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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2002年11月26日(火) --

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『狐罠』

今月のメルマガで取り上げた「贋作美術品」本、 気に入っていただけたでしょうか? それでは贋作を「見破る」本を楽しんだ後は 実地に贋作を作ってみましょう! それも日本の「国宝級」古美術作品を!

ターゲットは悪辣極まる骨董商。 対するヒロインのプロデュースする「国宝級作品」は 材料も職人も全てが本物、違いは作られた時代のみ。 世界一級の鑑定眼を持つ元大英博物館ケミカルラボの 天才専門技官の眼を、名人贋作師の「作品」は超える事ができるのか。

北森鴻氏は各作品毎にテーマの違う専門知識を駆使し、 豪奢で妖異なミステリを生み出す作家です。 『狐罠』も、軽快な「贋作美術品詐欺ゲーム」ではなく、 登場人物達が骨身を削り悪知恵を闘わす鬼気迫る世界。 ただ、毎回惜しく思うのですが、北森氏は必要以上に 筋を暗鬱に込み入らせ過ぎるきらいがあって、そのへんが 才能がありながらもうひとつメジャーにならない理由でしょうか。

主人公達の企みと同時進行して絡んでくる「殺人事件」が邪魔になって、 折角の入魂の「作品」の意義がクライマックスで薄れてしまったのがとても残念。

殺人課の刑事さんコンビのキャラはとても良かったのですが。 私が惜しがる謂れはないのですが、贋作を作る過程を読んでいるうちに 徐々に完成に近付く「作品」に愛着が湧いてくるのですよ。 ああ、一度「贋作」を作って高慢な「目利き」を騙してみたい。 (ナルシア)


『狐罠』 著者:北森鴻 / 出版社:講談社文庫

2001年11月26日(月) 『黒猫』
2000年11月26日(日) 『Spells for Sweet Revenge』

お天気猫や

-- 2002年11月25日(月) --

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『うわの空で』

『第44回青少年読書感想文全国コンクール 課題図書』 に選ばれているのだが、 主人公のルーベンも、日本でそんなことになるとは 思いもしなかっただろう(笑) まさに、この本の書き出しのように、

そんなことになるなんて、だれに信じられただろう。 だれにも、絶対だれにも信じられないし、 ぼくにしてみればなおさらだ。(本文より引用)

とうわの空でつぶやくんじゃなかろうか。

イタリアのとあるお屋敷で生まれたルーベン少年が、 ある事件を機に家を飛び出し、 アメリカにいる叔父をたずねて無一文の のらくら旅に出る。その途上で出会った人々や冒険の数々。 …というのがストーリー上の建前なのだが、 不条理で徹頭徹尾受身、かつ透明な無気力と絶望に満ちた 少年の航路は、 少なくても私には、笑って読み飛ばせるものではない。

後の作品、『心のおもむくままに』を先に読んだので、 デビュー作にも同じようなトーンを期待していたのだが、 異文化といってもよいほどの違いがあった。

ただ、ひとつ共通点として感じたのは、 「ことばにみちびかれて人は生きる」、 というメッセージである。

生まれてからずっと、なりゆきまかせに 必死になることもなく生きてきた少年が、 ある日空から降りてきた「ことば」によって、 初めてポジティブになる。 それが良いことかどうかは別として、 スザンナの体験してきた人生においても、 私の経てきたのらくら人生においても、 生まれ持った環境以上に、ある日とつぜん誰かの本で 教えられた「ことば」の力は、強かった。

そういうことをふらふら考えていたら、 ポール・オースターの『幽霊たち』を連想して、 うずもれてゆく人生のただなかにあっても、 どこかに結晶してゆく輝きがあるのだろうと 少し、落ち着いた。
(マーズ)


『うわの空で』 著者:スザンナ・タマーロ / 訳:泉典子 / 出版社:草思社

2000年11月25日(土) 『日本語の磨き方』

お天気猫や

-- 2002年11月21日(木) --

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『シルクロードの鬼神』その2

人は、この時代、どこかで生きたという痕跡を どうやって残せるのだろう。 いや、そもそも、痕跡を残すべきなのだろうか? 残そうとしなくても、足跡は残るのだろうか。

単は、捜査の旅の途上で、さまざまな人物に会う。 風貌も、言葉もちがう少数民族の、魅力的な人たち。 たとえば、龍馬(ロンマー)と呼ばれる組織の毛(マオ)たち。 安全のため、全員が本名を名乗らず毛何某と名乗る。 龍馬とは、伝説の生き物で、庶民を不当なことから守る神だという。 レジスタンスの闘士にはうってつけの名である。

