琴 星 商 事 日 乗
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2004年11月24日(水)
  TOKYOデイト <画像あり>

 広報部長を伴い、芝−赤坂界隈をうろうろしてきました。東京タワーを見上げ、愛宕グリーンヒルズでサラリーマンやOLに囲まれつつお昼を食べ、しろたえでお茶をし、赤坂プリンスのクリスマスイルミネーションまで見てしまいました。
 でも相手は広報部長。しかもメインはやっぱり寺社巡りだったという罠。愛宕山にエレベーターが出来、日枝神社にエスカレーターが出来てて驚きました。

東京タワーレアチーズとタルト・オ・フレーズクリスマスイルミネーション



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・過去の「今日」。

2002年11月24日(日) 天国のドアを叩く。
2001年11月24日(土) 目指せクラシック

2004年11月20日(土)
  声のmagic <画像あり>

 高校の後輩・御明さんと、横浜能楽堂の企画公演を観に行きました。東横線が横浜止まりになってから桜木町まで行くのは初めて(ちょっと腑に落ちない)。
 公演のタイトルは「無伴奏・声の饗宴」。タイ・韓国・日本の「声」の古典芸能が一同に会する公演なのですが、メインは、第一部と第二部に跨って行われる、日本の「声明」。私たちは第一部を観に行ったんですが、他の演目(タイ・韓国、それに日本の小唄と連吟)が全部合わせて1時間程度だったのに、第一部の分の声明だけで2時間弱。まるで他が前座の扱いです。事実、私たちも声明が観たくて行ったのですが・・・。

 さて「声明」。今回は高野山声明の会による「大曼荼羅供」の公演でした。声明というのは、一言で言えば「仏教の伝統的儀式声楽」だそうで(パンフより)。

 タイ・韓国、小唄・連吟の公演も素晴らしいものでした。マイクなんか無しで響き渡る肉声。韓国の宮中歌曲を歌った女性の声なんか、本当に素敵で、何歌ってんのかなんて全く判らないけれど、音だけでほれぼれするものでした。連吟には立ち上がるのに軽くヘルプがいるようなお爺さん(人間国宝)が物凄い朗々とした声を響かせたり。人間の声ってすごいなー、と本当に思えます。

 そして10分の休憩を挟み、声明。会場の照明が落ちたと思ったら、何もなかった舞台上に幕口から赤い毛氈を持った僧侶4名が出てきて、これから行われる「法会」の「道場」作りを始めました。「・・・休憩中にやったんじゃ駄目だったのか?」なんて思ったんですが、いやいやこれがどうして、僧侶の動きが恐ろしく洗練されてるんですよ。ひとつの道具を持ってきて、それを設え終わるたびに奥へ引っ込み、と大層効率の悪いやり方で法具を並べたりしているんですが、そこは効率の善し悪しなんかじゃなく、様式美が全て。共に出てきた2人の僧侶の動きがぴたりと合うように。そして角を曲がる時は直角。これも含めての公演か! ってカンジです。
 最後に蝋燭に火を灯し、それと共に会場照明も少し明るくなりました。準備の僧侶が幕口から奥へ引っ込むと、いよいよです。

 鐃か何か(銅鑼系)の音が鳴り響く中、僧剛襟に七条袈裟(金襴且つ横皮・華鬘結びの修多羅付き)の坊さんズがずらずらと! その数総勢16名(多分)! こんな多くの七条袈裟を一度に見たのは初めてです。どひゃー! そして鬱多羅僧(七条袈裟のこと)×16が橋懸りの左右に並んだところで、緋色の衣の導師様(大阿闍梨)が登場。後ろからは大傘が差し掛けられます。妙鉢(シンバルみたいの)、法螺貝、そして讃(声明)。ここでは一人の僧侶が歌うのですが、その声の素晴らしいこと。サイレンのような「ウゥウーーー」という大音声で始まったと思ったら、音が「アーーー」とかに変化し、最後は「オーー・・・」とも「ウーー・・・」ともつかない綺麗な高音(女性もびっくり)で聴かせてくれます。凄い声。この「庭讃(ていさん)」が済んだところで導師様入場。続いて16名の職衆(しきしゅ)も一列に並んで入場。道場に入る前から坊さんワールド大爆発。隣の御明さんの血圧が心配ですが、私は私で法衣に釘付け。だって寺に行ったって、こんな立派な法衣着た坊さんはそうそうお目にかかれないッスよ。

