2007年01月13日(土)  味付けおまかせ羅臼のこんぶ茶

冬といえば鍋。今夜訪ねてくる友人が「鍋にしたい」と言うのも当然の流れ。だけど、レパートリーが極端に少ないわたしはご近所仲間のキョウコちゃんに「どうしたらいい?」とSOS相談。「鶏肉と水菜の鍋はどう?」とアドバイスをもらう。鶏と塩と昆布でだしを取り、柚胡椒で食べるのだという。シンプルなだけに、いい材料を使えばうまくいきそうな予感。「坂の下に鳥の専門店あるでしょ。あそこで買ったら?」という助言に従うと、打ってつけの鍋用鶏肉があった。骨がついていないので、だしがあまり出ないかもしれない。と思ったら、濃厚なスープが取れそうな鶏がらを発見。専門店なのに鶏がら二本と肉500グラムで745円とお値段は良心的。

圧力鍋のレシピ集を参考に、まず鶏がらスープを作る。鶏がらをぬるま湯で洗い、熱湯でくさみを取り、くず野菜(長ネギの青い部分と人参の端っこを使った)とお酒少々と水800ccでぐつぐつ煮る。出来上がったスープを卓上用鍋に移し、なくなっては足すことにする。「塩と昆布」で味付けということで、「そうだ、あれを使おう」と思い出したのが、羅臼漁業協同組合の「こんぶ茶」。あさりの吸い物も鯛の潮汁も、これで仕上げれば素材の味を引き立てた上品な味つけになる。読みは当たり、鶏のうまみと昆布と塩がいい具合に溶け合い、我ながら上出来。それでいて柚胡椒が入る余地を残しているのも見事で、一同「うまい」「おいしい」を連発しながら平らげる。具は鶏肉、水菜の他に豆腐、長ネギ、しいたけ、えのき。野菜のエキスもにじみ出て、締めの雑炊も絶品。

羅臼のこんぶ茶はダンナが仕事先の方からいただいたもの。「茶」と名乗るからには本職はお茶で、お湯を注げばおいしいこんぶ茶の出来上がりなのだが、微妙で繊細な味付けに天才ぶりを発揮し、お茶漬けも料亭の味わいに。これがわが家に現れて以来、覚束ない料理の腕前を補って余りある活躍を見せてくれている。妻が大喜びしまして、とダンナが先方に伝えたところ、さらに追加でどっさりいただき、催促したようになってしまった。毎日のように使うので、そろそろ在庫が尽きてきたが、漁協のサイトでも買えることがわかってひと安心。ひと袋70グラムが357円。これはお値打ち。

2003年01月13日(月)  成人の日
2002年01月13日(日)  ごちそう


2007年01月12日(金)  『半島を出よ』(村上龍)

年末に読み始めた『半島を出よ』をようやく読み終える。上巻を半分まで読むのに一週間かかり、くじけそうになったが、そこからは加速して、下巻は二日で読めた。時間がかかってしまった理由のひとつは登場人物をはじめ情報量が膨大すぎて、頭の整理が必要だったこと。もうひとつは、人間を痛めつける描写が凄惨すぎて、目をそむけたくなったこと。その前に読んだコロンビアマフィアの世界を描いた『ゆりかごで眠れ』(垣根涼介)も血の匂いがするようでページをめくる手が重かったが、『半島を出よ』は何も食べたくなくなるほど気分が悪くなった。それだけリアルな情景を想像させてしまうのは筆者の腕なのだろうけれど。

いろんな意味で圧倒された作品だった。北朝鮮の「反乱軍」を名乗る武装集団が福岡を占拠し、制圧する。「反乱軍」ゆえに政府は対応に戸惑い、解決策を見出せないうちに十二万人の後続隊が日本に向けて出発してしまう……。フィクションだけれど、ありえない話ではないと思わせるリアリティは取材の成果なのだろう。とくに、危機に面した政府の対応のお粗末さは、そうであって欲しくはないけれど、これが実情なのではと怖くなった。『半島を出よ』が提示している、今そこにあるリスクや問題点のどれだけを、日本を動かしている人たちは把握しているのだろうか。

