵たちはみな殺したということだが、なぜ斎藤さんだけをとりあえずではあるが助けたのか。テレビのニュースでは、「日本人は金ヅルだから」というコメントを寄せる識者もいたが、果たしてそうか。「金銭要求のための人質」あるいは「自衛隊撤退を要求するための人質」ならばまだ生存の可能性はあるだろうが、「そうでない」可能性のほうが高いのではないか。自らの「宣伝」工作のためという意見もあったが、こちらの可能性が高いと私も思う。犯行声明文に具体的な要求がない点もその推測を裏付けているように思う。 だとすれば、極めて厳しい現実を我々は覚悟しなければならないのではないか。 日本政府はもちろん情報の収集、および救出に尽力するだろうが、明らかに「米軍協力」が明確である今回のケースは、これまでの中で最も危険な現実を日本人に付きつける結果になりはしないか。これでまたね、「自衛隊撤退」を訴えるトンチンカンな連中が現れそうな気がするが、これはもうそういうレベルの問題ではないのである。 私のような凡人には、イラクに行く動機自体、心の中に全く見出せない。今や、どんな目的でイラクに行こうと、テロリストたちに利用されることにしかならないことは状況が示している。覚悟のない傭兵がいるわけもないが、だからと言って、余りにも我々の日常とかけ離れた立場に身を置いている斎藤さんの心情が分からぬ以上、憶測だけでは賛同も反対も示すことはできない。 なんかね、ネット見てるとさ、斎藤さんと三馬鹿とを一緒にしてる連中もバカだけど、斎藤さん立派! と持ち上げている連中も、「傭兵」の何を知ってそういうことを言ってるのか、分かんなくてね、やっぱりバカなんじゃないかって気がしてくるのよ。斎藤さんは「自衛隊」としてイラクに入ったわけじゃないんだから、我々との繋がりをどう実感すればいいのか、今の段階では「よく分からない」というしかないのが大半の日本人の現状じゃないかと思うんだけど、何だかもう「知ったかぶり」なやつが多くてヤダねえ。
私はもう、いったい、イラクとは何なのだろう、と根本的な疑問を自分に対して問いかけるだけである。
斎藤さんの弟さんが会見を開き、「ご迷惑をおかけしまして」と涙を流している。しかし、何をどう迷惑をかけたというのか、それすらも見えない今は、困惑したままテレビの画面を茫然と見流すしかないのである。
飛び石連休が終わって(大型にはならないのよね、うちの職種の場合)、普段の勤務に戻りはしたのだが、途中でちょっと体調を崩したこともあってか、どうもエンジンがグズってる感じ。 急な頼まれ仕事あり。たいした手間はかからないので、さっと片付けちゃえばいいのだが、これがどうにも取りかかれない。ほかの仕事があるのを言い訳に、明日に回す。休憩時間にウトウトすると、あっという間に時間がなくなる。夜中に頻繁に目覚めているので、睡眠が浅いことも原因なのだろう。休日の前くらいはやっぱり睡眠薬を飲もうかなあ、という気になってしまうのは、やっぱり気弱になってる証拠だろう。
同僚が雑談で由布院映画祭の話題をしているのを小耳に挟む。 「『タカダワタル的』って映画を今度上演するそうですよ」 「誰ですか、高田渡って」 なんて会話をしているものだから、つい、「ああ、あれでしょう、『自衛隊へ行こう』の」と口出ししてしまったものだから、「藤原さん、高田渡をご存知でしたか!」と、しばしその場の4人ほどで高田渡話で盛り上がってしまった。 浅学非才でモノシラズな私ではあるが、それなりに手持ちの知識だけで少しはお喋りができることがある。高田渡などは私の趣味の範囲からはちょっと離れてはいるのだが、それでも「こういう人のことは知っておいたほうがいいよなあ」というアンテナにだけは引っかかっていたのだ。 話題はそれからあっちこっちへ飛んでいって、千石イエスの経営してたバーが今どうなってるかとか、黒い霧の池永さんのバーの様子はどうだとか、ドカベン香川のバーは(バー話ばかりではないか。全部福岡にあるのである)、なんてお喋りで時間をつぶす。みなさん、仕事が煮詰まっていて息抜きしまくっているのである。いいのかこれで(笑)。 とりあえず今日は週明け早々だからまだアイドリング。起動は明日から明日から。