 導師様を中心に、その左右にはオレンジ×緑の袈裟の職衆、背後にはオレンジの袈裟の職衆が座し、「反音(へんのん)」が始まります。「表白(ひょうはく)」「仏名(ぶつみょう)」「教化(きょうけ)」と大曼荼羅供は続いていきますが、何処で区切られるのかは観ていても微妙に判らず。散華ウラオモテ(戦利品)唯一判別出来るのが、オレンジ×緑が立ち上がり、蓮の花弁を象った紙片(写真参照)を撒くという作法が伴う「散華(さんげ)」。この紙片は能楽堂に入る時、パンフ配りの隣にお坊さんが立っていて、1人1枚下さいました。でも「散華」では撒き放題。一度に撒く量が結構凄いです。一体何枚ほど用意するものなのか訊いてみたい。
 続く「対揚(たいよう)」からは、多分「声明」としてかなり盛り上がる部分。「唱礼(しょうれい)」「勧請(かんじょう)」「五大願(ごだいがん)」と続き、第一部は終了。そして散華の紙片を拾いに走る我等。拾いに拾ったり11枚。最初に頂いたのと合わせて計12枚。それをどうする気だ自分。
 目眩く真言宗ワールド。絢爛豪華な法衣だけでも十二分に楽しめました。いえ、声明以外の公演も含め、小唄と連吟以外はさっぱり何言ってるのか判らないのですが、それでも、こう、引き込まれるものがあるんです。声明以外は特に宗教音楽という訳じゃないんですが、いやいや、声には「チカラ」があります。文化人類学では「文化を共有しない者には呪術は通じない」みたいなことを言います。実際そうなんでしょう。そして恐らく、言葉が通じなければ呪文の効果も本来はないんだと思います。でも声の持つ雰囲気ってありますよね。ああいう声には、言語を超越したチカラがある気がします。

 会場を後にし、すぐ傍の伊勢山皇大神宮と成田山横浜別院へ参拝。それから桜木町から京浜東北線で鶴見へ向かい、総持寺へ。着いた感想。「有り得ないくらいデカイ」。うっかり山門からではなく裏の方から入ってしまったんですが、宿泊施設や多目的ホールなんかを備えた三松閣に大祖堂、仏殿、そして敷地(ここは曲がりなりにも鶴見駅前)、全てがデカイの。三松閣の屋根なんか、まるで武道館(笑)。大名刹とはよく言ったものです。
 そして坊主を見かけるたびに顔が恋する乙女になる御明さん。見てて面白いです。
 ここでも御朱印を頂きましたが、すぐ前の売店(数珠とか線香とか教本とかに加え、瓦煎餅とかも売ってた)で待つように言われ、しばらくしてから若い僧侶が朱印帳をお盆に乗せて持ってきて下さいました。その若い僧侶に
「集めてらっしゃるんですか? 渋いですね
とか言われた私たちってどうですか? 渋いですかそうですか。

 声明、大変良いものを観させて頂きました。出来ることなら一部二部通しで観たかったですが、如何せん料金が(二部セットで7,000円て)。いつか本物の堂内で繰り広げられる声明を観てみたいです。

