JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆などと、大袈裟なタイトルを付けましたが、要するに愚息が大学入試に失敗したというだけのことです。 私は、この記事を書こうか書くまいか悩んだのです。 2004年02月01日(日) 「合格して、泣こう」今日だけは、私事を書きます。 (この当時はWeb日記「エンピツ」にしかアカウントを持っていません)。 本当にアッという間に6年間が過ぎてしまいました。大学付属ではありません。高校までの学校で、全員受験するので、 もう少し受験指導に熱心かな?と期待したのですが、暢気な学校で(それがよいところでもあるのですが)、何もしない。 勿論、大学に進学するかどうかは個人が決め、受験するのならば、自分が勉強しなければ、合格しない。それは、分かってます。 だけど、生来怠惰な私のDNAを受け継いでしまった愚息は、放っておくと何もしません。 仕方がないから、当時三鷹駅の近くに住んでいたので、進学塾に通わせました。 が、一向に成績は伸びない。当たり前で塾に通っても「本人が」「やる気になって」「主体的に」勉強しなければ、 成績など、上がらないのです。 しかたがないから、高校二年の秋から家庭教師を付けました。 この家庭教師君、雇った当初は東大一年で、わずか数週間で二学期の成績を飛躍的に向上させてくれたので、 大いに期待していたのですが、家庭教師君自身が東大で苦労して、段々精神的に不安定になってきました。 しかし、それは、彼の「私事」であり、家庭教師はアルバイトとはいえ、金銭を受け取っている「仕事」です。 こちらは月に約7万円も払っている。「私事」と「仕事」は峻別しなければならない。 ところが、まだ大学一年から二年になった時期。所詮はまだ自分が子供なんですねえ。 段々、個人教授を真面目にやらなくなり「流し」ているのが分かりました。 相応の仕事をしないのでは、仕方がない。クビにして、憐れそれが発覚したのが高校三年の二学期、 つまり、昨年の秋です。急遽、また個人指導の塾を探し、ナメられないように、私が一緒に行って様子を見て 決めました。彼らは相当頑張ってくれたのです。 が、しかし、くどいようですが、「本人が」危機感を抱いて、顔色を変えて勉強するぐらいじゃなきゃダメですよね。 この辺り、30数年前の自分を見ているようでした。恥ずかしながら私は、大学まで「エスカレーター式」に進学できる 私立高校にいたのですが、外部受験を「志し」たにも関わらず、今から思い出すと赤面するほど何もしませんでした。 前述のとおり、愚息は、私の「怠惰の遺伝子」を受け継いだらしく、見ていて「危機感」が感じられません。 これは今年はダメだ、と思いつつ。困ったときの神(?)頼みで、大手町の「平将門の首塚」と「神田明神」に お参りしました。 親が急にお参りして大学に受かるのなら、誰も苦労しませんよね。親もバカです。 ◆ダメだと分かりつつ奇跡を期待してしまう、憐れな親。 今月、愚息は三大学を受験しました。はっきり言って数を受けて、何でも良いから、というのは、 「お疲れ様」 ぐらい言えよ、と思いました。「俺の方が余程可哀想だよ」と。でも、こういう女房ですから、 耐えるしか、仕方ありません。 来年の今頃、また、合格発表を見なければなりません。さすがに本人も少し堪えたようなので、 何も五月蠅いことは、私は言いませんが、この辛い気分でこれから1年間を過ごさなければならないのですね。 自分が浪人生だった頃には、想像もつきませんでした。あの頃、自分も親にこういう思いをさせていたのか、と。 死んだ親父は黙って見ていてくれました。悪いことをしたな、と思います。バチが当たったんですね。 ただ、耐えるしか有りません。人生は我慢、です。 済みません。完全に、見事な「愚痴日記」になりました。 とんだ、お目汚しで申し訳有りません。 ところで、全然関係ないですが、既に日付は変わってしまいましたが、2月26日。 昭和11年、二・二六事件が起きた日ですね。陸軍将兵によるクーデター未遂です。 昭和3年生まれの母は、当時都心に近いところ(今の慈恵医大の辺り)で開業していた医者の娘で、 「何だか事情は分からなかったけど、非常に緊迫した雰囲気」は覚えているそうです(笑)。 ウィキペディアだけでなく、この頃からどのように日本が戦争に向かっていったのか、を知るために、 以前から、何度もお薦めしてますが、阿川弘之氏の、「米内光政」「山本五十六」(上)(下)、「井上成美」を お読みになることをお薦めします。三人とも、「戦争放棄」などしていなかった明治憲法下の日本の軍人ですが、 命がけで三国同盟に反対し、戦争に反対した人々です。 その中の一人、山本五十六の言葉で有名なのがありますね。 苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。 ・・・これをじっと我慢していくのが男の修業である。 阿川さんの「山本五十六」を読むと、山本さん自身、そうは言っても結構実際には周囲に愚痴っていたことが分かります(笑)。 しかし、山本さんは、もっと大変な苦労にじっと耐えたことは確かです。 話がそれました。 皆様、良い週末をお過ごし下さい。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2009年02月26日(木) 「得意のはずが…麻生さんの英語、米側『聞き取れない』」(読売新聞)←下らないことを書くな。
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