ここしばらく、しげの「さびしんぼう」というか、情緒不安定、かなり長引いているのだが、車に乗っていると、いきなりハンドルから手を離して私の手を握ってくるので、運転は大丈夫かと気が気でない。 しょうがないので、こちらから手を握り返して、片手運転させているのだが、オートマ車じゃなきゃ、事故を起こしているところである。つか、オートマでもちゃんと両手で運転してくれよ。 「晩飯は?」と聞くと、「作るの忘れたんで、コンビニで弁当を買う」と言う。 今更もう、お前は昼間何やってたんだよ、と文句は言わない。文句を言うほどの元気など週明け早々ありゃしない。週の半ばは忙しくて言う元気がないし、週末は疲れ果ててやっぱりそんな元気はないのである。 弁当買ったら、またゴミが出ちゃうなあ、と思ったので、「じゃあ、車の中で食べようか? そしたらゴミもその場でゴミ箱に捨てられるし」と提案したら、これがいたくしげの気に入ったらしい。 そのままでは狭苦しいので、助手席の背もたれを倒して、私は後部席に移動して、弁当をわけて食べる。食べてる最中、しげは私の顔を見てニコニコしているのである。いつもとちょっと違った食事の仕方をするだけで癒されていると言うか、この程度のことで喜んでるとは、よっぽど日ごろから私が邪険にしているようだ。本当はしげが不幸ぶりっ子してるだけなんだけど。
マンガ、田山りく原作、及川雅史作画『のどかnobody(ノーバディー)』2巻(角川書店)。 天才建築家、長瀬のどかが、傾きかけた温泉旅館をリニューアルして救っていく、温泉旅館版ビフォーアフターの第2弾。今回は「熱海」「箱根」「伊東」「石和」が舞台。富士山が切り取られた一幅の絵画のように眺められる温泉とか、天井から葡萄がたわわに実る温泉とか、うーん、こういう温泉が本当にあるのなら、一度行ってみたいもんだと思わせるが、いかんせん、殆どが関東周縁。それに温泉郷自体は実際の場所に取材しているけれども、旅館はあくまでフィクションらしい。残念。 今回は、これまで連戦連勝を誇ってきたのどかが、大失敗をやらかすエピソード(のどかの彼氏さんも初登場。職業が落語家ってのがユニーク)や、謎のアシスタント(笑)の三井ケイ(ミケちゃん)が、その驚くべきオタク知識を発揮する番外編(入りてえぞ、アンモナイト風呂!)もありで、1巻より好調な印象だ。 絵柄がもう、思いっきりほのぼの系のアニメ絵なので、しげからは「結局“萌え”で買ってるんじゃん」とジト目で見られているが、確かにストーリーは他愛無いけれど、「こういう温泉に入りたいなあ」という気分で読んでるだけなんで、余り目くじら立てないでほしいものである。
2004年05月10日(月) いそがしいそがし。&ゴールデンウィーク映画興行成績。 2003年05月10日(土) すっ飛ばし日記/イラストな女 2002年05月10日(金) 人生は重い荷物を……。/『新映画宝庫 Vol.4 スタークラッシュ 大宇宙映画放浪編』ほか 2001年05月10日(木) 仕事復帰、半分だけだけど/『× ―ペケ―』6・7巻(新井理恵)
| 2005年05月09日(月) |
あえて取材しないという選択を取れないのは何故?/『弁護士のくず』2巻(井浦秀夫) |
平日だけれども、土曜日の休日出勤の代休で休み。 朝から夕方までは家でゴロゴロしながら日記の更新など。平日は体力使い果たして寝てしまうことも多いので、なかなか書くに書けないのである。
テレビのニュースは相変わらず兵庫県尼崎市JR福知山線の脱線事故の詳報。 平日はワイドショーを見ることがないので、どういった塩梅かと思ってチャンネルをひねり回してみるのだが、なんだかもう、ゲンナリするほどに酷い。いや、腹立ちは、事故を引き起こした責任のあるJR西日本に対するものと、テレビの過剰報道との両方に分かれるのである。 JR西日本に対しては、1991年に起きた「信楽高原鉄道事故」 (JR列車と信楽高原鉄道車両が正面衝突し、死者42名を出した事故。複線でJR列車が一時停止して信楽列車をやり過ごさなきゃならないのを、ダイヤを気にしてJR列車が単線に突っ込んでいったために起きた)の時の教訓を何一つ生かせていなかったという憤りである。関係者に緘口令を敷いた隠蔽体質、責任のなすりつけ、今回の事故と全く変化がない。 