伊勢山皇大神宮総持寺仏殿(デカイのよ)
左が伊勢山皇大神宮、右が総持寺仏殿。
やっぱり写真じゃ大きさ伝わらないなぁ。<仏殿



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・過去の「今日」。

2003年11月20日(木) 自傷
2001年11月20日(火) 天才は生まれつくもの。

2004年11月15日(月)
  ID

 自己のIDなんてものは、とかく曖昧なものだ。それを痛感したのは、大学院を修了し、公的な身分というものを完全に失ったときだった。

 それまで私は、義務教育を経て高校・大学・大学院と(運良く)空白期間を置かずに進学してきた。学生の身分にある間は、私が何処の誰であるかという証明は、写真入りの学生証で全て事足りたのだ。それが大学院を修了すると共に、もっと正確に言うと、学位授与式の直前に学生証を返納した時に、私は保険証(しかも扶養者)とアマチュア無線の免許証しか身分証はなくなった。無線免許は一応国家資格で、パスポート取得の際の本人確認なんかにも使用出来る。だが、現住所は記載されず、記載事項に変更がなければ一生更新不要な免許(顔写真も取得時のまま)なので、一般的な身分証明にはまず使用出来ない。その後もずっとフリーターだったから、去年の2月に原付免許を取るまで、急な身分証明には全く対応出来なかった(保険証のコピーは万が一の為に持ち歩いていたけれど)。
 原付免許を取って、身分証明に困ることはなくなった。今後もきちんと更新していけば、氏名・生年月日・住所・本籍まで顔写真付きで証明してくれる(何しろ乗らないのだから免停も免取も有り得ない)。今年になってパスポートも取得したし、もう身分証明に困ることは取り敢えずない筈だ。

 しかし、IDなんてものは、とかく曖昧なのである。

 「私」が「私」であることを最も端的に示すものが、氏名であろう。特に、生まれた家の持つ姓が(祖父が沖縄出身であるが為に)余り多くはないものだったため、同姓の方に直接お会いしたことがない私は、「氏名」という記号に対する拘りが人一倍強いのだと思う(ちなみに名前も珍しくはないが、同級生に同名さんがいたことがない程度に多くもない)。幼稚園から大学院を通じて、教職員までひっくるめて同姓さんがいたことは、我が妹を除き、一度もない。病院や役所など、名前を呼ばれるような場所で同姓さんに出会したこともない。「松本さん」(※勿論本名は松本じゃないけど)と呼ばれれば、それは間違いなく自分に向けられた呼びかけだと確信出来た。それが当たり前だった。

 が、婚姻という手続を経たことにより、私の公的な姓は変化した。原付免許は記載事項の訂正を行い、無線免許は再発行。保険証も父の扶養から夫の扶養に移り、公的な場では旧姓を用いることはもう出来ない。
 それだけではない。
 今まで私が取得してきた学歴や資格。今後、何かの折にそれらを証明しなくてはならなくなった時、現在の「夫の姓に変わった私」と学歴・資格を取得した「旧姓の私」が同一人物であることを、戸籍抄本などで証明しなければならないのだ。当の「私」が「私」であることを証明するのに、金を払って役所の証明書を取らねばならない。何て馬鹿馬鹿しい行為だろう。あんな紙切れで証明されるものが、本人である私がいくら語っても証明にはならないなんて。事情は判る。理屈も判る。只、虚しい。私が私である証明が私に出来ないことが、只ひたすら虚しいのだ。

 私自身、姓が変わったなんて思っていない。夫の姓になりたいなんて思ったことはないし、今後も絶対に思わないと確信している。夫婦別姓が法的に認められれば、たとえその手続を取る為に一度離婚が必要になるとしても、私は手続きを取るだろう。何故なら、夫の姓である自分には、自分自身がアイデンティティを感じないからだ。そんな「私」は「私」ではない。そんな人間は当に「紙の上にしか存在しない」のだ。結婚後に知り合って交流を結んだ人などいないし、私は結婚後も公的な場(役所や医療機関など)以外では旧姓を通している。私を夫の姓で認識している人は恐らく夫の家族や親戚だけで、それらの人は姓よりは名前、もしくは●●くんの妻という記号でしか私を識別していない筈だ。
 更に言えば、夫の姓の「私」、即ち戸籍上証明される「私」なんかよりも、松本佳月という「私」を知る人間の方がまだ多い筈だ。他にいくつか使っているHNも然り。どれも同じ「私」という一人の人間を表しているのに、それらを同一人物であると証明するのは、並大抵のことではない。

