三楽の仕事日記
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2014年10月10日(金) 全日本中学校長会研究協議会 北海道(苫小牧)大会2日目

 5時30分起床。身支度をして6時30分から朝食バイキング。7時30分ホテル発。サッポロから苫小牧へ。全体会場へは9時過ぎ着。

 アトラクションは、室蘭市立翔陽中学校ジャズバントによる演奏。「A列車でいこう」「スペイン」「スイング・スイング・スイング」など馴染みの曲が続く。体が自然に動く。実に若々しくエネルギッシュな演奏。ソロが終わるたびにもの凄い拍手。超大型モニターに映る中学生の笑顔がいい。おかげさまで、とっても爽やかな朝。じわっときて、涙がこぼれそうになってしまった朝。

 全体会は、昨日の宣言文の採択。

 記念講演は、ホテル・ドゥ・ミクニ・オーナーシェフの三國清三さん。「地産地消と食育について 〜味覚は心と気持ちを豊かにする〜」と題した講演。

 本題の話より、三國さんがオーナーシェフになるまでの人生の語りにドンドン引き込まれる。

 三國家はとても貧乏。小中学校時代は家の手伝いと子守りに明け暮れたとのこと。小中時代の通知表はオール1。お金もなく、中学校卒業後は働かざるを得なかったとのこと。

 就職の際に、母親から言われたことは、「(中卒なのだから)皆からかわいがってもらうこと」、「稲穂は実るほどこうべを垂れることを忘れるな」、「(中卒でも)志は同じ」ということだったそうだ。

 三國さんは米屋さんに就職して、初めてハンバーグを食べます。小さいころから母親から黒い物は毒だと言われていたことから、黒いソースは毒だと思ったとのこと。ちょっと食べてみると、そのうまさに驚く。このハンバーグとソースとの出会いが三國さんの人生を変えます。

 こんなおいしいハンバーグを作りたいという気持ちになり、なんと料理人になることを志して、サッポログランドホテルへ。「何でもやるから雇ってくれ」といってアルバイトに入ります。それが16歳。それから必死に腕をあげて18歳で、なんと料理長。

 有頂天になっていたときに、先輩から「帝国ホテルには村上という神様と言ってもいいほどの料理長がいる。上には上がいることを忘れるな」と言われます。

 そこで今度は三國さんは、帝国ホテルにパートタイムで勤めます。2年間ほど、鍋洗いを始め、地道な仕事を続けます。ところが努力に努力を重ねても、正社員になれません。

 20歳になり、もう地元に戻ろうと決意したときです。駐スイス日本人大使館料理長に、弱冠20歳に三國さんを村上料理長が推薦!。

 それ以後の人生は、実に華やかな。志を失わず、常に果敢に挑戦されてきた三國さんの人生を聞き、中学生ジャズバンドに続き、目頭が熱くなる。

 三國さんのプロフィールを一度ご覧を。ここをクリック

 閉会式は大会の成果をそれぞれの立場の方が話して終了。

 シャトルバスで新千歳空港へ。隣席となった山口県の校長先生と教員の年齢構成、教職員評価制度、再任用制度についての情報交換。そして授業づくりの話。近くの3つの自治体が、「学びの共同体」「陰山氏メソッド」「教えて考えさせる授業」という違うアプローチをしていることを聞く。つい、学力向上にはどれが効きそうですか?とお聞きする。回答は秘密(笑)。最後は「昔の校長職は・・・」というお話で、空港着。

 2時間ほどフライトまでに時間があるため、さっそく学校HP記事づくり。「空港内で無線LANが使えるお店を紹介してください」とインフォメーションで聞くと、空港内はどこでも使えます、とのこと。さっそく待合チェアで作業開始。上記の講演記録を中心に記事をアップ。

 予定より20分遅れて中部国際空港へ。17時40分着。乗り換えなしのため準急に乗車して犬山へ。名古屋までは友人と貴重な情報交換。そして味岡へ。家に戻って、出会った校長さんの話をしているうちに記憶なし(笑)。

 


2013年10月10日(木) 沖縄県本部町校長会視察ならびに「しゃべり場」開催
2012年10月10日(水) 中学校学級担任必携 通知表所見の文例集 発刊
2011年10月10日(月) 野口芳宏先生を囲む会
2010年10月10日(日) 愛知文教大学教育シンポジウムに登壇
2009年10月10日(土) 読売教師力セミナー「ネット社会をどう生きる」
2008年10月10日(金) 学校・情報モラルお困り相談サイト作成開始
2007年10月10日(水) 家庭科の指導案
2006年10月10日(火) 有志で輪読会
2005年10月10日(月) やっぱり野口さんはすごい!
2004年10月10日(日) 今年も、名人、野口芳宏節に酔いしれる
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