山に入ると、決して見つけられない遊牧民の家族もいる。

前作にならって(?)アメリカ人も登場するし、 中国人のなかにも、単を理解する人物があらわれるのは心にくい。

なかでも、単とほとんど常に行動を共にしたウイグル人の女性、 アルタシ一族のジャクリとの関係は、単の比類なき繊細さを きわだたせている。

20代なかばくらいのジャクリは、婚約者のニッキと 遊牧民の祭り、ナーダムで再会し結婚することを願っている。

聡明で勇気があり、美しいジャクリ。 単たちと生死をともにしたジャクリ。 彼女は、単の持っている損なわれた部分を想像する。 少数民族として経験してきた苦渋を、彼女も味わっているから。 とはいえ、単に、強制労働所に長年いたにしては、顔に出ていないと 真実を突いたことを言ったりもする。 顔に出ないから単らしいのだが、その理由を単自身が ちゃんと考えろと言わんばかりに。

親子ほど年のちがう単とジャクリの会話を たどっていると、ふと、ある人物を思い出した。 単と同じ種類の魂をもった、別の世界の魔法使いのことを。 そう、山だけの世界と対極にある、海だけの世界、 アースシーの大魔法使い、ゲドの面影を。

そのゲドが、地下の魔宮から救い出した少女アルハの 面影もまた、ジャクリに重なってゆく。 ゲドの世界を愛する人には、単の世界もまた貴重な水となるだろう。

単が深く敬愛する寡黙な師匠ゲンドゥンという名からも ゲドを連想してしまうのだが、それは行き過ぎだろうか? (ちなみにゲドの師匠は物言わぬオジオン)

ともあれ、第三作では舞台がまた変わるようで、 ゲドの身に起こったような変化が、賛否はあるだろうが、 単にも起こるのを期待して待つことにしよう。
(マーズ)


『シルクロードの鬼神』上・下 著者:エリオット・パティスン / 訳:三川基好 / 出版社:ハヤカワ文庫

2001年11月21日(水) 『図説 ニューヨーク都市物語』 / 『イスラームの日常世界』
2000年11月21日(火) 『十月のカーニヴァル』

お天気猫や

-- 2002年11月20日(水) --

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『シルクロードの鬼神』その1

単道雲(シャン・タオユン)を主人公とする チベット・ミステリ第二弾。

にわかに身辺があわただしくなって、 読み終わるのに2ヵ月もかかってしまった。 その間ずっと、この世界に足をふみこんでいたので、 カイラス山とか、マニ車とか、そんな名前が意識をちらつく。 そこかしこで目にする僧たちの象徴的な行為や、さまよう魂。 俗世の塵を浄化するという意味では ながい時間もまた必要だったのか。

原題の『WATER TOUCHING STONE』は、 下巻の終わりのほうで登場するエピソードに 由来しているのだろう。 よごれた小石を水で洗って本来の美しさを外に表し、 自らの本質を浄化するという僧たちの訓練に。 そして、僧によって「水」にたとえられた、 触媒のような、単自身をも意味するのだろう。

前作『頭蓋骨のマントラ』では、 北京政府によって辺境の収容所に送られた元刑事の単が、 囚人探偵となって、殺人事件を解決した。

今回は、その後4カ月たって、 収容所にこそいないが、いまだ囚人でもあり うろついていれば拘束されかねない立場の単が、 帰依しているチベット仏教のリンポチェ、ゲンドゥンらの頼みで、 ともに北へおもむくところから始まる。 崑崙山脈を越えて。

発端は、遊牧民の子どもたちを教える女性教師の死。 主な舞台となるのは、新疆ウイグル自治区。 役者は、カザフ人やウイグル人、チベット人ら、 いまや弱者となった民族に、ロシア人まで加わり、 辺境の少数民族を掌握することに 血道をあげる北京政府役人たちが暗躍する。 それは、弱者にとっては民族の将来、 強者にとってはメンツをかけた攻防。

「貧困根絶計画」という名前に象徴されるように、 少数民族たちは、漢民族に同化させられるか、分離され、 解体されていく。 かつてチベットで起こった(今も続いている)悲劇は、 終わってはいない。 崑崙山脈の北、タクラマカン砂漠の南、シルクロードの 架空の町や高原で、粛々と網を狭めてゆく政府。

それらをまのあたりにしながら、 殺人事件の動機と犯人を追う単。 前作以上に行動範囲の広がりもあって、出会う人物も (そして動物も)多士済々である。 おそらく中国広しといえどもそうそういなさそうな 背景と感性を持った単という人物の視点が、この物語を特異なものとする。