 IDなんて斯くも曖昧なものなのだ。
 しかし私は、夫の姓である「私」を固辞し、旧姓の「私」に固執している。それが自分のアイデンティティであり、ルーツだと思うからだ。
 にも関わらず、私のアイデンティティとIDを結びつけるのは、現在、非常に面倒な手続きが必要である。唐突に私が私であることの証明を求められても、免許証を提示すれば済むような簡単なことではない。

 貴方の中の私は誰ですか? それは本当に私ですか? 本当の私ですか? ――― 「私」って、誰ですか?
 「私」と対する「貴方」の数だけ、「私」はいるでしょう。
 でも私はいつだって、自分の思う「私」でありたいと思っているのだ。そして、旧姓の私が「根幹の私」であり、HNの私は「私が作り出した私」。夫の姓の私は「私が意図しない私」だということ。

 現実とアイデンティティの不一致は、とても宙ぶらりんで、精神衛生上宜しくありません。「私」なんて、ホントは何処にもいないのかもしれないね。そんなことを考えてしまうから。


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・過去の「今日」。

2002年11月15日(金) 古書のにおい

2004年11月11日(木)
  只今実験中

 11月も半ばに水のみで洗髪すると風邪をひくか?

 何故こんなことになったか。答えは簡単です。
 風呂が壊れました。正確に言うと、湯沸かし器のどっかが逝かれちゃったので、家中の蛇口からお湯が出ません。勿論、銭湯へ行く等の手段は考えられますが、外は雨です。面倒です。風呂上がりに雨の中歩いて帰宅すれば、結局身体は冷えるでしょう。なら頭だけ水で洗ったって同じじゃん?

 つーワケで、雨の中外出するのが嫌だったので、水で洗髪してみました。頭だけだと意外に冷たくないモンです。真冬だったら有り得ないでしょうが、今は顔だってフツーに水で洗ってるんだもんね。流石に水浴びする気にはなりませんが(心臓止まりそう)、頭くらいなら問題ないっぽいです。

 実験結果は明日以降には出るものと思われます。


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・過去の「今日」。

2002年11月11日(月) 警察泣かせ
2001年11月11日(日) 防寒対策

2004年11月09日(火)
  崇拝より怠惰ください。

 精神的廃人モード驀進中です。タイトルは「廃人」で頭に浮かんだ最初の言葉。これからして廃人だよ自分。頭の中で遠藤遼一が歌い踊りますわ。

 とにかく吐き出させて下さい。

 PMSが昔から酷い。身体的な痛み・辛さは、鎮痛剤を飲んで蹲り、ひたすら耐えるのみだが、精神的なものは自分自身すら持て余す。全てのことが嫌になり、全てのことが煩わしくなり、全てのことにイライラする。他人と接するのがとにかく嫌で、3日ほど携帯の電源も切り(また充電もせず)、PCのメールも読まず、両親以外と言葉は交わしていない。携帯のメール(とBBS)には短くレスをしたけど、PCの方は未だに切断したまま。特定の誰かに宛てて言葉を吐き出すには、今の精神状態は剥き身の刃みたいなもので、危険すぎる。自分でもそう思う。自分でも止められないほどに感情が迸れば、きっと送信した後で恐ろしく後悔して自己嫌悪に陥り、より一層悪循環を招くこと請け合い。そして、相手をも傷つけるのだ。判っている。だから失礼を承知で、全て音信不通。

 こんな時には無人島に行きたい。大声でどれだけ叫んでも泣き喚いても、誰にも迷惑にならない所。そして死にたくなるほど憂鬱になったら、いつでも死ねる所。その時にはきっと、生きる為の薬が死ぬ為の薬になるんだ。1コずつしか飲めないけれど。

 そんなことを考えるくらい廃人しています。明日くらいには復活予定。遅くとも明後日には。金曜には友達に会う予定もあるしな。甘い物が食べたい。

 そういう訳で、後生ですから音信不通でもしばらく放っておいて下さい。


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・過去の「今日」。

2003年11月09日(日) 狂気の唄
2002年11月09日(土) 見るからに・・・

2004年11月04日(木)
  男ともだち

 男女間に友情は成立するか否か?

