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タイトルを見ただけで、面白いにちがいないと思わされる。
ある夏の終わり、一人の男が、三姉妹の住む農場へふらりとやってくる。 そこで一冬を過ごす仕事を得た男、レノルズは、 大人への階段を登ろうとする年頃の三姉妹に、不思議な恋の物語を聞かせてくれる。 それらの恋物語がちょっと風変わりなのは、死者や精霊の世界と、人間の世界が交錯する物語だったから。
長女のベッキーは、冒頭で「夏も終わりね。」とつぶやく。 子ども時代から娘時代への変化を経験しているベッキーは、 三人のなかでも、レノルズの話に自分へのメッセージを強く感じとるのだった。 もうすぐロンドンへ出ていこうとするベッキー、農場と子ども時代を背後に、新しい世界へ踏み出す前の、ひとときの、永遠に満ちた黄昏どき。
レノルズが仕事の合間、機会をとらえて物語ってくれるのは、こんな物語だ。 老女の幽霊を見てもこわがらない娘の話、 妖精の世界にとらわれた恋人タム・リンをハロウィーンの晩に救い出す娘の話、 異界の館で女中奉公をした娘の話…そんな風な、不思議の物語。
妖精から恋人を救い出す話は、サトクリフの『イルカの家』に示唆されていた妖精譚、タム・リンの物語でもある。 伝説をもとに脚色されてはいるのだろうけれど、あの愛すべき少女、タムシンが憧れた物語としては完璧なのでは。
これらの逸話がグリムのような古典的昔話とちがうのは、それぞれの人物が個人として造形されている点だろうか。彼らは何百年も前の若者ではなく、身近に生きていてもおかしくない人々だ。 レノルズが三人に語ってくれたのは、子どものためでも大人のためでもない、境目を往き来する年代の者たちへの、苦くて甘い苦悩の物語。
原題は『Summer's End - Stories of Ghostly Lovers』、『幽霊の恋人たち』という邦題はこの副題から取られていて、登場するエピソードのタイトルではない。 著者は民間伝承の物語を素材にした作品で知られるイギリスの作家。 (マーズ)
『幽霊の恋人たち』著者:アン・ローレンス / 訳:金原瑞人 / 出版社:偕成社1995
2003年05月22日(木) 『アンモナイトの谷』
2002年05月22日(水) 『いつもキッチンからいいにおい』
2001年05月22日(火) ☆ヤン・ファーブル
運命を引き合わせたのは、第3代合衆国大統領ジェファーソンだった。 大統領の命じたロッキー山脈を越え、太平洋までの探検旅行が、 インディアンの少女を未知の世界へと連れ出す。
19世紀のはじめ、ロッキー山脈北部で暮らしていたショショーニ族の娘、サカジャウィア。 しかし、平和は長く続かず、サカジャウィアは13歳でミネタリー族にさらわれてしまう。 虐げられてはいなかったが、インディアンの世界には女性が自分の運命を決める権利はなく、サカジャウィアはほどなくフランス人交易商の妻となる。
幼いといっていいサカジャウィアが息子を産んだころ、白人の一行、ルイス大尉とクラーク大尉率いる探検隊が西部への途上でこの地を訪ね、思いもしなかった運命が、長く苦しいながらも喜びを伴う旅が、突然始まる。
クラーク大尉との出会いがすべてを変えてしまった、と自分自身の守護霊に告白するサカジャウィアは、急に大人びたようで、それまでなかったパワーをも感じさせる。少女の運命としてはかなりハードだった経験の数々も、彼女を根本から変えるものではなかったのだ。
サカジャウィアが旅に加わることは、夫のシャルボノーよりもむしろ役に立った。 彼女は部族どうしの勢力図や言葉に通じていて、ガイドとしてもそうだが、母と幼子は部隊の対外的なマスコットとしても欠かせぬ存在だったから。
サカジャウィアのロマンスは、今年公開のハリウッド映画『ニュー・ワールド』のポカホンタスをほうふつとさせる。当時の状況では二人には二重のハードルがあるが、今はそんなものはない。けれど当時は掟があった。容易には変えられない掟が。だから未来を思い煩うよりも、その時、その場で一緒に過ごす体験こそが、いつまでも輝く思い出となるのだと、サカジャウィアは知っていた。ふとした時に感じる相手の優しさが、胸の奥にとどまることを。
赤ん坊のミーコ(その名で呼んでいるのはサカジャウィアだけだったが)を連れての長い旅は楽なわけがない。命の危機もしょっちゅう訪れる。しかし、もし自分が彼女の立場であっても、クラーク大尉の旅に同行することを迷いはしないだろう。
それにしても、個人的なことだが、『コサック軍シベリアをゆく』に続いて、今度は新大陸での遠征旅行である。飢えと寒さ、極限の疲労、襲いかかる敵が、東西を問わず主人公たちを苦しめているのは感慨深い。
旅の途中で暴力を振るう頭の悪い夫(妻は何人もいる)が不慮の事故で…という予想は外れたが、後書きによれば、その後のサカジャウィアの物語も語り伝えられているらしいので、何らかの変化はあったのだろう。せいぜい心中であの夫にふさわしい最期を贈呈しよう。
先住民と移住してきた白人が出会った結果は、歴史が物語っている。けれど、白でも黒でもない薄明の時間と空間で、どんな思い出が共有されたのかを語る歴史は少ない。彼ら自身も多くを語りはしないだろうから。 (マーズ)
『小川は川へ、川は海へ』著者:スコット・オデール / 訳:柳井 薫 / 出版社:小峰書店1997