「怖い」という感情にも圧倒され続けた。こんなことが本当に起こったらどうしよう。でもこれは本の中の出来事、本を閉じれば平和な世界に戻って来れる、と自分に言い聞かせるけれど、もしもが現実になる可能性はないとは言い切れない。その危機感を抱かせただけでも、『半島を出よ』には有無を言わせぬ力がある。とはいえ、その先には進めず、どうかそんなことが起こりませんようにと祈るしかないわたしは、楽天的な性善説主義者だろうか。

脚本を書くようになってから、「自分が映像化するなら」という目で本を読むようになった。まず自分との接点(共感できる部分や感情移入できる人物)を見つけ、そこから膨らませていく。当然映画化の話はあって、すでに脚本も起こされているかもしれないけれど、原作のスケールを表現するのは相当難しいと思う。映画に必要な葛藤はいくらでもあるけれど、あまりにありすぎると、誰のどの葛藤を追えばいいのか手に負えない。爆破や銃撃戦の迫力は予算で出せても、想像力で増幅される心理の複雑さや深みをどう見せるのか。恋愛も絡めてエンターテイメント性を追求するなら、反乱軍の宣伝番組を担当する女性アナウンサーの視点で語るのが王道だろうか。でも、わたしだったら、反乱軍の本部に送り込まれたシングルマザーの市役所職員を主人公にする。異国の武装集団に町が制圧された非常事態であっても、朝食を作り、子どもに食べさせ、幼稚園に連れて行くという日常をこなさなくてはならない。そして、あんたにしかできないという市長の期待に応えたくて、反乱軍に協力するという使命に懸命に取り組む。その気持ちと行動は、いちばん理解しやすかった。

2002年01月12日(土)  アボルファズル・ジャリリ 


2007年01月11日(木)  マタニティオレンジ58 フライングパンツ

新生児サイズにはじまり、Sサイズ、Mサイズ、Lサイズへ。おむつのサイズは体重が目安になっているが、体重が重くてもスリムな赤ちゃんもいるし、その逆の場合もある。太ももやウエストが太くなっておむつの跡がつくようなったら、ひとつ上のサイズへの替えどきのサイン。この「昇進」は、ママたちにとっては「大きくなったのねえ」とうれしく誇らしくなる機会でもある。8月22日に生まれた娘のたまは生後2か月でSサイズになった。しばらくSサイズ時代が続くことを予想して、どっさり買い込んだのだが、4か月になって太ももまわりがきつくなってきた。サイズを上げると一枚あたりの単価は高くなるのだけど、ウンチョスのバクハツ回数も増えたので(背中から飛び出し、一瞬で背中がマスタードを撒き散らしたように黄色く染まる。洗濯が大変)、Sを卒業することに。おむつが大きくなると、それだけ引き受け面積が増えるので、ウンチョスが飛び出す確率も低くなる。

Mサイズのおむつを買いに行ったら、Mからは「テープ式」と「パンツ式」を選べる。うれしくなってパンツ式を買ったのだが、おしりを高く上げないとはかせられない。おしりを軽く浮かせて、ささっとおむつを潜りこませればいいだけのテープ式に比べて、倍の時間がかかる。脱がせるときは、これまた大変。テープ式は下に新しいおむつを敷いて、汚れたおむつを丸めるので、替えている途中に粗相があっても安心なのだけど、さてパンツ式は?汚れたおむつに新しいパンツを重ねてはかせ、中のおむつをちぎって抜こうとしたら(サイドの縫い目を引き裂けるようになっている)うまくちぎれず、手こずるうちにぐずられる。それもこれもおしりが上がらないうちにパンツ式に手を出したから。赤ちゃんが動き回ってもずれにくく、立たせたままおむつ替えできるのがパンツ式の売り。「たっちができたら」がデビューの目安になっている。ご近所仲間でママ歴は一年先輩のキョウコちゃんに「なんで、もうパンツにしたの?」と不思議がられ、「ハイハイからでも使えるって書いてあったから」と答えると、「でも、たまちゃん、ハイハイもまだだよね?」。そうでした。すっかり気が早くなってフライング。出直してテープ式を買うことに。お値段もこちらのほうがおトクだった。