 多くの人がその人なりの答えを持っていて、相反する答えもまた多いのだと思う。ちなみに私は、すると思う派。現実に、今のところ私には多くの男ともだちがいる。結婚前から(というかダンナと出会う前から)友達で、私に彼氏がいようといまいと、相手に彼女がいようといまいと、ましてや結婚してようとしてなかろうと、子供がいようといなかろうと、別に変わらない、「ただの」ともだちである関係。

 今日はそんな男ともだちの一人と、ランチを共にしてきた。彼は友達というよりは幼なじみに分類されるのかもしれないが(幼稚園が同じなのです)、途中のブランクが長いので、お互い、幼かりし頃の記憶は余りない。故に他の友人達と特に大差ない付き合いだ。

「女とあれば見境なく恋愛対象とするような男は、女友達なんて出来ないんちゃう?」
 小中学校時代を大阪で過ごした彼はそう言った。
「少なくとも俺は、俺とお前との間で恋愛なんつーモンが成り立つとは思えへんし」
 そしてそう続ける。いや、尤もだ。
「だから、男女間の友情も場合によっては成立する。うん」
 確認するように自ら「うん」と言った彼に、私も「うん」と応え、
「『異性として意識する』のと『恋愛対象として意識する』のは、微妙に違うよね」
 と続けた。
「男か女かとか以前に、大事なのは人としてどうか、だし」
 そう返事をくれた彼は、昔に比べて人として成長したなぁ、と思う。うん。

 別れ際、彼はこう言った。
「俺とお前が付き合ったとしても、似た者同士じゃ長続きしねえよ、どーせ」
 長く友人関係にあっても、全く甘い方向には進まなかった関係。それは、お互いが相手の内に「もう一人の自分」を見ていたからだ。同じ幼稚園で共に過ごしたからなのか何なのか、彼と私は思考の方向性が似ている。一緒にいてお互いを邪魔に思うことは少ないかも知れないが、きっと刺激も少ないだろう。共感や馴れ合いはあるが、発展性は見ない。恋人同士で馴れ合うような関係は、少なくとも私は御免だし、多分彼もそうだった。

 男女間でこういう関係があったって、別に不思議なことじゃない、と、私は思っている。ましてや、人妻が男友達と二人で会ったって、別にやましいことじゃない、と私は思う。だって何にもやましいことないもの。

 王子、ランチごちそうさまでした(笑)。


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・過去の「今日」。


2004年11月03日(水)
  信濃路・秋 <画像あり>

 日帰りで諏訪まで行ってきました。勿論、目的は諏訪大社参拝。諏訪信仰は自分の専門にかなり直球なんですが、扱っていたのが御当地での信仰ではなく余所での信仰だったので、諏訪に来るのは人生で僅か3度目。その3度とも諏訪大社には訪れていますが、全4社廻るのは今回が初めてです。
 諏訪大社。信濃国一宮。その社は、上社の前宮・本宮、下社の春宮・秋宮の4社に分かれています。狩猟神・風神・水神など多用な性格を併せ持つ神ですが、古い祭祀はかなり失われてしまっています。まあそんなことはともかく、まずは下社秋宮へ。
 下社の神様は、この時期、秋宮におられます。その所為だと思うんですが、境内は七五三の家族連れでいっぱい。着物の子、袴の子、ブレザーの子、ワンピースの子。お母さんは比較的ピンクの訪問着が多かったような。大人は我が子・我が孫の晴れ舞台と息巻いてるんでしょうが、当の子供は疲れちゃうんですよね、このイベント。しかし、こんなに人がいる諏訪大社は初めて来たよ。この時期の大きな神社は何処もそうなんでしょうけど。
 続いて春宮へ。こちらは現在、神様がお留守(2月〜7月にはおられます)。参拝客も少なく、良い雰囲気の杜でした。空気がピンと張っているのは、秋の所為か神気の所為か将亦フィトンチットの成せる技か。

下社春宮霧じゃなくて煙なんだけど(^^;)小宮の御柱(本宮近くにて)