そしてその単をもってしても予想できないような、 端的に言えば浮世離れしたチベット人僧侶たちの生き方に、 今回も満足のため息をつきつつ堪能した。

随所でささやかに置かれている魂の言葉にふれながら、 まるで、我々こそ、瞑想中にその地を訪れている蝶ででも あるかのような感覚になってゆく。

単が危険を冒しても僧侶たちを守ろうとする理由は、 前作を読めばさらに身にしみる。 どこへ行っても居場所を持てなくなった単にとって、 チベット人の僧侶たち(ラマ僧)との縁こそ、 この現世においての転生とも呼べる変化だったから。

ずっと単たちと行動をともにする、ある意味紅一点の ウイグル人の娘ジャクリは、羊の仔をあやす言葉を 人間をなぐさめるときにも使う。 その魅惑的な響きが、木枯らしをついて聞こえるようだ。
「コシャカン、コシャカン・・・」
(マーズ)その2へつづく


『シルクロードの鬼神』上・下 著者:エリオット・パティスン / 訳:三川基好 / 出版社:ハヤカワ文庫

2001年11月20日(火) 『なぞのうさぎバニキュラ』
2000年11月20日(月) ☆ 訂正記事

お天気猫や

-- 2002年11月18日(月) --

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『ゆき』

クリスマスの前に読みたいと思っていた絵本。 どこか寒い地方の街角で、ゆきが空から降ってくる 様子を描きながら、淡々と、 大衆への風刺や、無垢な者のよろこびを グレーの空の下に、そっとひろげる。

ゆきを最初にみつけるのは、犬をつれた少年。 ひとひらのゆきを見つけて、うれしくて たまらない少年…かつて私たちがそうであった ように。

でも、だれも気付かないし、認めようとしない。 いつになったらわかるのだろう? なぜ、見ようとしないのだろう?

空も建物も、すべてがグレーに、色をなくした街角で、 ゆきだけが、白くしずかにしずかに舞い降りてゆく。 なつかしい流行歌のように、 何かを思い出させるかのように、 現世の汚れを祓うかのように。

ゆきが降ってくる。 私たちのこころにもなにか、 そんなひとひらひとひらが積もっていって、 やがて私たちになる。 (マーズ)


『ゆき』 著者:ユリ・シュルヴィッツ / 訳:さくまゆみこ / 出版社:あすなろ書房

2000年11月18日(土) 『心霊写真』

お天気猫や

-- 2002年11月11日(月) --

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『ビロードうさぎ』

絵本の原題は『The Velveteen Rabbit』。 タイトルからもわかるように、 私の専門分野となりつつある(笑)、おもちゃ文学の 堂々たる一員である。

ビロードうさぎは、ある男の子の友だちになり、 長年しあわせに暮らしていたが、やがて・・・ 後半1/3の、ぬいぐるみとしての生命が終わろうとする ところからの展開が、意外性をもって迫る。

本書は、1953年に岩波から出ていた 『スザンナのお人形・ビロードうさぎ』に収録されていたものを、 同じ訳者の新訳に加え、原書の雰囲気に 近い装丁で、新たに刊行したもの。

絵本作家としてのウィリアムズ(1881-1944)の第一作というが、 30作も作品がありながら、後世には残るほどでなかった、と 巻末の作者紹介に記されている。 この絵本を読んだかぎり、じゅうぶん後世に残るものだと 思えるので、意外な評価だった。 だからこそ、この2002年になって再刊されたのだろうけれど。

おもちゃ仲間のビロードうさぎに、 子どもに本当にかわいがられて「ほんとうのもの」になるには 時間がかかるの?と 聞かれた賢い木馬は答えて言う。

だんだんに、なるんだ。 とてもながい時間がかかるんだ。 だから、すぐこわれてしまうものや、とんがっているものや、 ていねいにさわらなくちゃならないものは、 めったに、ほんとうのものになれない。
(中略)
いったん、ほんとうのものになってしまえば、 もう、みっともないなどということは、 どうでもよくなるのだ。 そういうことがわからないものたちには、 みっともなく見えてもね。
(本文より)

おもちゃの物語を語るときに大切な鍵となるのは、 時間のようである。おもちゃたちの時間と、 どんどん変化する人間の時間の流れのちがいが、 他のジャンルにはない喜びや悲しみを生み出す。 それはどこか、アンドロイドやロボットと人間の SF物語に似ていなくもない。