しかし、悲しみもまだ癒えない遺族に証言を強要し、それを「JRの体質をたてなおすためにはこれしか方法がない」と言い訳するみのもんたを見ていると、「デタラメこいてるんじゃねえ」と横っ面を張っ倒したくなる。“いつ、誰がテレビにそんなことをしろと頼んだ?”視聴率稼ぎが目的の連中に善人面されることくらいむかっ腹が立つことはない。 しかもこいつら、ついこないだまで「ボウリング場で宴会」がどうのと非難しまくってたくせに、「JR西日本の管内放送では、その日、死者が出たとも脱線事故だとも一切放送しなかったために、事故の規模を知らずにボウリングに参加していた可能性があります」といけしゃあしゃあと喋ってやがる。 一般のアンケートでも、今回の事故は「個人の問題ではなく、JR西日本の体質が問題」とする意見が圧倒的に多かった。その世論を受けて、マスコミはコロリと個人攻撃を止めて、システム批判に切り換えているのである。この節操のなさ、定見のなさは何だ。 人の生き死にをショー化していながら(でなきゃなんでこうもBGMにアニソンが流れまくるのだ。これが「演出」でなくてなんだと言うのだ)、こういうキレイゴトを垂れ流す行為が、逆説的に生命を軽んじる結果になっていることになぜ気づかない。みのもんたの言は、「またこんなに人が死にましたねえ。たくさん死ねば死ぬほど、取材する対象が増えてショーを続けられますねえ。もっともっと事故が起きませんかねえ」と言っているに等しい。 昼日中からテレビを見ることがあまりないので、断言はしかねるが、みのもんた、いつもあんな調子なのか? でもって、みのファンの主婦連は、アレを聞いて「もっともだ」とか頷いてるのか? あんな白々しい演出にコロリと騙されてるのか? なんだかもう、信じられない世界が真昼の日本を覆っているようである。
夕方から、ラクーンドッグさんの誘いで、基礎練習に参加。 その前に、細川嬢をしげの車に乗せてかなきゃならなかったので、いったん別の場所で待ち合わせ。ところがこれがひでえ渋滞に巻き込まれてしまって、5時前に家を出たのに、千代町の「パピヨン」に着いたのは六時過ぎ。本当なら六時前には着いているはずである。 ラクーンドッグさんとは本屋で合流、そのあと「パピオ」の練習場に向かう。 練習場自体は10時半まで予約を入れていたそうだが、私は明日からまた仕事なので、そこまで付き合っていたら体力を消耗してしまう。ただでさえ病み上がりなので、最初の基礎練習と「フルーツバスケット」まで付き合わせてもらった。 キソレンったって、もう何年もまともに体を動かしていないので、腹筋も背筋も腕立て伏せもどれ一つとして満足にいかない。まるで体が曲がらず、すぐにへたばる。細川嬢もしげも、体が動かないようなことを口にするが、中年の私に比べれば段違いによく動いている。 「フルバ」は(と略すとマンガのタイトルみたいだが)、満遍なくみんながお立ち台に(笑)。ラクーンドッグさんが、「宮崎駿の映画を見たことない人」とお題を出すが、誰も立たない。そりゃ、たいていの人が見てるだろう……と思うのだが、ドッグさんは『魔女の宅急便』も『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』、全てご覧になっていないとか。『ロード・オブ・ザ・リング』も『ハリー・ポッター』も一本も見たことがないそうで、これはこれですごいと言う気がする。でもこれじゃいつまでもオニから逃れられないのも当然である。 私が立ったときに、「SMに興味がない人」と言ったら、ドッグさんしか立たなかった。女性陣はみんな興味があるのか。ドッグさんが細川嬢に「どこまでもですか!?」と言ったら、細川嬢、「あります!」と即答。恐るべし! 本当は「フルーツバスケット」の後、読み合わせもある予定だったのだがそれはパスさせていただいて帰宅。 途中、ラーメン屋に寄って、ホルモン丼を食う。焼肉屋で食べるホルモンはたいてい生焼けか焼き過ぎかで美味くないのだが、店で出されるホルモンはどうしてちょうどよい焼き加減になっているのか、これが不思議で仕方がない。
