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2012年11月17日(土) |
【雑感】私には「散文的」な文章しか書けない、という「コンプレックス」があります。 |
◆10年以上もWeb日記・ブログを書いていますが・・・。
2002年4月15日にWEB日記エンピツに自分のアカウントを開いてから、
書いた記事の総数は、今日のこの記事で3,442本目になります(総記事見出し一覧)
子供の頃、「今年こそ」と思い、「当用日記」を元旦から書き始めたことがありますが、文字通りの3日坊主で、何回やっても一週間続いたことが
無かったのですから、このように、ネットに公開し、日本語を理解できる世界中の(大袈裟ですが原理的には、そういうことです)方に読んで頂く、
ということが、これほどの「励み」、文字通り書き続ける原動力になる、とは自分でも想像していませんでした。
その意味では、これは、私の意識の中では、「人生最初かつ唯一の偉業」なのです。
しかし、読み返してみると恥ずかしい文章の方が遙かに多い。頭が良くないので、文章が冗漫ですし、
ボキャブラリーが貧困で、誤字脱字も多い。しかし、最も恥ずかしいことは、これは才能なのでどうしようもありませんが
自分の文章が全て「散文的」である、いや散文そのものばかり、ということです。
「散文的」を広辞苑でひきますと、
詩情に乏しいさま。散漫で無趣味なさま。
とあります。反対語は「詩的」です。私は若い頃から詩的な文章が書けません。
書いてみようと試みたことはあるのですが、自分でも顔が赤くなるぐらい、話になりません。
しかたがないことですが、本当は、こういう文章を書ける感受性・才能を持ちたかった、
と、思うのは、毎日新聞の音楽記者(編集委員)梅津時比古(うめづときひこ)氏のコラムを読むときです。
<音のかなたへ>というコラムで、不定期ですが、1ヶ月に2,3度、掲載されます。
ずいぶん長く続いていて、過去の記事は本になっています。音をはこぶ風、日差しのなかのバッハ、非日常と日常の音楽 といずれもマーケット・プレイス(古本)ですが、
これ、一時期は殆ど古本屋にも在庫が無かったのか数千円から一万円以上もした時期がありました。
それは、さておき、梅津時比古氏は日本で唯一の本当のクラシック音楽専門記者、と
言って良いと思います。全国紙でも他紙は、読むと分かるのですが、本当に分かっている人がいません。
梅津氏は音大こそ出ていませんが、音楽への造詣が深いことはよく分かります。
演奏会評は、時に非常に辛辣なこともありますが、それは当然として、
コラム「音のかなたへ」は、非常に詩的な感受性にあふれています。例えば、
「音をはこぶ風」77ページ。
「冬を追い出すカーニバル」
喜び、悲しみやおとおしさは、こみあげて、はじける。
凍りつくような二月のケルン。“バラの月曜日”に、朝早くから市民が顔に朱を塗り
ピエロのような思い思いの仮装を施し、メーン・ストリート沿いに集まる。
シュナップス(酒)で体を暖め、笑い声が交錯する。謝肉祭(カーニバル)。
やがて、おびただしい花に囲まれた馬車、美しいお城に変じたトラック、華やかな服をまとった
子供の楽隊などが次々に登場し、半日近く切れ目無く行進する。馬車や車の上から、チョコレート、ボンボン、
花、小さな香水などをばらまきながら。沿道を埋めた人々は歓声をあげ、手づかみで、あるいはカサを広げて
菓子や花を取り合う。
復活祭の四十日前、精進に入る前に食べて飲んで浮かれておこうという思いと、
長い冬をこらえていた感情が重なって、爆発する。
ケルンの謝肉祭は、シューマンが住んだラインラント地方を代表する祭り。シューマンはピアノ曲「謝肉祭」で
自分の恋人や、少女クララ、友人ショパンを描き分け、仮装させる。泣き笑いがこみあげ、はじけて消える。
もう一つだけ。同じ「音をはこぶ風」68ページ。
超絶技巧に込められたもの
パガニーニがヴァイオリン曲に刻み込んだ超絶技巧には、安易なものへの拒絶のにおいがする。
適当な技巧で美しく聞こえるような曲など望むな! 弾けもしないのにツベコベ言う批評家もどきが多すぎる!と、
たたきつけているよう。実際、彼の曲を完璧なテクニックで弾かれると、黙らざるを得ない。ピチカート、フラジョレット、
独自の運弓法などが輻輳(ふくそう)し、ヴァイオリンの表現の幅を恐ろしいほどに広げている。
代表作の一つ「モーゼ変奏曲」は、ロッシーニのオペラ「モーゼ」から取られた主題が素朴で美しい。
だが奏者は、G線一本で高音域をかなでる苦闘をしいられる。
オペラでは、出エジプト記で知られるモーゼと民衆が追い詰められ、紅海を前にした砂漠で神に祈る時に歌われる。
頭上に手を組み、奇跡を願って祈る姿を見ていると、パガニーニがなぜ楽に弾ける高音弦を使わなかったのか分かるような気がする。
決して超絶技巧だけを求めたのではなく、彼は苦しみの果てに歌われる人間の声を、表したかったのだろう。
いずれも、言葉の美しさと表現の豊かさに陶酔してしまいます。
それに比べて自分の文章の何と凡俗で野卑で散文的なことか。
詩的な文章を書くには、非常に繊細な感受性と、それを言語化できる天賦の才が必要なのでしょう。
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2009年11月17日(火) 「オバマ大統領のお辞儀、米国で物議に」←というほどでもないですが。
2008年11月17日(月) 7-9月実質GDP、前期比-0.1%。2四半期連続マイナス。←完全に世界同時不況。
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2006年11月17日(金) 「<教育基本法>単独可決に、首相の「意向」強く働く」←この国は独裁制でしたっけ?/音楽追加しました。
2005年11月17日(木) 「組織的詐欺」と慰謝料も=外為証拠金業者に賠償命令−東京地裁 素人が外国為替に手を出してはいけません。
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