無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年05月10日(木) 仕事復帰、半分だけだけど/『× ―ペケ―』6・7巻(新井理恵)

 ふと気がついたら、この日記の投票ボタンの文句がまた変わっている。
 最初はたしかしげが「読んだら押す」にしてたんだよなあ。それを「強制的」と受け取った方がいらっしゃったので、私が「長いけど面白いと思う人はココを押してください」に変えて、そしたら今度は「押してみる?」に変えられていたのだ。
 当然、変えたのはしげだ。別に変な言葉になってるわけじゃないが、変えなきゃならない理由も解らない。
 「別にどんな文句だっていいじゃん。なんで変えたの?」
 としげに聞いたら、
「あんたが他の女の言うことを素直に聞くのが許せない」
 と来やがった。
 こんな些細なことを根に持つとはつくづく難儀な女を女房にしちまったもんだ。ジェラシーもここまで来るとかわいげがないんだがなあ。
 でもこれ以上変えると家庭争議に発展しそうなので、このまま行きます。ご不快な方もありましょうが、まあウチの家庭を守るためだと思って、ご容赦下さい(^_^;)。
 でも日記をいろんな人に読んでもらうというのはやはり面白い。トラブルもあるが、人と関わっていくものである以上、トラブルの全くないコミュニケーションというものも有り得まい。
 ただ、シャレにならない喧嘩をするつもりもこちらにはないのである。見知らぬ方の日記を読みながら、いろいろツッコミを入れたくなることも多いのだが、さて、この人とは同じ土俵に立って話ができそうかな、と判断するのはこれでなかなか難しいのだ。
 今のところ自分のお気に入りに入れている日記はほんのいくつかなのだけれど、映画関係の批評を書かれている方などは、『キネ旬』の批評よりも適切なことを書かれてたりして、読んでいて楽しい。更新が少ないのが残念だけれど。
  

 今日はさすがに仕事に行く。
 熱だけはとりあえず下がったしな。でもやはり半日もすると立っていられなくなって、早退する。というか仕事をしてても能率が上がらないというか、全く仕事になっていないのが自分でわかるのがツライのだ。
 今日やった仕事はほぼ全部明日以降やりなおさなければならないだろう。体調は戻りつつあるが、精神は自己嫌悪でボロボロだ。
 「大丈夫ですか」と同僚に声をかけてもらうたびに涙が出そうになるのをこらえる。不惑のトシだってのに、惑うことは未だ多しだなあ。

 帰宅して寝ていると、しげがまた「サボリ〜」とからかってくる。
 今日こそはこのアマ、いてこましたろう、と思って起きあがった途端に爆笑。
 しげがとても変な格好をしていたのだ。
 「なんで笑うの?」
 「変な格好だからだ」
 「どこが変なん」
 そう言ってしげはまた変な格好をする。途端にまた私の腹の皮が捻りあがる。
 「ひひひひひ、お、お、お前は俺を笑い殺す気か」
 「そこまで笑うほうが変だよ」
 「そんなこと言うとおまえがどんな変な格好してたか日記に書くぞ」
 「いいよ?」
 と許可をもらっているので、しげがどれだか変だったか、ここで書いてもいいのだが、あまりに哀れなのでやはり書かないことにする。
 読んでる人はできるだけ自分の思いつくアホな格好を思い浮かべてください。「キング・タット」の比じゃないので。

 大分調子がよくなってきたとは言え、あまり本などをじっくり読めるわけでもない。久しぶりに伊福部昭の音楽が聞きたくなって(『オトナ帝国』の影響だな)、『完全収録 伊福部昭』を適当に聞く。
 『聖なる泉』や『マハラ・モスラ』は何度聞いてもいい。
 ただ、歌詞カードがアルファベットで書いてあるのだが、耳で聞く限り、その歌詞通りには聞こえないフレーズが結構あって、未だに正確には歌えないのだ。
 第一『マハラ・モスラ』自体、歌詞には「MAHAL MOTHRA」と書いてある。これじゃ『マハル・モスラ』じゃないの。
 万博のテーマソングも伊福部さんが作曲してたんだよなあ。『オトナ帝国』の最初のシーンも音楽がウルトラマンより東宝特撮っぽかったのは、その関連もあるのかも。
 『キングコング対ゴジラ』メインタイトル、一部歌詞を覚え間違えているところがあり、口ずさみながら覚えなおす。でも考えてみると、
病人が青ざめた顔で「あ〜し〜、あなろい、あせけ〜、さもあい」とボソボソ歌ってる姿って相当怖い。
 オタクが一般的に「変なやつ」と思われちゃうのはこんな時なんだろうなあ。

