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2009年09月27日(日) |
久々にN響アワーを見ていて感じた「音楽の残酷さ」。 |
◆N響アワーとは直接関係ないのですけどね。
久しぶりにテレビでN響アワーを見ました。
読者の皆さんは、私がしょっちゅう音楽記事を書くので、
JIROはさぞかし、毎日音楽を何時間も聴いているのだろう
と思われるかも知れませんが、実はさほどではありません。
全く聴かない日の方が多いです。
音楽を聴く、ということは、ただすわって聴いていりゃいいんですから、
受動的な行為と思われがちですが、そうではなくて、音楽を「聴くエネルギー」
というのがあるのです。自分が身体のエネルギーが極端に低下する、うつ病に罹り、
そのことがよく分かりました。
うつ病に罹ってから10年ぐらい、生のコンサートに全く行けなかったのもその所為です。
だから、毎日何時間聴こうが、個人の自由なんですが、「聴くエネルギー」が有る方。
それだけでも、幸せなんですよ。
◆それは、本論ではなく、クラシック音楽で「残酷だな」と思うこと。
今日の曲目はチャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(後者は第二、第三楽章のみ)でした。
メンデルスゾーンは今年生誕200年ですが(1809-1847)、このヴァイオリン協奏曲何度聴いたが分かりませんが、
つくづく名曲だと思います。作曲されてから200年近く経っている音楽ですよ。
それを、何百回聴いても飽きない。この音楽は全く色褪せない。文句の付けようが無い。完璧な作品ですね。
口幅ったい言い方ですが、私は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、
「神様からの贈り物」ではないかと思います。
さて、タイトルに「残酷」という文字を書きましたが、どういうことか、といいますと。
クラシック音楽は、精神的に成熟した大人の世界です。
「残酷」だなとおもうのは、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いて感動した大人が、
「自分も弾いてみたいな」と思ったとしても(思う人は多いことでしょう)、
仮にそう思った頃からヴァイオリンを習い始めたとしても、絶対弾けるようにはならない、ということです。
大袈裟かもしれませんが、これって「残酷な」現実だと思うのです。
一度は楽器を弾いたり、吹いたり、叩いたりしていた人でも社会人になり、仕事が忙しくなり、
所帯を持って、楽器を続けるのは、誠に困難です(だから、アマチュア・オケの方々は立派です)。
途中で諦め、何十年も楽器に触らず、もう弾けなく(吹けなく、叩けなく)なった方は無数にいることでしょう。
何だか反論が来そうなので機先を制して書いておきますが、楽器を弾ければ自然に幸せになる、というほど、
音楽が甘くないことは、十分承知しています。特にプロは「弾けて当たり前」。
ミスを繰り返せば、どこからもお呼びがかからなくなり、露頭に迷う、厳しい世界です。
それでも、私は「弾きたいのに弾けない」より幸せだと思います。
日本の世の中、いつまでも成長することを目指して夜遅くまで働くのは止めて、仕事はほどほどにして、
日本が何とか「巡航体制」になれば御の字、という風に頭を切り換えられないものでしょうか?
どこまでも上昇しようとするから無理が出るような気がします。
まあ、そういう社会に関する論評はさておき、私が、クラシック音楽を聴いていて、
「残酷だな」とおもうことがある、ということ。そしてその理由を書くのが本稿の目的でした。
それでは。
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