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JIROの独断的日記
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2012年09月02日(日) 8月の日経「私の履歴書」は君原健二氏でした。

◆日本経済新聞の文化面に「私の履歴書」というコーナーがあります。

日本経済新聞の文化面というのは要するに最後のページですが、株の記事なんかよりも、

私は先に、文化面に目を通します。

文化面には「私の履歴書」という、多くの場合は、日本有数の大企業トップの半生記が

多いのですが、それよりも、芸術家とか、その他の分野の方の話の方が大抵面白いのです。


◆8月はメキシコ五輪マラソン銀メダリスト、君原健二選手でした。

思わず「選手」と書きましたが、1941年生まれの君原さんは、1968年のメキシコ五輪のマラソンで銀メダルを獲り、

ミュンヘン五輪の翌年、1973年、32歳で現役を引退しておられます。


君原さんは、現役時代にフル・マラソンを35回走りましたが、ただの一度も途中棄権したことがない、

という事実で有名です。何十年も前ですが、ある大企業の社長がインタビューで尊敬する人として、

君原選手を挙げていたのを良く覚えています。


今回、1ヶ月間連載された「私の履歴書」を読んで更に驚いたのは、君原さんは、71歳の今もまだ、

あちこちのマラソンに、ある時は自ら応募して、また、しばしば「ゲストランナー」として、フルマラソンを

走っているのです。今年マラソンが何と通算61回目のフルマラソンで、勿論タイムは、今は競技者ではないし、

失礼ながらお年がお年ですから、3時間30分台ですが、ざっと計算すると時速12キロという自転車並の速度です。

今でもそれだけの走力を維持し、引退後も一度も途中棄権がないそうです。

こまめに記録を書き留める方で、中学2年で走り始め、去年の終わりで通算走行距離は16万キロに達したそうです。

地球(赤道)を4周したことになります。いくら現役を退いたあとは、タイムを競う必要が無いといっても、

ものすごい事だと思います。私は普段スポーツにあまり関心がありませんが、

君原選手は、その「棄権したことがない」歴史的事実と、テレビでしか拝見したことがありませんが

とにかく真面目な方なのは、よく分かります。私も尊敬しています。


◆「君子」とは君原選手の為の言葉ではないかと思います。

夏目漱石の「坊っちゃん」で、主人公坊っちゃんは赴任先の中学の同僚、

「うらなり先生」をみて、

おれは君子という言葉を書物の上で知ってるが、これは字引にあるばかりで、

生きてるものではないと思ってたが、うらなり君に逢ってから始めて、やっぱり正体のある文字だと感心したくらいだ。

そうですが、私がテレビで小学生の質問に答えている君原選手を見ていて、全く同じ事を思いました。

子供達が「どうやったら、途中棄権しないで、マラソンを走ることができるのですか?」と尋ねると、

君原選手は半分当惑したような表情で、
(途中棄権したことがないことについて)よく聴かれるのですが、自分では棄権したことがない、いうのが本当に競技者として、

良い事だったのか?と疑問に思うことがあります。棄権したことがないというのは、ウラを返せば本当に苦しくなるまで

速度を出していない、「楽をしている」ということであって、陸上競技の競技者としては、勝つために、無理してでも

速くはしるべきだったのではないかとおもいます。

という趣旨を、小学生を相手に、本当にこれぐらい丁寧な言葉で真面目に話す方です。

こんな五輪メダリストを他に知りません。


◆とても気持ちの優しい方だと思います。

ご自分が、現役時代はもとより、引退後もトレーニングを続け、70歳を過ぎても、フルマラソンを完走する

というほどの方でしたら、他の人に対して、

自分も苦しくて耐えたのであるから、皆辛くても我慢しろ。

という「根性論」になりそうですが、君原選手は決してそういう言葉を発しないのです。

8月の下旬、つまり間もなく1ヶ月の「私の履歴書」が終わりに近づいたときに

次の言葉を書いておられます。
競技者時代、私はマラソンを楽しい、面白いと感じたことはなかった。競技としてのマラソンはつらいものでしかなかった。

走るのがつらくなると、私は目標を小さくする。ゴールまでは遠すぎる。だから、とりあえず、「あと5キロ頑張ろう」と自分に言い聞かせる。

それでもつらければ、「あと1キロ頑張ろう」「あの電柱まで頑張ろう」と目標を身近なところに置いて走った。肝心なのは、最後まであきらめないことだ。

その考え方は、1979年の公共広告機構の自殺防止キャンペーンで紹介された。テレビCMの中に、私のセリフが挿入されている。
「私は苦しくなると、よくやめたくなるんです。そんなとき、あの街角まで、あの電柱まで、あと100メートルだけ走ろう、そう自分に言い聞かせながら走るんです。」

新聞の広告にもなり、広く人の目に触れた。あの広告で自殺を思いとどまった若者がいたと後に聞いた。

これは、素晴らしいですね。最近、政府は自殺対策といい、内閣府のサイトには自殺防止ホームページがありますが、

何故、君原選手の言葉をまた使わないのかと思います。

よく、うつ病への対処で「頑張る」は言わないというのがあります。君原選手の言葉には「頑張る」という単語が出て来ます。

しかし、叱咤激励する感じがまったくないのですね。頑張るのですけれども、なるべく小さく頑張る。

もしも自殺したいという人なら、あと3日生きてみよう。それが辛かったら、あと1日だけ生きる。

それもいやだったら、あと6時間だけ生きてみる。だめなら3時間だけでも、いや1時間、30分だけ、

と言う風にうんと小さな「目標」をたてて、それを乗り切ったら自分を褒め、もう30分だけ・・・・

という具合に思うことで、楽になるように思うのです。

君原選手の私の履歴書は、自殺防止のことではなく、みずからのマラソン人生を回顧するものですが、

私は、引用した部分がとても優しい言葉だ、と感じました。

君原選手は、頭のてっぺんからつま先まで、紳士で真摯で、真面目な方で、メダリストだから偉いだろう

ということは、全然ないのです。真面目過ぎるぐらい、謙虚すぎるぐらいです。

世知辛い、今の世の中では、他人を出し抜いて「勝ち組」になるにはどうすれば良いか、

というような考え方や、それを文字にした本が人気ですが、君原選手のように、自らを誇示することもなく、

ただ、ただ、控えめな方が、見直されるべきだと思います。

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