ビロードうさぎの身の上に起こった不思議なことを 思うにつけ、うちの猫たちがどこからやって きたものだろうと、彼らの過去に思いを飛ばせる。

同時に、この物語を書いた作者が生まれた当時の ロンドンの子ども部屋のようすを思い浮かべながら。 (マーズ)


『ビロードうさぎ』 著者:マージェリィ・ウィリアムズ / 絵:ウィリアム・ニコルソン / 訳:石井桃子 / 出版社:童話館出版

2000年11月11日(土) ☆ アメリカ大統領選

お天気猫や

-- 2002年11月07日(木) --

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『アリスの見習い物語』

タイトルから想像するファンタジックなイメージとは ずいぶんちがう、少女の成長物語。

中世イギリスの田舎を舞台に、 名もない孤児の少女が、産婆見習いとなり、 みずからにアリスという名前をつけ、 目的をもって生きてゆこうとする姿を描く。

貧困と無慈悲にあえぎながらも、 ささやかな喜びに希望を見出し、 幾多の出会い、別れを経て、 いつのまにか殻を破り変化してゆくアリス。

本書では、重みをもった歴史的背景として、 産婆が取り仕切った当時のお産のようす、 ハーブなどの使い方も細やかに記されている。 見習いアリスが、狭量な産婆ジェーンのもと、 職人が技を盗むように、見よう見まねで 仕事をおぼえていく過程に、それらは登場する。

少女の成長物語なのだから、けっこう手に汗にぎる 面白さというのをここでも想像してしまうけれど、 アリスの物語は、決して楽ではないだけに、 読んでいて苦しい面も多々ある。

それでも、これがアリスの時代であり、 アリスの生まれた人生なのだ。 私たちが私たちの時代に生まれたように。

「自分の居場所がある生活」、 だれもがそれを望み、居場所があれば どうにかこうにか、生きてゆける。 (マーズ)


『アリスの見習い物語』 著者:カレン・クシュマン / 訳:柳井薫 / 絵:中村悦子 / 出版社:あすなろ書房

2001年11月07日(水) 『台所のマリアさま』

お天気猫や

-- 2002年11月05日(火) --

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『小さなスプーンおばさん』

アニメ化もされたスプーンおばさんシリーズの原作。 ほかに、『スプーンおばさんのぼうけん』 『スプーンおばさんのゆかいな旅』がある。

それぞれ長い物語ではなく、おばさんが遭遇するエピソードを 一冊にまとめた形で本になっている。 昔話のようでもあり、楽しく生きる現代の知恵でもあり。

みんながどこかで聞いたことがあって、 『スプーンおばさん』というと共通して思い浮かべる イメージがある。 エプロンをした小さいおばあさん、 頭のてっぺんにはおだんごがあって、 やることはパワフルで。

いつかちゃんと読み直そうと思っていたこの本を 急に読みたくなったのは、スプーンおばさんによく似た 人と知り合ったから。その人は、とつぜん小さくなったりは しない…はずなのだけど。たぶん(笑)

おばさんはノルウェーの村に住んでいる。 だんなさんと二人暮しで、子供たちは巣立った後。 でも、だんなさんとそんなに仲良しというわけでも ないし、残念ながら深ぁく理解しあってるわけでもない。 ぜいたくな暮らしはできないけど、毎日家のきりもりをして、 だんなさんを送り出し、家を守るおばさん。 どこにでもあるような、ささやかな 普通の老夫婦の日常。

ただ、おばさんが、ときどき、ひょんなことから、 ティースプーンほどの大きさになって、大冒険をやらかして また元に戻ることを除いては。

あるクリスマスの前、小さくなってしまったおばさんは、 森に住むさびしがりやの女の子に出会い、 待ちかねた人形とまちがわれて、こんな風に言う。

「あたしはね、ねじなんか、じぶんでまける おばさんだよ。」(本文より)

おばさんがフェミニストに人気があるかどうかは 知らないが、おばさんの人気は、どこの国でも 子どもだけじゃなく大人にまで及んでいるにちがいない。

おばさんは、自分では知らないけど、 ほんとうは魔女なのかもしれない。 裏では大変な思いをしていても、 ドアがあいた瞬間、なにごともなかったかのように 台所で湯気につつまれ、スープをまぜているような 女の人は、きっと魔女の遠縁だと思う。 (マーズ)


『小さなスプーンおばさん』 著者:アルフ・プリョイセン / 訳:大塚勇三 / 出版社:学習研究社

2001年11月05日(月) 『夜の翼』

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