無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年05月09日(水) 病気で寝ててたいして書く事ないはずなのに(^_^;)/『死神の惑星』1・2巻(明智抄)

 風邪引きさん三日目。
 熱はどうやら下がったようだが、腰が立たない。三歩歩くと眩暈で倒れそうになる。
 台湾に生息する「百歩蛇」という蛇に噛まれると、百歩歩かないうちに死ぬというが、それで九十九歩まで歩いてあと一歩のところで立ち止まってガマンしてるってギャグ、誰が書いてたっけなあ。
 というか「百歩蛇」なんて知識、私ゃどこから仕入れたんだ。川原泉のマンガからだったような気もするが、「川口浩探検隊」だったかもしれないし、どうにも思い出せん。
 ……なんか未だに熱に浮かされてるような文章だが、これを書いてる時点では、もう風邪はほぼ治っているのである。普段から熱に浮かされてるようなやつなのだな、私は(^_^;)。

 というわけで今日も仕事には出かけられず。
 しげは「またサボリ?」と人の心が思い切り傷つくような言葉を言ってのけてくれる。あいつはな〜、私がな〜、なに言われたって傷つかない鉄面皮野郎だと思ってるんだよな〜。休みたくって休んでるわけじゃないのにな〜、身内からそんなこと言われたら切なくて悲しくてし方がないのにそれもわからんよ〜なやつなんだよな〜。
 こいつのこのセリフを聞くたびに、私は自分の心が太平洋のように広くなったなあ、ということを実感するのである。
 ……十年前だったらしげの野郎、ぼてくりこかしてるよな。もっとも、そうしなくなったのは、10年間で私のほうの体力が衰えちゃったせいなのかもしれんが。

 一日寝てりゃ治るだろうとタカを括っていたのが間違いだったのだろうと、医者に行こうと思うが、腰が立たないのでは自転車にも乗れない。
 「しげ〜、タクシー呼んでくれない?」
 「なんで!? K病院でしょ!?」
 歩いても7、8分しかかからないところにあるのだから、しげの不満は一応わかりはする。でも、そんなこたぁ、こっちだってわかっちゃいることなんだがなあ。
 ともかく喧嘩する元気もないので、ムリヤリタクシーを呼んでもらって医者に行く。
 「付き添いはしないよ。退屈だから。その間、買い物してるから終わったらケータイに電話入れな。タクシー呼んでやるから」
 優しいんだか冷たいんだかわからん(ーー;)。
 ともかく逆らう元気もないのでしげの言うとおりにする。
 それにしても私が病気してるときって、どうしてしげはああも生き生きとしてるのだろう。
 なんだかジェリーをいたぶる時のトムのようだ。
 ……いや、確かに似てるぞ。眉を吊り上げ目を輝かせて舌なめずりしてる顔なんかそっくりだ。
 ……誰かブルさん呼んでくれ(T_T)。

 注射一本打ってもらって、薬ももらって飲んで、後は横になってりゃいいだけなんだけれども、やっぱり一、二時間も寝てたら、退屈してくる。
 寝てたら咳も比較的小康状態になるので、動いてもいいような気になるのがまあ錯覚なんだけれども、そうやって体調を悪化させてしまうのは、しげと同じ程度の脳みそしか私が持っていないという証拠である。
 まあしげの脳みそは溶けててドロドロで、私のは風が吹きっさらしていて、塵になって舞ってるくらいの違いはあるだろうが。
 ……大して変わらん。


 で、今日もしげの寝てる隙にパソコンの前に座って、『クレしん』の評判などをあちこち覗く。
 あまり健全な精神の持ち主は見るものではない巨大掲示板、2ちゃんねる、ここしばらくほとんど覗いていなかったのだが、さてどんな悪口雑言が書き込まれているのやら、と覗いてみた。
 ……意外や意外、絶賛の嵐である。
 映画板、アニメ板、ともに、割合的には賛9、否1くらいの割合。
 その否のほうだって、まともに映画を見たとは思えない煽りや荒らしがほとんど、ほぼ貶している人間がいないに等しい。
 夏目房之介さんが以前書きこみをされてた頃に、荒らしの書きこみが極端に減ったことがあったが、やはり「ホンモノ」の持つ力は強いのだなあ、と気分が心地よくなってくる。
 ただ、中にはやはり「そんなに傑作?」という疑問の意見もある。
 泣かないどころか白けちゃった、という感想で、理由は「なつかしさ」を喚起するためのガジェットが表面的ななぞりに過ぎない、ケンとチャコの行動原理が分らない、などの不満によるもののようだ。
 しかしこれは個人の感受性の差によるものなので、映画自体の欠陥というわけにはいかない。誤解を招かないようにもう一言付け加えておくと、感動できないのは受け手の感受性が劣っているというわけではなく(劣ってる人もいるけど)、人によって感激のツボが違う、ということであるのだ。

 しげを引き合いに出すと、やたら怒られちゃうのだが、しげが『オトナ帝国』を見て泣かなかったのは、あいつが人非人だからではなく(人非人でないとも言わんが)、過去に郷愁を感じるにはまだまだ若い、ということである。別に悪いことでもなんでもないのだ。
 しげはあくまで自分のことを「もうオトナだよ!」と主張するかもしれんが、いっぺんあいつと直に会話した後であれを「オトナだ」と実感する者はそうそうおるまい(^^)。
 こんなことを言うと恥ずかしくなっちゃうのだが、あの映画は「守るべきもの」を持っている人間にとっては心にズシンと来る映画である。日頃、能天気なしげの顔を見てると、「こいつをいざってときには守ってやらなきゃならんのか」という気になることもあるが、あの映画を見た後だと、「こいつを守ってきてよかった」と思うし、「これからも守って行こう」という気にさせられるのである。まあ気持ちだけだけどね。

 他のサイトも軒並み好評、唯一、朝日新聞の「アニマゲドン」だけが「後半シリアスでしんちゃんらしくない」と見当ハズれの批評をしているだけであった。ラストでケンとチャコの自殺を食い止めたのは、しんちゃんのおバカであるのにねえ。

 マンガ、明智抄『死神の惑星』1、2巻読む。
 頭がぽ〜っとした状態のまま読んでるので、設定がよくわからないのだが、未来の、宇宙の話らしい(^_^;)。
 『サンプル・キティ』を読んだときにも思ったが、明智さんはマキャベリスティックな女性を描かせると抜群にうまい。対する男はたいていマザコン(^^)。
 しかも必ずと言っていいほど明智さんはキャラクターの「過去」を掘り下げて描くが、これがただの回想シーンに堕することなく(『ONE PIECE』と比べるとその差は一目瞭然)、世界と人間との関わりについての深い洞察があることがよくわかる。
 鈴木エリザベートのキャラクター造形は特に出色。生きられるはずのなかった子供、生まれて十数年を培養槽の中で過ごし、知能自体は成長していても、全く人の感情に触れることもなければ、社会の「ルール」を知ることもなく、現実を知覚せざるを得なくなった少女。
 自然と彼女の模索する「生きるための方法」は、人間の感情も含めて「データ化」することに費やされた。喜怒哀楽ですら、彼女にとっては脳によってシミュレートされた思考パターンに過ぎない。でもそれゆえに人間の心がいかに欺瞞に満ちているかを、明智さんは鈴木エリザベートが政治家へと歩んでいく軌跡を辿りながら読者に提示していくのである。
 ……しげが明智さんにハマるのもわかる気がする。しげ自身、この鈴木エリザベートみたいな「感情をシミュレーションしないと生活できない」やつだからだ。もちっと社会のルールを覚えなさい。



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