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2011年06月25日(土) |
【音楽】お薦め。スヴェトラーノフ=N響、チャイコフスキー 交響曲第5番。 |
◆このコンビをお薦めするのは2度目です。
一度目は、約半年前、昨年の12月です。
こういう記事を書きました。
【音楽】スヴェトラーノフ=N響「チャイコフスキー・3大バレエ抜萃」(ライブ)
エフゲニー・スヴェトラーノフは旧「ソ連」の時代に全盛期だった指揮者です。
彼が、長く音楽監督を務めたソヴィエト国立交響楽団と1970年代に来日し、初めて彼を見たとき、
私は、はっきり言って、あまり良い印象を受けなかったのです。
ステージにツカツカと現れる瞬間から、自信とエネルギーに満ちあふれてまして、
ステージの真ん中まで来たら、客席に向かって胸を張って、両手をサッと左右に拡げるのです。
あたかも
どうだ。これが俺のオーケストラだ。これからお前ら日本人に「本当の」ロシア音楽を聴かせてやるぞ。
と言いたげです。「何だか、妙に威張ってるな」と思いました。
しかし、演奏はすごかったですね。ロシア(旧ソ連)のオーケストラがチャイコフスキーや
ショスタコーヴィッチを演奏すると、とにかく最初に「馬力!」という感じで、バリバリ鳴らす、
というイメージが強いのですが、スヴェトラはクマみたいな容貌とは裏腹に、大変繊細なのです。
しかし同時に、「悲愴」の第三楽章では、一番盛り上がり、全オーケストラがフォルテでマーチを
演奏する部分になったら、スヴェトラは突然、指揮棒を下ろしまして、
全てオーケストラに委ねるのです。自分は少々わざとらしく、カフスボタンを付け直したりして
目の前でオーケストラはガンガン弾いてるんですよ。オーケストラの合奏能力を誇示したかったのでしょうか。
ソヴィエト国立響はスヴェトラが鍛えて「我が子」と呼んでいたそうですから。
でも、そんな指揮者を当時高校生の私は初めて観て、何だかハッタリっぽく感じました。
だから悪いけど、私のスヴェトラに対する第一印象は良くなかった。
まさか、後年、N響に客演して、名演を繰り広げることになるとは、想像だにしませんでした。
さらにさらに意外だったのは、N響のメンバーにも大変、好かれていたのですね。音楽も人柄も。
◆「バイオリニストは肩が凝る」から「スヴェトラの死んだ日」
N響で30年もヴァイオリン奏者として活躍なさった鶴我裕子さんの
バイオリニストは肩が凝るは、少なくとも私にとってはものすごく面白い、
誤解を恐れずに述べるならば、あたかも、私の為に書かれた本である、というぐらい興味深い本なのですが、
その中に「スヴェトラ来た日」と「スヴェトラが死んだ日」の二つの文章が載っています。
ここまで書いて貰っている指揮者は他にいません。「スヴェトラが死んだ日」から引用します。
「スヴェトラーノフの死んだ日」
今年(2002年)5月7日の、成田空港出発ロビーで。
「スヴェトラ、死んだねぇ」
「ああ、つなんなくなっちゃったなあ」
「どうしても死ぬんなら、9月に来てからにしてくれよ」
「楽しみにしてたのに」
「喪に服したいから、黒、着てきたんだ」
「ただのTシャツじゃねえか」
我々はその日、デュトワの指揮で、韓国の合唱団と「第九」をするために、ソウルへ出発
するところだった。
本来、指揮者はプレイヤーのカタキだ。人につらいことを全部押しつけておいて、手柄は
横取りする、嫌われて当然の存在なのだ。それなのに、オケの「みんな」が、その死を知って
ショックを受け、本気で悲しむなんて、めったにあることじゃない。
「ダイアナ=プリンセス・オブ・ウェールズに捧げます」--あの声を忘れない。名演だったチャイコフスキーの
第5番の2楽章に入る前だった。客席は水を打ったようになり、こちらも涙が込み上げそうになった。
超ロマンチストだったスヴェトラ。あらゆるメロディを、これでもかというほど遅くして、歌わせたスヴェトラ。
しかし、チャイコフスキーの第4番の2楽章では、ソロを吹くオーボエに「何もするな」と言ったスヴェトラ。
注文は1回きりしか言わないので少しこわかったスヴェトラ。口数の少ない、でも練習の途中で、ポツリポツリと、
ショスタコーヴィッチの棺桶をかついだ話などしてくれたスヴェトラ。大汗をかいて、本番でも楽章ごとに休んで
あおいでいたスヴェトラ。
(中略)
楽員一同、心からご冥福をお祈り致します。(注:色文字は引用者による)
このチャイコフスキーの交響曲第5番がCDになっているのです。
チャイコフスキー:交響曲第5番です。
鶴我裕子さんの本に書いてある「名演」はこれに間違いない。CDの記録を読むと1997年9月5日のライブなんです。
ダイアナ妃が事故で急死し、世界が驚いたのはこの僅か5日前、1997年8月31日のことなのです。
