JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:「大変申し訳ない」=逮捕の少年、弁護士に―京都車暴走(時事通信 4月24日(火)23時19分配信) 京都府亀岡市で集団登校中の小学生の列に軽自動車が突っ込み10人が死傷した事故で、 ◆コメント:少年法廃止。死刑。 この18歳は胎児も含めれば3人殺したことになるのに、少年法が適用され、5年経ったらシャバに出る。 犯罪の尺度は社会に対して与えた損害である と書いている。その通りである。本件で社会が失ったのは3人の生命である。 社会に与えた損害に着目するならば、ガキだろうが、大人だろうが、関係ない。 少年法は廃止するべきだ。 この事故がもたらした結果は、犯人の18歳のガキが、今後いくら真面目に生きて働こうが、 取り返しが付かない。どうしようもない結果をもたらした人間は自らの命で償うべきだ 本当は、こいつが死んでも、死者が生き返るわけではないから、償ったといえるかわからない。 しかし、生かしておいたら、また何をするかわからない。一事が万事で、 こういう人間は、今はしおらしくしていても、5年経てば忘れる可能性が高い。 法学部で刑法を習うと、必ず、「刑罰の正当性の根拠」という講義がある。 人間が人間を罰することが出来る根拠は何か?という、本来は非常に哲学的、 倫理学的な議論だが、法学部ではとりあえずそれは考えない。 大きく分けて、「応報刑主義」と「教育刑主義」になる。 応報刑主義とは、要するに「この野郎!」ということだ。 教育刑主義とは、刑罰とは罪人を教育して善人にするためのものだ、という。 しかし、私はいずれにも属さない思想があるのではないか、と思っている。 こいつを生かしておいたら危険だから、殺そう、ということである。 いわば「排除主義」である。どのような刑法の教科書にも載っていない。 私が勝手に創った言葉である。 この18歳が該当するか分からぬが、かつての女子校生監禁コンクリート詰め事件 などを見ると、人間には、どうしようもない、根っからの「ワル」がいる。 こいうのは煮ても焼いても食えない。消すのが一番だ。 激情に繰られて書いているのではない。 以前から考えていたことを、初めて文字に記したまでである。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2011年04月24日(日) これはいつまで続くのか・・・・。
JIRO
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