CS日本映画専門チャンネルで西河克己監督『絶唱』(1966・日活)。 大江賢次の同名小説(河出文庫で現在でも入手可能)の、舟木一夫・和泉雅子主演による二度目の映画化。久しぶりに見返したけど、 最初の映画化は1958年、同じ日活の滝沢英輔監督作、小林旭・浅丘ルリ子主演。三度目は1975年、この二回目と同じ西河克己監督によるモモトモ(山口百恵・三浦友和)映画。 完成度という点では、三度目のものが一番だったように思うが、この二度目の映画化はオープニングで舟木一夫の主題歌が哀切込めて(つか陰気に)流れるところがポイントで、「な〜ぜ、死〜んだ〜♪ あ〜あ〜あ、小〜ゆ〜き〜♪」と、おいおい、最初からネタばらししていいのかよって苦笑してしまい、本編でも、他の二本での情熱的な小林・三浦に比べて、舟木一夫ときたら、徹頭徹尾、腺病質な演技で観客の感涙を絞るものだから、「何じゃこりゃ?」という印象だけは強いのである。 「なぜ死者との婚礼が行われたのか?」というミステリー的な興味で引くには、途中の大地主の息子と山番の娘との身分違いの恋の過程が案外スムーズに展開してしまうので、かなりダレる。クライマックスは婚礼そのものではなく、病床の小雪のもとに帰ってくる順吉が間に合うか否か、そこにかかっているが、西河監督はこのあたりを舟木・和泉版と、モモトモ版とではシチュエーションを微妙に変えている。そのあたりが見所と言えようか。 劇中で「木挽き唄」を歌うシーンがあるので、この原作は「歌手兼俳優」の若手コンビを売り出すのに重宝されていたことが分かる。歴代のコンビの中で、本作の和泉雅子だけが異質に見えるが(つか、冒険女優が何で結核で倒れる薄幸の美少女なんかやってるんだってな感じ)、それは現在の和泉雅子を見ているからそう思えるので、当時は彼女も「アイドルスター」だったのである。いや、私もギリギリその時代を知ってるからねえ。ちょっとヒイキしちゃいたくはなるのよ。少女時代の梶芽衣子が、「太田雅子」名で、恋のライバルを演じているのも要チェック。
マンガ、井浦秀夫『弁護士のくず(九頭)』2巻(小学館)。 主演・ビートたけし(笑)の弁護士マンガ、オフィス・キタノから訴えられるような様子もなく、ちゃんと続いています。主人公の九頭元人が髪を金髪にしたらさすがにクレームが来るかもしれませんが。 弁護士ものは小説にしろマンガにしろ、どうしたって「庶民の見方」的な視点でしか描かれないが、どれもこれもが『家栽の人』になっちまったらそれはそれで面白くない。ミステリーとしての興味がどんどん薄れていくからである。 依頼人を解雇した会社の上司を、恋人を若い女に取られた中年女を、父親の愛人に遺産を取られまいと遺言書を隠した家族を、夫に依存しているくせに気位だけは高くて離婚訴訟を起こした女を、九頭は口先三寸で罠にかけ、本音を引き出し“丸く(なったのかどうか)”収める。丸く治めるためには嘘八百を並べても構わない。 「金をふんだくってやりましょう」 「判決が出る前にカタをつける」 「お前はバカなんだよ! ちゃんと自覚しろ!」 「うまく騙されて気持ちよく協力してくれる人がいてさ」 「こいつバカみたいにヒトがいいから何やっても怒らねーよ」 およそマトモな弁護士の言だとは思えないが、これでも大人しいのを選んでいるのである。被告をあるいは原告である依頼人にすら、「罠」を仕掛けるような行為を、果たして弁護士がホントにやっていいのかどうか、読んでていつも気になるのだが、一応、監修に弁護士さんが付いているので、ある程度は(こっそりとは)行われていそうである。 その「罠」の部分がミステリーなんですね。いくつかの作品には「どんでん返し」も用意されていて、だからあまり細かいネタばらしはできないのだけれど、絵柄で食わず嫌いをされる向きもあるかもしれないが、これはなかなか拾い物のシリーズである。
2004年05月09日(日) クレーマーの話、続き。 2003年05月09日(金) すっ飛ばし日記/すれ違いな二人 2002年05月09日(木) 明日は誰の夢を見るかしら(^o^)/『スーパーまるでん』3巻(森下裕美)ほか 2001年05月09日(水) 病気で寝ててたいして書く事ないはずなのに(^_^;)/『死神の惑星』1・2巻(明智抄)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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