時はヴィクトリア朝時代。テムズ川の流れるロンドンの下町を舞台に、一人の少年が巻き込まれた謎の陰謀。大物政治家の汚職事件。 身よりのない煙突掃除の少年、バーナクルは、ある時、何も知らずに煙突の中で陰謀を盗み聞きしてしまう。バーナクルを追うクリーガー警部、少年を保護するはしけ乗りの男、ゴズリング。
原題は『The December Rose』。テムズ川で繰り広げられるこの物語において、象徴的な役割を果たす船の名である。「12月のバラ」は赤い色のはず―殉教の象徴なのだから。バラは英国の国花でもある。
もう5年以上も前になるが、冬のはじめのロンドンでほっつき歩いたあたりが舞台というのもあって、聞いたり見たりした地名がたくさん行き交う。テムズの川幅は決して広くないし、澄みわたってもいないけれど、あの曲がり具合も、都市や人間にとってちょうどぴったり、旅の日本人にとってもそう思えて懐かしい。
この川を借り船で上ったり下ったりして物資を商いながら生活しているゴズリング、彼が恋している船持ちの未亡人、マクディパー夫人の姿が、川辺の空気とともに浮かんでくる。 誰にも愛されなかった孤児のバーナクルにとって、新しい家族と船での生活は、身近に迫った危険を補うほど魅力的だった。
帯に「格調高い児童文学」と書かれている。主人公は貧しくても元気いっぱいの少年バーナクルだが、大人たちの関係や、社会の枠組みのなかで生きる個人の思いをたんねんに描いていて、大人にとっても読み応えのある作品。とりわけ、報われない愛や信念に絡まった者の苦悩、そして憐れみと正義感について。
ガーディアン賞やウィットブレッド賞を受賞した著者得意の歴史小説は、抑えた筆致ながら薫り高い人生の物語である。以前にも書いたけれど、このような歴史小説は日本ではまだこれからだと思う。
特徴的だと感じたのは、人物の描写に象徴的な色合いや小道具、所作を効果的に配している点。最もわかりやすいのは、バーナクル本人の色。煙突掃除時代のまっ黒から、はしけ乗りになって白く変わる。全編を通じて追われつづけるバーナクルをはじめ、見張り見張られる者たちの息詰まる緊張感は、色や小道具によって煽られ、落ち着く所に落ち着いてゆく。
彼らをロンドンの霧のごとく包む流行歌の一節は、私のような異国人にとってすら、胸騒ぎ効果充分である。(マーズ)
『テムズ川は見ていた』著者:レオン・ガーフィールド / 訳:斉藤健一 / 出版社:徳間書店2002
2003年05月08日(木) 『クモの宮殿』
2002年05月08日(水) ☆リンダ・ハワード・リーディング(その2)
2001年05月08日(火) 『十二国記』
ファンタジー好きならば、いつかは読みたいのが『やし酒飲み』 である。と言ってしまっても良いだろう。
ナイジェリア生まれのチュツオーラは、この奇想な物語を ネイティブな言語の精神で英語化したのだと言われている。
終始、主人公の男性(妻も同行する)が死んだ男を追って遍歴する物語である。 死んだ男とは、主人公の家に仕えていたやし酒造りのことなのだが、彼が死んでからまともな酒にありつけなくなったというのが、その理由なのだった。
やし酒。やし酒とはいったい、どんな甘露なのだろうか。 どう見ても酒飲みでない私にはとうてい想像できない味なのだろう。
途中から主人公は神と名乗り、周囲も受け入れていることから、 実は土俗神話だったことがわかる。 それでもう、どんなことが起ころうが、どんなに文体がねじれてこようが、 すべてファンタジーとして受け入れられる設定が整う。
言い換えれば、いわゆる文学好きのファンタジー嫌悪派には 許し難い物語であるだろうと察する。
『やし酒飲み』は私たちの脳のどこかを刺激する。 彼らの旅する深い底知れぬ森はまた、心の内側に広がる無意識の原野でもある。
とりわけ「やられた。」と感じたのが、「完全な紳士」の登場。 後から思ったのだが、イギリスの昔話で典型的な青髭譚『ミスター・フォックス』の悪役にそっくりな紳士である。 どこからともなく完全な紳士が現れて、美しく強情な娘が引き寄せられていく様子は、 まさにホラーそのものに思える。そしてその実態は…というやつである。
また、「やし酒」や「不帰(かえらじ)の天の町」、「ジュジュ」といった言葉そのものも、強い引力をもって私たちを籠絡するごとく。
クリーム色の、女の形をした「まぼろし」に至っては、久しぶりの再会である。 幼いころのある朝方、寝床で見た夢におびえた自分を思い出した。 それらすべての引力や符合には、洋の東西を軽々と超えてしまう、人間の無意識のつながりを想わずにはいられない。
どんなに熟読して切り刻んでも、読んでいる時には満ちていて、探ろうとすれば手の中からすり抜けて蒸発してしまう「何か」。それがこの奇書に棲む精霊であり、その「ジュジュ」が、これらの白いページなのではないのだろうか。そうであっても不思議はないはずである。 (マーズ)
『やし酒飲み』著者:エイモス・チュツオーラ / 訳:土屋 哲 / 出版社:晶文社1970
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管理者:お天気猫や
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