2006年01月11日(水)  Salyuさんの『風に乗る船』
2003年01月11日(土)  おっと!ホットサンド
2002年01月11日(金)  親孝行


2007年01月10日(水)  マタニティオレンジ57 鏡っ子たまちゃんとダスキンちゃん

生後141日目の娘のたまと、新年初ベビービクス。スタジオの正面の壁は鏡張りになっているのだが、この鏡を見せるのが楽しみだった。たまは2か月半頃から鏡に興味を示しはじめ、3か月を過ぎると、鏡の中の自分に笑いかけるようになった。4か月半の今では、鏡に向かって「オウ」「アウ」と大きな身振りを交えて話しかける。鏡に映っているのが自分であるのか、別な赤ちゃんだと思っているのか、たまの頭の中はうかがい知れないけれど、わたしは「鏡っ子たまちゃん」と名づけ、出かける前に「鏡っ子たまちゃん、行ってきまーす。お留守番よろしくねー」と声をかけたり、外出先では「おや、鏡っ子たまちゃん、ここにもいるねー」と話しかけたりしている。鏡の中に住む、たまそっくりな女の子という設定。たまを抱いて百面相している鏡の中のママが面白くて笑っているのではという気もするが、一人で鏡の前に置いても、じーっと見入っている。その間に、ささっとお皿を洗ったり掃除機をかけたりできるので、鏡っ子たまちゃんはベビーシッターになる。

年末辺りから、スフィンクスのポーズで鏡に向き合わせると、肘を突き出し、鏡っ子たまちゃんに向かってハイハイの真似事を始めるようになった。少しでもお近づきになりたいという気持ちの表れだろうか。気持ちは前へ進んでいるけれど、手足の動きが伴わず、おなかを軸にして時計回りに回転する。だいたい十二時から三時までの90度ぐらいで力尽きるが、滑りがいいときは六時、九時と大きく回る。フローリングの床にこすりつけたおなかで拭き掃除をしてくれるので「ダスキンちゃん」と呼んでいるが、よだれがボタボタ落ちる後を追いかけて床を拭いているわたしも「ダスキンさん」になる。腕の支える力や足のけり出す力がつき、タイミングが合うようになると、ハイハイになるのだろう。おしりを落とし、おなかを床にこすりつけてのハイハイを「ズリバイ」、おしりを上げてのハイハイを「高バイ」と呼ぶらしい。

ハイハイを始めると見張っておくのが大変、「じっとしてた頃に戻りたいわ〜」となるらしいが、早く見てみたい気もする。まさに、「這えば立て、立てば歩めの親ごころ」(と昔から言うらしい)。大きな鏡だったら鏡っ子たまちゃんの吸引力も増すだろうか、というわけでベビービクスのスタジオの鏡に期待したのだった。ところが、鏡の前のたまはキョロキョロするものの鏡に向かって進もうとする気配なし。鏡が大きすぎて、他の赤ちゃんやママやいろんなものが映り込んでいるので、鏡っ子たまちゃんに集中できない様子だった。

2005年01月10日(月)  オペラシアターこんにゃく座『森は生きている』
2004年01月10日(土)  ラブリー「ニモ」!


