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A5版のかわいい雑誌、大きなキャッチフレーズは、 「フランスのこともっと知りたい!」
でも、それ以上に読ませるのが、タイトルの横のこんな
小さな文字たち。
「あなたの今いる場所から”出口”を見つけるために」
私が手にしたのは、第8号。520円。だいたい80ページ。 私はパリに行ったことがないから、いつまでたっても パリは未知の異世界である。 ここで紹介されているのは、 パリの壁絵作家、ストリートアーティストのNemoさんだったり、 ブロカントのお店をやっている可愛いルルさんだったり。
知らなかったけれど、ブロカントというのは、 アンティークほど値段が張らず、古くはあっても 美術品というよりは面白い物を扱うお店らしい。 見方によってはゴミという意味では 生活のビーチコーミングをしているような店か。
この雑誌のあちこちには、 手づくりとやりくりの楽しさを教えてくれる 『くりくり』という姉妹的季刊誌の紹介や 『COCOdeCO』という、両雑誌の読者が参加できる ギャラリーショップの紹介もあって、 そっちにも惹かれてしまう。 私にはパリよりもむしろ遠いほどの空間なのだけれど。
「絵本を見ながらフランス語レッスン」という 不思議な語学練習コーナーがある。 発音はひらがなとカタカナにアルファベットが混じる。 どこまで本気なのかはわからないが、けっこう長い。 サルのバブーンが主人公で、動物たちと物語を展開する。
創刊号から4号までは、なんと一冊の本にリミックスされて いるのだそうだ。バックナンバーの代わりに。 本文にはピンクやブルーだけで刷ったページも多い。 文字も全体的に読みにくいけど、それすらどうでもよくなる。 「出口」を探している者にとっては。 (マーズ)
『SORTIE ソルティ』発行元:糖衣社 / 発売元:パロル舎2003
2003年04月21日(月) 「児童文学最終講義」(その1)
そうか、名古屋って喫茶文化の街だったんだ。
雑貨店で手にして、これも即決した 大人向けのタウン誌(と呼んで良いのだろうか)、『なごやに暮らす』。 表紙の色柄で一冊選んだのは、第10号。
奥付を見ると、7号まではバックナンバーの在庫がないそう。 この雑誌を置いているお店のリストもある。 全部まわると、面白いだろうなぁ。 どのお店も洒落ていそうだし、 これを持って行けば、すでに仲間? もちろん、名古屋が一番多いけど、けっこう各地に散らばっている。
20センチより少し小さい真四角サイズ。 表紙は二色刷りで、昔風。 本文も別の色で二色刷り。 少しざわざわした風合いの紙。 見返しがまた別の一色刷りで、全体のバランスがとてもきれい。 バックナンバーを並べると、どんなにか映えるのだろう。 広告収入はあまりなさそうだけど、 ほぼ50ページで定価892円だから、バランスを取っている。
版元のles deuxについて、書いてあった。 フランス語で「2つ」という意味で、 イラストレーターの松尾ミユキさんと、 les petit marcheというお店の店主である滝村美穂子さんの ユニットなのだと。 ということは、女性二人が編集発行しているって ことなのだろう。 記事にはこのお店の、パリの蚤の市買い付け日記も登場する。
そして、新しいカフェだけでなくて、 名前を聞いただけで時代をほうふつとさせる 喫茶店の数々。 いまだに私の生活には、「ここ」という一店がないのだけれど。 喫茶にこだわらなければ、近所にあるマクロビオティックの お店がそういう感じかも。
そんな生活をしているけれど、読んでいると なんだか、大人である(と言われる年齢である)ことが うれしくなってくる。
そして、ちょっと、なごやに行ってみたくなる。
万博も、やってるし、ね。
(マーズ)
『なごやに暮らす』出版社:les deux2005
「まじめじょうずに暮らしを旅する」 というキャッチフレーズの雑誌だ。
これは創刊号。 雑貨店で手にした。今は2号が出ているはず。 発行所は南青山、発売元は名古屋市に。
フウチってどういう意味かなと思ったら、 ちゃんと書いてあった。 そうなのだ。「風致」なのだ。 そしてほんとうに、外国語で「だってさあ」みたいな つぶやきに聴こえる!