だから、第二楽章に入る前に、スヴェトラーノフは弔いの言葉を述べたのでしょう。
残念ながら、CDではスヴェトラーノフの言葉はカットされています。
◆確かに名演です。
チャイコフスキーの交響曲第5番、第二楽章には、長いホルン・ソロがあるので有名です。
緩徐楽章、Andante Cantabile(アンダンテ・カンタービレ)ですから、細かい速い動きはありませんが、
何しろ、弦楽器の伴奏でホルンがオーケストラの中のソロとしては相当長い時間1人で音を出しているし、
緩徐楽章だからこそ、一つでも、ちょっとでもミスをしたら、特にこの曲なんか、クラシック・ファンは皆
知っているので、誤魔化しようが無い。そういうプレッシャーが有ると思います。
長年、首席ホルン奏者を務めている松崎裕さんのソロは大変見事です。
スヴェトラは演奏終了後、松崎さんをわざわざ、指揮台の所に連れてきて、
その名演を讃えたそうです。そしてその模様は、この演奏の10年後2007年、
N響アワーが「ホルン特集」を企画したときに放送されたそうです。Amazonのレビュアーが書いています。
非常に悔しいことに、私はそれを見逃してしまったのですが、また放送して貰えると嬉しいですね。
それでは、その第二楽章と、フィナーレ(第四楽章)をお聴き頂きましょう。
チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調 第二楽章 アンダンテ・カンタービレ
Tchaikovsky Symphony No.5 Second Movement
ものすごく深いところから音が出ているように聞こえます。正にスヴェトラが表現したかった「祈る」気持が
N響のメンバーに伝わっているのでしょう。
続いてフィナーレです。
チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調 第四楽章 アンダンテ・マエストーソ、アレグロ・ヴィヴァーチェ
Tchaikovsky Symphony No.5 Finale Andante Maestoso --Allegro Vivace
私のような似非(エセ)クラシック・ファンは、チャイコフスキーや、ショスタコーヴィッチの交響曲というと、
まず、昔のソ連時代のムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー交響楽団が定番と決めてかかります。
実際名演の名盤も多いですけど、決めつけるのはつまらないですね。
このチャイコフスキーの交響曲第5番、「馬力」という点で比較したら、それはクマのような大男が大勢いる
ロシアのオーケストラの方がバリバリ大きな音で鳴らすことができて、景気がいいでしょう(特にトランペットは
フィナーレまで行くと相当キツイので、体力の差が出ます)。
しかし、チャイコフスキーの5番はただ、バリバリ大きな音で景気良ければ良いというものではないですね。
指揮者によって、これまで何度も聴いたことがある、チャイコフスキーの交響曲が、全然別の顔を見せます。
これこそ、名指揮者です。
チャイコフスキー:交響曲第5番、お薦めします。
(蛇足ながら、Amazonに私が2番目のレビューを書きました)
◆【おまけ】スヴェトラが「白鳥の湖--情景」を振ると・・・・。
そもそも、私が今更ながら、スヴェトラーノフとN響の演奏に関心を持って経緯は、
【音楽】スヴェトラーノフ=N響「チャイコフスキー・3大バレエ抜萃」(ライブ)
に書きましたが、これこそ何度聴いたか分からない、あの「白鳥の湖」の第二幕「情景」
の演奏を素晴らしいと思ったのがきっかけです。鶴我裕子さんが、
超ロマンチストだったスヴェトラ。あらゆるメロディを、これでもかというほど遅くして、歌わせたスヴェトラ。
と書いておられるとおり、彼の有名な白鳥のテーマがオーボエからホルンに渡されたあと、
これほどテンポを落とした演奏はありません。すぐに削除依頼が出てしまうかもしれませんが、
その映像だけアップします。
SwanLake Scene
スヴェトラーノフは少しも大袈裟な動きをしないけど、N響がスヴェトラの意を汲んで、
熱演してます。こういう風に持っていくのが名指揮者でして、自分が先に興奮して、
オーケストラが、シラーっとしているときは、あまり良い演奏では無い事が多い。
これは、交響曲第5番とは別の日の演奏ですが、最後、くるみ割り人形の
「パ・ド・ドゥ」演奏後、仕切りにブラボーが飛んでいます。
言い方が悪くてごめんなさいですが、割と耳が肥えて、スレたお客がN響には多いですが、
彼らに「くるみ割り人形」で「ブラボー」を叫ばせてしまう。
やはり、スヴェトラーノフというひとは、名マエストロだと思います。
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