 井上ひさし編集の『寅さん大全』を読み返しながら、寅さん映画について記憶違いしていたことなどを正す。
 ずっと思い出せなかった、寅さんが柴又に帰ってきた時に声をかける「おい、○○屋、相変わらずバカか?」の○○の部分、「蓬莱屋」だった。昔は忘れることってなかったのになあ。こんなこともなかなか思い出せなくなってきているのだ。
 ついでに言えば『大全』をいくら繰ってみても、
寅さんが宇宙大怪獣ギララと対決したのが第何作だったか
書いてない(もちろん夢の中でです)。井上ひさし、怪獣をないがしろにしていることがこれで判明。やはりあの男に日本文化を語らしちゃいかんな。
 ……でもホントに第何作だったっけ?


 SF作家の山本弘さんから、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』同人誌の参加受け付け承諾のメールが届く。
 オタアミ会議室で募集があって、すかさず参加メールを送ってしまったのだが、わずか二日で発行が決定したということは、相当数の参加者が集まったと見て間違いなかろう。でもシメキリが六月末と「ヒジョーにキビシーッ」。
 それにプロの方々が多数いらっしゃるだろうから、私のようなド素人が駄文を寄せるのも本当はかなり迷惑なはずだ。それを快く承知してくださったのだから、これは本当にありがたいことである。
 これで、もう一度映画を見に行く決意が固まった。書きたいことは頭の中に膨れ上がっているので、それを「読ませるもの」に整理するためにも今度は映画を見ながらきちんとメモを取ろう。おおっまるで小林信彦(別にこの人以外の評論家だってメモは取るだろうけどね)。


 で、またまた怒涛のごとくツリーが伸びているFCOMEDYのオタアミ会議室、覗いてみると、やっと議長の岡田斗司夫さんが書きこみされている。
 ところがどうしちゃったんだろう、一応誉めてはいるんだけど、「21世紀の限界」なんてことを言い出しちゃってる。
 詳しい論旨が書かれてないのに何か意見を述べるのはまずいかも知れないが、岡田さんの『未来玩具』や『失われた未来』を読む限り、万博後のあの不安と絶望の未来を経験した身としては、素直に「家族」が21世紀のキーワードになりうるということを信じられないのかもしれない。
 私も『未来』を読んで泣いた。確かに私にも「未来を信じていた」時代があったし、それがいつの間にか消えていたという喪失感を味わってきていたから、岡田さんが何を言いたいかは見当がつく気はする。
 それに岡田さんは今アレしてるから、しんちゃんは特にアレなんだろうなあ、とも思うので、本当は依頼原稿とかならともかく、オタアミ会議室には書きたくなかったんじゃないかなと思うのである。
 でも、事情はどうあれ、岡田さんが冷静さを欠いていることは間違いない。ある作品について「これがこの作家の限界だ」とか「この映画の限界は」と言い出すことはもっとも安易な批評方法だというのが常識だからである。実際にはそれは批評者自身の読み取り能力の限界を露呈することになるので、駆け出しならともかく、ベテランの評論家がこんなもの言いをしたら笑われてしまう。そんなことも解らない岡田さんだとも思えない。
 多分やっぱり今アレなんだろうなあ、と思うと、無理やり岡田さんをあのツリーに引っ張り出そうとした何人かの人に、少しは思いやりの気持ちを持てよ、と言いたくなってしまうのだ。
 書きこみしないことだって自由なんだぞ。


 マンガ、新井理恵『× ―ペケ―』6・7巻(完結)。
 しげがいつの間にか買ってるマンガ、ようやく完結。
 私はあまり面白いと思わないんだがなあ。他人を笑うギャグがストレート過ぎて捻りがないし。「女なんて恨みとねたみだけでできてる」みたいな感じで同性に対しては特に辛辣になんっちゃってるしなあ。
 だからカタルシスがあるのかなあ、しげにとっては。
 イカン、こういう書きかたするとまた誤解を招きそうだ。でもフォローのしかたも思いつかんので、とりあえずそういうことにしておこう(何をだ)。



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