猪熊弦一郎の特集があったり、 黒磯の心地よいカフェ特集や、 カレルチャペックの広告が載っていたり。
おしゃれな個人サイトみたいなつくり。 40ページそこそこの薄い雑誌だけれど、 迷わず買ってしまった。
発行元のアノニマ・スタジオは2003年にできたそうだ。 いつか雑誌をつくってみたい。 あるいはカフェを。 すみからすみまで、思い通りに。 そういう夢を見ることがある人に、 そっと渡してあげたい。
誰かにあげようかなと思ったけれど、 やっぱり、自分にあげようと思う。 (マーズ)
『fu-chi フウチ』(雑誌)出版社:中央出版株式会社アノニマ・スタジオ2004
2004年04月19日(月) 『新版 指輪物語1旅の仲間(上1)』
2002年04月19日(金) ☆あの作家の作風。
2001年04月19日(木) 『愛の続き』
漫画家の吉野朔実が『本の雑誌』と『ユリイカ』に 掲載・連載していた、マンガでつづるエッセイ集。
テーマは、本について。 著者は誰はばからぬ本の虫である。 オースターへのオマージュや、 私はこれを”読みきった自慢”、 アインシュタインの話(けっこう不気味である)、 わたしのザムザ。 そしてモンゴメリファンの私にとって最も興味深いのが 表題にもなった『お母さんは「赤毛のアン」が好き』である。
著者の母君は、本当の意味でアンのファンで、 アンを苦手扱いする人々や、アンにぞっこんであると称する ある種の人々の抱く少女趣味なイメージに惑わされず、 作品の本質を愛しているファンである。 「非情に現実認識能力に長けた人物」である母君が、 なぜか夢見がちな「アン」を気に入っている。 それは、もっともなことである。 と著者同様私も結論づけるし、「アンを引き取った気むづかしいマリラ」に 感情移入しているらしいのも、母君が「現実認識能力に長けて」いる 証拠だろう。
モンゴメリがアンを主人公にした物語を描きながら、 マリラも同じほど主人公として描いていることを、 母君は受けとめ、その上で「変わってて面白い」アンを愛している。 彼女の家事能力はマリラを上回り、リンド夫人なみである。
アンを愛する母君についてこの本のページは2枚しか割かれていないが、 私にとっては、とても広がりのある2ページであった。 このような母君のもとに生まれたら、 今よりも現実認識能力に長けていただろうか、とふと考える。 (マーズ)
『お母さんは「赤毛のアン」が好き』著者:吉野朔実 / 出版社:本の雑誌社2000
2003年04月18日(金) 「もうひとりの私をゆるしてあげよう」
仰々しく季節の移りかわりを告げる春雷の音に触発され、 長く手元に借りていた本を読む。 「タイムスリップ・ロマンス」(TSR)という、 シィアルの専門分野に広い意味で重なる本書は、 確かに、広い意味でのTSRだった。 クーンツの作品はハッピーエンディングを予想して 読むのだが、当然といえば当然ながら、 クーンツは、いわゆるロマンス小説作家ではない。
多分、私が勝手に、ヒロインのローラ・シェーンが巻き込まれる アクシデントのハードさ、「守護の使い」こと、 タイムトラベラー、シュテファン・クリーゲルの 強いイメージから、ついついリンダ・ハワード的な展開を 期待してしまうのがいけないのだろう。 だから、クーンツ作品をたくさん読んでいる方にとっては、 『ライトニング』は、かなりロマンス度が高いとも言えると思う。
ちなみにこの時点で私の読んでいるクーンツ作品は、 『ウォッチャーズ』と『ぬいぐるみ団オドキンズ』だけ。 『オドキンズ』は、けっこうなクーンツファンでも未読の方が 多かろうとは思うが、そんなわけなので、何分多くは語れない。
『ライトニング』は「ジャンルを超えた作品」と評価されている。 クーンツは、タイムトラベルやハードアクション、ロマンス、女の友情、 男の嫉妬、戦史、異常犯罪、哲学、ユーモアを大鍋に入れ、 そこに「閃光(ライトニング)スパイス」を投じて、 いわくいいがたい香気を放つ作品を創りあげている。
