JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:「裁判員通知来た」ブログで公開相次ぐ…氏名・顔写真も(12月1日3時3分配信 読売新聞) 裁判員制度の候補者名簿に登録された人が、通知が届いたことをインターネットのブログで公開するケースが相次ぎ、 ◆コメント:何故、秘密にしなければいけないか。 何だか、皆さん、裁判員になる、ということが、良く分かっていないみたい。 裁判員法は候補者の個人情報を公にすることを禁じており とあります。これは「候補者に関する原則」なんです。 裁判員法は、正式には、裁判員の参加する刑事裁判に関する法律という名前の法律です。 裁判員の個人情報を明かしてはならない、という条文は「第六章 裁判員等の保護のための措置」に含まれています。 第101条の文言(もんごん)は次の通り。 第百一条 何人も、裁判員、補充裁判員、選任予定裁判員又は裁判員候補者若しくはその予定者の氏名、住所その他の個人を特定するに足りる情報を公にしてはならない。 ネットでは早くも、「俺が裁判員だぞー」と自分でバラしている人がいるそうですが、101条には、 これらであった者の氏名、住所その他の個人を特定するに足りる情報についても、本人がこれを公にすることに同意している場合を除き とされています。自分が裁判員に選ばれた事を自分で公表するのは、候補者の段階では、確かに禁じられていますが、 裁判が終わったあと、「俺が、あいつを死刑にしたんだぞ」と自分から公表するのは「本人が公にすることを同意している場合」 と、考えられます。ですから読売が 裁判員法は候補者の個人情報を公にすることを禁じており と書いているのは、間違ってはいないけれど、説明不十分ではないかと思います。 しかし、それでも、自分が裁判員であったことをバラすメリットは全くありません。 ◆もしかしたら、あなたは誰かを死刑にするかもしれないのですよ。 どうも、この裁判員制度には、問題があるように思います。 「はい、それでは、被告人を死刑にしますか?無期懲役にしますか?無罪ですか」 と、判断を求められます。日頃ニュースで凶悪な殺人事件の報道を聞いているとき、私たちは、簡単に、 「こんな奴、さっさと死刑にしてしまえ」とかいいますが、裁判員になったら、目の前の被告人を本当に死刑するかどうか、 本気で考えるのです。一般市民がその心理的重圧に耐えられるでしょうか。そしてもしも本当に死刑になったら、 被告人が兇悪犯だったとしても、あなたがその人物の生命を奪うことに関与したという事実は一生消えないのです。 私は死刑存続論者ですが、こういう判断は、感情を抑制する訓練をした、法律の専門家の仕事だとおもうのです。 ◆うっかり、自分が裁判員であることが分かったら、何が起きるか分かりませんよ。 自分に裁判員通知が来たことを自分でネット上に公開するのは、自己責任ですが、 「お前が、奴を殺した一人だな」 などと、ネット上で中傷される可能性は十分にある。あるいは、死刑にされた被告人の身内から報復されるかも知れない。 実際にそういうことが起きなくても、その可能性がある、という心理的圧迫感により、精神的に参ってしまう人が、きっと出ます。 だから、裁判員に選ばれたことを公判後であっても自ら吹聴するのは、実際に裁判員制度が始まったら、大変危険な行為です。 繰り返しますが、自分は沈黙していても、前述の通り誰かに公表されてしまうかも知れない。 そういうことをよく考え、覚悟を決めないといけないのです。 最後に、一言。 裁判員が関わるのは、一審だけなんですね。被告人が控訴して、逆転判決など出たら、 一体裁判員制度は何のためにあるのか、と、思います。 私には、この制度のメリットが認められません。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。 【お詫び】 普段はメールを受け付けているのですが、最近、海外からのスパムメールがやたらと多いので、メールフォーム非表示にしてあります。 ココログからも、メールが送れますので、よろしければご利用下さい。
2007年12月01日(土) ベートーベン交響曲全曲(その13)第四番 第一楽章 by 朝比奈隆、カルロスクライバー、カツァリス(ピアノ)
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