2007年01月09日(火)  マタニティオレンジ56 男の人が歌う子守歌

出産祝いにとCDが贈られてきた。宮本益光さんというバリトン歌手が歌う子守歌を集めた『おやすみ』。「どうして男の歌手が日本語で歌った子守歌のCDがないのだろう」とギモンに思ったジャーナリストの江川紹子さんが「子守歌は子どもが歌う最初の音楽。だから本物を」と美しい曲ときれいな日本語と最高の演奏にこだわり、企画を実現させたのだという。名前は存じ上げていたものの江川さんの著作にはまだ触れたことがなかったが、ジャーナリストに要求される粘り強さや度胸や行動力が一枚のCDに結実し、子どもを授かったわたしの元に美しい贈り物となって姿を現した。

18曲の子守歌のうち、松本隆さんが日本語詞をつけたものが8曲。吟味された言葉がシューベルトやブラームスやドヴォルザークの調べにしっくりとしっとりと寄り添い、耳に心地よい。けれど、子どもに合わせた甘い味付けにはなっていないのが松本隆流。「愛はいつでもさすらうもの 一人から また別の人に」(『おやすみ』 作曲:シューベルト)、「誘惑と戦ったの 死ぬほど苦しんで」(『夢』 作曲:トスティ)といった歌詞が子守歌には斬新。『ねむの木の子守歌』は「作詞:皇后陛下」とあり、「高校時代のお作詞」だという。宮本益光さんの伸びやかな歌声に身をまかせ、言葉のひとつひとつを味わっていると、とても気持ちがいい。メロディと言葉が響きあい、ゆっくりと指先まで体をあたためてくれる。

「子どもはもちろん、大人たちの一日の締めくくりにも、ぴったりだと思う」と江川さんは記されているが、眠りにつく前に聞いていると、疲れが癒され、いい夢が見られそうな気持ちになる。一日中寝たり起きたりが仕事の赤ちゃんよりも、安らかで穏やかな眠りを求めているのは、お母さんのほうだったりする。子守歌を耳元で囁いて労ってくれるような気のきいたダンナさんはなかなかいないから、そういう意味でも男の人が歌う子守歌CDは重宝がられるかもしれない。お母さんがゆったりした気持ちになって体と心を休めることができたら、おいしい母乳が出て、それを飲んだ赤ちゃんはすやすやと眠れて、そのおかげでお母さんも安心して眠れる。

2004年01月09日(金)  ヨシミン(井野上豊)
2002年01月09日(水)  見えなかったB


2007年01月08日(月)  マタニティオレンジ55 ランドセルの紳士

娘のたまを抱いて自宅のマンションに帰宅すると、ランドセルを背負った男の子がインターホンを押し、「僕です」と家の人に言って玄関のオートロックを解除してもらっていた。開けたドアの向こうにいったん消えた男の子が、すぐに舞い戻ってくる。落し物でもしたのかなと思っていると、ドアをいっぱいまで開けて「どうぞ」と近づいてくるわたしを待つ。赤ちゃんを連れた住人が後ろから来るのに気づいて、咄嗟に引き返した様子。そうすることが当たり前というような迷いのない行動に惚れ惚れしてしまった。「困っている人を見かけたら手を貸しましょう」と日頃から教えられて身についているのだろうか。今度お母さんと一緒のところを見かけたら、息子さんの紳士ぶりを伝えたいと思う。そんな風にお母さんのことに思いを馳せるようになったのは、出産を体験してからの大きな変化のひとつ。

大丈夫ですか。気をつけてください。どうぞ。エレベーターの乗り降り、電車の中でもたくさんの人が気遣い、声をかけ、場所を譲ってくれる。親切や善意はいつでも取り出せるところに用意してあって、それを差し出す相手とタイミングを待っているだけなのだと気づかされる。妊婦や赤ちゃん連れというわかりやすい対象を見つけると、こぼれた水にハンカチが差し出されるように、さっとさりげなく手が差し伸べられる。以前は電車で席を譲られると、遠慮して「いいです」と断ってしまっていたのだが、そうすると相手は引っ込みがつかなくなった善意を持て余し、居心地が悪くなってしまう。だから最近はありがたく甘えさせてもらい、相手が先に電車を降りるときもこちらが先に降りるときも、あらためてお礼を言う。親切を受ける側の身のこなしも、慣れてくると、自然でスマートになる。