主人公のローラは、生まれる瞬間から、長身で金髪碧眼、絵に描いたような 「守護の使い」シュテファンに守られていた。 その後も、何年かに一度の割合で、彼女の運命が「執拗に構想の復元をくわだてる」 たびに、シュテファンの姿があらわれる。雨を伴わぬ閃光とともに。 なぜ、守護の使いはあらわれるのか。 ローラと彼の間、そして、シュテファンが本来属している「ナチの世界」と 現在の間には、どんなつながりがあるというのか。 シュテファンがヒトラーのSS隊員であることは前半で判明するが、 なぜ彼がローラを助けるのかは、後半、二人が会話するまで 明らかにされない。
後半、シュテファンの追っ手から息子クリスを守ろうとするローラの姿は、 映画『ターミネーター2』を思わせるほどハードである。
実際、ローラは成長する。 子どものころの受け身で弱いイメージをくつがえし、 自分をペンで表現し、愛する者を守ろうと戦い、 「一度見たら忘れられない顔」を私たちに想像させる。
そして、双子のアッカーソン姉妹! 孤児となったローラが施設で出会った彼女たちは、 忘れがたい存在である。 彼女たちなくしては、この物語は羽をなくしたも同然。 空想のカエル、トーマス卿もまたしかり。
そういう意味では、シュテファンがあえて天使っぽく、というか、 人間味を少なく造形されている(ロボットのターミネーターほどではないが) ことにも、意図があるのだと思う。 彼の抱える苦悩、まなざしにあふれる地獄からの叫び声を、 私たちにはっきりと知らせる代わりに、 彼は黙々と行動し、殺し、生かす。
もう一段階話を複雑にするならば、シュテファンが実は 本当に天使だった、というのはどうかと思うほどに。 (マーズ)
『ライトニング』著者:ディーン・R・クーンツ / 訳:野村芳夫 / 出版社:文春文庫1989
2004年04月06日(火) 『英国セント・キルダ島の何も持たない生き方』
ビーチコーミングの楽しさと、急ぎ足で姿を変える環境を思う。 私が手に入れたのは1999年の初版本なので、 6年たった今、環境の実態はさらに変化したことだろう。 副題は「黒潮のメッセージを読む」。 日本の太平洋側は、関東あたりまで黒潮が北上している。 黒潮のような暖流が、南からの動植物、どこかから流れ出した ゴミを運んでくる。 それらのゴミが、ゴミでなくなるとき、 ビーチコーミングの楽しみが開けてゆく。
先日出かけたビーチコーミングでは、 さすがに椰子の実は拾えなかった。 実の物は、拾えるとしても、秋がシーズンらしい。 ただ、自分のフィルターで拾った物は、妙にひねくれていて 個人の嗜好というのは、セレクトが必要なものごとには いやおうなく反映されるものだと知る。 これも拾えなかったが、モダマと呼ばれている、 黒くて平たい円形のおはじきみたいな物は、 植物の種子(実)なのだった。 昔の人は海草の一種と考えたため、そう呼ばれるらしい。
地方のビーチコーマーは、日々の活動を単独で行っている ようだ。もくもくと、数時間かけて浜を漁る。 その反面、全国各地に漂流物関連の市民団体があって、 大会を開催したり、情報交換は活発。 機関誌も遊びごころのあるユーモラスなスタイルが多い。
本書は、漂流物を収集したり研究したりする手法などの紹介とともに、 微少なレジンペレットの問題や、流出した原油の汚染、 医療廃棄物といったマイナス面の考察にも全体の1/3を 割いている。 終章は、「破壊される海岸とその整備」。 全国的に浜辺が後退している事実と、無知から来る海岸の破壊に 重いものが残る。 崩してしまった山が二度と元の形に戻らないように、 消えた砂浜も、よほどのことがなければ復活できない。
とはいえ、先日のコーミングでは地元の人たちが せっせと岩場のほうで作業していたので聞いてみると、 潮の引いた隙にカキを採っているとのことだった。 本来のビーチコーミングとは呼ばない作業だけれど、 そういう環境もありなのだと思うと、なぐさめになる。 (マーズ)
『漂着物学入門』著者:中西弘樹 / 出版社:平凡社新書1999
2003年04月04日(金) 「アースシーの風」(その2)
2002年04月04日(木) 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
2001年04月04日(水) 『自分の人生がある場所へ』
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管理者:お天気猫や
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