三楽の仕事日記
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2010年10月10日(日) |
愛知文教大学教育シンポジウムに登壇 |
愛知文教大学教育シンポジウムに登壇。テーマは「教師にとっての「学びの共同体」−教師の教育観の形成を中心に−」。後日、シンポジウムの内容をまとめた冊子?が出されるとのことだから、ここでは僕があの場面でどう考えていたのかを記録しておきたい。
登壇者は、1時間前に集合して打合せ。といっても、あまり入念にしてしまってはライブ感に欠けてしまうのでと控え目に流れの打合せ。
学長挨拶後、副島先生から「Learning Community と『学びの共同体』」と題して、日本の授業研究が衰退しつつあること、学びの共同体は授業研究復興を核とした改革運動であること、それはHow to teach からHow to learn の授業研究へ変容させることなど、簡単かつ分かり易い概要説明。この説明でかなり学びの共同体について共有化できたはずと思った。(後でフロアからの質問用紙を見て、学びの共同体の認識は実に様々だと知る)
続いて小牧中・西尾先生からのご自身の(教師としての)ライフヒストリー。もちろん初めて聴くことなので、要点を一生懸命メモ。学校全体が「学びの共同体」にシフトしだした話が始まるかなと思っていたところで発表を終えられたので、正直、慌ててしまった。
次に僕が西尾実践発表についてコメントする立場で登壇。「いよいよかなと思っていたのに終わってしまいましたね」と本音を出したことから、気持ちの上で一線を越えてしまった感じ。西尾先生が語られた言葉の中から、僕が気になったことをいつものくせで笑いも意識しながら話す。そして用意しておいたプレゼン。
今思えば、あのプレゼンをもとに西尾先生ご自身と会話しながら、授業における子どもと教師とのかかわり合いにおいて、どの段階からどの段階へ移行したと考えておられるか、そしてその理由(これがなぜ学びの共同体なのかに直結するはず)をお聞きした方が、今回のテーマにマッチしたのではないかと思う。ここまで書いて、僕はあくまでもコメンテーター。一人喋りに徹するわけだからそれも無理だったかと思い直す。
大西さん、副島先生からのコメントを受けて前半終了。休憩中に届いた会場からの質問は、当然といえば当然なのだが多岐にわたる内容。進行役にお任せするしかないのだが、どんな展開になるのか予想もつかない状態で再登壇。
僕のパネリストとしての立場は突っかかることだと理解していたので、大西さんの発言に意図的にボールを投げる。
僕はいわゆる授業名人を目指して歩んできた人間。しかし、学びの共同体こそ、全員の子どもの学びを保証するものであると言われる。そうであれば僕が新任のころから教えていただきたかった。だれも言ってはいなかったのではないか。僕の勉強不足なのか。大西さんも高校教師であった時に、本当にそう考えられていたのか。 僕としては、(後でフロアから質問があったが)、なぜ、学びの共同体なのかということを参加者の皆さんと共有化したいという思いで発言。小牧市内で「学び合う学び」を始めたころには、おそらくなぜこれなのだと疑問に思われた方は多数おられたはず。それぞれが自問自答し、互いに語りあい、素直に授業を見合う中で、教師の授業技術から子どもの変容やその背景へ授業研究の視点をシフトしながら、新たな教師観をつくりあげられた方が多く存在するはずだ。西尾先生はその一人だ。このことからも僕のコメンテーターの役割不十分を反省。
「忙しく過ぎて授業研究ができない。行政としてどう考える」といった司会からの質問を受けて、確かに多忙化を解消すべきだと思いつつ、「本当に多忙化解消したら教師は学び始めるのか」と発言。この発言については、アンケートで「教育行政として無責任な発言である」と厳しいご意見をいただいた。もう少し丁寧に説明すべきだったとこれも反省。ということで、本日は反省すべきことばかりのシンポジストだった。「では、あなたはこれからどうするのだ」という質問もあったので、次に同じような問いかけがあった場合に、あれからこのように動きました、と報告できることをいくつか試みたい。
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