2006年01月08日(日)  『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』放送
2003年01月08日(水)  ベトナム料理
2002年01月08日(火)  Georg Jensen


2007年01月07日(日)  蓬莱の豚まん 日本一世界一551

大阪に帰る楽しみのひとつが551蓬莱の豚まん。ふっくらもちもちの厚めの皮と重量感のある中華あんの組み合わせが絶妙。物心ついた頃から慣れ親しんだ味だけれど、直営店で手作りの出来立てを販売することにこだわり、大阪を中心にした関西圏外へは進出していない。家族や友人が上京する際のお土産にリクエストしては大量に買ってきてもらったのをラップに包んで冷凍し、一個ずつ蒸しては食べているのだけれど、ストックを食べ果たし、血中551濃度が下がってきた頃の帰省。降り立った伊丹空港のお店の行列に思わず並びそうになった。

実家に帰ると、電話でのリクエストに応えて母親が買っておいてあった。最寄駅前の泉北高島屋の地下にお店が入っている。3日に2個、4日に1個、5日にまた買いに行って2個、6日に1個。「よく毎日食べて飽きないねえ」と東京育ちのダンナが呆れるが、いくつ食べても幸せになれる。140円でこれだけ満たされる物を他に思いつかない。6日の夕方に中学校の同級生のハルちゃんが遊びに来ている間に、父がまた高島屋に出向いて東京への持ち帰り用を買ってきてくれた。「わたしも買ってこよかと思ったけど、かぶるかなあと思ってやめてん」と言うハルちゃんは、去年のバレンタインデーに限定販売のハート豚まんを送ってくれた。

難波の蓬莱本店の歳末くじで両親が当てたという「551いろはかるた」が実家に転がっていた。
【い】てるかな? ガラスの向こうで つくるひと
【ろ】んよりうまいチャーシューまん
【ば】れんたいん ハート豚まんで 彼ゲット
といった具合。よくもまあ自分とこの宣伝でいろは四十七文字分作ったもんだなあと感心するが、551好きには共感できるものが多く、ついニンマリしてしまう。
【お】みやげは おおさかめいぶつ 551
うん、これはわたしのことだ。
【ほ】うらいの豚まん 日本一世界一551
世界一は言いすぎ、と思わず突込みを入れるわたしも、「地球上でいちばん好きな食べ物は?」と聞かれたら、迷いなく「551の豚まん」と答えてしまう。551好きが遺伝したのか、生後4か月の娘・たまはお店のガラス越しに豚まんを丸める店員さんたちに釘付け。気づいた店員さんたちが面白がって豚まんをガラスに近づけて、鈴を振るようにぶらぶらさせて遊んでくれる。「買いましたよ〜」とガラスのこちら側で赤い紙袋を持ち上げて見せた。一年後には一緒に食べられるようになるのかな。

湯気の立つ豚まんを紙袋のまま持ち帰ったら、帰りの飛行機の中に豚まんのにおいが充満してしまった。父や母が上京するときはビニールで厳重に梱包してにおい封じをしていたけれど、友人たちは新幹線の駅や空港で買ってすぐ乗り込んでやってきていた。道中でにおいを撒き散らしてしまい、肩身の狭い思いをしたかもしれない。ごめんなさい。

