JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆何のことかといいますと・・・。 人間は、様々なメディアに目を通し、情報収集の「アンテナ」を張っているつもりでも ああ、それなら、知ってたよ。 という人がいます。本当は知らなかったことが、私にはわかります。 こういう人はバカだなあ、と思います。 彼にとって私は「情報源」です。「情報源」はおだてておけば、また張り切るのです。 そういうときには、大人の対応としては、たとえ既に知っている情報でも、 お、そうか、ありがとう。 というのです。現に私は、他の情報源に対しては必ずそうしています。 ありがとう。 と言われ、怒るバカはいません。 ◆「知ってたよ」を繰り返すと、どうなるか。 前段で書いたとおり、どんな号外的情報を教えてあげても、 ああ、それなら、知ってたよ。 という人は、よく言えば(非常に無理に好意的表現を用いるならば)、「プライドが高い」のでしょう。 自分が「知らなかった」と言えない、ということです。はっきり言えば子どもです。 「教養」じゃなくて、時々刻々と変化する情報です。知らないことがあるのが当たり前です。 いつ、何を教えても、 知ってるよ。 を繰り返されると、「情報源」としての私はどういう気持になるか。 人間の心理について、すこし想像すれば、分かることです。 段々「情報源」は、次のように考え始めます。 どうせあの人に伝えても「知ってるよ」と小馬鹿にされる。言わないでおこう。 こちらが意地悪だとは思いません。人の感情の当然の結末ではないでしょうか。 このようにして、彼は肝心なとき、皆が知っている情報を自分だけ知らない、という場面に遭遇します。 今回は「情報源としての他人」の話を書きますが、情報に限りません。 日本人は概して、謝意を表するのが下手です。 イギリスに駐在していて、目が覚めた思いがしたのはこのことです。 彼らが全てにおいて日本人よりも優秀だとは全く思いませんが、 この点に関しては、上手(うわて)です。本当にちょっとしたことでも、 Excellent! とか、 Brilliant! とか、 Superb! などと、我々日本人の感覚では、大袈裟な言葉で感謝してくれます。 先ほど、「『ありがとう』と言われ、怒るバカはいない」とかきましたが、 それをロンドン駐在時代に覚えました。 「情報源としての他人」ばかりではなく、一般論として、 他人と上手く付き合おうと思うのなら、また、上司や部下を上手く「使い」たかったら、 大袈裟なぐらい褒めて、感謝することが、最も簡単で素直な方法です。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2008年09月24日(水) 新政権の事などは、これからいくらでも書きます。今日は、クラシック以外の音楽を載せたいのです。
JIRO
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