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2013年04月24日(水) |
安易に人を類型化して、「レッテル」を貼ってはいけないですね。 |
◆急に思い出したのですが。
Amazonを何となく眺めていて、偶然久しぶりに、ある本を見つけました。
20年近く前、ロンドンで見つけた「折り紙」の本ですが、箱をたのしむ (ユニット折り紙)。
普通の折り紙は言うまでも無く一枚の紙を折って、何らかの形にするのですが、
これは、何枚もの折り紙を部品になるように幾何学的な形に折って、それを組み立てて箱にするのです。
私は小学生の頃、恥ずかしいのですが、6年間、通信簿の「図画・工作」は、5段階評価で「3」か「2」しかとれませんでした。
ずっと同じ女性の美術(図工)専門の先生で、今思うと、この先生は意地悪じゃないのですが、
細部に神経が行き届いていない、色がはみ出ている絵とかそういうのがお嫌いだったようです。
今の通知表のシステムを知りませんが、私の頃は「相対評価」で、算数でも国語でも図工でもかならず、そのクラスには
5から1まで「いなければならなかった」のです。従って私は「相対的には」3か2にするしか無かったのでしょうが、
ずっと、こういう「レッテル」を貼られると、「ああ、自分は絵は下手で、手先は無器用なのだ」と思い込みます。
人間、そのように自分で思ってしまったら、そこで止まってしまうのですね。3か2に相応しいことしかしなくなる。
◆すると、本当はできることまで「できないように」行動してしまうようです。
それで、図工の先生への恨みつらみ・・・ということではないのですが、
図工で「3」と「2」しか貰えないと、自分で「それに応じる行動」を取るのです。
具体的には、先ほど少し触れた「折り紙」を例にとると、折り紙を綺麗に折るためには、
角や辺がきちんと合うように紙を折る必要があります。私は確かに手先が器用ではないのですが、
それぐらいのことは、意識すれば、大抵の人は出来ます。器用な人よりは時間がかかっても、です。
ところがですね。私は図画工作が「万年、3か2」人間だ、と自分を規定してしまったので、「できる」ことも
無意識に「できないように」行動していました。折り紙なら、キチンと折らずに角がずれて汚くなるように
折る。別にヤケクソじゃないのです。変な表現ですが、期待に応えてしまうのです。
ですので、私は数十年後まで、つまり大人になっても、自分は紙を綺麗に折ることも出来ない人間なのだろう、
という、謂わば「負の自己暗示」をかけていたようです。
◆ところが、箱を作る折り紙で、意識が変わりました。
図工コンプレックスの私が何故、折り紙の本など買ったのか、良く覚えていないのですが、
立体的な、というところに興味を持ったのだろうと思います。
さらに、ロンドンの冬は長いので、何か暇つぶしに出来る事は無いか探していて偶然、
「箱をたのしむ (ユニット折り紙)」を見つけたのですが、もう、成績なんかつかないし、人に見せるものでもない。
大人になっていたから、子供の頃よりも集中力が付いていたということもあるでしょう。
驚いた事に、箱のパーツを幾つも折る、その過程で綺麗に紙の辺や角を合わせている自分に気がつきました。
パーツを組み立てたら、ちゃんと「箱」になりました。
驚きました。自分で自分を「無器用な人間」と規定している間はできなかったのに、
そんなのどうでもよい、どうせ暇つぶし、と思ってやったら、人並みのことが出来たのです。
つまり、私の場合は無器用か器用かは、自らの意識の在り方で決まっていた、ということになります。
◆人間はレッテルを貼られると、それに身合う行動をするようなのです。
前述しましたが、私は6年間お世話になった図工の先生への恨みつらみを書こうというのではありません。
先生にしてみれば、結構辛かったと思いますが、必ず誰かを「5」にして、誰かを「1」にしなければならなかったのだから
致し方ありません。
但し、人間は一旦「レッテル」を貼られると、良いレッテルならば、期待に応えよう、と
するのは、理解できますが、「あまり良くない」「悪い」レッテルであると、その程度の人間になろう、
と、してしまうらしい。自分の子供からロンドン時代を振り返るとそう思います。
私の手先など器用であろうがなかろうが、どうでもいいのですが、
これが小さい子供の教育においては、かなり重要な問題です。
或る子供が、仮に勉強科目全てテストの成績が悪くても、「バカだ」という言葉は絶対言ってはいけません。
まだ「テストで100点を獲って褒められる快感」を知らないのです。逆にいうと、なるべく普段から何か良いところを見つけたり、
家事の手伝いをさせたら「ありがとう良くやったね」などと自尊心=自己の重要感を与えられる快感を教えるべきです。
一度やる気になったら、勉強だろうが実技だろうが、放っておいてもやります。
否定的なレッテルは、人間の可能性を簡単に潰してしまうということを、皆が認識するべきです。
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