 下社を後にし、上社本宮へ向かいます。上社本宮は何しろ「本宮」。諏訪大社の中心です。こちらも秋宮に負けず劣らず凄い人出。垣や回廊を廻らせた境内をぐるりと周りましたが、人が多いのは中心となる拝殿(諏訪社に本殿はありません)附近だけで、奥の方はいつも通りの光景。一之柱の周辺には人集りでしたが、奥にある二之柱には誰もいませんでした。三之柱・四之柱は山の中。見て見れなくはない筈ですが、私も見に行ったことはありません。
 ついでに近くを散策し、「小宮の御柱」を見てきました。今年は申年、御柱祭の年に当たり、9〜10月にかけて、屋敷神のような小さなお社のミニ御柱も新しい物に替えられます。ムラの鎮守や庚申塚にも小振りの御柱が立っているのが、諏訪という地域です。ちなみに、ミニ御柱を立てる時も御柱祭を執り行うようです。勿論、ミニ御柱祭。諏訪出身の友人は、子供の頃、柱に乗ったらしいです。ミニ里曳き。
 最後に上社前宮。ここが諏訪信仰発祥の地らしいです。元は大祝(諏訪の生き神さま)の住まいである神殿(ごうどの)や関連する建物が軒を並べていたらしいのですが、現在は祭祀に必要な建物しか残っていません。杖突街道に面した鳥居から坂道を上り、やがて到底旧官幣大社とは思えない、さながら「鎮守の杜」のようなお社が現れます。傍らには豊富な水量の小川が流れ、森を背負い、高台の広場に建つお社。これが信濃国一宮。全国1万の諏訪社総本宮。

上社前宮の二之柱空も青いし前宮参道にて(鳥居と紅葉)

 諏訪社の参拝を終え、折角の信濃路ですから、昼にはお蕎麦を食したいと思います。諏訪出身の友人に「美味しい蕎麦屋知らない?」とメールして、ビーナスライン沿いのお蕎麦屋さんを教えてもらいました。同級生が店長なんだってさ。「じゃあツケが利くね」と言ったら「ツケっておまえわ(笑)!」と怒られたので、ツケはやめましたw 結構混んでて、上社前宮二之柱かなんかの「めどてこ」がありました。「めどてこ」は木落としの時に御柱の先に付いてて、人がいっぱい乗ってる棒ね。2本、ツノみたいに付いてるヤツ。つまり、上の写真の御柱に付いてた「めどてこ」です。ちなみに下社には「めどてこ」がないそうですが、理由は判らないとか。
 それからその友人の実家が経営するお土産物屋さんへ行きました。店内を物色してたら、その間に友人がお父上に連絡したらしく、お父上が出てきてちょっとだけまけて下さいました(笑)。
 場所は、国宝「縄文のビーナス」(※土偶)発掘地点の近くだそうです。友人はその発掘地点のすぐ傍を毎日のように通っていたらしく、掘らなかったことを大層後悔しておりました。

 さて、次に行く場所をあれこれ検討し、上諏訪の唐沢阿弥陀寺に決定。選んだ理由は場所だけで、どんなお寺か全く知らなかったのだけど、着いてびっくり。紅葉の名所です。まさに今が盛り。赤と黄色のグラデーションに、常緑樹の緑、岩(霧ヶ峰の溶岩流だって)。駐車場前の嶽門(たけもん)から本堂まで続く急坂は色の洪水です。建築物は約10年前の火災によって全て焼失したらしく、古そうな本堂は善光寺大本願の旧本誓殿(本堂)を移築したものだそうです。これも明治後期の建築で、菊の御紋が付いてることくらいしか見るものがない気がしますが、紅葉だけでお釣りが来ます。あと、鐘楼の鐘は自由に撞けます。久々に撞いてみました(笑)。
 庫裡の前からは諏訪湖も見えました。でも個人的には、諏訪湖を見るなら深緑の季節がいいかな、と。紅葉に遠景は似合わない気がする。