2005年09月05日(月)  あたり前田のクラッカーと551蓬莱

2002年01月07日(月)  カレーライフ


2007年01月06日(土)  マタニティオレンジ54 いとこ対面

今回の帰省の目玉は、娘のたまといとこ達との初対面。まずは三日にダンナの弟夫妻のところのハル君と顔合わせ。1才9か月になるハル君は、去年のゴールデンウィークぶりのわたしとダンナに慣れないのか、最初はもじもじ。一方、人見知りが始まっていないたまは、一目で美男子の従兄が気に入った様子。「大好き」光線を出して手を広げ、しなだれかかるようにハル君にぺたっと張り付き、ハル君がひしと抱きとめて、熱い抱擁となった。「わあ、しっかり抱きあってる!」と二組のパパママは大興奮。

慣れてくると、ハル君は余裕が出てきて、ママ仕込みの「チュー」を披露。ぎりぎりまで顔を近づけてから唇を突き出し、チュッというさりげなく爽やかなキス。スプーンの扱いもまだ覚束ないのにキスの腕前は大人顔負けというギャップが面白い。じいじやパパの粘っこいチュー攻撃には食傷気味のたまも、ハル君のキスにはうっとりご満悦。ハル君も受けているのがうれしいのか、たまのことを気に入ってくれたのか、チューを連発。いとこ同士なのに禁断の恋に落ちてしまうのでは、といらぬ心配をしてしまうほど、いい感じの二人になって、初めてのいとこ対面は大成功。

今日はわたしの妹・純子の一家が会いに来る。4才になるシュンスケ君と1才七か月になるトモヨちゃん。シュンスケ君は会う前から「雅子んとこのたまちゃん」に会うのを楽しみにしていてくれたのだけど、いざ目の前にすると恥ずかしいのか隠れてしまう。トモヨちゃんはママを取られまいと必死。純子がたまを抱き上げると、不満を露にし、たまを睨みつける。女の子同士のライバル心もあるのか、たまもトモヨちゃんには警戒モード。ハル君にはあんなに愛想をふりまいていたくせに。わたしと純子も仲のいい姉妹というよりは、喧嘩の絶えないライバルだったけれど、その関係がたまとトモヨちゃんにも受け継がれるのか。別れ際には少し打ち解けて、ぎこちないながらも無事抱き合ってくれてひと安心。

きょうだいと友人の間のような、いとこという存在。子どもの頃、年に何度か親戚同士で集まる機会にいとこと再会できるのが、とても楽しみだった。たまといとこ達も次に会うのが待ち遠しくなるような関係になってくれたらうれしい。

2004年01月06日(火)  引っ越したお隣さんと舞い込んだ鳥
2002年01月06日(日)  非戦


2007年01月05日(金)  佳夏のお墓参り

隣の家に住んでいた幼なじみの寺岡佳夏が2004年春に亡くなって、間もなく三年。彼女が最期の数年を研究で過ごした地ベルリンには、四季の花が植わっているお墓があるが、故郷の大阪にも昨年春にご両親がお墓を建てた。子どもの頃によく遊びに行ったサイクルスポーツセンターのすぐ近く、金剛の山並みを望む高台に立つお墓には、ひまわりの絵が刻まれている。8月生まれの佳夏を太陽やひまわりに例える人は多い。豪快にお酒を飲んだ彼女が天国でも喉を潤せるように、気を利かせた誰かからお酒を差し入れしてある。よく見ると、花を活ける器もビアマグだ。一緒にお酒を飲む機会はあまりなくて、わたしには佳夏=酒豪のイメージはなかった。知らんかったわ、あんた、お酒強かってんなあ。

佳夏のことを日記に書いたのを見つけて、彼女と交流のあった人たちからときどき連絡が舞い込む。いずれも訃報を聞きつけて驚き、情報を求めているうちにわたしの日記にたどり着いた方々だった。自分の知る佳夏がいかに魅力的な人物で、自分に多大な影響を与えたかを、会ったこともないわたしに語り聞かせてくれたことも共通していた。日本一おしゃべりな幼なじみの佳夏には、出会った人をも多弁にしてしまう力があった。わたしには初めて聞くエピソード、わたしの知らない佳夏を教えられ、死んでしまってから出会い直すような不思議な感覚を味わった。「あんなにすばらしい女性に会ったことはない」と言う男性もいれば、「彼女に生きる力をもらった」と言う女性もいた。そんな佳夏と子ども時代にこれでもかというぐらい遊べたことを幸せに思いつつ、大人になってからをもっと知りたかったわ、お酒も一緒に飲みたかったわとひまわりの石に語りかける。

