JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:力出し切り、達成感=浅田、「自分に雪辱」の優勝−世界フィギュア(3月28日1時20分配信 時事通信) 荘厳なラフマニノフのフリー曲「鐘」を演じ切ると、両手を上げたポーズで、誇らしげな表情を浮かべた。 ◆コメント:とりあえず、良かった。 祝福する言葉の冒頭に「とりあえず」と付けるのは、自分でもスッキリしないが、 五輪の悔しさは、五輪でしか晴らせない。 だろうから、である。普段、全くスポーツに何の関心も無いわたしですら、十分に想像出来る感覚である。 五輪の金メダルとフィギュアスケート世界選手権では、出場している選手は実質同じなのだが、 どうしても、世間の感覚として、五輪の金メダルは何よりも重みがある。 浅田真央選手としては、次の金メダルでキムヨナ選手に勝ってこと、始めて本当に、 「雪辱を果たす」ことになるわけである。 しかしながら、4年後、浅田、キム両選手が再び五輪で競えるかどうか分からない。 日本では、次から次へと若手で優秀な選手が出てくる。 また、今回のキムヨナ選手を見ていて、五輪の疲れが残っているように思われた。 多分体重も増えていたし、スポンサーやら何やらへの「挨拶廻り」で忙殺されたらしい。 解説の荒川静香さんが言っていたが、五輪を目標といていた選手達が、そのモチベーション(やる気) を世界選手権まで維持する、或いはもう一度モチベーションを高めるのは、かなり辛い事は、 これも、素人ながら想像に難くない。キムヨナ選手は、五輪で一旦燃焼し尽くした感があった。 4年後まで、キムヨナ選手がフィギュアスケートを続けるであろうと断定する根拠はない。 一方、浅田選手が五輪で負けたときの、あの悔し涙は、ものすごい「根性」と「執念」を 端的に表していた。この1ヶ月、定期的に週末に休みを入れる以外はずっと一日中練習していたという。 最近の若い人にしては、珍しい。フィギュアスケートがスポーツである以上、 その目的は「勝つこと」以外に無い。 世間の印象は五輪と世界選手権では大きく異なる(フィギュアスケートは反論するだろうが、 世の中の大半は、普段はフィギュアスケートのことなど、関心がないのである)が、 一度負けて、その悔しさを勝利へのエネルギーへ転化させた浅田選手は、立派である。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2009年03月27日(金) 【差替】【音楽】「編曲者としてのラフマニノフ」。3月28日は、ラフマニノフの命日。済みません。「ヴォカリーズ」追加しました
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