植物は逆光っていいよね御加持水(冷たいの)鐘楼
全て阿弥陀寺にて。紅葉まっさかり。

 帰りは渋滞に巻き込まれつつ、帰京しました。これだけ秋を満喫したのは久しぶり。こんなにも紅葉が狩れるとは思ってませんでした。御陰様で画像が重たいです(スミマセン)。


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・過去の「今日」。


2004年11月02日(火)
  浅草−上野漂流 <画像あり>

 (私にしては)早い時間に目が醒め、天気もまあまあだったので、浅草・上野界隈へ行ってきました。今日は一の酉。鷲神社は酉の市です。11月2日に酉の市とは今年は早いなぁと冬の訪れなんかも感じつつ(多分、一番遅い場合は一の酉は11月12日ではないかと)、銀座線に乗って一路浅草へ。11時過ぎに着きました。
 浅草と言えば雷門。東京で27年も育った私ですから、ここには何度も来ています。でもここに来ないと浅草に来た気がしないのもまた事実。御朱印も受けてないし、浅草寺・浅草神社に参拝します。しかしながら、浅草寺って私の最も嫌いなお寺のひとつです(爆)。御神籤で凶引いたことはないけどね(スゴイ多いんですよ、ココ)。
 言問通りへ出て東へ向かい、橋の手前で北上。待乳山聖天へ向かいます。聖天様は階段の上です。と、上から僧侶の一団がΣ( ̄□ ̄;) 明らかに導師様な僧侶を先頭に、カラフルな衣を身に纏った僧侶が、総勢7名。みみみ御明さんッ(やや動揺)。残念ながら一歩遅かった為、何をしていたのかは判りませんが、衣からして何らかの法会を営んでおられたことは間違いないでしょう。ッち。浅草寺なんか寄り道してるから・・・(−−
 本堂の中にはまだ法会に参列していたと思われる参拝客がおられたので、外から参拝を済ませて、階段の下にあった寺務所へ伺いました。そしたら御朱印は本堂の中だってさ┐('〜`;)┌ また階段上るのかよ。本堂へ入ると、授与所の人が丁度本堂の内陣の方へ行ってしまった所。どうやら法会の後片付けをせっせとしている模様です。うーむ護摩供でもしてたか? さてどうしたものか、とやや思案していると、さっきの一団のお一人と思しき緑の衣の僧侶がやって来ました。ラッキィイ! 声を掛けて頂いたので、御朱印お願いしました。何か、いかにも事務ですって感じの作務衣のおっさん(有髪)の人に書いてもらうより、ちゃんとしたお坊さん(しかも衣が豪華!)に書いて頂く方が、有り難み増すよね(笑)。つーワケで無事御朱印ゲット。座って御朱印待ってる間、3人くらいのお坊さんや事務の方に声を掛けて頂きました。親切なお寺かも。

 どうしようか考えながら取り敢えず浅草寺へ戻り、本堂前を通り抜けて淡嶋堂へ。猫ちゃんがお相手してくれました。プリチーv
 そのまま境内を抜け、花やしきの前を通り、ひさご通りのアーケードを通って、鷲神社方面へ。言問通りと国際通りの交差点付近から出店も並んでいます。近付けば近付くほど人出も増加。こんな人出の中参拝するのは、初詣と祭りの時だけですね。まあ一の酉の昼間なので、これでも大したことないんでしょうけど・・・。
 様々な食べ物の匂いの中、鷲神社へ。ここが酉の市発祥の地(らしい)。テレビで良く見る売買成立の三本締めも生で見ました。お年寄りが多いですが、中には明らかに商売人の番頭&若女将みたいな二人連れとかもお参りしてました。でも何より気になったのは、絶対バイトで奉仕してると思われる、多数の女子中高生と思しき巫女たち。学校はよ? 取り敢えず酉の市限定の熊手御守(\700-)受けてきました。記念。
 お隣の「酉ノ寺」長國寺にもお参りし、酉の市の雰囲気を堪能。ついでに飛不動と吉原神社にも参拝。時間があまりにも早い(まだ1時前)ので、色街吉原も静かでした。よし、次は上野だ。