誰よりも生命力にあふれていた佳夏がわたしより先にいなくなることは、まったく予想外だった。それから二年して、佳夏と同じ夏生まれの女の子を授かることもまた想像していなかった。ほんま、子どもを抱いてあんたのお墓参りするとは思わんかったわ。相変わらず、佳夏が死んでしまったことに涙はこぼれない。涙のかわりに、ひまわりの石に桶いっぱいの水をかけた。

2004年6月20日 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと

2005年01月05日(水)  英国旅行10日目 オクトパスと三越とママの会とフレンチ
2002年01月05日(土)  知ってるつもり


2007年01月04日(木)  マタニティオレンジ53 二世代同窓会

娘のたまを連れての初めての里帰りは、堺の実家に昨日から三泊して六日に東京に帰る日程。昨日はダンナの弟一家に会い、その近所に住む友人と夕方から会った。大移動の上にはじめて会う人ばかりで興奮し、さらにお風呂も布団もいつもなじんでいるものとは違って落ち着かないのか、夜になってたまは珍しく大泣き。寝付くまでに三十分ほど泣き続けた。大人ペースで予定を入れてしまうと、大人以上に疲れやすくて繊細な赤ちゃんは参ってしまう。反省。と言いつつ、今日は昼の部と夕方の部で友人が遊びに来たのだが、たまは一晩寝て大阪の家の雰囲気に慣れたのか、しっかり昼寝をしてくれて、昨日のようにぐずることはなかった。

昼は広告会社時代にコピーライターとデザイナーで組んで仕事をしていたミキがダンナのサクちゃんと7才の息子のコウヘイ君と遊びに来る。ミキはわたしが会社勤めをした十余年でいちばん親しくなった友人で、週末も一緒に遊んでいたので、一週間に十食ぐらいを共にしていた。サクちゃんは、わたしの大学の応援団の同期。ミキの家に泊まった翌日にサクちゃんと応援団仲間の芝居を観に行く約束をしていて、予定がないなら一緒に来る?とミキを連れて行ったら二人が意気投合したのだった。学生時代の男友達と社会人時代の女友達が結婚して、二人を足して二で割ったような顔の男の子がいるというのは、なんとも不思議な感じ。ポーカーフェイスでクールな印象のサクちゃんがたまをあやす姿も学生時代には想像もつかなかったことで、時の流れはいろんなことを変えるなあとしみじみする。

夕方からは中学校時代のソフトボール部で一緒だったヨシキョー、タカ、オカサンが遊びに来る、ヨシキョーは小学6年生の女の子、4年生の男の子、昨年8月に生まれたリュウセイ君を連れて登場。リュウセイ君はたまに興味しんしんで、小さな手を伸ばし、積極的にアプローチ。たまは相手にされないときは「構ってくれ光線」を発するのに、言い寄られる立場になると、そっぽを向いて指を吸ったりして高飛車な態度。「オウ、オウ」と呼びかけるリュウセイ君は、「なんだよー、その態度」と訴えているようにも見える。そんな0歳児を並べて眺めながら、「親子で同級生っておもろいねえ」と話す。子連れで昔話に花を咲かせている未来の自分なんて、中学生の頃は想像もしなかった。たまはどんな中学生になって、何部に入って、どんな友達と出会うんだろう。振り返りたくなるような日々になるといいなと思う。

2005年01月04日(火)  英国旅行9日目 ティーとブラッセリーと中華とショコラ
2004年01月04日(日)  じゅうたんの花の物語
2002年01月04日(金)  ひだまりでウェイクアップネッド

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