雷門待乳山聖天にて。階段下る坊さんズ淡嶋堂の猫っち(眩しいらしい)おとりさん

 言問通りをずーっと西へ。途中、入谷の鬼子母神にもお参りし(鬼子母神様に「子供が出来ませんように」と願掛けしたのは私です)、寛永寺へ。
 東叡山寛永寺。往時は上野公園一帯ぜーんぶ境内くらいのイキオイだったでしょうに、付設の幼稚園の親子以外、殆ど人気もありません。根本中堂も扉は閉じられてるし、観光地とか観光地じゃないとか以前に、寺としてもどうか。御守とか授与してる気配もないので、寺務所へ行って御朱印頂きました。
 続いて上野東照宮の(日光ほどではないけど)金ピカな建物を拝観し、五條天神社と花園稲荷に詣で(穴稲荷は好き)、不忍池の中にある弁天堂で新しい朱印帳を求め、向かいの清水観音堂でまたしても子育観音だっつーのに「子供が出来ませんように」と願掛けし、上野公園を縦断して上野輪王寺を参拝して今日はお終い。ちなみに、清水観音堂も輪王寺も、全部東叡山。不忍池弁天堂も「不忍池」は山号たり得ないから、山号はやっぱり東叡山なんでしょうね。でも何処も寛永寺より栄えてる(爆)。輪王寺は明日、大般若転読・護摩供だそうです。

 上野の写真が1枚もないのは何でだろう?

 余談ですが、帰宅してから御朱印帳を再確認(?)し、浅草寺で頂いた際に挟まれた紙(大体ただの半紙が多いですが、中には縁起を認めた紙とかの場合もあります)に、『「ご朱印」について』書かれていました。曰く、
「この頃、神社仏閣に参拝され、「ご朱印」を受ける方が大変多くなっております。これを「ご納経」とも言いますが、これは本来、お経を自分で書写して「お納め」することに始まっているものなのです。ですから昔は納経帳の右肩の所に「奉納大乗経典」と書かれておりました。現在は「奉拝」という文字となっております。〈中略〉このような視点から申しますと、お経も書写せず、なかにはお堂に入ってお参りもせず、只ご朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになるのです。全く残念なことであります。ですから少なくとも「般若心経」一巻ぐらいは書写なさるかご宝前で読誦なさるかして、それから「ご朱印」をお受けになるように願いたいものです。」
 じゃあ御朱印授ける前に言え。
 言ってることは間違ってません。全くの正論です。でもね、完全に観光地化されて、誰を呼ばなくても拝観料を取らなくても単立の宗派でも十二分に経営の成り立つ浅草寺だからそんなことが言えるワケで。逆を言えば、そういう浅草寺だからこそ、そんな不満も出るワケで(信仰心のカケラもない人が大勢来るワケですから)。地方の山の中にぽつんとあるお寺なんて、参拝客が来て「御朱印下さい」と言い出すことの方が珍しいでしょう。何の信仰心もなく訪れる人も少ないでしょうから、お参りすらしないで御朱印なんて言い出す人も殆どいないでしょうし。御朱印をくれと言う参拝者にこんな大口叩けるのは、「嫌なら別に来なくたっていいよ」という傲慢な態度の表れに見えて、非常に不快です。ま、嫌な人は来てくれなくて、一向に構わないんでしょうけどね。
 ちなみに私は、軽く8年は前に本堂前で般若心経暗誦させていただきましたが文句ありますか?
 御朱印受ける前に納経しろと言うなら、御朱印出す所の前に併設して写経所でも作っとけ。ついでに「御朱印を受ける前に写経願います」とでも貼り紙しとけ。そして受けてしまったヤツに写経か読誦してから御朱印受けろって言うな。
 そんなワケで浅草寺って好きじゃありません(笑)。金龍山(浅草寺の山号ね)の「金」て「カネ」かよ、みたいな。

 夕飯しか食べずにこれだけ歩いたんだから、痩せていたい(切望)。


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・過去の「今日」。

2003年11月02日(日) 競馬教室 <画像あり>
2002年11月02日(土) 吉祥寺散歩 <画像あり>

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